京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

通りすがりの山鉾

2016年07月23日 06時03分55秒 | 行事
昨日、用事があり祗園祭の後祭山鉾のあたりを通りました。
ちょっとだけ撮影してみました。
説明は、どこかのサイトでしてあると思います。


↑四条御旅所の3基の神輿






↑冠者殿社、四条御旅所の横にあります。日頃は地味な場所ですが、祗園祭の時は晴れやか。


↑真ん中のビルが山鉾の形なんです。山鉾巡行の時、こういうのが出て来たらびっくりするだろうな。


↑大船鉾


↑大船鉾、152年ぶりに復元された「竜頭」。元治元年(1864)、幕末の蛤御門の変で焼失したそうです。


↑大船鉾、舵の部分


↑南観音山


↑南観音山


↑北観音山

まだ、写真はありますが今日はこれぐらいにしておきます。
本日が後祭宵山で、24日(日)が後祭山鉾巡行です。天気は良さそう。
日曜日は、家で引き籠もりになるでしょうね。
交通規制にひっかかったら困りますからね。

和菓子
中村 肇
河出書房新社

↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

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さすが立派な神輿

2013年07月25日 05時07分47秒 | 行事

↑四条通、新京極信号あたり、南にあります。

昨日所用で四条方面に行く。
実家の親用買い物代行ね。
その途中、四条寺町付近にある四条御旅所の付近が何か用意をされていた。
そうか7月24日は、祇園祭の還幸祭。





四条御旅所に来ている三基の神輿が、市内を巡り八坂神社に戻ります。
祇園祭は月末まで続くのです。
一ヶ月も祭をしている。
タクシーの運転手さんが、いちいち交通規制をされるのでたまりませんとぼやいておられた。
たしかに交通規制で大混雑します。
観光のためと京都市はいうけど、住んでいる地元の人間はちょっと迷惑かも。
八坂神社の氏子じゃないしね。
いつも書くように京都人は、自分が関係する祭以外には、あんがい無関心なんですよ。「人がいっぱいでややこしいのはかないまへんなぁ~」といいます。


↑東御座:櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)

東御座の櫛稲田姫命は、素戔嗚尊が八岐大蛇から救った女性、後に結婚。


↑中御座:素戔嗚尊 (すさのをのみこと)

八岐大蛇退治の主役、姉が伊勢神宮内宮の天照大神。


↑西御座:八柱御子神(やはしらのみこがみ)

素戔嗚尊と櫛稲田姫命の間に生まれた8人(柱)の神様。
長男とされる総光天王を筆頭に、魔王天王、倶魔羅天王、得達神天王、良侍天王、侍神相天王、宅神相天王、蛇毒気神天王。

この三基の神輿が市内・・・といってもそんない広くはありませんが。
ひょっとしてその状態は観たことがありません。

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山鉾巡行に行ってきたような記事を書き

2013年07月18日 04時43分03秒 | 行事
昨日午前中、Skypeや電話で話しながらデスクワークをしておりました。
そこへ、メールで山鉾巡行の写真が送られてきました。
ブログに使っていいとのことなので、お言葉に甘えさせていただきました。
彼の会社から山鉾巡行が見えるのです。
Y.Iさん、写真をありがとうございます。
仕事になるような、ならないような・・・・でしょうね。
今年は、あまり暑くなくカンカン照りでもなく、まあまあの日よりだったことでしょう。
私もサラリーマン時代は、会社へ歩いて行っていたのです。
山鉾巡行当日、朝の四条河原町の雰囲気はわかります。


↑Y.Iさんからの写真

カップルが浴衣を着てフラフラ歩いていたりするのが風情のあるものでした。
男性がちょっとうなだれて歩いたりしてね。(笑)
浴衣って昔は、湯上がりとか、寝間着、日本舞踊の稽古着的な存在だと思っていた。
最近は、どうやら着物だと思っている男女が多いようですね。
いつからそうなってきたんだろう。
体型が昭和じゃなくなってきているから、似合わない人が多いですね。
特に男性は、悲しいほどペラペラした身体が多い。
誰かしっかりした着方を教えた方がいいですね。
左前で着たりするといけませんよ。ひょっとして意味がわかっていないかも。


↑Y.Iさんからの写真

山鉾巡行で思い出すのは、粽です。
私の小さい時、山鉾巡行の時、粽をまいたものです。
見ている人が必死に拾う。
小さい時、必死になって拾いました。食べようと剥いても中身がなかった・・・。
なんか騙された気持ちになりましたね。
いま、粽のお札をまいたらすごいことになるでしょうね。


↑Y.Iさんからの写真

結婚して堀川御池のマンションに住んだのです。
夜、祇園囃子の練習が遠くに聞こえていた。
長女が7ヶ月ぐらいだった。
宵山の時、粉ミルクがないことに京女が気付いた。
しかたなく、宵山をやっているあたりの薬局なら営業しているだろうということで、長女を乳母車に乗せ、宵山に行った。あの頃の宵山は、今みたいに人が多くなかったのです。いつからだろうあんなに人が集まるようになったのは。
無事、粉ミルクを買って逃げるように家に帰りました。
いまでは、懐かしい思い出です。
あの頃、後に子供が3人も増えるとは想像もしていなかった。

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不思議だニャ~

2013年02月26日 05時40分21秒 | 行事
烏丸通から蛸薬師通を西に歩いていた。
すると不思議なネコを発見。



近づくとこの町家は、美術館になっているらしい。
「木田安彦美術館」とあります。
昨日は、休館だったから中がどうなっているのかわかりません。
でもきっと靴を脱がないといけないのだろうなぁ・・・。
玄関の所に「笑門」の飾りがついえいる。
これがみょうに京都っぽくない。
これは三重県の伊勢地方で年中飾るしめ縄飾りの筈。
まあ「笑門」って好きな言葉ですけど。



上には猫の屋根飾りがある。
よくよくみるとあまりうまくない。
なにか意味があるのかな?
ようわかりません。



こんな町家を美術館にするのは不思議です。
税金対策なんだろうか。



これは、別の建物の蔵です。
なかなかどっしりとした蔵だった。



昔は、蔵がないと火災の時、困ったに違いない。
京都は、何かと火災が多い街だったから。

※昨日のランチ


時間がなかったので、大丸地下の「いずう」でランチ。
なぜ「いずう」だったのか。
カウンターにお客さんがいなかったから。
並ばなくていいでしょ。少々値段は高いけど。
座ってから気付いたこと。
いつもの鯖寿司や盛り合わせセットを食べる自信がなかった。
珍しいでしょ。



やむなく「京ちらし」を注文。
これなら御飯がフワッとしているのでお腹にやさしい。
最近、どうも食べられないなぁ。

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節分考

2012年02月02日 03時54分21秒 | 行事
そろそろ節分やね。
節分とは、立春の前の日をいいます。
今年2012年は、2月4日が立春。
つまり4日から春ということになります。
節分は、立春の前日をいいます。
季節の変わり目ということでいうと節分は年に四回あります。
立春、立夏、立秋、立冬なんです。
でも冬から春がやっぱり節分という感じがしますね。



季節が移行するから波動的に不安定ということで、その時は日頃静かにしている邪鬼(鬼)が騒ぐという考え方です。
節分の行事は、邪鬼を祓うという行事です。
その代表が豆撒きやね。
最近は、大豆(炒り豆)じゃなく袋入りピーナッツなんかを巻くようです。
後片付けからいうとそうやけど・・・効果はないだろうな。


↑吉田神社追儺式、方相氏

節分鰯というのもあります。
鰯を焼いた煙でいぶしたり、門(かど)に鰯の頭を柊の枝でさらしものにする。
邪鬼は、生臭い匂いが嫌いらしい。
そんなのやられたら京男でも家に入られへん。


↑吉田神社、黄鬼

家族が笑う。
家族が明るく笑うのを邪鬼は嫌うそうです。
例え明日デフォルトになっても、笑いましょう。
無意味に笑われても結構怖いけど。
京都の商家の節分では「福は内、鬼は外」と家長がまき、その後ろから「ほんまにほんまに~」という人がいる。それを聞いて家人が笑うというのがあるとききました。
なかなか奥深いですね。
まあ、鬼も福も個人個人の潜在意識に潜んでいるものでしょうから、自分に向って大きい声で言えばいい。理想は「心の中にいる、福さん、鬼さん、仲良くしましょ!」と言えばいい。
「私の心に鬼なんかいない!」というあなた、たまたま鬼が出てくる縁にふれてないだけです。


↑千本釈迦堂・おかめ節分会

京都の花街では、「お化け」というのもあります。
芸者(舞妓、芸妓)やホステスが、節分の前後に通常の芸妓衣装ではない、様々な扮装をする。
それはそれで面白いと思います。
厄払いとは関係ないかも。
京都の街には、年中お化けみたいなカッコをしたお兄さん、お姉さんが闊歩していますな。これも面白いけど。
そうそう祇園なんかを歩いていると偽物のお化け舞妓なんかも出没しています。
恐ろしい世の中になったものでございます。


↑いつかの年の巻き寿司


↑もらいものの巻き寿司、我が家は切っていただきます

恵方巻きというのもありますね。
あれは、大阪の海苔組合が考え出した行事。
元々は、お座敷で舞妓さんに海苔巻きを咥えさせて、食べる様を喜んでいたもの。だから結構やらしい行為なんですよ。知らないでしょ。
巻き寿司は、切ってお箸でいただきましょう。
だからそんなことをしても恵方から神様はやってきませんね。
夢を壊してしまってすんませんな~。

※本日の写真は過去のものです

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祇園祭・・・

2011年07月16日 06時19分53秒 | 行事


昨日タクシーで烏丸四条辺りを通った。
そういえば山鉾の写真を撮っていなかったと気づく。
本当は降りたくなかったけど落ちた。
なんか祇園祭は億劫だ。





京都の人間としては、自分が氏子の神社以外のお祭はどうも興味がない。
人が多いややこしい場所にいきたくない。
そいう風に思っている。
フォントの関係なんだろうな。
祭の名前がよくわからない。
「祇園祭」「祗園祭」「擬音祭」・・・。





そもそも何が目的のお祭なのか?
由来を調べてみました。
八坂神社だからスサノヲノミコト(素戔嗚尊)、クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)その他の神が祀ってあるから、スサノヲノミコトのお祭が祇園祭だと思っていた。素民将来の話もそうだしね。
ところが実は、牛頭天王の祭のようです。
863年(貞観5年)神泉苑の御霊会(ごりょうえ)を行ったのが最初です。
平安京は、内陸の湿地であったため高温多湿でしかも上下水道が完備していなかった。だから瘧(わらわやみ=マラリア)、裳瘡(天然痘)、咳病(インフルエンザ)、赤痢、麻疹などが大流行していた。
それと長岡京遷都工事中に起きた藤原種継暗殺事件で無実を訴えながら亡くなった早良親王ら六人の怨霊が街を覆っていたのが疫病の原因と陰陽師が言った。
それらを鎮めるために御霊会が始まったのです。



さて牛頭天王は、もちろん日本の神ではない。
お釈迦さんの祇園精舎の守護神なんです。
祇園の八坂神社というのは祇園精舎から地名がきている。
蘇民将来説話は、もともと牛頭天王の話らしい。
この牛頭天王は祇園神、陰陽道では天道神、神道では素戔嗚尊、仏教では薬師如来と同一の存在なんです。
日本人って凄いのは輸入の神さんをすべて統合して崇拝するという特徴を持っていますね。
以上のような統合を、神仏習合、本地垂迹(ほんじすいじゃく)といいます。
いまでもクリスマスをしたり、お正月には初詣に行き、お盆はお寺に墓参りしたり、最近では、ハロウィンや復活祭をしたりをやってしまうのが日本人の特徴ですね。



さて牛頭天王の嫁探しの話を書いて起きます。
牛頭天王は、7歳にして身長が7尺5寸あり、3尺の牛頭をもち、また、3尺の赤い角もあった。成人して后をむかえようとするものの、その姿かたちの怖ろしさのために近寄ろうとする女人さえいない。牛頭天王は酒びたりと婚活の毎日を送るようになった。
3人の公卿が天王の気持ちを慰安しようと山野に狩りに連れ出すが、そのとき一羽の鳩(元総理大臣ではない)があらわれた。山鳩は人間のことばを話すことができ、大海に住む沙竭羅龍王の娘のもとへ案内すると言う。牛頭天王は娘を娶りに出かけるです。
旅の途次、長者の古単に宿所を求めたが、慳貪な古単(古端、巨端)はこれを断った。それに対し、貧乏な蘇民将来は歓待して宿を貸し、粟飯をふるまった。蘇民の親切に感じ入った牛頭天王は、願いごとがすべてかなう牛玉を蘇民にさずけ、蘇民は富貴の人となった。(牛玉ってなんやろ・・・三室戸寺の牛さんの話みたいやね)



龍宮へ赴いた牛頭天王は、沙竭羅の三女の婆利采女を娶り、8年をそこで過ごすあいだに七男一女の王子(八王子)をもうけた。豊饒国への帰路、牛頭天王は八万四千の眷属をさしむけ、古単への復讐を図った。古端は千人もの僧を集め、大般若経を七日七晩にわたって読誦させたが法師のひとりが居眠りしたために失敗し、古端の眷属五千余はことごとく蹴り殺されたという。この殺戮のなかで、牛頭天王は蘇民将来の娘ひとりだけは命を助け、「茅の輪をつくって、赤絹の房を下げ、『蘇民将来之子孫なり』との護符を付ければ末代までも災難を逃れることができる」と除災の法を教示した。





なかなか面白い話ですね。
今年は土日で天気もいいから凄い人だろうな。
私はよう行きません。

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化粧のりがよろしいな・・・地蔵盆

2010年08月23日 04時46分11秒 | 行事


夏の行事の最後が地蔵盆。
あっちの町内、こっちの町内でお地蔵さんをおまつりしていた。
最近、子供がすくのうなってきて、いてはるのは元子供ばっかり。
地蔵菩薩の本来のご縁日は24日だけど、どうしても大人の都合で土日にするところが多い。



この日は、お地蔵さんを洗い清めて新しい前垂れを着せ、化粧をして飾り付ける。
お地蔵さんは、中近世以降子供の守り神として信仰されるようになった。
広く知られた伝説によれば、地蔵菩薩が、親より先に亡くなった子供たち(親より先に死ぬのは不孝といわれている)が賽の河原で苦しんでいるのを救う。
そういえば妹が中学の時亡くなったのですが、その時、火葬場には親はいけないという決まりになっていた。だから私が行ったのを憶えている。


↑渋谷街道沿いの永田町の地蔵堂なんです。でも政治家はいません。

「賽(さい)の河原の石積み」というのは、やってもやってもやり遂げられない事を、際限なく続けるという苦しみ、悲しさ、空しさをいったもの。
この世とあの世の境に「賽の河原」があって、そこは石ばかりがゴロゴロしている川です。(行ったことがないのでようわかりません)
死んでも回向(えこう)※1もしてもらえないので、仏の世界に行けない子供たちが、みずからが何か功徳(くどく)※2を積んで仏の国に行こうと考えた。
考えてやったことというのは、石を積んで「仏塔」を建てようとするのですが、石が丸くて中々積み上げられない。
やっと少し積み上げると、そこに大鬼が出てきて、折角のものを壊してしまうというのです。子供は仕方なくまた泣きながら、石を積み始めるのですが、また鬼が出てくる・・・。
その繰り返しの苦しみから、地蔵菩薩が出て来て助けてくれるというのです。
この地蔵信仰は考えてみると、子供を死なせた切ない親の子供に詫びる思いから出ているものでしょう。
虐待の事件の子供たちもやっぱり賽の河原で石積みするんだろうか。
だとしたら切ないな・・・。
お地蔵さん、なんとかしてあげてくださいね。
お願いします。
※1 回向/自己が行なった修行や造塔・布施などの善行の結果を、自己や他者の成仏や利益(りやく)などのために差し向けること。
※2 功徳/現世・来世に幸福をもたらすもとになる善行



ちなみに地蔵菩薩は釈迦の入滅後、56億7000万年後(!)に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、その間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救う菩薩さんなんです。だから仲良くしておいた方がいいだろうな。



町内によっては、地蔵盆当日の朝に「数珠回し」を行う。
町内の子供が、直径2~3メートルの大きな数珠を囲んで座り、僧侶の読経にあわせて順々に回すというものである。
こんな行事を通じて、子供たちに教えていたんだろうな。
最近は、そういう宗教的なことはダメという人も多い。
単なる子供祭とするところも多いそうです。
こういう行事は無形の文化財だと思うんだけどな。
町内の大人で子供や老人を見守って行く方がコスト的に安くつくと思うんだけどな。


↑お供えのお料理がすばらしい

昔の地蔵盆は、野外で映画大会があったり(化け猫の映画が怖かった)、福引で「ふごおろし」という福引担当の家の向かいの家から渡したロープにつるし紐で手繰り寄せた。その後、その品を紐で1階へ下ろして渡すものなんです。
おやつは蒸し芋だったな。
最近の子供で蒸し芋をおやつといったら、どんな顔をするだろう。
「繊維質があって、お通じもようなって、ビタミンCがいっぱいで美容やダイエットにぴったり」といわんとあかんかも。


↑こういうお供え料理も次世代に伝えてほしいですね

この地蔵盆が終わったら夏休みも終り。
そろそろ宿題をしなくては・・・と思うやるせない時期なんですわ。

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これも祇園祭・・・花笠巡行

2010年07月26日 05時09分22秒 | 行事


祇園祭は、1ヶ月続きます。
7月1日の吉符入りから始まり、31日の疫神社夏越祭まであります。
山鉾巡行だって昔は、二回行われていたそうです。
都の人々はよほど疫病や天変地異とかが怖かったんだろうな。
いまは、どうでしょう・・・。
現代人は、少々たくさん人が亡くなったり、天変地異やむごい事件が起こってもあまり感じていない。
その方がよほど怖いことだと思う。



さて、今日の写真は、24日の朝、法事があり、
さっと行ってから自宅で服を着替え、大阪へ行く。
高島屋に寄って手土産を買ってから阪急電車で大阪へ。
四条方面行きのバスに乗っていると運転手さんの無線で
「・・・祭が木屋町を通っている」というのがかすかに聞こえた。
そうか「花笠巡行」なんだ。
バスを四条大橋のところで降り、河原町の方に歩いて行くと行列が見えた。
「ラッキー!」
行列と出会えた。



暑い中小さな子供たちが着飾って歩いていました。
花傘巡行は、傘鉾や馬長稚児、児武者らが石段下を出発し、
四条通などを練り歩く。
八坂神社に到着後(午後零時ごろ)、舞踊の奉納を行うのだそうです。





ほんのすれ違い状態だったからあまりしっかり撮っていませんが、
珍しいのでご紹介しました。

↓宮川町のきれいどころが乗ったのもあります。真昼の白塗はなんだかすごかった。
2010祇園祭花傘巡行




ここは、四条寺町の四条御旅所。神輿が3基おさまっている。
この神輿が午後5時頃から四条御旅所を出発。





市中を巡り、三条御供社で祭典後、神輿に明かりを入れ、
午後9時ごろから11時ごろまでに八坂神社に還幸する。
夜だから見たことがないのですが。

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方相氏さんにインタビュー

2010年02月05日 07時10分49秒 | 行事


京 男:方相氏さん、一年ぶりですね。
方相氏:まいど。
京 男:また節分ですね。
方相氏:京男ハン、節分って4回あるのを知ったハル?
京 男:4回?



方相氏:立春、立夏、立秋、立冬の前日を節分と昔は言うてた。
そやけど、いちいちこんな行事に呼ばれたらかなわんので、年1回と天の神さんに頼んだんですワ。旧年最後の日やね。だから一年の最終的な厄を祓う。
豆をまきまっしゃろ。あれは「まめに働く」という語呂から喜ばれたんやね。
最近の日本は「まめに働く」ということが少のうなってきた。ちょっと問題や。仕事の鬼の方がまだいいかも。
京 男:アンタさんかて、4回を1回にしたんと違いますか。
方相氏:面目ない・・・。豆まきって鞍馬の毘沙門天さんが大豆で鬼の目を打てを命じハッタのが始まりみたい。鬼の目を打つから「魔(マ)目(メ)」「魔(マ)を滅(メ)する」というらしい。
なんで、枡(ます)に豆を入れるかというと米や酒などを計量することから公明正大な神の力を象徴するんでっせ。



京 男:鬼ってなんですねん?
方相氏:鬼の一番の巣窟はあんたら人間やね。言いまっしゃろ「渡る世間は鬼ばかり」なんちゃって。人間は状況が変われば神にも鬼にもなる。善や悪もや。仏教でいうたら「縁(条件)」によって、鬼にも仏にもなる。
わかりにくいけど、鬼でも本来は神なんやね。単純に二元論では片づかへん。
かくいう私も元鬼だし、いまはこうやって追儺式(ついなしき)の主役をやってます。
いまの世の中はどうも鬼的なエネルギーが多いな。祓わんといかんね。バランスがとても悪うなってきている。
鬼的なエネルギーも必要なんやけどな。だから完全に鬼にとどめをさすのでなくて、お祓いして本来の場所に帰ってもらうというのが追儺式の主旨やね。



京 男:なるほどな。ところで方相氏ハンは、なんで四ツ目なん?私も四ツ目やけどね(眼鏡をかけている)。
方相氏:四方に目を配るからやね。
京 男:それやったら前だけじゃ後ろが見えないじゃないですか。
方相氏:下の二つは読書用。上二つは遠いところ用なんや。う~そだぴょょ~ん~。四方に配置したらちょっと異様やろ。
京 男:いまでも充分異様やし。ちょっと古いんと違うかな。私なら四方と天地で合計6つ目。両足に魚の目で合計8つ目ねっ!
方相氏:わては、ヤツメウナギか~!でも前向きに検討させてもらいます。
京 男:なでなで(頭を撫でている)
方相氏:そろそろ夜の用意せなあかんので、この辺で失礼します。
京 男:おきばりやす。
方相氏:おおきに。



◆付録:鬼が嫌うもの
桃の弓、葦の矢、鰯の匂い(京男もちょっと苦手かも)、豆類、柊の葉っぱ、遺伝子組み換え大豆、笑い、大声、鐘の音、笑顔、暖かい家庭、札びらのビンタ、検察、写真週刊誌、自由、三ヶ月以上の約束手形、清水の次郎長(鬼より怖い)、地獄の事業仕分けやリストラ
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伏見稲荷大社の火焚祭・・・炎編

2009年11月11日 05時29分21秒 | 行事


昨日の続き。
炎があがるとドンドン火焚き串をいれていきます。
これが見ていて重労働なのがわかります。





高くあげないとカッコ悪い。
万歳のカッコの姿がきれいでないとね。







同じように修験道系の護摩炊きと比べるとお作法が違うのがよくわかります。
修験道の方と炎の上がり方が違うように思う。
修験道は、心なしか炎が強くでているかも。
火をつける前の儀式も違う。
結界を念入りに張らはるのが修験道方式。


↑1本200円か・・・一束100本やし・・・

それに比べると神道系の火焚祭は優しい感じがします。
雅な感じがする。
都会的な感じかな。
神楽舞とか大祓詞(おおはらえのことば)とか。
炎と舞がとてもいい。




↑望遠専用のデジカメもがんばっています

この大祓詞は、前段と後段にわかれる。
前段は、大祓に参集した皇族・百官に対して「祝詞をよく聞け」という内容。
後段では、そのような祓を行うと、罪・穢れがどのように消滅するかが語られる。
でも不思議に思っているのは、前段と後段の間にあるであろう肝心な呪文がないのです。
般若心経をご存じですか?
般若心経は、呪文部分が「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」なんです。
簡単にいえばこの呪文部分を唱えたらそれでいい。
大祓詞には、この呪文部分が抜けている。
この点がとても不思議に思っているのです。
このことは江戸時代から議論されているんやそうです。


↑水もかけられている







目の前で焚かれていて、見ている方も輻射熱がすごい。
顔がとても熱い。
カメラも熱くなっていた。
ちょっと心配になるぐらい。






↑京阪電車の「伏見稲荷」駅。朱が雰囲気を醸し出しているでしょ。

時々、鮮やかな色になっている写真があると思います。
デジカメのLUMIX LX3のファームウェアアップデートした新機能のハイダイナミックモードでとった写真です。モノクロの写真もそうです。
アスペクト比1:1はまだ試してないな。
確かにホワイトバランスの性能がよくなっている。
下手に自分で調整するよりもいいくらい。
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伏見稲荷大社の火焚祭

2009年11月10日 05時14分55秒 | 行事


11月は、京都市内の神社で日は違いますがお火焚祭があります。
おそらく伏見稲荷大社の火焚祭は、一番早い方じゃないやろか。
今年は、8日が日曜日だったから行くのがちょっと億劫だった。
天気がいいし、人が多いだろうな。



でも京女と双子がバスケットの試合を観に行くというので私も外出。
歩いて行こうかと思ったけど、ちょっと時間が無理なので京阪行く。




↑お水が入っています


↑昔話に出てくるような木の葛籠


↑もちろん放水用のホースもあります

「お火焚き」は、京都で当たり前の行事。
町内で、氏神さんでお火焚きをする。
おさがりで、焼いたおミカンとスルメ、お火焚き饅頭や柚子おこしが配られる。
実は、あれが嫌いやった。
お火焚き饅頭のカスカスした皮が結構嫌いだった。
表面の宝珠マークもなんかね・・・。
神さんにいいところ吸われた残りかすみたいだと思っていたのかも。
仏壇のお供えもそうや。線香臭いおまんとかいややった。


↑これは、種火が入っています。この火を使います。

焼いたおミカンとスルメ、お火焚き饅頭や柚子おこしが同じ袋にはいっているのもいややった。匂いが移るし。匂いに敏感な子だった。
お火焚きの残り火で焼いたおミカンを食べたら風邪をひかへんといわれてもね・・・。
元々あまり風邪をひいたことがないし。
アレルギーだったのか、皮膚科だけはよういったけど。


↑種火から竹の松明(?)で火を点火しやはります



このお火焚きは、もともと新嘗祭(にいなめさい、にいなめのまつり、しんじょうさい)が由来らしい。11月23日に天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)※に勧め、また、自らもこれを食して、その年の収穫を感謝する祭儀。
※天神地祇/天津神(あまつかみ)・国津神(くにつかみ)のこと。「つ」は「の」の意味。
 つまり天の神、国の神。


↑最初は白い煙がもうもうとたちます。風向きがこちらでなくてよかった。



さて、伏見稲荷大社の場合は、最後におミカンとかを入れたりしません。
本殿の儀がまずあります。この写真を撮っているとお火焚きが行われる斎場で場所が確保できないので仕方なくパス。


↑火が出てきました

田植えの時、来ていただいた神様を山に炎とともに帰っていただくのが火焚祭。
その時に、全国から寄せられた願い事を書いた火焚き串を焚くのが火焚神事。

明日に続く。
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与一さんのターゲット

2009年10月22日 06時06分55秒 | 行事


鞍馬寺の記事の途中ですが、あまり続くと飽きるので、十月の第三日曜日、
18日に泉湧寺の塔頭即成院(そくじょういん)の「二十五菩薩お練供養」の
行事に行って来た記事を挟みます。
この行事は、はじめてでした。



この即成院に那須与一(なすのよいち)の墓がある。
与一さんは、十あまる一、つまり十一男をしめす通称らしい。
いまは、そんな兄弟の多い人は少ないだろうな。



平家物語で扇の的を射抜く話で有名。
だから行事の時に吹き流しの先に扇がついているんです。



極楽にかかる雲を想定した60メートルの橋をつくってあります。
行事は、本堂を現世になぞらえ、地蔵堂を極楽にみたててこの橋を
極楽の雲に見立てて進行します。
クライマックスは、二十五菩薩さんが練り歩きます。







その前に山伏さんや稚児さん、お坊さんたちが練り歩きます。



稚児さんやお坊さんがみんなに散華を散らしてはった。
近くに飛んできたけど、両手にカメラ状態で無理でした。
明日に続く。
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五山送り火・・・お精霊さんまたね

2009年08月17日 04時42分19秒 | 行事

末富「京五山」懐中ぜんざい

昨晩、8時から点火されました。
・「大文字」(左京区浄土寺・大文字山。20時00分点火)
・「妙・法」(左京区松ヶ崎・西山及び東山。20時10分点火)
・「舟形」(北区西賀茂・船山。20時15分点火)
・「左大文字」(北区大北山・左大文字山。20時15分点火)
・「鳥居形」(右京区嵯峨鳥居本・曼陀羅山。20時20分点火)
以上の五山で炎が上がり、お精霊(しょらい)さんがあの世に帰えらハリます。
ちょっと寂しい瞬間なんです。


↑大文字/去年の夏の撮影

正式な名前は「大文字五山送り火」というんだそうです。
よく地方の方は「大文字焼き」と言わハリます。
京都人はその表現を嫌う。
この名称は、織田信長の比叡山の焼き討ちを連想させるからです。



この送り火を過去に中止したことがあります。
・1872年(明治5年)に文明の進歩を妨げるとして「盂蘭盆会ト称シ精霊祭等停止ノ事」を布達した。「送リ火ト号シテ無用之火ヲ流」行為として、送り火も規制の対象となる習俗に含まれていた。これにより、送り火をはじめとする盂蘭盆会と関わる行事が一時的に停止された。この処分は1883年(明治16年)に取り消されるまで続いた。
・この前の戦争(応仁の乱ではなく、太平洋戦争)の時、1943~1945年まで灯火管制などの理由で送り火が中止された。



さて、送り火も終わったし、後は地蔵盆だけ。
京都の夏は、もう終わり。



今年は、家の裏で送り火をみました。
「船形」「左大文字」「鳥居形」がみえます。
人もいないし、充分。

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吉田神社、節分祭はミステリアス

2009年02月06日 03時28分07秒 | 行事
吉田神社の節分祭は、規模はいろいろあったでしょうが室町時代にさかのぼることができるそうです。



この奥に大元宮があります。いつもはひっそりとしている場所。
節分の時だけ一般の人が入れます。
祭神は、天神地祇八百萬神(あまつかみくにつかみやおよろづのかみ)、
北方奥には東神明社で天照皇大神、
西神明社で豊宇氣比売神が祀られている。



東西から本社を囲むように配置された諸神社には、式内神三千百三十二座(全国の神々)。
小さい時から日本全国の神さんがこの日にキヤハルンヤと親に教えられていた。



大元宮正面に立つのが厄塚。
みんなの厄を負ってもらうという節分信仰の中心なんです。
日常普通に生きていても、少しずつ溜まっていくのが厄。いわゆる日常厄というやつです。
人間だれでも心の奥底に心に潜む鬼を持っています。それらと厄神なんかをこの塚に封じ込め、
社殿と繋がった注連縄により八百万の神との感応し、一年の健康を祈るものなんだそうです。







京都の神社行事は、この個人の厄対策が多いですね。
災難や病気の原因は「厄」だからでしょうね。
現代の世界はきっと「大厄」がはびこっているかも。



これは方相氏の木像。



結構かわいいと思いませんか?



これは、追儺式の最後に、上卿以下殿上人が桃弓で葦矢を放ち疫鬼を追い払う様子です。
結構遠くまで飛んでいました。当たったら痛いだろうな。
桃弓は桃の神秘的な力が悪鬼の祓に利用された。葦矢も古くから邪気を祓うものとされていて、
桃弓と葦矢で手強い悪鬼を打ち殺すと考えられていた。
現在でも初詣でいただく魔よけの「破魔矢」にはヨシの茎がつかわれているそうです。
桃は陽気の花で陰気を祓う力があるんだそうです。
桃太郎という名前もきっとそういう言い伝えから名付けられたのね。



黄鬼さんを見たからこの日のディナーは、ビィヤントの野菜カレーをいただきました。
やっぱりね~。今年もよろしくとおばちゃんにご挨拶。
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鬼いさん、大暴れ!!

2009年02月03日 05時25分04秒 | 行事


昨日(2日)吉田神社の追儺式(ついなしき)に行ってきました。
着いたら、方相氏(ほうそうし)がいてハリました。
ごっついんですよ。


赤鬼さんは、「怒り」を表している。


青鬼さんは、「悲しみ」を表している。


黄鬼さんは、「カレー」じゃなかった「苦悩」を表している。



追儺式は、日が暮れてから本殿前で行われた。
追儺式はもともと平安期の宮中で大晦日に行われていた儀式。
古式に則って行われている。普通の「鬼やらい」と違い、見ていてとても神秘的。



鬼さんたちが方相氏にガンを飛ばしていました。



大舎人黄金四つ目の仮面を被り玄衣朱裳(げんいしゅしょう)を着装し盾矛をとりて方相氏(ほうそうし)となり、たくさんの弟子を従えて、鬼を退治するのです。
方相氏はもともと鬼だったのですが、目が四つあり人間の目には見えない悪鬼を退散させる鬼神。
四つの目はたえず四方に気を配り悪鬼の出現を許さない。
でもそれなら後ろに二つ目をつけたらいいのにと突っ込みたくなるな・・・。



それで方相氏のハートに火がついた!
壮絶な戦いが始まった!
続きは、動画でどうぞ。
動画はこちらへ
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