この建物は、鞍馬寺本殿金堂の前にあります。
与謝野晶子の書斎だった建物。
与謝野家は、昭和2年に、当時の東京市(当時は市だった!)外荻窪村(現杉並区荻窪)へその居を移した。広い屋敷の中には、「采花荘」と呼ぶ日本屋と、「遙青書屋」という洋館があったそうです。
この二つの建物の間に、「冬柏亭(とうはくてい)」と呼ばれる書斎があったそうです。
与謝野晶子が50歳のお誕生日のプレゼントでお弟子さんから、もらわはったそうです。
与謝野晶子さんが、亡くなってから、門下生の大磯にある家に移されたそうです。
この建物を!
その門下生の人と鞍馬寺の先代管長と親しくて、その関係でここにあるんだそうです。
弁慶みたいな人が6人ぐらいで運ばはったんやろな・・・。
与謝野寛さんと晶子さんの歌碑があります。
↑「なんとなく君にまたるるここちして
いでし花野の夕月夜かな」晶子
↑「遮那王が背くらべ石を山に見て
わが心なほ 明日を待つかな」寛
不思議に思ったこと。
与謝野晶子は、ペンネームなのに、夫は、本名。
なんで与謝野鉄幹とならないんだろう。
そう思いませんか。
与謝野晶子の方が実績があったのかな。
それとも遊び人だったからかな・・・。
ちなみに前財務および金融担当大臣の与謝野馨氏は、
お孫さんになります。