京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

願いがある人は、首を回してね

2015年05月31日 04時07分57秒 | 社寺・和菓子

↑清水寺善光寺堂

ここは、清水寺の仁王門の左の方にひっそりとある小さなお堂が清水寺善光寺堂(旧地蔵院)です。
鎌倉時代以前から地蔵菩薩を祀る地蔵堂でだったそうです。
如意輪観音を併祀して「地蔵院」となり、 明治の初、奥の院南庭にあった善光寺如来堂を合併して「善光寺堂」という名前になったそうです。
お寺も合併吸収というのがあるようです。


↑首振り地蔵

でも洛陽三十三所観音巡礼の第十番札所になっています。
御詠歌だってある。
「遠く見れば 天と等しき 地蔵院 参る心は 近くならん」





清水寺の仁王門は、いつも観光客でいっぱいなのですが、左にあるここは人が少ない。
ここの右にある「首振り地蔵」は、案外見逃されている。
願いを込めて首を回すとその願いが叶うという仕組みなんです。


↑本物は後ろなんでしょう


↑角張っていますね

代表的な願い方は、片思いの相手に念いを伝えたい場合、その人のいる方角に向かって首を回し願う。
すると叶うらしい。
例/片思いの相手、例えばアメリカのホワイトハウスの方角に顔を向け「日本を守ってくださいね」と願うと念いが叶うのです。


↑長久堂「川のたたずみ」
これは、よく川にいる「サギ」かな?お茶席にこういう上用は出ないかもね。面白い形ではありますが。

次回、清水寺に行くような時にやってみてはいかがでしょう。
多分、この首を回すのは、お前立ちでしょう。
本物は後ろの方だと思います。
そりゃそうでしょう。みんなが殺到したら、首が幾つあってもすぐにだめになりますからね。


↑上用、こしあん

和菓子
中村 肇
河出書房新社

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松風や~

2015年05月30日 05時11分19秒 | 社寺


「松風や 
 音羽の滝の 
 清水を 
 むすぶ心は 
 涼しかるらん 」

これは、清水寺の御詠歌(ごえいか)。
作者は松尾芭蕉、さすがに清水寺になるとメジャーな作家さんが作ったのね。



御詠歌とのファーストコンタクトは、母方のおじいちゃんのお通夜だった。
当時、葬式は自宅で行われていた。そうそう結婚式だって、嫁入り道具を町内の人にお披露目をしたり、花嫁さんが家から出て行く時代でした。
お通夜の時、見知らぬおばあさん(きっとおばさんだと思うけど、みんなおばあさんに見えた)が鈴、鉦鼓を鳴らし、短いフレーズの御詠歌をすごい長い時間唱えていた。初の正座だったので、脚は痺れ、いつまで続くのか果てしない旋律に泣きそうになっていましたね。



御詠歌ってなに?という世代もそろそろでてきているでしょう。
説明しておきます。
仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌と成し、旋律=曲に乗せて唱えるもの。霊場巡礼の関係で発生してきたのかも。
念仏を唱えるより、一般の人にとっては五・七・五・七・七の方が親しみやすかったのでしょう。あの短調な鈴、鉦鼓の音と声には、被催眠効果絶大です。



この清水寺の御詠歌の意味は
「清浄の覚りに導く菩薩の説法に接し、慈悲の聖水で心を洗い清めることを通して、諸々の煩悩の心熱から解脱することが出来れは、心は寂滅の平安に達して清涼な心境を維持することが出来るであろう」と言う意味で解釈されています。



こういう意味を知り、音羽の滝の水を飲めば慈悲心がこんこんと湧いてくるだろうな。
そういえばガイドさんが
「滝に向かって左が学問成就の水、真ん中が恋愛成就の水、右が延命長寿の水。どれかひとつだけ選んで、一口だけお飲みください。いくつも選ぶと、どの願い事も叶わなくなってしまいます。また、二口、三口飲むと、ご利益が二分の一、三分の一となってしまうそうですからご注意ください。ただ四口以上飲むと熱中症対策になります。その場合は、食塩を入れてください」
なんていうたはりました。(熱中症の件は京男創作)
これは、お寺がいうたはるんあじゃいですよ。
水源は一つだから観音さんの「所願成就」だけです。
どんな願いも叶います。
「学問成就」でも「恋愛成就」でも「延命長寿」でも、要素てきに含んでいる筈。観音さんは、広い心だと思います。
でも並んだまで飲むのは、いややなぁ・・・。


↑「このどろがめ!」ぼやき漫才なんてほとんどの人はわからないだろうなぁ・・・。

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清水寺で深呼吸

2015年05月29日 04時32分44秒 | 社寺・和菓子


昨日も暑かった。
でもなんとなく身体が慣れてきたかも。



清水寺の続き。
よく考えたら、人の多い時間帯に行くのは初めてだったかも。
だから光線の具合が結構良かった。
たまには営業中?に行かなくちゃ。
人が多いのはちょっといややけど。



新しいカメラのテストをしていました。
ブログになるとどうかわかりませんが、オリジナルの写真はうれしくなるぐらい高精細。
やっぱり腕じゃなく技術の進歩のお陰です。



ズームだってマクロだって適度に撮れる。
画像サイズも大きく撮っております。
ハードディスクを大きくして、PCの処理スピードも速くしている効果を実感しています。そのためには若干の資金は必要でしたけど・・・。



いまぐらいの時期、清水寺はスイカの種※だらけだ。
※スイカの種/一部京都人の間で修学旅行生のガキのことをそう呼びます。スイカの種は、黒く(学生服・制服)てドロドロ。その有様をいう。
そえと海外からの観光客。
スイカの種たちは、タクシーの運転手さんの案内で回っていることが多いですね。
運転手さんは、仕事とはいえ大変なんだそうです。
困ったコト/集合時間にこない。他校の生徒とケンカ。清水寺の次ぎに嵐山に行けとか言う。運転手の代わりに運転する(それはないやろ)。方言で言っていることがわからない。先生に連絡しても先生が酔って会話にならない。またはどこかに遊びに行っている。やたら興奮して鼻血を出す。後部座席で子作りをしていた。


↑このあたりに来るとスイカの種がウジャウジャおります

そういえば営業している土産物のところも歩いて。
その猥雑なこと。
お寺の門前と思えない匂いが立ちこめていた。
こんなところで土産買うんだろうか?
謎だなぁ・・・。


↑長久堂「森林浴」

生八つ橋かな?
木刀?
数珠?
木魚?
僧兵セット?
僧兵セットは、清水寺門前では売らんやろ・・・。清水寺の天敵やものね。比叡山の僧兵。
森管長は「もう怒ってへん」というたはったけど。


↑きんとん、粒あん

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緑の清水寺へ

2015年05月28日 04時20分34秒 | 社寺
昨日は予想通り気温が33度ぐらいになった。
でも湿度が低いので過ごしやすかった。
そういう年代なんだろう、やたらプライベートな連絡や対応を強いられ、ゆっくりデスクワークができない。


↑子安の塔、綺麗になりました。

昨日は、梅雨前のダニ対策の燻煙作業をした。
当然、その間は部屋を出ないといけない。
そこで久しぶりに清水寺に行くことにした。
新しいカメラのテストもあるしね。


↑子安の塔のところから清水寺の舞台を見る



行き方は、清水寺と同じような高さにあるので、阿弥陀ヶ峰から音羽山に山伝いに行くのです。
杖を使っていた時は、行けないコースなんです。
私のところと清水の舞台は、同じような高さになるのです。
舞台に立って子安の塔が見えますが、その向こうの山が阿弥陀ヶ峰になります。
私の机は北向きの窓に向かって座っているので、清水寺の観音さんとむかいあって作業をしていることになりますね。
ライトアップの時の境内放送やイベントの太鼓の音も聞こえてくる。


↑よくあるカット

私の所から清水寺に行くには、山沿いに行きます。
舞台まで10~15分ぐらいで行けます。
だから毎日朝の散歩に行こうと思えばいけなくはない。
歩く道は、観光客は皆無です。
完全に地元の人しか通らない。
途中、暗い地下通路や山の中の墓地、昔の心霊スポットなんかも通ります。
猿に出会ったりする可能性もあります。





久しぶりに「歌の中山」方面から清水寺に入りました。
大人は、ほとんど日本語を話していなかった。
日本人は、修学旅行の生徒が多い。



舞台の下ってこんなに見えていたっけ?
いまも清水寺は、工事をしている。
修復作業とバリアフリーの作業をしているのでしょう。
写真がまだあるので明日に続く。

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初夏なん?

2015年05月27日 04時50分38秒 | 風景・和菓子


昨日の京都市内は31度ぐらいだったと思う。
(今日は34度!ぐらいになるかも、笑ってしまいますよね。インド南部のアンドラプラデシュ州では、連日48度らしいから、京都市内程度では温暖ですけどね)
ただし昨日は、京都らしい蒸し暑さはなかったけどね。
散髪に行くため、歩いて坂を降りたけど、道路の照り返しがすごく眩しかった。
机のところに座って居ても、お寺の屋根に太陽が反射し熱い。
ブラインドをおろしておろしていた。



6月なら納得できるけど、下旬とはいえ5月ですからね。
世界各地で異常気象的なことが発生している。
先週、夜中に大きな雷の音にびっくりだった。
乾燥しているから火事も多い。
後は「親父の反乱」やね。
親父は、植物親父化しているから反乱は少ないか・・・。



昔は、日本で竜巻なんてなかったように思う。
短時間に雨がたくさん降ることもなかった。
地震も多いし、噴火も起こる。
天候が荒々しい。


↑長久堂「若楓」

なんて言っても、人間にはどうしようもない。
人間の科学技術なんてまだ幼いものなんでしょうね。
1990年台にPCでよくやっていた「シムアース (SimEarth)」というのがありました。地球の環境を整えるゲーム。
なかなか生物を発生させて進化させ、宇宙に飛び立つレベルにならなかった。
ああいうゲームをリメイクしてもいいんじゃないかな・・・。


↑こなし、白こしあん

これからは、異常が普通になってくるのかな?
それともいままでの数千年が異常な状態だったのか?
地球の歴史からしたら人類が登場したのは、極々短い期間の話しですからね。
「自然に畏敬・感謝して暮らしましょう」だけでは、対応できないことは間違いない。

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インデアン&インデアン

2015年05月26日 04時54分59秒 | 洛外・食
週末は、大阪行だった。
早めのランチはいつものインデアンカレー。
これが11時半ぐらいになったら、行列ができているので行けません。
並ぶのが苦手なんです。
「並んでまで食べるか」と言われたら、そうでもない。


↑このキャベツのピクルスが好き。ひょっとしてこれを食べるために来ているのかな?ここのカレーは、福神漬ではだめなんですよね。

なんでいくのか?
食券を買って、カウンターに座ると秒単位でカレーが出てくる。
それを黙々と食べる。
早ければ3~5分で食事が完了となる。
カレーだから熱くないので問題ない。
立ち食い蕎麦だとやっぱり熱いしね。


↑数十年前、このお皿の大きさに感動だった。ここの卵は卵黄で上等な感じ。

「美味しいの?」と聞かれたら、まあまあ飽きの来ない味と答えるかな。
人生感が変わるような感動的な味ではない。
逆に言うとそれだから長続きする。
結婚と同じ?
私の結婚のことでないですよ。
一般論ねっ!


↑難波の書店。まだありました。ここで柴田書店の本をよく買いました。道具屋筋に行く途中にあります。包丁や鍋はもちろん道具屋筋で調達。いまも現役で使っていますよ。本もまだあります。いまでこそ大手書店で売っていますが昔は専門書なんてそうそうなかったんですよ。

大阪での会合が終わり、新潟の友人のために難波方面に写真を撮りにいった。
昔々、学生時代にウロウロしておりました。
彼がいま大阪に来たら、あまりの変容に卒倒するかも。
出会った当時でも大阪は人が多くて「大阪は祭りなの?」と言っていた。
難波、千日前方面は、異国ですよ。


↑自由軒「名物カレー」最初からルーと御飯が混ぜてあり、御飯をフォンティーヌ状※にして全卵が落としてある。外人は嫌がるでしょうね。全卵。日本が世界に誇れる卵の管理の優秀性の証拠。
※フォンティーヌ状/なぜかこの言葉を思い出した。パイ生地などを作るときに台の上に小麦粉を山のように置き、中央をくぼませた状態のこと。フランス語で「泉」という意味で、形が似ていることからこう呼ばれている。きっと本屋の前を通った影響。

日本語があまり聞こえないのにビックリします。
東南アジアに高い旅費を払っていくより、大阪のこのあたりにいったら東南アジア旅行気分が味わえると思いますね。
久しぶりにいくと京男は吐きそうになりました。
匂いと音の洪水。


↑きっと私は白身が好きでないのでしょう。白身の部分にウスターソースをかけ、混ぜて食べる癖がある。

千日前方面で食べるなら「自由軒」です。
私は、中華料理があった頃もしっています。
そうかおっさん(二代目・吉田四郎)がまだ居た頃も憶えている。
二人の美人のお嬢さんのお嬢さんだった頃もしっています。
いまは、魔女になられましたけど。(笑)


↑よくまぜまぜして食べます

このお店、織田作之助の『夫婦善哉』に出てくる。
だから、お店の中に「トラは死んで皮をのこす 織田作死んでカレーライスを残す」という額がある。
前に行った時、「インデアンの大」と注文したら、「ない」と言われたのが悲しかった。昔は、こんな少ない量では満足しなくて、「インデアン大、串カツ、タンシチュー」を食べていた。
一時、チャンポンにはまっていた時もある。
メニューの張り紙に「チャンポン麺・2000カロリー」と書いてあった。
それを見て、これを食べたら一日何にも食べなくていいんだと思ったものです。
あの頃、蓬莢の豚まんを一度に8個食べていた。
豚まんが1個40円、焼売5つ70円だった。

自由軒で名物カレーを注文するとおばさんが「インデアン、いっちょう!(一丁!)」と元気よくいうのが懐かしい。
写真は、新潟の友人に送ってやりました。
懐かしがっていました。

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カメラが嫌いなのかも

2015年05月25日 04時38分37秒 | モノ
昨日の続き。
DSC-RX100M2から3に装備を替えた訳ですが、その時、大切な要因がケースでした。RX100M2の時、使っていたものが使えないのは、とても辛いのです。
カタログ上では、同じようなサイズだった。
最終的には、実物で試してみて機種変更を決断した。


↑布製のケース。鞄の中にいれても違和感がない。保護という点からすると不安有り。カメラを取り出す時、マジックテープの音がするのが好きでない。静謐性の点にかける。

本日は、そのケースです。
ここまでやらなくても、撮影に対する理解と腕がよければケースなんか関係ないですよね。
でも私の場合は、拘ってしまう。
服装や鞄に合わないと嫌なんです。


↑上記のケースに比べると絶対的に安心感がある

なんでだろう?
本音から言うと携帯するのが嫌なのかも。
食べ物の写真を撮ったりするのも好きでないようです。
そういう自分をねじ伏せるために、コーディネイトをしているのかもしれません。
そうでもしないと持ち歩かない。
松葉杖生活の前でも一眼タイプに憧れはするけど、実際手に入れたことがないのです。ソコソコ撮れればいいじゃん。


↑予備のバッテリーをいれておけるのが便利

それとシャッター音が嫌いなようです。
それは、脳出血の影響で聴覚が敏感になっているからかも。
車のクラクションやエンジン音、アナウンスを聞いていると頭が痛くなる。
電車に乗る場合は、クワイアットコンフォート 20iという消音タイプのイヤフォンを使っています。これなら機械的な音は気にならなくなります。


↑特殊なカラビナをつけて使用

そんな中、なぜカメラを持ち歩くんだろう?
ブログの記事のためというのもあります。
でもそれだけでもない。
昨年ぐらいから、普通に歩いているとすごく綺麗に見える風景を多く見かけるようになった。
それが他の人にとって、感銘を与えないものだったりします。
私にとって美しく輝いて見える景色に出会うと撮ってみやくなる。
誰かに見せて「どうや」という気持もないとはいえませんが、そうじゃないことも多くあるのです。
だから、あまり撮影の操作に煩わされたくない。
カメラを出して、シャッターを押し、鞄にしまう。
その間、考えたくないのですよ。


↑指一本でジャストな長さに調整・固定できる便利なストラップ。首からさげたり、たすき掛けにする時に必須。

「写真」って「真を写す」書きます。
考えたら、「真」が逃げると思っているのかも。
観じるだけ。後は自動的にシャッターを押す。それだけ。
でもそのためには、嫌いなカメラを持ってでなければならない。
だから、これだけ凝るのかも。
「あなたは、カメラだけじゃないですよ」と言われれば・・・ですけど。

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2から3へ

2015年05月24日 05時00分06秒 | モノ
鞍馬寺へテスト・ウォークで行った時、カメラを2台持参した。
DSC-RX1RとDSC-RX100M2だった。
でも結局、DSC-RX100M2しか使用していない。
まあ、私の方に余裕がなかったのが原因の一つでしたけど。


↑DSC-RX100M2

この2台はバッテリーや電子ビューファインダーが共通で使えるということで採用した。兄貴分のDSC-RX1Rは、生菓子用や桜や紅葉に絶大な威力を発揮する。
弟分のDSC-RX100M2は、日常の風景用に採用しておりました。


↑電子ビューファインダーが大きすぎ

この弟分、風景に関して文句はない。
奥行きのある写真にビックリします。
でも接近したモノを撮る時、辛いんですよ。
電子ビューファインダーもつけたまま携行するのがちょっと不便。
簡単な風景だけなら小さなカメラ1台だけ携行したい。
車で移動しないからできるだけ小さくて、私程度の知識と腕の人間でそこそこ撮れるカメラで十分だ。


↑上等のケース、純正のケースもあります。使えないとちょっと困ります。

さりとて、モノ撮りや真剣に(あるんかいな)撮る時は、兄貴分があると安心。
でもよほどの時以外は持って出たくない。
重たいしね。


↑関係ないけど、ちょっと嬉しそうな贔屓君。帽子は新型のパナマ帽。

なんて考えている時、DSC-RX100M2を下取りして、DSC-RX100M3を手に入れればいいという声がどこからともなく聞こえてきた。
そういう声には素直に従う京男なんです。


↑DSC-RX100M3、後ろにあるのがGARIZ(ゲリズ)社製の本革カメラケース。高いんです。ちょっとしたカメラが買えます。写真の映りと全然関係ない世界。

ただ、確認が必要。
なんの?
RX100M2のケースが使えるかという問題。
結構、豪華なケースを使っているんです。
どう考えても同じサイズだった。


↑電子ビューファインダーが出てくるのがいいんですよ。ポップアップするとカメラの電源が入ったりするのがなんともカッコいい。カメラの性能とはあまり関係ないですけど。しかもこれが故障の原因になる可能性がありますね。

そこでヨドバシカメラに行き、ケースが使えるか確認した。
ケースは、2種類あるんですよ。
そこまで確認して、次は下取り価格。
通販で購入した会社に連絡してみた。
メールでだいたい査定してもらった。
おそらく、一年少ししか経っていない。
しかも!箱や付属のモノが結束コードもそのまま残っているのです。
きっと売るような予感がしていたのでしょうね。
兄貴分もその状態で箱等が保管してあるけど。


↑液晶の動く範囲が広くなった。自分撮りもできる。絶対にしないと思うけど。

新しいRX100M3は何が違うのか?
・電子ビューファインダーが内蔵されている
・ちょっと近寄って撮影できるようになった。(これは大切なことなんです)
・NDフィルター内蔵(これから役に立ちそう)
・レンズのピント合わせの部分がちょっと厚くなったので扱い易くなった。
・デザインがシンプルになり、京男好み。
・電子ビューファインダー収納のギミックがいい。(でも故障しやすいかもね)

いま、テスト撮影中です。
前のRX100M2と操作は同じなので、気分的に楽です。
自分の見たままを撮影できるか楽しみ。

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献杯!

2015年05月23日 05時05分51秒 | 
過ぎし日を忘れ
来たるべき日を思わず
ただ今この一瞬を
あなたと共に生きている
すべての生命に
献杯!


↑献杯のビール。もちろん飲んでおりません。

本日の写真は、テストウォーク成功祝賀会の料理ではありません。
先週末に、参加した法事の食事。


↑今回は、たん熊北店のお料理でした。ひさしぶりにいい出汁に出会いました。

京女の伯父さんと伯母さんの法事でした。
彼岸に引っ越しする人が多くなってきた。
順番を違えていないので、よしとしないといけないのでしょう。
でも此岸に取り残された人間としては寂しいものです。





京女の婿として出席する訳ですが、当然のことながら知らない人ばかり。
どうも落ち着きません。
などといいながら、結構大きい顔をしているけどね。



今回は、小さなカメラを査定中だったので大きなカメラを持って行く。
料理ばっかり撮っているのも居心地が悪い。
そこで各テーブルを撮影しておりました。
こんな上等なカメラで写真を撮ってもらっているとは、理解していない人たちを撮影しておりました。





「やきまわしてね」とあるオッサンが言った。
カメラを持って回ったろかと思たけど、雅満雅満。
後日、その写真を最新のMacでPhotoshopでトリミングしたデータをUSBメモリでヨドバシカメラに持って行き、自分でプリントアウトした。
家でプリントアウトしたらインク代が高くつくんですよ。



家のプリンターより早く綺麗にプリントできるのには、ちょっとびっくりした。
しかも安い。
フイルムカメラが無くなる筈だ。
できあがった写真を違う日に、京女に実家に届けて置きました。



宴会場で小さな女の子が近づいてきて「杖どうしたの?」と不思議そうに聞いてきた。
「もういらんようになったんや。すごいやろ。脚の中にモーターが入っている。はずしてみせたろか?」と言うと、驚いていた。
きっと彼女の頭の中で「モーター脚のおっちゃん」と記憶されただろうな。

※献杯/法事の時の宴会の乾杯の時、相手に敬意を表して杯を差し出すことをさして献杯(けんぱい)と言います。ムチとロウソクを使う時は「変杯」。他にも頭に浮かんだけど、書くのを止めときます。
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テストウォーク・・・終了

2015年05月22日 05時16分24秒 | 風景・和菓子
さてやっとテストウォークの最終回です。
記事が長くなってしまいましたね。
でも私にとっては、とても大切なイベントだったのです。


↑やっと降りてきた!

魔王殿で休息し、いよいよ貴船までの厳しい行程。
杖を登場させました。
本当は無しで行きたかったけど、危険過ぎるので投入。
それは想定していたので、伸縮式の登山用のものをデイパックにつけておいたのです。初めての行程じゃないので予想はできますからね。その予想を無視して何が何でも「根性でやるんだ!」ということはやらない。もしものことがあると元も子もなくなりますからね。
別に他者と競争している訳でない。あくまで自分自身だけの問題ですから。
自分の奥の奥の存在との約束。


↑川のパワーをもらいました

細くて厳しい下りを慎重にいきました。
後ろから来る人、登ってくる人に道を譲りました。
「こんにちは。お先にどうぞ」と言いながら。


↑奥ノ院橋。こちら側から行くと右の建物で料金を払います。降りる時はとられませんけど。「ここから出るのには1,000円必要です。嫌なら戻ってください!」と僧兵のカッコをした人に言われたら、払ってしまうだろうな・・・。「未来くん※」みたいなユルキャラなら蹴倒して通るけど。
※未来くん/昭和の終わりに開催された「京都国体」の牛若丸のマスコットのこと。植物園に行くとまだ見ることができます。不気味な雰囲気がするキャラ。「たわわちゃん」に比べるとマシかな・・・。

貴船の川の音が微かに聞こえ、水の匂いがして来た時、二人のカップルとすれ違った。女性は、なんと街中を歩くような服装と靴だった。
きっと男性がデートに誘ったんだろうな。
女性がブツブツ文句を言いかけていた。
まだ、こんなところで言っていたら魔王殿や本殿に行き、鞍馬の駅に降りることなんかできない。この男性は、この女性を背負って歩けるだろうか?
「無理だから引き返しなさい」と言いそうになったけど、余計な干渉は不要と内なる声が言った。きっと彼等はこれが元で別れるかもしれないけど、それも人生。局面局面で良し悪しを判断するのはいけないしね。
デートなら車で貴船神社に行き、川床料理を満喫レベルにしておいた方がいいでしょう。


↑叡山電車「貴船駅」、出町柳方面から電車が入ってきました。

なんて考えている間に、やっと貴船川の奥ノ院橋のところに来た。
ほっとしました。
普通なら、100メートル先の貴船神社に行くところですが、叡山電車「貴船駅」まで2キロメートル歩かないと行けないからです。


↑一瞬ですが、新緑トンネルがあります。

だから駅の方に向かって歩き出す。
途中で道路沿いのところでストックを洗い短くしてデイパックに収納。
もう杖は入りませんからね。
するとまもなくバス亭らしきものが見えてきた。
ひょっとしてと思い、時刻表を見ると、すぐにバスが来そうだった。
ほどなくバスが来た。これは、ご褒美だと思いましたね。
バスに乗り貴船駅まで行く。
乗っていると結構な距離があった!


↑亀屋良長「つつじ」

後は、ホームに立っていると鞍馬方面行きの電車が来た。
このあたりは単線なんですよ。
ということはすぐに戻ってくるということ。
後は座って出町柳駅まで行けた。
途中、新緑のトンネルが綺麗でした。
写真の席に座れたけど、西日が暑そうなので反対側に座っていた。


↑きんとん(つくね芋入り)、粒あん

出町柳駅から京阪電車に乗り換え、三条京阪駅で降り、時間は、もう2時を過ぎていた。
朝、パンと珈琲だけだったので、やっと飲み物と食べ物です。
食べたのは、篠田屋の「皿盛」。


↑篠田屋「皿盛」、やっぱり普通のカレーライスにしたらよかった。

色んなことを身体を通じて学んだ気がします。
次回は余裕をもって行きたいな。
当分、遠慮しますけどね。

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テスト・ウォーク6

2015年05月21日 04時10分00秒 | 風景

↑ツルツル状態が痛々しい

正直いうと本殿前で悩みました。
「進むか」「撤退か」と。
本殿から貴船までの道は、いままでの道とは違う。
整備はされているが、いままでの道とあきらかに違うからです。
頭の中で「進む派」と「撤退派」が議論している。
最後にどっからともなく「どうせ行くじゃない。行ったら」と聞こえた。
もちろん、本殿方面から聞こえたのではなく、自分の心の奥の奥からです。



本殿から奥の院までの写真が極端に少ない。
まあ、風景が陰気なのと撮影する余裕がなかったのが原因。
しかも、カメラは、小さいサイバーショットDSC-RX100M2で撮影していた。
DSC-RX1Rは、結局デイパックの中に入れたまま帰宅することになった。



「進む」と決定したということは、無事歩いていけるとのことと確信。
「木の根道」を歩きだしました。
木の根道で気付いたことは、木の根が可哀想にすり減ってツルツルになっていたこと。それだけ人が多く通るようになったのでしょうね。
こうなる前に保全の処置をしたらよかったのかも。


↑奥の院魔王殿

かなり歩き、奥の院魔王殿に着いた。
懐かしい。やっとこれました。
急に思い付いて動いたから、魔王※さんに手土産を持ってきてない。
雰囲気がどうか気になっていたのですが、あまり変わっていなかったので安心しました。ここまで来るにはそれなりの道を歩かないといけませんからね。
※魔王尊/魔王というとなんだか悪い魔法使いの王さんみたいやけど違うんです。650万年前、金星から地球のここに降臨した霊王なんです。パワーが絶大で破壊と創造を司る存在。ヒンドゥー教のシヴァ神に似ている。



魔王殿では、結構休みました。
貴船までゆっくり休息を取る場所はないですからね。


↑デイパックにストックが装備してあるでしょ。この後、役に立ちました。

最初にここに来た時のことを思い出していた。
あの時は、セミナーの一環で来た。
なんとスーツを着て、ネクタイをしていたんですよ。
もちろん、靴は革靴!
主宰者の先生は、子供を連れて来ていた。
ここで、その子供に「柵をくぐって石を拾って来い」と言っていた。
それを呆れて見ておりました。
それから30年近く時は流れ、その先生は亡くなり(その件でバチが当たったのではありません)その時、柵をくぐった子供が後を継いでいるようです。本人は憶えてないだろうな。



そうそうここで怪しい行者風の人間が日本刀を抜いて何かしているのも目撃しましたよ。日本刀に魔王尊のエネルギーを入れようとしていたんだろう。ここは、変わった人が来ていますね。
「そういうあんたも変わっている」といわれればしかたないけど。



さて、ここまで来たらもう後戻りはできない。
貴船に向かって降りていきます。
ここで残念ながらストックを取り出し長さを調節して降りて行きました。
カッコをかまっている場合ではなかったのです。
貴船に降りるまで写真を撮る余裕はなかった。
次回に続く。

和菓子
中村 肇
河出書房新社

↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

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テスト・ウォーク5

2015年05月20日 05時20分23秒 | 社寺
やっと本殿金堂のところに到着。
やった!
よくここまで来たと思う。



ここからの眺めはすばらしい。
しかも新緑シーズン。
空気も美味しい。



ケーブル休止効果もあり、本殿金堂の前は、人が少なかった。
昔なら、広場?前の三角形がパワースポットといい。
その上に立つ為に若い女性の行列ができていましたね。
△がパワースポットとして、若い女性はなにを望むんだろう?
地球と人類の調和?皆の幸せ?
なんだろう?


↑本殿金堂。実は中に入っていないのです。続行か中止か頭の中で大論争をしていた。いい風景もあまり見ていないんです。

本当のパワースポットがあるとして、それはなんだろう?
個人でいうなら、自分自信のパワーをアップしてくれるスポット?
昨日、書いた六根清浄でなかったら、清浄でないものがパワーによって顕在化する危険性もある。
パワーそのものに善悪はないと思う。
ここは、地球外から「尊天」が来たと由来が書いてあったように思う。


↑以前なら下の三角形のところに、女性がパワーをもらおうとして列をなしていた。そうか!あの三角形のところに立ったら、後半の行程が楽になったかも。でもそんなバカなことはできない。逆に立っていたら後半を歩けてなかったかも。

鞍馬寺は、最初毘沙門天をお祀りするのが始まりで、真言密教系から出発。
鑑真の高弟・鑑禎が宝亀元年(770年)に鞍馬山にお堂を建てたことから始まったそうです。
後に延暦15年(796年)、藤原南家の出身で造東寺長官を務めた藤原伊勢人は、自分の個人的に信仰する観音を祀る寺を建てたいと考えていた。夢を見て鞍馬山に来たら毘沙門天を祀ったお堂があった。「なんやこれは?」夢では観音を祀れとあったのにとクレームした。また夢で「伊勢人さん、違います。毘沙門天も観音も同じなんです」とのこと。それならということで伊勢人さんは、千手観音像をつくった。


↑本殿前の「阿形の虎」狛犬ならぬ狛虎。

時代は、過ぎて9世紀末の寛平年間(889~897年)東寺の僧・峯延(ぶえん)が入寺したころから、鞍馬寺は真言宗寺院となるが、12世紀には天台宗に改宗し、以後の鞍馬寺は長く青蓮院の支配下にあった。
『新・平家物語』で青蓮院に義経や反平家の人が出入りするのは、そういうことなんです。


↑「呍形」の狛虎。ここの虎は、劇画っぽいね。

戦後(保元・平治の乱とか応仁の乱じゃなく、太平洋戦争)に天台宗から独立。独自の形態になったそうです。
その時に「魔王尊天」という概念が出て来たようです。間違っていたらすんません。
本殿金堂の中での仏像の配置が中央が毘沙門天、右に千手観世音、左に魔王尊を配置してあるそうです。この3体の像は、秘仏で60年に一度丙寅の年のみ開帳です。次回は、2046年!!ちょっと無理やな。
そうか2106年か2166年に残念ながら、またこの世に転生していたら行けるかな。
この3体を三位一体として「尊天」となっているようです。


↑どうしようか迷ったけど、いままでの行程を戻るもの辛いから、奥の院まで行くことにした。

ここまで書いて結構頭の中がアイデアでいっぱい閃いてきた。
書いたけど、記事とは関係なくなるので削除しました。

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テスト・ウォーク4

2015年05月19日 04時46分17秒 | 風景・和菓子


さて2日休息し、テスト・ウォーク再開。
もう少しで本殿金堂という地点です。
この日は、真夏日でなかったからよかった。
もし暑かったら金堂から引き返していたと思う。



ふり返ると凄い階段。
ケーブルが動いてないから帰るにしても降りなければなりません。
下り坂の方が楽でない。
考えても仕方ないので、歩き出した。



懐かしい巽の辨財天。
久しぶりです。
手土産を持ってきたらよかった。
今回は、急に行くとなったので清浄歓喜団を用意できなかった。



ここの楽しみは、水琴窟なんです。
音を聴いていると涼やかになる。



やっと金堂付近まできました。
ひらけた景色を見ると気持がいい。
奥の院への道では、こういう陽的景色はないですからね。
鞍馬山の道は、陰陽を体験できる。
その中を歩き、意識を陰陽どちらでもない状態にするための道かも。
前半の陽的行程だけ行って、エネルギーをもらうだけではだめなのかも。
陰的行程でエネルギーを放出するのがいいのかも。
「阿吽」と同じ。
吸収と発散を繰り返し「六根※清浄(ろっこんしょうじょう)」に到るのかも。
※六根/1.眼根(視覚) 2.耳根(聴覚) 3.鼻根(嗅覚) 4.舌根(味覚) 5.身根(触覚) 6.意根(意識)



そんなことを感じながら歩いておりました。
一人で歩くと表面の自分と奥の自分の対話が容易にできます。


↑千本玉寿軒「藤浪」

藤棚がありました。
もうすぐ金堂だ。


↑外郎、白こしあん

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このレベルの辛さならどうやろ?

2015年05月18日 04時16分26秒 | 
昨日のついでに食べ物ネタ。
私としては、いまのような時期、スッパ辛いものが食べたくなる。
今日のようなタイやベトナム系の料理に父親を連れていけない。
原因は、ライスにある。


↑きれいやなぁ~

タイ米やインディカ米には、抵抗ある世代なんですよ。
私は、全然OKなんですけど。
でも一度父をつれて行ってみたいな。
私が汗をかくレベルの辛さを体験させてみたい。
昨日の激辛麻婆豆腐が食べられたから問題ないと思う。


↑三条パクチー「グリーンカレー」御飯大盛り、春雨サラダはオプション。もちろん辛口にしてとリクエスト。

ただ、咳き込んだら文字通り辛いことになる。
何回もそういう目に遇っていますからね。
ライス的に抵抗あるなら、父が好きな麺系ならいいかも。
ラーメンが好きですから。
それも私が苦手な豚骨系のラーメンを好みます。
行きたいらしいけど、どうしても私がダメなんです。


↑春雨サラダ、ナンプラーをかけていただきます。

親子でも全然好みが違う。
今日のタイ系屋台料理は、京女と二人で行きました。
夫婦ですね。
同じ時期に食べたくなります。
家でもグリーンカレーを作ったりする。
京男&京女だから、おばんざいや京料理を食べているとは限らない。


↑京女注文「プーケットランチ」

朝食だってパンですからね。
京都市民は、日本全国で一番パンを消費するそうです。
朝からパンが多いんです。
パン屋さんも多ししね。
しかも京都市内の主婦は、手料理をあまり作らないと思う。
デパ地下に行くと主婦がサラダとかおかずをいっぱい買っています。
サラダぐらい家で作ったらいいのに・・・と思いながらも、買っている自分がいたりする。


↑鶏のトムヤムスープ、いい色しています

昔、錦市場が「京の台所」だった時も(いまは、観光スポット)、焼き魚やおかずをたくさん売っていた。
それを主婦が買っていました。
京都の主婦は、手作りをあまりしないかも。
特に年寄りといっしょに暮らしていない家庭ではね。
他府県に行くとその家の主婦がお漬物を漬けたり、手作りの料理でお客様をもてなしてくださるのにビックリしたものでした。
京都市内では、手料理をお客様に振る舞うのは失礼なことだと思っていた。
だから、昔、京都市内には、仕出し屋さん、お寿司屋さん、うどん屋さん、洋食屋さんがたくさんありました。
もてなす側の家族は、「いいなぁ~」と思いながらお茶漬けを食べておりました。
「京のお茶漬け」の実体は、そうなんですよ。(笑)


↑美味しいなぁ~

我が屋の場合は、子供が4人もいたので外でおかずを買うわけにいかなかった。
私が作っていたりすることもありました。
お客さんが来られた時は、パスタなんかが多かったかも。
ピザだって生地から作っていましたね。
包子も美味しかった。自分の包子が一番だといまでも思っています。
研究しましたからね。


↑タイ紅茶のゼリー

写真(本日の写真は三条パクチー)と記事があまりリンクしていませんね。
まあ、いいや。
明日は、鞍馬山テスト・ウォークにもどります。

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この程度の辛さは大丈夫?

2015年05月17日 04時29分45秒 | 
テスト・ウォークシリーズ?はまだ続くのですが、絵的にちょっと飽きてきました。
食べ物ネタを少々。


↑四川麻婆豆腐ランチのスープ

先週の父親との外食&買い物です。
今回は、京都駅方面でした。
「麻婆豆腐でいい?」というと「いい」との返事」
ということで新・都ホテルの四川に行きました。
ここは、結構打合せで使うので様子がわかっているので安心。


↑ランチのおかず、あっさり海老炒め。野菜を食べさせていただきました。

父に聞くと「四川」は行ったことがないとのこと。
実家的にいうと蹴上の都ホテル(現・ウェスティン都ホテル京都)の方が近いから、そちらに行っていたかも。
父方の祖父母が健在だった時は、父の兄弟が多かったのでお正月は、都ホテルで新年会だった。
そんな関係で京男&京女の結婚式・披露宴は都ホテルでした。場所は葵殿。バブルの頃でした。
最近は、蹴上の都ホテルは、系列が代わり、オリジナルは新・都ホテルだと思います。


↑激辛陳麻婆豆腐、京豆腐使用。一口食べました。

実家の場所からすると京都駅は、とても遠く感じるのです。
京都駅に行くのは、年に1回ぐらいだったと思います。
どこかに旅行に行く時か、丸物(まるぶつ)※に小学校の夏休みの工作がいつも展示されていたので行くぐらいだった。小学校の時は、勉強は全然しなかったけど、図画工作と音楽(当時、声がウィーン少年合唱団みたいだった。いまは、ただ単に声が大きいだけですけど・・・。当時授業中によくみんなの前で歌わされるのがいやだった。あれで快感を感じていたら、その後の人生が変わっていたかもね)だけだった。
行くのは、もちろん市電に乗ってでした。遠く感じましたね。
※丸物/1920年京都物産館(いま考えるといい名前なのに)→1930年丸物と改名→1977年京都近鉄百貨店になる→2007年閉店→2010年京都ヨドバシカメラになる。近鉄の頃は、地下によく買い物に行ったものです。


↑担々麺、注文は京男。半分だけ食べました。

話しを元に戻します。
ホテル好き(?)の父は、お店を気に入ってくれました。
電話をして席を確保しておきましたかね。
悲しいのは、ア・ラ・カルトを注文できないことです。
父は、あまり食べられないから。


↑写真がなんとも美しい!杏仁豆腐。半分いただきました。

でもよほど気に入ったのか、麻婆豆腐や担々麺を食べました。
しかもビールと御飯も食べていた。
私は、二番目の写真の野菜(堅いから父は食べられない)と担々麺半分、搾菜、マーラーカオだけ。
子供を連れた母親の気持ちがなんとなくわかりましたよ。


↑マーラーカオ(中華風蒸しパン)、アツアツフワフワが好き、2切れいただきました。

その後、ズボンやマフラーが欲しいというので、買い物をし、最終的に食料品を買ってタクシーで帰りました。
でも半日が終わっていました。
鞍馬寺より違う意味で体力を消耗させていただきました。

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