京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

ランチを食べる場所が変化しましたね

2012年08月31日 05時12分54秒 | 
松葉杖使いになり、大阪に行った時、ランチのお店が変わりましたね。
いつもなら時間がないから、三番街の「インデアンカレー」でしたよね。
京男の記事を見ていると定期的に登場していまいた。


↑インデアンカレー、もちろん昨年の写真

ところがあの店がなんともしようがない。
特にランチ時になると行列ができるから、並ぶのが無理。
人が少なくても松葉杖3号を置く場所がない。
カウンターのお店は、ほとんどいけなくなりました。


↑青椒肉絲定食





しかも、あのルーが重すぎるのです。
体質がちょっと変わってようで、あまり油脂の多いものは避けるようになりました。
昨年の三ヶ月の断食にちかい状態の影響かな?


↑エビチリ(乾焼蝦仁)定食





最近のお店を選ぶ規準が変わりましたね。
1.お店が広いこと
2.隣のテーブルも離れていること
3.テーブル席であること
4.並ばなくていいこと
5.階段を上がらなくていいこと
6.床がツルツルしていないこと
7.お座敷はNG、掘りごたつ方式はOK。
8.付け睫毛が異様に長いサービスのお姉さんはNG。付けツメも。いれ歯はOK。
9.禁煙であること。せめてランチタイムは禁煙にして欲しい。
10.手書きメニューはNG
とりあえずこんなところかな。
だからカウンターのお店は全滅なんですよ。


↑コーンスープ

夏の疲れのせいか甘酸っぱいものが欲しくなる。
ということで中華料理にすることが多いかも。
この中華料理の「チンミン(青冥、漢字でないかも)」は、三番街に古くからある。
いつも通り過ぎるだけだった。
でも四人用のテーブル席が空いていそうなのではいっていました。
写真は、2回分、つまり二ヶ月分ということになります。


↑杏仁豆腐

昔は、もっと高かったように思います。
外のメニューを見ていただけですが。
京都の祗園にもお店があります。
最近、大阪に行ったときのランチは、ここに決めております。
夜は、もう少し軽いお蕎麦なんかが多いですね。
随分変わったものです。

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ここは、小さい時の遊び場所ではなかった・・・熊野神社

2012年08月30日 04時51分03秒 | 社寺

↑木彫りの烏が面白いでしょ

ここは、丸太町通と東大路通の交差点にある熊野神社。



創建由来を引用してみます。
◎創建由緒
弘仁二年(811)修験道の始祖役小角(えんのおづぬ)の十世僧日圓が、国家護持のために紀州熊野大神を勧請したのに始まる。
寛治四年(1090)白河上皇の勅願により創立された聖護院は、当社を守護神として祟められ別当職を置いて管理した。平安末期後白河法皇は度々熊野詣を行われたが、当社にも厚く尊信をよせられた。応仁の乱により社殿は焼失したが、寛文六年(1666)聖護院宮道寛法親王 は、 令旨を下し再興され、その境域は鴨川に至る広大なものであった。その後、天保六年(1835)にも大修造が行われた。現在の本殿は、この時、賀茂御祖神社(下鴨神社)から移築された代表的な流れ造りである。
御祭神は、我国最初の夫婦神である伊弉諾尊・伊弉冉尊であり、縁結び・安産のご利益がある。又、病気平癒のご祈願も多い。
古くから節分の日には「火の用心のお札」を受ける風習があり、多くの参拝者で賑わう。



白河上皇か・・・日本史で悩まされた名前です。
左義長の記事で出てくる今熊野神社は、創建が永暦元年(1160)、後白河法皇によってつくられてから、その時代は熊野進行が盛んだったようです。


↑神のお使いの烏

この熊野神社の縁日があり、毎月昼店の屋台がでていました。
昔風のみたらし団子が売っていて、それが楽しみでした。





でも意外と境内では遊ばなかったと思います。
理由はよくわかりません。
小さい時は、吉田神社が好きだった。
吉田神社の方が境内が広かったからかも。
生きている鹿もいたしね。


↑境内にある稲荷神社

京都にとっては応仁の乱は、すごいイベントだったんですね。
いまだに京都人にとって「先の戦争」は、「太平洋戦争」や「薔薇戦争」でもなく「応仁の乱」のことなんですよ。
平安時代と平成時代と同居している不思議な街なんです。
まあ、京都人特有のいやみな言い回しなんだろうけど。
あきらかに奈良の方が古いのに京都人は自分たちの方が偉いと思っているのです。
リニアモーターカーが開通したらどうなるのかな?
それまで生きていないだろうから、どうでもいいですけど。

「京都 熊野神社」地図

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糖尿病の父親のために甘味処?

2012年08月29日 06時04分23秒 | 甘味・喫茶・その他
昨日の記事の続き。
京都ホテルオークラの「京料理 入舟」の後、父親が腕時計のバッテリーを交換したいとのこと。
近くは、Loftの時計売り場が近かったので行く。
京男の時計と違って単純なバッテリーだからOKと判断。


↑白玉きな粉+みたらし団子

一時間ほど時間がかかるとのことなので、その間デザートでもと梅園へ行く。
時間的に空いている時間帯だから問題なく座れると判断。
読み通り座れました。


↑白玉きな粉

さて注文です。
父親は、黄粉白玉とみたらし団子のセット。
母親は、みつ豆とみたらし団子のセット。
私は、温かいお善哉が食べたかった。
いくらメニューを探してもない・・・。
お店の方に聞くと「夏場はやっていません」とのこと。
これには、ビックリしました。
夏でも焼きたてのお餅が入った善哉を食べたい人はいないのかな・・・。
そういえば「磯辺焼き」もなかったように思う。
甘いのが嫌いだけど、嫁と娘が食べたいから仕方なく一緒に入ったお父さんには地獄ですね。(笑)


↑ここのみたらし団子はこんな形です。鰻の蒲焼きに見えなくもないな。

先日、役所広司主演の『聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-』のDVDを観ていました。
この映画で印象に残ったのが、山本五十六がお善哉を食べるシーンの影響でお善哉が食べたくなったのかも。
また家族団らんで丸い卓袱台を囲んで家族がご飯を食べるシーンでした。


↑あんみつ+みたらし団子

家族団らんのシーンでは、みんなが正座して食事をする。
最初にお漬物を食べた長男に五十六が「漬け物はご飯の終わりぐらいに食べるものだ。まずお味噌汁を一口すすってから食べ始めるものだ。大切なことは、残さず腹一杯喰うこと」と注意するのがいい。
この食事風景が好きです。
映画の内容より、食べ物を食べるシーンしか印象にない映画だったかも。
水まんじゅうを食べるシーンもかな。
ミッドウェー海戦で五十六が大敗した南雲中将に茶漬をすすめるシーンも印象的だった。


↑京男は、不本意ながらみつ豆。きな粉のはわらび餅だったかな?みつ豆のタレが濁るから止めてほしい。求肥の方が絶対いい。

話しを甘味処に戻す。
年間通じて温かいメニューも置いて欲しいな。
そんなに手間はかからないのだし。
甘党でない人の救済策も用意してほしい。
すーさんが困ります。(笑)

聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実- [DVD]
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ふぅ~~!

2012年08月28日 04時55分27秒 | 


昨日は、朝一番から病院。
京男の病院じゃないんです。
両親、特に母親の診断結果をドクターに聞きに行きました。




↑葉っぱの下に隠れた料理はお豆さんでした

いつも後から両親から話しを聞くので、訳がわからない状態なんです。
隔靴掻痒(かっかそうよう)の状態になる。
今回は、両親で行くととんでもない自体になりそうだったから、京男が介入しました。
私の方が冷静に病気の内容が聞け、対応を確認できますからね。


↑野菜天ぷら

私一人でドクターに応対したら疲れなかっただろうけど、両親とドクターの四人の対応は、疲れました。
最初は、再度検査入院、そして結果次第では手術とおっしゃった。
母親は、みるみる萎んで行きました。


↑焼き物、鮎

そこで私がドクターの論を覆しにかかりました。
一つ一つ、冷静に質問して行きました。
結果、不要な検査入院はなし。
いまの検査結果で手術する意味がない。
三ヶ月後に、血液検査し病状が進んでいなかったら、半年後に同じ血液検査ということにしました。
もちろん、ネットでの情報収集はしてあります。
そんなことは基本ですからね。
そう言えば、大層に検査した病巣の画像を見せてくれなかった。
うまく撮れていなかったように思います。
数字的な検査結果しかおっしゃらなかったし。
画像を見せたら説得力があるのに・・・です。
見せないということは、説得力のある画像でないということ。
病巣が映っていないとは、言えないだろうしね。
そう感じました。


↑お寿司

明後日は違う科に同行しなくてはいけない。
ふぅぅ~。


↑カルフォルニアロール?


↑これも、結構食べ難い

昨日のランチは、母親のわがままで京都ホテルオークラの「京料理 入舟」へ行く。
父親のカロリー的なこともあるのと、私が食欲がなかったというのもある。
それと両親が食べ残すと私が食べなくてはいけないし、日本料理なら対処できるしね。
中華料理やインド料理に行くと私では対応できない。
なんとか無事ランチは終えました。
でも・・・食事の味がよくわからなかった。
味わう余裕もなかったんです。
だから料理の内容はよくわかりません。
画像だけですみませんねぇ~。


↑水物

家に帰ると、メインのコンピュータの調子が悪かった。
京男の身代わりになってくれたのかな・・・26日は「救急車に乗って病院行記念日」だしね。
電源を落とし「治れ!!」と気を入れてやりました。
いまは、いまは元通り作動しています。
もちろん、作業中の書類はバックアップをとりました。
さて明日は、どうなるかな・・・。

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パナマ帽

2012年08月27日 05時24分11秒 | モノ

文二郎帽子店のパナマ帽

今年は服装の影響かパナマ帽の出番が少ない。
電車に乗ったり、エレベーターに乗ったりする時、女性がいると脱がないといけないと思ってしまう。
パナマ帽のような形の場合はね。
まあ、あまりおだわる必要はないとは思うけど。


↑こういうの注文から時間がかかるんですよ


↑これ可愛いでよ。おじいさんが被っている感じ。作務衣で被ると大正人に変身します。

これらのパナマ帽もソロソロ引退の時期が近づいてきました。
来年はどうしようかな・・・。
このパナマ帽、電車で脱ぐと置き場に困る。
型崩れするのが嫌だしね。
松葉杖のお陰でやたら荷物が多くなるんですよ。
知っている人と街で会ったら、帽子を取って挨拶したいんだけど、できないしね。
優雅に歩くのは難しいことですね。


↑上質のパナマで仕上げられたものはいいですよ

これから、秋になるとバスク・ベレー帽になります。
ベレー帽は気楽なんです。
あまり脱いだりしなくていいし、畳める気楽さがいい。


↑古くなっても硬くならない。見ていて飽きません。

道路や電車で人を観察していると面白い。
魅力的でない人が多いですね。
携帯電話やスマホを操作する人の表情は無表情。
あの顔を写真に撮ってもらうときっとゾッとしますよ。
デート中、喫茶店でお互いに見ないで、各々のスマホを見ているカップルをよく見かけます。自分の魅力的でない姿を見せているのに。大丈夫なんだろうか?
それを歩きながら飲食を摂っている人が多くなった。
いい歳をしたご婦人でもしている。
熱中症が怖いのかな・・・。
不細工な姿を人様に見られる方が死ぬより恥ずかしいと思うんだけど。
デパ地下でも飲み物を飲みながら歩いていたりする。
注意してほしいものです。

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お寺でエステ??

2012年08月26日 07時26分41秒 | 社寺

↑善導寺

ここは、川端二条と河原町二条の間にある善導寺。
木屋町通の始まるあたりにあります。
結構前を通るのですが、入ったことはないです。


↑このポスターには、驚いた。どなたかチャレンジしてみては、いかがでしょう?阿弥陀仏のコスプレで施術してくれるのかな・・・。西方十万億土の彼方的美しさになるかもね。それとも金粉で阿弥陀仏のような姿にしてくれるのかも。謎だ。

鴨川沿いには、ホテルフジタ京都がありました。
いまは、もう更地になっている。
何が建つのかな・・・。
調べると藤田観光が積水ハウスに土地を売り、リッツ・カールトンが2014年に建つそうです。
ホテルフジタって懐かしいな・・・ステーキをよく食べたっけ。





なんてことを考えながら歩いていた。
その時、善導寺の入り口が見えた。
気づいたのは、初めてじゃないかな。





善導寺は「終南山 眞光明院 善導寺」と号し(名づける、称する)浄土宗に属するお寺れです。創建は、永禄年間(1558~1569)に六角堂の付近に創建。天明八年(1788)の大火でいまの場所に個人の寄進で移ったそうです。



この「○○山○○寺」とは、という呼び名があり、この山号と寺号を合わせて「山号寺号」と呼ぶ。
落語の演目で『山号寺号(さんごうじごう)別名「恵方参り」』をご存知ですか?「○○さん○○じ」という言葉を見つける言葉遊びのことなんです。
例/「時計屋さん今何時」「看護師さん赤十字」「肉屋さんソーセージ」「京男さん快男児」「お医者さんイボ痔」「岡田さんもイボ痔」



なんか話しが善導寺からそれてしまった。
調べたけど、あまりよくわからないお寺でした。
すんませんなぁ~。


「善導寺」地図

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シャボン玉・・・

2012年08月25日 04時54分36秒 | モノ


ある時、宇宙の夢を見た。
いまでもはっきりと憶えている。



小さい頃の京男が、タオルに石鹸をつけて、石鹸箱の蓋にそのタオルを被せ
息を吹き込むと、ブクブクブクブクと泡がたってくる。
それが面白くてひたすら続けていた。
フト気が付くとお風呂は消えて泡が黒い空間にいっぱい拡がった。
その泡を見て、気づいた。
泡の一つ一つが我々の宇宙のようなものなんだと。
無数の宇宙がいろいろな大きさで重なり合っていた。
でも泡と泡の行き来はできない。
一つ一つの宇宙は、閉じているからだ。



次の瞬間、一つの宇宙の中をすごいスピードで飛んでいた。
そしていろいろな恒星、惑星を観察した。
惑星が誕生し、やがて生命が誕生して進化する。
勿論、我々人類のような形ではない。
炭素ベースの生命や、シリコンベースの生命もいた。
酸素呼吸をするもの、メタン呼吸のもの、水素呼吸の生命体もいた。
惑星自体が生命の星もあった。
文明ができて、戦争が始まり、生命が全滅する。
そしてまた、新しい生命が誕生進化して・・・。
もちろん戦争をするのでなく、進化し、精神だけの存在になったりする生命もあった。



いろいろな星を見て回る。
移動する時に風切り音のような音がしていた。
不思議な夢だった。
宇宙って案外、そんな形状をしているのかも。



こんな不思議なものに出合いました。
「泡時計」というらしい。
なかに特殊な泡ができる石鹸液が入っているのだろう。
ひっくり返すと、「ポコポコポコ」と音がする。
もちろん、時間は不正確。
大体、宇宙に正確な時間なんてものは存在しないものね。
見ていると妙に気持ちが安らぐ。
不思議なものです。



清水寺の森貫主の法話で、野口雨情作詞「シャボン玉」の歌詞の話しがでてきた。
「シャボン玉飛んだ
 屋根まで飛んだ
 屋根まで飛んで
 こわれて消えた

 シャボン玉消えた
 飛ばずに消えた
 産まれてすぐに
 こわれて消えた

 風、風、吹くな
 シャボン玉飛ばそ」

1908年、雨情の長女「みどり」が産まれて7日目に亡くなったのを悲しんでつくった作詞なんだそうです。
当時は、乳幼児が亡くなるのは、珍しいことではなく、2、3割の子供が亡くなったそうです。いまは、いい世の中になりましたね。
その話しは、雨情の長女の話という訳ではないという説もあります。
いずれにしても、美しい歌詞ですね。
ちなみにこの歌詞は、著作権法の規定により、1995年に著作権が失効しているそうです。だから掲載できました。

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新二十四節気?

2012年08月24日 04時34分11秒 | 風景・和菓子


昨日23日は、二十四節気の第14「処暑(しょしょ)」でした。
暑さがおさまるというような意味です。
少なくとも今年は、全然違うし。


↑暑くても顔晴れ!立ち上がれカブトムシ嬢

この二十四節気は、中国の戦国時代につくられたものです。
「中国の戦国時代?」とほとんどの方は思われますよね。
京男もそうです。
調べてみました。
戦国時代とは、紀元前403年に晋が韓・魏・趙の3つの国に分かれてから、紀元前221年に秦による統一がなされるまでをいうそうです。
いまは、2012年ですよ。
その頃の気候が当てはまる筈がない。


↑暑さでカラカラになった感じが身につまされる

2011年には日本気象協会が現代日本の気候に合わせた、新しい二十四節気を創造する事を目標とした準備委員会を設けた。一般からも意見を募り、2012年の秋頃には「 21世紀の二十四節気 」を発表し、周知させていきたいという意向を示している。
もうそろそろ秋なんですけど・・・作れるのかな?
本当は、祝祭日も元の意味のある祝祭日に戻した方がいいと思うけどな・・・。


↑緑はより深く

これだけ猛暑が残ると秋の紅葉は遅れて美しくないか、逆に急に気温が下がり素晴しい紅葉になるか、予測がものすごく難しい。
しかも時期がいつになるかもあるし。
観光しようとする人、お迎えの準備をする人、共に悩むだろうな。


↑亀屋良長「小さな秋」


↑きんとん、粒あん

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懐かし中華、再び

2012年08月23日 04時06分47秒 | 
昨日の続きのようだけど、違う日に行っているのです。
次女の誕生日ということで、いったのです。
きっとこういう系の中華は好きだと思うから鳳泉にしてみました。
次女とは、昔よく「やまぐち」に行ったものです。
小さい時から筋金入りやね。


↑ピータン、次女が好きなんです

残念なのは、次女はキノコがダメなので「キクラゲブタ」というのを頼めなかった。
それから汁麺を頼んでいない。
ここの欠点として、料理が出て来すぎるからゆっくり味わえない点かな。
たくさんの人数で分けて食べるならいいだろうけど。
酒飲みがゆっくり酒を飲みながらには不向きなお店かも。
特にランチ時は、客回転を上げる必要があるからかな。
まあ、四人で酒を飲まないメンバーなら障害になりません。


↑カラシミソ、辣椒醤(チリソース)で味付けした鶏、ストローとな辛さです。

注文が四人ぐらいになるとバランスを考えるのが難しくなります。
家族といえどもどれだけお腹が空いているのかわからないしね。
好き嫌いは、この場合、次女のキノコだけ。
長男の魚は、メニュー的にあまりないから大丈夫。
京女の場合は、脂が多くなければ大丈夫。


↑フーヨーハイ、甘くないソースが好印象

注文するとすごいスピードで料理が出てくる。
次々に食べていく。
酒飲みが混じってないから同じペースで食べられます。


↑トマト牛肉、私のお気に入り、京女に食べさせたかったから注文


↑トマトが美味しい

四人だと色々な種類が食べられてうれしい。
最近、私も食べなくなりましたからね。


↑焼飯、長男が好きみたいです

本日のメニューで好きなのはやっぱり酢豚かな。
いまぐらいの時期だからなんでしょうね。
甘酸っぱいものが食べとうなります。
本来は、あまり注文しないのが酢豚。
なんか素人っぽいから恥ずかしいのですよ。
昔、神戸の愛園(もう閉店してしまった)で一人で食べていた。
食べている周辺では、中国語が飛び交ったいた。
日本人の家族連れが何を間違ったか入ってきた。
二回へ通された直後、定員さんが「絶対、酢豚と焼き飯だよ」と言っていた。
案の定、その注文だった。
あの時のイメージが酢豚にある。
あの頃の神戸はよかった。
東亜食堂のお粥も美味しかった。あのおばちゃんも亡くなったな。
南京町も観光客なんて来ていなかったしね。民生もバラックみたいな建物だったし。
いまでこそ明るい雰囲気だけど、当時は観光のおばちゃんたちが入れる雰囲気じゃなかったしね。


↑スブタ、全体の写真は、撮るのを忘れていたので昨日の写真です

でも最近、おの時期には、酢豚ですね。
京男は、広東風の酢豚が好きかも。
広東料理は、広東省内の各地の名物料理の集大成なんです。
広州が食の中心地で「食在広州(食は広州にあり、どこかの宣伝みたいだ)」といわれる。
「飛ぶものは飛行機以外、泳ぐものは潜水艦以外、四つ足は机以外、二本足は親以外なんでも食べる」といわれます。
このフレーズが結構好きなんですよ。そうでなければね。(笑)
最近は、小さな島も食べるらしいけど、すごい食欲ですね。


↑このキューリが好き

話しを酢豚に戻してます。
京男は、このお店の酢豚(このお店の場合「古老肉」と表示)は、好みです。
酢豚に入っているキュウリが好きなんですよ。(笑)
ちなみに「酢豚」と「古老肉」と「糖醋肉」は、厳密にいうと違うんです。
話しは、ちょっとそれるけど、民生で「古老肉」と「糖醋背肉」とどう違うのか質問したことがあります。「糖醋背肉」は、豚アバラ甘酢ということで、骨付きなんだそうです。次回行ったら注文してみます。
「古老肉」は、本来酢漬けした豚肉を調理するので、普通我々の食べる酢豚は、「糖醋肉」になるようです。
中国料理の授業で「クールーロー」と言ってら通じなかったのはこのせいなんです。
「タンツーロー」といわないといけなかったのです。まあ、カタカナ表示がこれでいいのかどうかは別ですけど。
英語で言うと「Sweet and Sour Pork」となる。かなり甘そうな雰囲気がしますね。


↑パイナップルやライチーが入ると豪華に感じます

これだけ書くと、酢豚がすごく好きみたいでしょ。
そうでもないですよ。
あくまで季節的なものです。
普通は注文しないメニューね。

お店のことはあまり書いていませんが、写真を見たらお分かりになりますよね。
もちろん、この日は、焼売や春巻も注文しているのですが、写真が重複するので掲載しておりません。
次女をはじめ全員が満足してくれたと思います。

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懐かし系広東料理

2012年08月22日 04時05分15秒 | 

↑トマト牛肉/この料理は蒸し物なんです


↑中国料理っぽくない感じが面白い

この間、「鳳泉(ほうせん)」に行った。
いつもタクシーで前を通りかかり、気になっていたお店なんです。
何回も気になるから調べてみた。
ここは、「鳳舞(ほうまい、平成21年閉店)」で調理をしていた方がお店をつくったそうです。
「鳳舞」を知っている人は、少ないだろうな。
極めてローカルなことだし。
独特のクラシックな建物のお店だった。
場所が北の方なので、私はあまり行くことはなかったです。


↑ハルマキ/神戸あたりでは、結構普通に食べられるタイプなんだけど京都ではすくないかも。


↑具が粗いのが特徴。この方が好き。

街中に昔、同じような系統のお店がありました。
「第一楼」と「大三元」。
両方ともまだサラリーマンだった頃にランチに行っていました。
「第一楼」の場所は、いま大丸の駐車場になっている。
あの建物を潰して駐車場というのは情けない。
ああいった風情のある建物は、保存しなくてはいけなかったのではないでしょうか。
いまでも、どんどん風情のあるビルやお店が無くなってきているのが気になります。
商売だからしかたないけど。
その内、老舗がなくなり、バイキングばかりになってしまうかもね。
食文化も滅びつつあるのかも。料理も正当なものがなくなり、ゴミ箱料理みたいなものが多くなってきたように思う。


↑スブタ/パイナップル、キュウリ、ライチーなんかも入っている。このタイプが好き。

「大三元」は、四条富小路をちょっと上がった西側にあった。
確か「69(名前が魅力的と会社の上司が言っていた)」というカレーライスの店のお向かいだった。
この「69」カレーライスということで入って見るとカレーライスがなかったのにはビックリしたな。もちろんいまは看板はあるけど、お店はやっていない。
「ボントン」という洋食店もありました。
昔、よく行きました。コキーユ・サン・ジャックを食べていました。
調べるといまは、洋食弁当ぐらいしかやってないみたいですね。代替わりしたかな。
イタリア料理のフクムラは、まだありますね。ここもよくア・ラ・カルトを食べていました。贅沢なサラリーマンでした。
ト一 (といち)もまだあった。(笑)


↑焼売


↑豚肉が粗く、クワイが独特のサクサク感なんですよ。

「第一楼」では、焼売と焼きそばを食べていました。
あの頃、それが当たり前だった。
無くなってはじめて貴重なのに気づいた。
今回、「鳳泉」で焼売を食べたら、あの頃の味だった。
豚肉が粗い挽肉で馬蹄(マータイ、中国のクワイ)が入っている。
ドクドクの食感が特徴。
焼売ってこうでなくちゃね。


↑ヤキソバ/お酢と練り辛子を加えるのが好き

焼きそばも。昔のようにお酢と辛子をかけて食べました。
久しぶりに懐かしい味をいただきました。


「鳳泉」地図

実は、もう一回行っているのです。
それは次回のお楽しみ。

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上には上があるなぁ・・・

2012年08月21日 05時46分22秒 | 風景


これ5月31日で紹介した鳥居(とりい)です。
再度説明すると、立ちション防止の鳥居なんです。
あきらかに、犬や猫用のものじゃない。
人間用です。



鳥居は、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」です。
その神域に向かって粗相をしたらダメということでしょうね。
でも現代人には通じないようになっているかも。
立ちションということは、男子専用かな。
女性も努力すればできるかもしれない。



さて、御池通南側を歩いていてこの塀の前を通った。
ここは、柊家の黒塀。
「粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の 洗い髪 死んだ筈だよ お富さん」の黒塀です。
もう死語になっているかもね。
昔のお屋敷のステイタスだったのかも。
渋墨(しぶずみ)塗りの塀を持つ家は、理想です。億ションなんかよりもずっといい。
しかもこの黒塀というのは、結界の役目もするのです。



結界をすくる黒塀でも立ちションには弱いみたいですね。
17基もありました。
こんな和のは初めてみましたね。



ここまでするなら、もう一案、どうだろう?
塀の下に盛り土をする。
「この土の中でミミズを養殖中!」と張り紙。
最近の若者には理解できないか・・・。
鳥居の真ん中にカメラのレンズというのもありますね。


↑下の部分が犬矢来だワン

これは、もうひとつのタイプ「犬矢来(いぬやらい)」
盗賊避けという実用的意味もあったらしい。
小さい時「このスペースで犬が矢のように走って来る」というイメージだった。
犬はダックス系の犬かな。管狐(くだぎつね)のイメージかも。管狐?説明が長くなるのでやめておきます。
近づいていって、犬が吠えたらビックリするだろうな。

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地蔵盆

2012年08月20日 05時53分50秒 | 風景
京都では、地蔵盆がくると夏もお終いなんです。
暑さは続くかもしれませんが。
ちなみに正式な地蔵盆は、お地蔵さんの縁日が24日なので、その前後二日間するのが本当なんです。いまでは、準備する大人の都合で土日にやることが多いですね。



子供の頃は、お盆が過ぎると「クラゲが出る!」といい、海水浴もしなかったものです。いまは、発電所のところにいっぱい集まって出ているようですが。
お盆と発電所となにか関連あるのかな・・・。



京男少年は、「地蔵盆」を「児童盆」と思っていた。
子供が集まる行事だったからでしょう。
いまは、元子供たちが集まってやっている町内が多い。
現代の子供は、スイカや蒸し芋、暑い中でのゲーム大会では出てこないかも。
鱧の落としと上にぎり寿司を出すと寄ってくるかも。



しかも「地蔵盆は、宗教行事だから参加しない」という親も多く。
夏祭になってしまっている。
確かに地蔵盆は宗教行事だけど、参加したからといって地蔵教に入神を勧誘されるという話しは聞いたことがない。
そういう家庭では、お正月に初詣に行ったり、クリスマスをしたりしないのでしょうか?京都に旅行に来たら、宗教施設だらけですよ。
金閣寺や平安神宮、清水寺に行かないのかな?
そういうところに行く修学旅行へ参加しないんだろうか?
それならしかたないけどね。



ひょっとして地獄に行くかもしれないから、お地蔵さんと懇意にしておいた方がいいかもよ。
地獄で仏というのは「地蔵菩薩」のことだしね。
お地蔵さんは、子供たちをまもってくれる存在だし。
宗教だとかなんとか言って、しっかり拝まないようになったから子供が受難の時代になったのかもしれませんよ。



お地蔵さんは、幼い子供が親より先に世を去ると、親を悲しませ親孝行の功徳も積んでいないことから、三途の川を渡れず、賽の河原で鬼のいじめに遭いながら石の塔婆作りを永遠に続けなければならないとされ、賽の河原に率先して足を運んでは鬼から子供達を守ってやり、仏法や経文を聞かせて徳を与え、成仏への道を開いていく逸話は有名ですね。
いまでは、この世そのものが地獄化している家庭もある。
自分の欲望のため、小さい子供を虐待し、殺してしまう親までいる。それも実の親。
この場合でも「親に先立つ不孝物」なんだろうか・・・。
お地蔵さん、どうか子供たちを救ってあげてください。
お願いします。

※写真は今年のものではありません。すんませんな~。

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帰りはどうかな?

2012年08月19日 05時53分21秒 | 甘味・喫茶・その他
昨日の続き。
ココナッツ・カレーを食べてお腹も一段落。
よく考えたら、またあの階段を上がらないといけない・・・と気が付く。



まあ、その時はその時や。
お腹が膨れると、気も大きくなります。
そのあたりが京男らしいところかな。


↑モロッコ・ミント・ティー

取りあえずお茶を飲もう。
京男は、ここのモロッコ・ミント・ティーが好き。
もちろんチャイも好きだけど。
この日は、チャイをアイスクリームで楽しもう。


↑底に氷砂糖が入っているのです。家でもできるでしょ。

このモロッコ・ミント・ティー見栄えがいいでしょ。
普段は、お砂糖なんか入れないけど、この時だけは例外。
マリアージュフレールの「カサブランカ」をアイスで飲むのも好きだけど。
暑い所の知恵なんだろうな。
暑さのストレスで脳が糖分を欲しがるのでしょうね。
あまり紅茶がいい。


↑マサラチャイのアイスクリーム、ラスク付




↑ちょっと食べたら悦楽

これで昔のようにリネンのスーツをきていたらもっといいのに。
いまなら、もう少し似合うかも。
20代の頃は、まだ着せられていた感じだったものね。



こんなささやかなことでも、嬉しくなってしまう。
幸せの閾値(いきち)が低くなってきているのかも。
ちょっとだけとくする人になったかもね。

そうそう「帰りの階段はどうだったの?」といわれそう。
当然の階段は乾いてすべりませんでした。
目出度し、目出度し。
でも雨上がりの時は、気をつけよう!

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危なかった 危なかった 危なかった Yes!

2012年08月18日 04時23分29秒 | 洛外・食

カンテ・グランデ本店マンションの地下にあります

松葉杖生活を開始してから、まだ一年経たない。
かなりの特訓の結果、まだ転んだことも、転びかけたこともない。
転けていい方の足を折ったりしたら、どうしようもなくなる。


↑この階段を降りるのです

これは、もう一ヶ月近く前になるかな。
関西で雨がすごく降ったでしょ。
その時、いつもの大阪の用事があった。


↑ココナッツ・カレー

会合が終わってからちょっと談笑することになり、雨も止んでいるからとカンテ・グランデ本店に行く。
地下鉄中津駅から歩かないと行けないけど、週末でも人が少なく、ゆっくり話せるだろうから選択。
歩くとやっぱり距離があるな・・・。


↑ココナッツて妙にクセになりません?

着いて、機嫌良く外観の写真を撮る。
帰りはきっと日が暮れているだろうしね。


↑好きな味なんです

写真をごらんの通り、お店は地下にあるのです。
コンクリートの階段を降りていくようになっている。
その階段を一段おりた時に異変に気づいた。
松葉杖の石突きがどうやっても滑るのです。
まったく踏ん張れないのです。
この階段を落ちたらただではすまない。
戻るにも方向転換ができないのです。
手摺りにクリスマスツリーの電気みたいなものが巻き付けてあり、手でも支えられない。一緒に行った人の方をつかまるにも階段が狭いのです。


↑エビ・カレー、これも美味しそうだった

松葉杖を階段に対して垂直に立て、力を入れないように使った。
身体を空中にうかすようなイメージでした。
よく下まで降りたと思う。
細かいテクニックは憶えていない。
いままで松葉杖で歩いていて、これだけスベッタのは初めて。
帰りは、階段が乾いてきていたので、そこまで滑らなかった。
気を付けなくちゃいけませんね。


↑タンドリーチキンチャパティ

このお店はこのマンションの地下にある。
ということは、エレベーターがどこかに存在するのかもしれません。
次回、お店に聞いてみようっと。
雨上がりは、気を付けないといけないな。


↑家でも作れそうですよ。チャパティはフライパンで作れるしね

こちらも装備に滑り止めの砂を持っていた方がいいかもしれません。
例えば、甲子園のグラウンドの砂とか。
火山灰はどうかな・・・。

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水に流しちゃいけないよ

2012年08月17日 06時03分38秒 | 風景・和菓子
五山の送り火の時、昔は、鴨川にお盆の供物を流していました。
日本人は、水に流すというのが当たり前だった。
「水に流そう」「年が改まった」とか。
外交でそんなことは通じないけど。
日本は、自然に恵まれているからそういう発想がでてきたんだろうな。
精霊流しだってそうだ。
流し雛もそうだ。
もちろん、いまは禁止されています。
でも橋のところに供物を置いたりしている地区もあるかな。
そのあたりの事情は、ひとつ前の記事参照。


↑左大文字

この供物を川に流すというのは、施餓鬼の意味もあるのかな。
施餓鬼は、お盆の原形になったことらしい。
お釈迦さんの弟子に目連尊者という人が居た。
弟子の中で神通第一だった。ある日、亡き母親が餓鬼道の世界に居るのを発見。自分の能力で救おうとしたけど、どうしても痩せ細り、お腹だけ膨らんだ姿の母親に食べ物を与えることもできない。
お釈迦さんに、質問するとお釈迦さんは、「生前、他人の不幸を省みず、人をだまし、おのれの欲求のみに生きたからやね」
目連さんは「なんとかなりまへんか?」と言わはった。
お釈迦さんは「私のスイス銀行の口座に3億ルピーほど振り込みなさい。そうしたら水晶のどんぶり鉢をお渡しします。それでご飯をあげると食べられます。それから蜘の糸というのもある。それは別料金になる、欲しい?」と。
よく見ると別のお釈迦さんでした。
そこで本当のお釈迦さんのところに行った。
そこで「こうしたらいい」という方法がいまのお盆の行事の始まりなんだそうです。


↑松葉杖がデジカメの支えになるのを発見

そのやり方の中で、お母さんだけじゃなく、誰にも供養して貰えない他の餓鬼も供養してあげるというのが施餓鬼というものです。
この説明、大体こんな感じやけど、坊さんじゃないから適切な説明じゃないかもしれません。


↑鳥居形

かなり昔、ある方とお食事をご一緒させていただいたことがあります。
食事が終わり、その方のお茶碗を見るとご飯粒が一粒ついている。
二回目の時もそうだった。
私は、思わずその方に「なぜ、お茶碗にご飯粒を残しておくのですか?」と聞きました。一粒も残さないで食べると躾けられていたからです。
その方は
「餓鬼にお供えしているから」とお答えになりました。


↑船形

ちょっとドキッとしました。
自分だけ、満腹になったらいいのではない。
食べたくても食べられない存在もいるのです。
その存在に対する配慮なんですよ。

その方のお顔がなんとも神々しかった。
こういうのってマネをしてみませんか。
子供にそういう風に躾けるのです。


↑鶴屋吉信「ほおづき」

これから世界は、食料や水を奪い合う餓鬼道、また争いの修羅道のような世界になって行くことでしょう。
いま、ご飯が食べられることを感謝して、例え貧しくても、そういう気持ちに余裕をもつ人間にならないといけないように思う。


↑外郎、白あん

いま巷では、ダイエットと騒いでいます。
不自然なダイエットは、心までやせ細り、常にイライラしている人が多いように思います。
人間は、他の存在の生命を食べないと生きられない悲しい存在です。
「私は菜食主義だ」と偉そうに言うホピ族の女性祈祷師と食事したことがある。
接待する方が困っていた。まな板や包丁も肉と別にしてくれと言ったのです。
私が見かねて「なら植物は生命じゃないのか?それを貴女は食べている。偉そうなことをいいなさんな」と言った。もちろん通訳付だったけど。
「(生命をあたえてくれた存在たちに、あなたの生命を)いただきます」でいいじゃない。東洋の考え方はそうだとね。(そうかどうかしらないけど)
彼女は、だまって野菜を食べていました。わかったんだろうか・・・。
※いまならそんないらんこと言わないだろうな・・・・。

ご飯粒の人の方がずっとずっと上ですね。

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