京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

北浜に残る洋館

2010年10月31日 05時57分24秒 | 洛外


先週数回所用があり大阪に行く。
その時、北浜をちょっと歩くことがあった。
北浜の万年筆屋さんにインクを買ってから、次のうつぼ公園まで歩いた。
その途中、八木通商ビル(設計:国枝博 竣工:昭和4年)が目に留まる。





昭和4年の竣工か。
重厚なつくりの建物ですね。
いまの軽いペラペラしたビルとは違う。
こういうビルは、残しておいてほしいものですね。





大阪もこうやってみるといい建物が多い。
この後、適塾(てきじゅく)によりました。
その写真は、明日に。



ここは淀屋橋のところにあるカレー屋さん、一瞬入りかけた。
ギネス入りのカレーってどんなのかな。
でもこの日結局、夜まで食事を摂る時間がなかった。

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短い秋

2010年10月30日 05時00分35秒 | 風景・和菓子


今年は夏から急に冬になった感じがする。
その合間に台風や竜巻。
以前の季節からすると無茶苦茶に感じる。
これから来るであろう地震や火山噴火などもそうだ。
でも地球からするといままでジッと静かにしていたのが不自然なのかも。





われわれはどうしても人間中心に考えてしまう。
人間にとって「損か得か」で判断する。
地球からすると「あんたら人類が不自然な存在」で
天敵がいないから増える一方。
「ちょっと困るんだけど」という地球の声が聞こえてきそう。



これは、家に現れたコカマキリ。
捕まえても大人しくしてくれた。
記念撮影をして外にお帰りいただきました。



今年は、カマキリが卵を例年にくらべ高いところに産んでいるんだそうです。
冬は雪がドカッと降るのかな。水害があるのかな。
なんでカマキリはわかるのだろう?



これは、いだだきものの巨大梨。
この荒尾梨は、熊本の名産。
大きさがよくわかないかもしれませんが大きいです。
一個でいっぱい食べられる。



美味しかったです。
ありがとうございます。




↑塩芳軒「花すすき」
外の羽二重がとてもやわらかい。
よもぎの香りも最高。


↑羽二重餅、粒あん、よもぎ

なんか今日の記事は寄せ集め画像でした。
さて台風はどうなるかな?

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ランチセットとは珍しい

2010年10月29日 05時01分47秒 | カレー

↑日替りスープ

久しぶりのRAJUでランチ。
珍しくメニューを選ぶのが億劫だった。
きっと食欲がなかったからだろうな。
食欲がなくてもインド料理というのが普通じゃないかな・・・。
たまたま、お店のあたりにいたからなんです。


↑タンドリーマハラニキャバブ

よく考えたらインド料理とのつき合いも長い。
もう数十年来だ。
大学の時、ロンドンで食べたのがはじめてだ。
きっとロンドンのゲイロードだったと思う。
味が忘れられずに、アムステルダムに移動した時、インド料理店を探した。
雰囲気だったので入った店が中東料理だった。
それはそれでよかったけど。


↑カレーのプレート

帰国して関西でインド料理を探し、あったのが神戸のゲイロード。
当時は、グルメとか雑誌の紹介なんてなかった。
もちろんインターネットもない状態。
当時の神戸はよかった。
もちろんポートピアの前のこと。
市役所前の地下一階にあった頃の話です。
お客さんで日本人は私ぐらいだった。
なにを頼んでいいのかわからず、メニューを全部食べていった。
いまでもその時の伝票が実家の書類キャビネットに入っていると思う。
伝票の料理を憶えておいて、次回は違うものを食べていくということをやっていた。
当時でゲイロードだけで30万円はつかっただろうな。


↑日替りカレー(チキン)

その頃です。
あら(鹿が三つ)皮のステーキをお年玉を全部使って食べに行ったのは。
当時、エッセイを読んだら必ず日本一のステーキとしてでてきたお店だったからとても興味があったのです。


↑日替りカレー(野菜)

にしむら珈琲店も会員制だったし。
宮水も美味しかった。
新幹線のトンネルでワヤになったみたいですね。
もちろん、南京町に門もなかったし。
お店で日本語があまり話されていなかった。


↑チャイ。何も言ってないのにアイスを持ってきた。
 ちょっとムッとした。心が狭い京男だ。

最近、神戸はちょっとご無沙汰かな。
ご飯を食べに行くだけではなかなか行けません。
仕事でならなんでもなく行くのにね。
それとワザワザ行くだけのお店が少なくなってきたのもある。
というか最近のお店をしらないだけかも。

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矢の根梵天花

2010年10月28日 05時31分51秒 | 甘味・喫茶・その他


この花は、高砂芙蓉(たかさごふよう)。
別名、「矢の根梵天花」。
バス停で待っている時、劣悪な場所状で咲いていた。
よくみるととってもきれい。
誰に観てもらおうと思ってもいないだろうけど、
精一杯咲いている姿に
妙に感動してしまう。
この花の寿命は一日だけ。
でも次から次へと咲き続けている。



「梵天」ってラーメン屋さんの名前風やけど、
梵天は、梵語名ブラフマンの音訳とされている。
インドの古代神話での宇宙創造の神、バラモン教では梵卵(?)を二つに割り、
天と地を創造した神さんらしい。
(先日、行ったのコロナのおじいさんをなぜか思い出した)
あまりにスケールが大きいから擬人化しにくく、親しみがわきにくい。
インドでも日本でもあまり民衆の信仰は高くなかったようですね。
その点、対になっている「帝釈天」の方が人気がありそう。
「矢の根」というのは、葉っぱが矢じり風だからそんな名前らしい。



これは、ある日の外での朝食。
ドトールのミラノサンドセット。
こういうのは、やっぱりドトールが美味しい。
分煙がうまく行ってないのはちょっとダメだけどね。
逆に喫煙をする人にとってはオアシスかも。



このセットはブランチ的に食べました。
いつもならジュースなのにこの時はコーヒー。
そんな時もあります。

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神泉苑

2010年10月27日 05時29分32秒 | 社寺


昨日の記事の続き。
今日の写真を観ていると神泉苑って神社だと思いませんか?
実は、東寺(五重塔で有名な真言宗のお寺)と同じお寺なんです。
本尊は、聖観音・不動明王・弘法大師なんです。





竜神だから池の中に祠が建っているのでしょうね。
弁財天と同じような感じ。
善女龍王社とあります。
真言「オン メイ ケシャニエイ ソワカ」
御利益は「心願成就」



この神泉苑には竜神(善女竜王)が住むといわれています。
天長元年(824)に西寺(昔は、東寺と西寺があった)の守敏(しゅびん)と東寺の空海が祈雨の法を競い、空海が勝ったことから以後東寺の支配下に入るようになったんだそうです。


↑竜が居てました!


↑船になっているようです。

かつて国家の基盤が農業にかかっていた頃、五穀豊穣(ごこくほうじょう)は人々の切実な願いであり、雨を降らせる力を持つ龍王に祈る事はしばしばあったようです。


↑橋もなんだか神社みたい。


↑本堂

天長元年(八二四)、干ばつが続いたため朝廷は雨乞いの修法を執り行う事にしました。まず奈良の山階寺(興福寺)の守敏(しゅびん)僧都に祈雨を命じ、一週間修法を行ったのですが、都に少し降っただけで国中を潤すことはかないませんでした。
そこで弘法大師が召され、宮中の神泉苑(京都・二条城の南方に現存します)にて「請雨経法」を修したのですが、一週間経っても雨は一滴も降りません。不思議に思い大師が調べたところ、前々から大師の名声をねたんでいた守敏が呪力をもって全ての龍神を水瓶に閉じこめてしまっています。しかし唯一善女龍王のみが守敏の手から逃れているのが見えましたので、この善女龍王を北インドの無熱池(むねっち)という池から呼び寄せ、三日間にわたり国中に大雨を降らせる事に成功しました。


↑北の方は、神泉苑平八という元祖うどんちりのお店でした。

八大竜王(はちだいりゅうおう)は、天竜八部衆に所属する竜族の八王。
1.ナンダ 2.ウパナンダ 3.サーガラ(これが三女の善女龍王) 4.ヴァースキ(頭が九あった。これを九頭龍と呼ぶ。九は陽の数字ので最強) 5.タクシャカ 6.アナヴァタプタ 7.マナスヴィン 8.ウッパラカ
この八大竜王は、天候とか旅行の安全とかに使うと便利な神さんたちです。
だから弘法さんも実際には、八大竜王を使わハッタんと違うかな。


↑この竜の船もお座敷になっていたのでした。


↑建物のなまずがとてもかわいい。

この建物のおかげかどうかわかりませんが、後日なまずを食すことになったのであります。その話はまた別の機会に。

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歳徳神と歳神様は同じなんやろか?

2010年10月26日 05時17分59秒 | 社寺・和菓子


「両方とも知りません」という人も多いかも。
元々は、歳徳神(としとくじん)は、中国の道教の神様から来ているらしい。
京都風にいうと「歳神様(としがみさま)」となります。



お正月前に大掃除をして家の門口に門松を飾るのは、歳神様の依代(よりしろ)とするためです。
依代というのは、神様が降りてくるアンテナというようなもの。
それを色んなところに配置した鏡餅で家の中に誘導、定着さすのです。
歳神様の定着には、三日間ぐらいかかる。
一番大事なのが大晦日の夜、恵方から歳神様が降りてくる瞬間なんです。
だから大晦日の夜は寝たらあかんのです。失礼でしょ。
大事な方がご降臨されるのにね。
この降臨の時間は、卯の刻といいますから午前6時ぐらいかな。
まあ、大晦日の晩、早く寝て、早起きおっさんグループ的に早く起きたら間に合いますが。




↑今年は背後が池になっているから、これ以上後ろに下れませ~ん!

また、三が日(1~3日)は、雨戸を閉め、外出したらあかんのです。
だから保存食(お節料理)を用意して家に篭るのが正しいお正月なんです。
然るに最近では、家に神様が来られているにもかかわらず初詣などといって外に出て行く。またお年始などといって行き来する。
間違っていると思いませんか?



私が歳神様の立場なら「バチをあてて差し上げますわ」となりますね。
日本の景気が悪いのは、個々人の家に歳神様を定着していないからかもね。
「困った時の神頼み」というなら、チャンとお作法に則らないといけませんね。
初詣に行って、神さんもいないのに(普通は留守なのが多い)自分だけの願いというか欲望をいい、お賽銭もチャリンと音がする状態で叶えてくれる訳がない。



前置きが長くなってしもた。
今日の写真は、二条城の南にある神泉苑の恵方社。
この恵方社の特徴は、回転するということ。
恵方(えほう)というのは、歳徳神が住むという方角。
節分の時、堂島ロールをくわえて丸かじりする方角のこと(これは冗談ですよ)。

この歳徳神さんは、年に一度方角を替えハル。
歳徳神さんは、女神で美人らしい。
美人はそういうわがままが許されるのかな・・・。
そんな事情でこのお社は、回転式になっており、追尾するようになっているのですよ。


↑京都鶴屋鶴壽庵「豊年餅」


↑白月餅、玉あられ、黒こしあん

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年輪の味がする玉子サンド

2010年10月25日 05時51分49秒 | 


年輪の味といってもバウムクーヘンの話と違うえ。
玉子サンドの話。



以前、京女とこのお店の前を歩いていた時に話題になったのがこの「コロナ」。
おじいさんがひとりでつくったハルそうなんです。
でも私のまわりの人で行った人がいない。
私も行ったことがなかった。
このお店の開いている時間が午後5時からだしね。
私はランチの人間(?)だし。
暗くなったら家に帰らんと・・・不良やと思われるし・・・。



この日は朝から何にも食べていない状態だった。
なぜか最近、そういう状態が多いな。
この日は、大阪だった。
大阪からの帰り阪急電車に乗りながら「そうだ、コロナに行こう!」と思う。
おそるおそる行って見ると明かりが見えた。
お店は、昭和の香りがものすごくする。
ちょっと不安になる雰囲気かも。
カウンターにすわる。



メニューを見ると結構面白い。
特ビフカツというのはどんなものが出てくるんだろう・・・?
時価のエビフライとはいったいどのようなものなのか?
注文したら3800円だったという話も聞いたことがある。ほんとうだろうか?
ビフカツサンドとカツレツサンドの値段が1000円も違うのは?
フルーツポンチってどんな状態なんだろう?
なぞが多いメニューです。
「皆様の店コロナ」というのがちょっとかわいい。
今回は、とりあえず名物(?)の玉子サンドを注文。



このマスター、お歳が90歳を超えておられるらしい。
それだけですごいと思わせます。
仕事を目の前でずっと見ていました。
玉子は、一人前で3個ぐらい使う。
玉子をゆっくりと片手鍋に割り、手前の白い調味料※を入れ、
結構手早く短い時間かきませフライパンで焼く、
その間にトーストした一枚にソースを少々のせ、
もう一枚トーストを乗せ、押しつけソースを移す。
後は焼けた玉子を乗せる。
あまりきれいでない乗せ方ではありますが。
パンの耳を包丁で切られるのですが、ほとんど切れてなかった。
(思わず厨房に入って自分で切ろうかと思った)
できあがった△形が少々くずれて、パンだけがはずれたのを目撃。
パズルのように元に戻すのにかなり長時間試行錯誤したハッタのが印象的だった。(思わず厨房に入って自分でなおそうかと思った)
※玉子の味付けにコショウを使っていなかった、白い粉の正体は、塩、砂糖、化学調味料の混ぜ合わせたものとみました。



できあがったのがこれです。
すごい玉子でしょ。
フワフワとして味もついているんです。



祖父のような年代の方に料理を作ってもらうのが申し訳ないような、懐かしいような、うれしいような、不思議な気持ちになってしまいました。
いつまでもできるだけ現役でいてくださいね。



この店は、カウンター5人、お座敷6人、テーブル6人ぐらいの広さ。
満席で個々に違うものを注文したらどうするんだろう。
おそらくひたすら待つしかないだろうな。
お土産にサンドイッチを注文する人も結構いるし。
このマスターまことに無愛想。一口も聞かなかった。
お手伝いの女性がいるので注文には不自由はしませんでした。
食べ終わったら「ごちそうさま!」と言ったら
「おまっとうさんでした」とこたえてくれはりました。
「コロナ」地図

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ひょっとして久しぶりかも・・・ムレスナティー

2010年10月24日 06時16分57秒 | 甘味・喫茶・その他


外で打ち合わせをする場合、バイクとか置ける場所にしている。
京都は、車で動くととても不利な街なんです。
約束の時間に着かないとね。
今日の記事の場所、ムレスナティーハウス京都もそいうお店。
最近は、新・都ホテルが多いから、ここは久しぶりかな。


↑ココアアーモンドなどのドラジェ、ビーカンスノーボール(だと思う)が美味しい。これは付きだし的に出てきます。試飲の紅茶も飲ませてくれるかな。

ここもゆっくりと落ち着けるから好き。
紅茶も買って帰れるしね。


↑ウィーンのバラをアイスティー。このフレーバーを現在家で飲んでおります。

打ち合わせの時に飲む紅茶を飲んで、その紅茶を買っていくことが多い。
ちょっとした軽食やワッフルなんかがうれしい。


↑ワッフルのセット
スコーンのセットもお勧めかな。
よく考えたらいつもお店の写真を撮ってないな。
錦小路通は車が多いし。なかなか撮れないんです。
そうなんです。
「観光客の台所(元・京都の台所)錦市場」は、烏丸通を渡って東に行くとあるんです。
ムレスナティーハウス京都地図

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六角堂頂法寺

2010年10月23日 04時56分05秒 | 社寺


昨日の続き。
この六角堂頂法寺は、説明によると聖徳太子が幼い頃、淡路島の岩屋に小さな唐櫃が流れ着き、太子が蓋を開けると中から黄金でできた一寸八分の如意輪観音の像が出てきました。そこで太子は、自分の持仏として大切にしました。そのころ太子は物部守屋と争っていたので、如意輪観音に勝利を祈り、「勝たせていただければ、四天王寺を建立いたします」と誓いを立てました。勝利をおさめた太子は、用明天皇2年(587年)、大阪四天王寺建立のための用材を求めてこの地に来られました。



ある日、泉のかたわらにある多良の木の枝に護持仏をかけて沐浴をされ、終わって仏を手に戻そうとされたが、どういうわけか、枝から離れません。その夜、「お前の守り本尊となってから、すでに7世が過ぎた。これからは、この場所にとどまって衆生の救済に当たりたい」、という仏のお告げを夢で見られました。



信仰心篤い太子は、ここにお堂を建てようと決心しました。そこへ一人の老翁がやってきたので、「この辺りに観音のお堂を建てるにふさわしい木はないか」と尋ねました。老翁は「この近くに杉の巨木があります。毎朝紫の雲がたなびく霊木です。あの木を使うとよいでしょう」と言って去りました。老翁に教えられた場所に行くと、一本の杉の木があったので、それを伐ってこの地に六角の御堂を建てて護持仏を安置されたと伝えられます。



ご詠歌「わが思う 心のうちは 六の角 ただ円かれと 祈るなりけり」
六の角とは、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる六欲のこと。
つまり六根清浄を願うということ。



ここは、「西国三十三所巡礼」の十八番目の札所。
また「洛陽三十三所巡礼」の一番目の札所でもある。
如意輪観音菩薩を本尊としていまも巡礼に来られる人は多い。



よく「三十三」というのが出てきますね。
・西国三十三所巡礼
・洛陽三十三所巡礼
・三十三観音
・三十三天(マルチ商法であった円天とは無関係)
・三十三間堂
・三十三回忌(お寺じゃないけど)
・チリの炭坑から救出された三十三名のおっさんたち(これもお寺やないけど)



これは、法華経の普門品(観音経)に説かれる観音菩薩の「三十三応現身」に由来する。
観音菩薩が三十三の姿に変化してあらゆる衆生を救ってくれるというもので、日本ではそれを発展させて独自に三十三観音を生み出した。
古代インド人にとって「三」は神聖な数字であると共に「多数」を意味するものでもあった。



ちょうど日本では「八」を用いた数字で「多数」をあらわすような感じかな。
一つで「多数」を意味する「三」を重ねた「三十三」は数えきれぬほど多い、つまり「無限」をあらわすことになるといわれている。

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スタバと六角堂のナイスな関係

2010年10月22日 05時45分44秒 | その他


スターバックスの京都烏丸六角店は面白い構造なんです。
ガラス越しに見えるのが京都のヘソがあるといわれる六角堂頂法寺。
聖徳太子の建立といわれる古くからあるお寺。
それを借景にしたつくりなのが妙に面白い。



反対側は、いまや京都のメインストリート化している烏丸通。
最近の河原町通は元気がないな。
おしゃれなお店ができてきているのはみんなこの烏丸通周辺が多くなってきている。



とっても不思議な光景でしょ。
近代と古い時代と同居している。
京都市内の街中の光景がなんともいえません。
これがヨーロッパの街ならビルもきっと規制してこんな高いのは建てられないだろうな。
京都もそうした方がよかったかも。



ビルの二階部分から見るとこんな感じになっています。
天井が高い空間はいいですね。
しかも自然光が入るし。



もちろんスタバの側から六角堂にも出られます。





エレベーターに乗ると上から見られるというので乗ってみる。
別に特別見るスペースはないのですが、エレベーターがシースルーなので
屋根がこんなに見えます。
やぱり六角堂だ。



六角堂の正面は南側の通りから入るとこういう風に見えます。
面白いと思いませんか。
よく考えたらスターバックスって入ったことがないな。
セルフがいやなんだろうな。
注文もシンプルでないしね。
私としては。
コーヒーを飲むならイノダの方がいいかも。
ただ外でコーヒーを飲むというのはあまりないかもしれない。
最近は、紅茶の店の方が多いかな。
六角堂頂法寺地図

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ビーフシチュー

2010年10月21日 04時53分20秒 | 


ちょっとコンピュータのことで用事があり、滋賀県の草津に行く。
結構最近まで温泉があると思っていた。
でも滋賀県の草津には温泉はなかった。





昼食に行ったのははじめてのお店。
もっとも草津にはなかなか行かないけど。
この時もiPhoneが役に立つ。
出先で検索し、道案内してもらえばいいだけ。
どの店を選ぶかは本能かもしれない。


↑おろしハンバーグ

煉瓦屋はすぐに見つかった。
なかなかいい雰囲気のお店でした。
きっとこういうお店はいいものを出すだろうな。
私は、ビーフシチューを注文。
京女は、予想通りおろしポン酢のハンバーグだった。
ここはパンが美味しいそうなのでパン。
ランチには、スープとサラダがついている。
スープも美味しい。



さてビーフシチュー。
家では意外とつくらないのがこういうものかな。
わが家にはまだ圧力鍋がないというのもあるな。
家でタンシチューをいっぱいつくって食べてみたい。



東郷平八郎が、ヨーロッパで味わったビーフシチューを作るように部下に命じ、
できたのが肉じゃがなんだそうです。
ずいぶん違うものやけど。
当時の人はわからなかったんだろうな。



なぜか泡立ったコーヒー。
味は普通でした。(笑)

「煉瓦屋」地図

車で京都に帰る時、逢坂で月心寺の前を通った。
いつかまた行きたいな。
ここの精進料理は最高だと思う。
ただし、昼食だけで一組限定だからおいそれとは行けないな。
最低10人は人を集めないと。
法事とかには最適かも。
いつか実行してみたいものです。
タッパを持参で。そうなんです。食べ切れない程お料理が出てくるのです。
月心寺地図

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今夜は十三夜ですよ

2010年10月20日 06時05分57秒 | 和菓子


本日20日は、十三夜(じゅうさんや)。
この十三夜は、日本独自の習慣ね。
中国や日本では、縄文時代ぐらいから月を愛でる習慣がある。
これは不思議なことです。
ヨーロッパは、あまり満月を好まない。


↑亀屋良長「湖中天」

平安時代の貴族は、舟遊びを楽しんだそう。
舟遊びって、直接月を見るのではなく船などに乗り、水面に揺れる月を楽しむ。
歌を詠み、宴を催した。
杯に月を映し楽しむなんていいですね。



十三夜は十五夜の月に対して「後(のち)の月」と呼ばれる。
十五夜を見た人は、十三夜もみないといけないのです。
それを「片見月」または「片月見」といい縁起がよくない。
もっともこれは江戸時代に遊里の遊女が客を誘う営業だったそうです。


↑葛羊かん、粒あん

でも最近、日本ではハロウィンという訳のわからないことでは騒ぐけど、十五夜、十六夜、十三夜なんてことをいう人は少ないかも。
なんか最近の日本人は情けないな・・・。
へたれな国になってしまった。


↑長久堂「名残の月」

ヨーロッパでは、まったく逆で、月見はない。
逆に、満月は人の心をかき乱し、狂わせるものである考え方がある。
例えば、月の女神が死を暗示し、月を見て狼男に変身するなどに思想が現れている。
ルナティック(lunatic)という言葉がある。
精神異常者、狂人、変人、愚人、精神異常の、狂気じみた、ばかげたなどという意味。
あまりよくないですね。



狼だって悪者扱いだものね。
日本では、狼を大神(おおかみ)と神様のお使い的に考える地方もあった。
人を襲うのは大抵狼ではなく、野犬だったと思う。
犬神というのもあるな、これは、狐憑きとかと同じように犬が憑くという状態。
狐が生息していない四国が犬神の本場という説もある。
四国は狸憑きというのはないのかな・・・。
狸憑きではあまり怖くないか。


↑こなし、赤ごしあん

犬神人(いぬじにん)というのも昔あったそうです。
中世、祇園社(現八坂神社)に属した神人のうち、下層の民。
京都建仁寺門前あたりに住み、平素は弓弦・沓(くつ)などを作るとともに、洛中の死屍の始末に当たり、また祇園祭には神幸の道路清掃、山鉾巡行の警固なども行なった。祇園社の本所である延暦寺の兵卒になることもあったらしい。
僧兵だけじゃなかったんだ。


↑長久堂「夜長妻」
このお菓子はタイトルだけで買ったみたいなもんです。(笑)
テレビをつけっぱなしにして居眠りをしている京女のイメージね。

なんか話が違う方にいってしまった。
十五夜は里芋を供えることが多いから「芋名月」。
それに対して十三夜は「栗名月」や「豆名月」と呼ばれる。
小麦を供える地方もあるから「麺麭(ぱん)名月」や「麺名月」というかどうかはわかりません。
今年は、栗の収穫が厳しいかな。
熊が街にでてくる事件が多いしね。
この間、祇園で熊を発見!
「熊や!死んだフリせい!」と全員が道路に伸びて静止した。
熊曰く「だ、だれが熊や、ワテ近所ではバンビちゃん呼ばれてんのや!」と怒ります。
そしたら、誰かが「エッ?ゾンビちゃん?」とこたえましょう!
それが正しい関西のお作法です。
※注意!この対処法は関西都市部の熊にしか通用しません。念のため。


↑上用、さつまいもあん

本日は、なんか話題が流れ気味でした。
今日20日(京都)では、15時32分が月の出です。まだ明るいやんか。
真南になるのが21時49分か。
ちなみに満月ではないですよ。月齢は12.3ね。


↑10月20日20時の十三夜。雲がかかってしっかり映りません。
 でもベランダから楽しめました。

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お別れ地蔵

2010年10月19日 04時45分52秒 | 甘味・喫茶・その他


看板によると、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の難から逃れて老僧が若狭から担いできたお地蔵さんを、この地で力尽きた僧に代わって人々が祀ったのが始まりで、当時この先にあった火葬場に向かう葬列が、このお地蔵さんの前で一応に別れを告げたことから、いつしか「お別れ地蔵」と呼ばれるようになったそうです。
ラブラフのカップルは詣ったらあかんかもね。



明治の廃仏毀釈ってすごかったようですね。
調べてみるとこんな記述がありました。
一般に「廃仏毀釈」と言えば、日本において明治維新後に成立した新政府が慶応4年3月13日(1868年4月5日)に発した太政官布告「神仏分離令」、明治3年1月3日(1870年2月3日)に出された詔書「大教宣布」などの政策によって引き起こされた仏教施設の破壊などを指す。



神仏分離令や大教宣布は神道と仏教の分離が目的であり、仏教排斥を意図したものではなかったが、結果として廃仏毀釈運動(廃仏運動)とも呼ばれる民間の運動を引き起こしてしまった。神仏習合の廃止、神体に仏像の使用禁止、神社から仏教的要素の払拭などが行われた。祭神の決定、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の破壊、仏事の禁止などを急激に実施したために混乱した。明治4年(1871年)ごろ終熄したが、影響は大きかった。



いまの日本でも仏教は新興宗教扱いみたいなことを聞いた事があります。
当時の民衆はどういう思いでお寺や仏像を処分したんだろう。またそれを護ろうと必死に動いた人もいたんだろうな。
どさくさにまぎれて外国人が国宝級の仏像とかを買っていったそうです。
日本人ってどうも極端に反応する性質がありますね。いまは、腑抜けで暗くで陰湿だけど、火がつくと燃え上がるDNAを持っているかも。
たまたまそういう「縁」に触れていないだけかな。



話しは、急にかわります。
ここは、お別れ地蔵から少し西に歩くとある粟餅所澤屋(あわもちどころさわや)。
とても久しぶり。
ここは、創業が天和2年(1682)だそうで、現在で12代目。
三百二十数年続いているお店となります。
文献的には、寛永15年(1638)発行の『毛吹草』に洛中名物として「茶屋粟餅」としてすでに載っているそうです。
継続するというのはすごいことですね。



席が空いていたので、吸い込まれるように入店着席ねっ!
ここのメニューは、粟餅しかない。
「カボチャのプリンとホット珈琲」とか言ったらハッタオサレルやろな。
坐わる自動的に人数分でてきます。



もちろん注文してから作らハリます。
粟餅にこしあんときなこまぶし。



そおっと黒文字で切ってみました。
柔らかくて美味しいですよ。
最近、当家では雑穀米を食べているのでこういうモチモチした感じは馴れているかも。ご飯にきな粉をかけてみてもいいかもね。
ちなみにこの一皿で結構お腹が膨れます。
満腹の時はキツイだろうな。
「粟餅所・澤屋」地図

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勘違いしているかも・・・猿の縫いくるみ

2010年10月18日 05時06分25秒 | 社寺・和菓子

↑いまイヌサフランの花だと教えてもらいました

今日も平野神社。
境内の東の入口近くに「猿田彦社と出世導引稲荷社」というのがある。



こういう風に鳥居が重なっているのは稲荷系かも。



立札には「猿田彦社と出世導引稲荷社」とある。



邇邇芸尊(ににぎのみこと)は、国産みの後、天照大神さんの命令で葦原中国(つまり日本のこと)に天降り(これが本当の天下り)しようとしたとき、天の八衢(やちまた、道がいっぱいわかれている場所)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。
その神の鼻長は七咫(あた、円周の単位)、背長は七尺、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという姿であった。
そこで天照大神と高木神は天宇受売命(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。その神が国津神の猿田彦で、邇邇芸尊らの先導をしようと迎えに来たのであった。



邇邇芸尊らが無事に葦原中国に着くと、邇邇芸尊は天宇受売神に、その名を明らかにしたのだから、猿田彦を送り届けて、その名前をつけて仕えるようにと言った(『日本書紀』では、猿田彦が天鈿女命(あめのうずめ)に自分を送り届けるように頼んだとなっている)。
そこで天宇受売神は「猿女君」と呼ばれるようになったという。



猿田彦だから猿の縫いくるみを奉納というのがどうもわからないな。
猿田彦さんは、どうみても天狗に近いんだけどな・・・。



こちらは、出世導引稲荷社。
関白太政大臣の座に就いた秀吉は、天正15年(1587)、聚楽第の造営の際に稲荷社を勧請。翌年には時の帝・御陽成天皇が聚楽第に行幸し、盛大な催しが営まれた。このとき稲荷社に参拝した天皇は、この神社に「出世」の称号を与えたという。秀吉は、小さい時から稲荷五社※の神を信仰したハッタ関係もあるそうです。
秀吉が乞食から関白までになったから「出世」という名前になったかも。
京男的にいったら「出世」って俗世間から離れる「悟り」というような意味だと思うんだけど、秀吉は俗物の最たるものだと思うんだけどな・・・。
違うんかな・・・。
※稲荷五社/宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四之大神




↑長久堂「田守神」
田んぼを守る神っていい名前ね。基本は農業が大事だと思う。
この形、なんだか面白い。形で買ってしまった。
ベレー帽を被った案山子なんだろうか。


↑外郎、備中白こしあん

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平野神社蛭子社

2010年10月17日 07時18分30秒 | 社寺・和菓子


オフシーズン(シーズンは桜の咲く頃として)の平野神社は、はじめてでした。
境内は静か。
この平野神社の祭神は
・今木神(第一殿) -- 染織・手芸・衣の神
・久度神(第二殿) -- 竈・台所・食事の神
・古開神(第三殿) -- 斉火の神
・比売神(第四殿) -- 不明。



創建は、延暦13年(794年)、平安京遷都の時、平城京で祀られていた今木神・久度神・古開神を遷座・勧請したのに始まるそうです。
とても古い神社。



枝垂れ桜もこの通り。



シーズンの時は、華やかなのにね。



↑この竹やぶがなんともきれいだった。



竹やぶの下のこの末社が気になった。
ここの場合は、蛭子と書いて「えびす」とは読ませなくて「ひるこ」と読む。
水子守護なんだそうです。
神道でも水子(みずご)なんてのがあるんだ。仏教関係だと思っていた。
蛭子神って『古事記』の最初の国産みの時、イザナギ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神。
子作りの際に女神であるイザナミから声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島(国産み・神産みの舞台となる島)から流されてしまう。次に生まれたアハシマとともに、二神の子の数には入れないと記されている。なるほどヒルコ君は、日本における水子第一号だったのね。



この蛭子神が流れ着いて、恵比須・戎となったそうです。
生まれてすぐに流されてしまう哀れさと再生の神話なんですね。
いまでもそんな事件がようありますね。いややね。ちゃんと再生させてあげてください。
もう一柱のアハシマに関してはあまり知られていない。
アハシマは女神だったらしい。淡島神(あわしまのかみ)となっているらしい。
和歌山市の加太にある、淡嶋神社を総本社とする全国の淡嶋神社(淡島神社、淡路神社)でお祀りしているそうです。淡嶋神社は人形供養で有名ですよね。
心霊特集ででてくる場所です。
婦人病治癒を始めとして安産・子授け、裁縫の上達、人形供養など、女たちの為の霊験神とされていますね。
そういえば京都で人形供養といえば法鏡寺門跡かな。



鈿女大神(うずめおおかみ)は、天照さんが岩戸に引きこもってしまわハッタ時、天照さんの興味をひくために神さんたちが宴会しやハッタ、その時ストリップをした女神さんね。
後に猿田彦大神さんの奥さんにならハッタ。なんで蛭子大神や住吉大神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)といっしょに祀ってあるのかは、ようわかりません。
猿田彦さんは、同じ境内に祀ってあります。
次回の記事で説明予定。


↑本家玉寿軒「鳴子」
「いい音、鳴子」の鳴子ですね。
吉本新喜劇を観てない人はわからないか。
鳴子は、元々田畑の作物を狙う鳥を追い払うための農機具で、風に吹かれて鳴子に付けられた拍子木が音を出すことにより鳥を驚かす。
森などの障害物が多いところで木などにひもやピアノ線、ワイヤーなどを張り、そこに木の板などをかけて何かが来た時に音を出すような仕掛けとしても使われた。これは、おもにわなを仕掛けていない場合であり、なおかつ敵の敵軍に対して伏兵による奇襲を察知するときに用いられることが多い。
まあ、いまは赤外線とかだろうけど。
高知県高知市のよさこい祭りで使いますね。
なんでどこでもよさこい祭りなんだろう?
京都でもイベントの時に踊っていますよね。
京都には似合わないように思うけど。


↑栗羊羹

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