京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

烏寺?

2017年09月30日 06時01分48秒 | 風景

↑烏寺

ここは、烏寺といいます。
なんてことない普通のお寺。
正式な名称は「熊谷山専定寺(くまがいざんせんじょうじ)」。
浄土宗禅林派の寺。
お寺の名前が不思議でしょ。


↑高札

伝説があります。
伝説によると、1207年(建永2年)9月4日、専定という旅の僧が松の木陰で休んでいると、梢にとまった二羽の烏が「今日は熊谷蓮生房が大往生の日だ。西方浄土へ導かれるのも念仏の功徳というものだろう」と話して飛び去っていった。
不思議に思った専定が熊谷蓮生房の庵を訪ねると、その日に蓮生房は亡くなっていたという。
でも熊谷蓮生房って誰?


↑東を見ると豊国神社が見えます。

※熊谷蓮生房(直実)は、武蔵国熊谷郷の武将で源頼朝の御家人として活躍し、一ノ谷の合戦では、源義経の鵯越に従い、平敦盛を討った武将として知られている。
敦盛を討ったことに無常感を深くし、仏門へ入ったといわれ、法然に師事して出家した。


↑豊国神社、京都名物汚い電線。こういう電線がなければいいのになぁ・・・。

なんで烏なの?
この烏は、熊野権現だったらしい。なら三本足の烏だったのかな?


↑豊国神社の南隣が京都国立博物館。博物館は美術館と違って名前を売ったりしないのね。もし売ってたら「京男博物館」になっていたかも。(笑)


↑いつぞら夜中(丑三つ時)に、私の耳元で羽音を鳴らして、目覚めさせてくれた蚊です。結構まるまると肥っているでしょ。私の血を吸ったのかも。次の日の朝、倒れていた。きっと京男の毒素にあたったのかもね。

和菓子
中村 肇
河出書房新社

↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

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やっと秋らしい雰囲気になりましたねぇ

2017年09月29日 05時33分12秒 | 風景・和菓子
服装が秋になりました。
セミはそろそろ鳴かなくなりましたね。
もうすぐ10月。



なんて言いながら、夜中は暑さで目覚めたりします。
湿度がすごい!
昨日は、除湿モードで空調を動かしていました。
70%ぐらいの湿度だった。
その前は、蚊の羽音で夜中目覚めて、蚊取り線香を探し、スイッチを入れたりしたのはよかったけど、すっかり目が覚め、睡眠が中途半端な状態だったり・・・。







早く本格的な秋になってほしいものです。
植物や生菓子を見ているとすっかり秋モードになっています。
早く秋になって欲しいと心から願っております。
まあ、心配しなくても涼しくなっていくでしょうけど。



もっと秋の風景の撮影をしたいと思うけど、デスクワークがやたら増えている。
ありがたいことなのですが、目にすごく負荷をかけていますね。
集中が必要な作業が長時間続いております。
野外でゆっくり散歩したいものです。


↑長久堂「宇治の雲」


↑雲を表現しているそうです。中に栗がコロンと入っている。


↑かのこ栗、備中かのこ豆

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こぼれ萩

2017年09月28日 05時04分31秒 | 社寺・和菓子


本日の写真も昨日の常林寺の萩。
萩の花って雑草に近いですよね。
秋の七草として古くから日本人に愛されてきた。
小さくてかわいい花。
でもどこか逞しい。





花言葉は「思案」「内気」「柔らかな心」「柔らかな精神」なんだそうです。
「思案」「内気」は、ハギのひかえめでこまやかな美しさに加え、どことなく寂しげな風情にちなむともいわれます。





この萩の花、昔の日本人好みだったのでしょうね。
秋の七草すげてがそんな感じの花かも。
秋の七草・・・わかりますか?
・女郎花(オミナエシ)
・尾花(オバナ ※ススキ)
・桔梗(キキョウ)
・撫子(ナデシコ)
・藤袴(フジバカマ)
・葛(クズ)
・萩(ハギ)



この常林寺の萩、終わったらササッと刈り取られ、何も無くなります。
その様がなんとも凄いと思ったことがあります。
機会があれば、撮影にいきます。


↑本家玉寿軒「こぼれ萩」


↑こなし、白こしあん

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萩の寺

2017年09月27日 04時55分16秒 | 社寺・和菓子

↑常林寺

本日の写真は、梨木神社の後に行った常林寺。
ここも萩で有名なお寺。
狭い境内ですが、萩がとても元気なんです。
人が多い時は、多いと思いますが、私が行く時は大抵私一人。
だからといってジックリ撮影したわけではない。
適当に撮りました。





萩の花って私は撮影し難い花のように思います。
撮っていて自分の目の焦点を合わせる場所がわからなくなります。
藤の花もそうかも。



ネットの情報を転記します。
常林寺は、正式名は光明山摂取院常林寺と号する浄土宗の寺院です。
天正元年(1573)、念仏専修僧、魯道(ろどう)によって開創され、当初は、寺町荒神口(上京区)に建てられていた。創建時より、知恩院とゆかりが深く、本末制度が確立したときには、総本山知恩院の役番としての地位を占めていた。しかし、寛文11年(1671)には、寺町の大火により類焼し、堂宇を悉く焼失した。その後、現在の地に移転し、元禄11年(1698)、英誉(えいよ)によって本堂が再建された。また、幕末の頃当寺は、勝海舟が宿坊として利用していたといわれている。





こうやってお寺の歴史を見ると色々なことがあるものですね。
昔は、よく火事にあったようですね。木と紙でできている寺院の弱みです。
でも石でないのですぐに建て直される。

※明日に続く


↑本家玉寿軒「萩の庭」


↑きんとん(山芋入)、粒あん

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源氏物語執筆地

2017年09月26日 03時38分46秒 | 風景・和菓子

↑廬山寺

ここは、廬山寺(ろざんじ)もとは平安時代前期に創建された天台宗圓浄寺系の本山で、京都の北、船岡山の山麓にあったと伝えられます。しかし、たびたび兵火に遭い、1573年、豊臣秀吉の都市計画に従って、現在の場所に移りました。



この廬山寺の場所は、元々紫式部の邸宅跡だったそうです。ここで『源氏物語』を著し、子供を育てたのでしょう。府立病院も近いし・・・その頃はなかったか。
きっと静かな所だったのでしょうね。
この廬山寺、節分の時は来たことがあるけど、お庭の所は入ったことがないです。


↑廬山寺近くにあるお地蔵さん




↑なかじま(食堂)、小さく感じる。小さくなった?

このお店は「なかじま」。昔、来ていたことがあります。食べに入ろうかと思ったけど、量が多かったら困るのと、ネコを飼っておられたのか、オシッコの匂いが嫌でいかなくなった。今は違うかもしれません。学生食堂っぽい感じのお店で、安くて量が多かったと思います。


↑長久堂「月読みの道」


↑「月夜見・月読み」は月の異名または、月の神。『万葉集』の670、3245にでてきます。


↑みじん羹、栗入り道明寺

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墓参

2017年09月25日 05時28分45秒 | 
昨日、遅まきながらお墓参り。
花屋さんによりお花をいつものように作ってもらい墓地へ。
ポイントが溜まっていて、花代が無料になったのが妙に嬉しかった。
墓地へは、悲しいかな実家より我が家の方が遙かに近いのです。
歩いて15分程度ね。
墓参りへ徒歩15分、両実家にタクシーで15分。
四条河原町へタクシーで10分、京都駅も10分。
いいと思うでしょ。でも買い物難民だったり、観光客が多くて市バスに乗れなかったりする。いいような悪いような・・・。


↑大谷本廟、屋台みたいなのが出ていました。

上の写真は、大谷本廟だけど、我が家の墓地はここではない。
宗派に関係のない墓地。だから結構気楽なんです。
お寺との付き合いは、結構鬱陶しいですからね。
供養なんかおっさんの手を借りなくてもできますから。


↑昨日のランチは「インド・ベンガル料理 チャクラ」。これはヴェジタブル サモサ

お墓を掃除、お花と線香をセットして供養作業。
その後、撮影。この写真を実家のコンピュータに入れ、父親が墓参するという段取りです。
実家に墓参を中継するということも考えております。
そこかわり父親があの世に行った実況中継をしてもらいものですね。


↑シークカバブ、マトンの挽肉を鉄串に巻き付けタンドールで焼いたもの

こういう供養の問題、しっかり我が家流をまとめて置かないといけないかも。
お寺は、あまりあてにならないしね。
商売だから頼めばやるでしょうが、実際供養できていない場合も多いような気がしてきました。だからいろいろ研究中なんです。


↑アルーゴビー、ポテトとカリフラワーのカレー

さて、墓参の後でランチとなりました。
お墓から最寄りのレストランというと「インド・ベンガル料理 チャクラ」なんです。
久しぶりに京女と行きました。
北インド料理は、最近あまり食べないかな・・・重いのです。
2回の入院生活の断食状態の影響か、胃が小さくなったかも。
入院すると実際的にあまり食べなくなるのです。私は。
もちろん差し入れのフォションのクロワッサンやチーズ、お弁当、餃子や焼き鳥、果物なんかは美味しくいただいていました。


↑カシミリーピラウ、サフランライスにフルーツとナッツを加えてインド風(カシミール地方の)ライス

最近は、二人でこの程度の量しか食べられません。
この点がちょっと悲しい。
昔なら、これは一人分でした。


↑ロティ、全粒粉を使った固めのインドのパン。私はナンよりこれが好き。

実家の父親に、サモサとシークカバブをお土産にもっていきました。
もちろん、前の日に大阪で買った赤福餅も。


↑マサラチャイ

実家で父親にコンピュータで墓参をさせました。
これで気持ちが済んだことでしょう。
来月か再来月、お墓の年会費を払いに行くと思います。
その時は、また父親を連れていくでしょう。
普段のウィークディならタクシーで墓まで行けるしね。
お彼岸の時はタクシーで行けないのです。

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秋ですねぇ

2017年09月24日 06時45分40秒 | 社寺・和菓子

↑梨木神社。なんとなく資金に余裕ができたような雰囲気を漂わせていますね。



気温が秋らしくなりました。
まだセミ(ツクツクボウシ)は鳴いています。
セミには悪いけど「そろそろ止めた方が・・・」と言いたくなる。





朝、ちょっと涼しくなり布団の中にいると快感。
やっぱり秋冬がいい。
夏なら汗で目が覚めて、シャワーを終えるまで気持ち悪いですからね。
これで、薄手のダウンかフリースのジャケットが欲しくなったら最高。




↑「染井の水」は、ここで汲めます。結構、人が来られていますよ。マンションの影響はなかったようですね。

さて、今日はまた実家行きです。
こういうことをやっている間に、秋も深まっていくのでしょう。


↑亀屋良長「菊びより」


↑この上用かわいい形ですね。しかも中身が洋っぽいのです。これは、新しい和菓子の挑戦ですね。がんばれ、和菓子職人さん。


↑上用、りんご、さつまいもあん

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萩の花

2017年09月23日 04時10分30秒 | 社寺
今日は、秋のお彼岸の中日。 きっとお墓参りで混むだろうなぁ・・・。 秋分の日でもある。 小さい時、「春分(しゅんぶん)」と「秋分(しゅうぶん)」の区別が頭の中でついてなかった。 「春分の日」と「秋分の日」はなぜ休日なのか、わかりますか? 実は、皇室でこの日にする春季皇霊祭・秋季皇霊祭をするのです。 皇霊祭というのは歴代天皇の命日をまとめて特定の日に祀る神事。 その日が春分・秋分の日・・・昼と夜の長さが同じ特殊な日・・・に行われ、この日を国民にも休日として知らせるというのが、いまだに続いているのです。 このことは、意外と知られていない。 さて、先日の梨木神社です。 この間は、マンションの件だけ書いてしまった。 マンションが建ち、萩の花の頃に来たのは初めてかもしれません。 境内は、萩がたくさん咲いていました。 秋の花は地味だけど、風情がありますね。 境内は、金銭的に余裕ができたのでしょうね。 綺麗に整えてありました。 やっぱり金やね。 ここで、なんか神社としてピンとこないのは、祭神が人間だからかもしれません。 明治維新に貢献した三條實萬・三條實美父子なんです。 だから、神社としては、馴染みがないのかも。 まあ、神社って結構元人間が多いですからね。 代表的なのが、菅原道真の北野天満宮。左遷を恨み、京の都に災いをもたらした。それを解決するために、神社を作り「あなたも神に神社で拝ますから、あまり怖いことをせんといて」と祀った。 この神社、お水が有名で、今でもここのお水を汲みにくる人が絶えません。 水の名前は「染井の水」。 これは、京都三名水(醒ヶ井・県井・染井)のうち、現存するのはここだけです。 私が父親の立場なら、毎日、ここのお水を汲みに来るかも。 良い散歩になるだろう。
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そうだ 弘法市、行こう。

2017年09月22日 04時40分30秒 | 社寺

↑東寺の五重塔

昨日は、早朝からフルスピードで仕事。
電話の打合せもした。
気が付くと8時になっていた。



突然、JRのポスター風に「そうだ 弘法、行こう。」と思いたつ。
そうなると怒濤のように家を飛び出していった。
坂を駆け足で降り、バスに飛び乗り、東寺へ。
目的は、お餅を買うこと。
動機が小さい?!
かまへんかまへん、食べたいから仕方ない。
もちろん私だけではない。
いろいろな所に持って行かないといけないのです。



最近、黒砂糖の入ったお餅が無性に食べたいのです。
この黒砂糖を練り込んだ棒餅がありそうでない。
確実にあるのが弘法市なんです。
弘法大師空海さんが入滅したのが3月21日なんです。だから毎月21日が命日になる。それを記念し市が立つ。この手の市では、一番規模が大きいものだと思います。
日頃は静かな東寺の境内がこの日は人でいっぱいになるのです。


↑南門の所に出ているお餅屋さん


↑おばちゃんが元気に現役

目的のお餅を手に入れるには、少なくとも9時までに行かないといけません。売れてしまうのです。
昨日も私が大人買いしてしまいました。
買ってからお餅が重たいと気が付いた。



買って猛スピードで歩き、二件届けた。
そして10時には、家に帰っていた。
それから、父親の依頼であちらこちら電話とメールで問い合わせ。
メーカーに問い合わせた結果、京都市内の店にあるとのメーカーだったので、家を出て向かう。
そこで、担当にいろいろ話を聞き、発註。


↑弘法さんといえば「高野槙」


↑東寺金堂

次は、眼鏡屋さん。
眼鏡が出来ているとのこと。
一番大切な仕事用の眼鏡です。
なんか眼鏡ばかり作っています。
眼鏡のフレームを微調整してもらい完了したらもう夕方だった。
百貨店で京女と待ち合わせ、買い物をしてタクシーで帰還。



歩いた歩数が約一万歩。
私としては昨日に引き続きよく歩いたことになります。
しかもほとんど駆け足状態。
ちょっと涼しくなって来たから快調。


↑弘法大師像

今日は、父親を鍼灸治療へ連れていかないと行けない。
当然、その前に会食。
何を食べたいといいだすだろう?
ここ3日間、ランチを食べる時間がなかったから抜きだった。
今日は食べられるかなぁ・・・。


和菓子

和菓子

  • 作者: 中村 肇
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2013/01/26
  • メディア: 単行本


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神社にマンションねぇ

2017年09月21日 04時15分06秒 | 風景・和菓子

↑京都御苑の空はすごく広い。

昨日は、歯を磨きに行く。
3〜4ヶ月に一度、歯科医院に行きます。
歯石や歯垢の手入れなんです。
特にこの夏は、疲労が蓄積したかも。
ドクターに聞くと、歯のトラブルになって来られる人が多いそうです。
私はそこまでではないけど、注意しないとね。


↑梨木神社へ向かう。東側の細い道を北へ歩く。自転車が怖いですね。なんとかならないのかな・・・。

折角京都御苑の近くに行ったのだから、京都御苑に行ってみる。
行っても花が咲いている訳でなし、極めて地味。
でも写真のように広い。
これぐらい広い空が見られるのは、ここだけでしょうね。
電線もないしね。


↑これが梨木神社の南側の鳥居。マンションがあるのでビックリします。


↑鳥居をくぐるとマンション沿いに細い道がある。

花・・・そうだ、萩の花のシーズンだと気付いた。
結局、京都御苑の中を東に歩いた。
この辺りで萩といえば梨木神社なんです。
でもマンション建築という騒ぎがありました。


↑マンション沿いに北へ進む

神社の話によると本殿やその他の施設が老朽化して、修復したいのだけど、予算がない。ああいう予算は、神社本庁から援助があるそうです。
でも順番があり、なかなか順番が回ってこない。
独自にやるにも氏子が減って、出してくれる人も少ない。
そこで神社の敷地にマンションを建築して、その借地?でとなったらしい。
詳しくは、わかりません。


↑これが神社への道らしい。右に見えるのがマンションの入り口?



それで神社本庁ともめたらしい。
結局、神社本庁から脱退してと思います。
神社本庁って聞き慣れないでしょ。
国の機関かなと思っていたら、そうでなく、宗教法人なんです。
そこが神社・神職の指導、祭祀・地域活動の振興を図る活動などを行っており、また、神社の活動の広報窓口となっている。
つまり、ほとんどの神社が所属している。

たくさんの人間が集まる弊害が出てくる。官僚的になり、本来の活動をしていないかも。
だから、いろいろな問題で末端の神社ともめます。
だから、脱退する神社が出てくる。
新熊野神社も確か脱退したと思います。神道の考え方の問題だったように思います。
でも新熊野神社は氏子組織がしっかりしているので、うまく運営されているように思いますね。


↑長久堂「背戸の秋」

この梨木神社の場合は、お金の問題。
下鴨神社もお金の問題でマンションの話が出て来ていますね。
神社の運営って結構大変なんでしょう。
お寺と違ってあまり拝観料もとれない神社も多い。しかも高齢化で氏子組織も弱くなっている。だいたい神社って何をしているのか、もうひとつわからない。


↑「背戸」?童謡の「里の秋」という歌に「お背戸に木の実の落ちる夜は」というのがある。木の実(どんぐりや椎の実)が落ちると跳ねてコンと引戸に当たる音。昔の夜は静かだったのでしょうね。その音で秋を感じたのかも。店員さんに「このデザインは何に見えますか?」と質問された。思わず「軍艦巻」と言ってしまった。すんませんねぇ・・・。

伏見稲荷大社は、いま観光客が行くナンバーワンらしい。
あそこは、拝観料は取ってない。だから外国人がよく来るのだと思う。
信仰なんて全然関係ない外国人ばかりが来る。
神さんの立場からしたら、嫌だろうな。


↑小倉羹、かぼちゃあん

宗教の劣化が激しいように思います。
いまほど宗教が必要な時代はないのにね。
日本の場合、他の国のように宗教が元で紛争が起こったりしないだけましかも。
日本でも政治や経済の裏側で宗教が絡んでいる場合が多いですよ。
ほとんど表沙汰にならないだけです。
他の国もそうかもしれません。
これからどうなっていくのでしょう?
日本は、根強い拝金教がはびこってきていますね。
でもお金をたくさん持っていても、彼岸に持っていけないのも事実なんですけどね。

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卒塔婆

2017年09月20日 05時55分42秒 | 風景
お彼岸ですね。
お墓参りにはいい季節になってきました。
私は、最近こう思う。
お彼岸に墓参りするなら、先月お盆に墓参りする必要はないのではないかと思う。
それと家に仏壇がない家は、先祖や故人はどうするのかな?
墓地がなく、仏壇もない場合はどうするのか?
まあ、我が家の場合は、実家に仏壇、そして墓地があるから一応問題ないけど。
次世代にどうなるのか?
おそらく、悩む人がいるでしょうね。
お寺と親しくない場合はどうするのか?
私の場合は、考えがまとまりつつあるのでなんとかなります。
いずれこの問題は、考えを書いた方がいいかもしれませんね。
そうか本を書くか。
「悟り」の研究についての本を書いたことがあるのです。それに比べたら比較的簡単な問題できるからね。



さて、お彼岸ということもあり、わからなかったことを書いておきます。
表題「卒塔婆」ってなんなのよ?
いまさら聞けません。それで調べてみました。
「卒塔婆」という漢字を見てなぜか「蘇東坡」を混同する。なんでやろ?
食べたいなぁ・・・東坡肉。なんでそんなモノが頭に浮かぶのかぁ。


↑お彼岸と言えば、彼岸花やね。小さい時、この花が怖かった。そんなかわいい頃もあったのです。

卒塔婆は、納骨とかお盆とか何回忌の時に立てます。
自分では、手配したことがないので仕組みがよくわからない。
でも法事に行って、卒塔婆を運んだり、立てたりさせられる。
法事の時、いつも参加するので、各家、各宗派のやり方に妙にくわしいのです。
いまでは、おっさんのモノマネまでできる。
おっさんの替わりに法話なんてのもできる。まあ、したことはありませんけど。やったら絶対受けると思うけどなぁ・・・。お布施をくれたら大サービスで1時間ぐらい大爆笑なんやけど・・・。
法事にそういうのは普通求めないか。


↑なぜか、同じ蝶がついてきた。

話が脱線しそう・・・。
元に戻します。
卒塔婆をなぜ立てるのか?
目的は、故人の追善供養(ついぜんくよう)のためなんです。
「生きている人たちが、卒塔婆を立てることで善行になり、それが故人の善行になる」というような目的です。



なんで?
卒塔婆の起源は、サンスクリット語のストゥーパにあります。
これは釈迦の遺骨を納めた塔のことで、これを元に作られたのが五輪塔、それを元に作られたのが卒塔婆です。
卒塔婆って木の横がギザギザになっているでしょ。あれが五輪を表現しているのです。
五輪というてもオリンピックと違いまっせ。地・水・火・風・空で人間の五体を現します。みたらし団子と同じやね。
これを立てることは、塔を建てるのと同じような意味になり、善行と見なされるのです。
だから、木の表面に梵字で佛の名前を書いたりします。
最近は、字が書けないおっさんもいるようで、PCでプリントできるシステムもあるようです。なんかありがたくないなぁ・・。



さて、卒塔婆を用意するにはどうしたらいいのかな?
ホームセンターで木を買って、手作りするのが故人のためにはいいようです。でもおっさんや霊園管理の人に怒られそう。
菩提寺や霊園に依頼する場合は、事前に予約して置かないといけません。
費用は3,000円〜10,000円ほどになります。
渡す際には封筒に入れ、表書きは「御布施」や「卒塔婆代」などとします。
「領収書をください」と言ったらあかんような雰囲気があります。でも兄弟で割り勘する場合、やっぱりもらわないとね。

なんとなくおわかりいただけましたか?

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三本足のカラス

2017年09月19日 05時10分00秒 | 社寺
台風一過、昨日は爽やかな天気だった。
噂では、そうやら敬老の日ということになっている。
京都市内の町内会は、高齢者に記念品を配ってくれる。
実家の町内は、2000円の百貨店の商品券をもらっていた。昔は、紅白上用饅頭がも配られていた。でも昨今カビが生えていた事件があり、廃止になったそうです。
だから、父親は、私達夫婦が行くと何かを期待しているのでしょう。(笑)
昨日は、直観的忖度ですべてクリアしました。



京都市内の小学校の学区に1〜2件のお餅屋さんか和菓子屋さんがあった。
何かにつけて紅白上用饅頭が配られた。小学校や中学校の入学式や卒業式などの祝い事には、紅白上用饅頭がつきものだった。
結婚式でも紅白上用饅頭、お嫁さんが挨拶回りに持参する大きな紅白の上用饅頭で、中に小さな上用饅頭が入っているものも普通に配られていた。葬式では黄白上用饅頭というのもある。
最近、そういう風習はなくなってきている。小さなお餅屋さんや和菓子屋さんも後継者がいなくて廃業という状態が多くなった。



お嫁さんの挨拶回りの「お嫁さんのおまん(他府県ではとんでもない意味になる場合もあるかも)」を子供は食べさされる。あれが嫌いだったなぁ・・・。
そうそう私が幼稚園前、よく母の実家にあずけられた。妹ができたからなんです。
母の実家は、全員甘党の家で羊羹が一人一本食べる家だった。お祖父さんがつくるおはぎも巨大だった。あれだけは、恐怖だった。きっと頑として食べなかっただろう。


↑新熊野神社本殿

西陣の祖父母の家は、元々和菓子屋だったのです。だから全員甘党。
おじいさんは、御飯にお砂糖をかけて食べていたそうです。
あの家の匂いは、餡を炊く匂いがしていた。
お善哉なんかも当たり前にありました。
でも糖尿病の人は居なかった。母方は、高血圧と心臓病の系列なんです。私もその系統なんです。父方は、祖父母が糖尿病だった。だから父親も糖尿病。でも2型だから普通に生活習慣病なんだろうな。

例によって話が表題からドンドン違う方向に逸れてしまった。
本来のタイトルの話をしないとね。


↑本殿の屋根にある八咫烏

本日の写真は、今熊野神社(いまくまのじんじゃ)の写真です。
ここは、「京都三熊野」の一つなんです。
後の二つは、熊野神社と熊野若王子神社です。



後白河天皇は1155年に即位し、1158年に退位したが、退位後も現在三十三間堂の東側にある法住寺にて院政を敷き、その場所は「法住寺殿」と呼ばれる。その鎮守社として新熊野神社が、鎮守寺として三十三間堂が創建される。造営に当たったのは、法皇の命を受けた平清盛・重盛父子なんです。
この時代、熊野詣が流行していた。遠いですよね。だから京都につくろうとなったのです。



熊野本宮大社といえば、三本足のカラスがお使いとなっている。
三本足のカラスを八咫烏(やたがらす、やたのからす)といいます。
八咫烏は、日本神話において、神武天皇を大和の橿原まで案内したとされており、導きの神として信仰されている。また、太陽の化身ともされる。
足が一本多いだけで太陽の化身ですよ!



熊野三山においてカラスはミサキ神(死霊が鎮められたもの。神使)とされており、八咫烏は熊野大神(素盞鳴尊)に仕える存在として信仰されており、熊野のシンボルともされる。近世以前によく起請文として使われていた熊野の牛玉宝印(ごおうほういん)にはカラスが描かれている。
この八咫烏は、日本サッカー協会のシンボルマークになっていますね。

面白いですね。
もしゴミの日に三本足のカラスが来たら、お供えをしないといけません。
だからよくカラスを見た方がいいかもね。

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中村 肇
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↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

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2017年09月18日 05時58分13秒 | 社寺

↑ここは、こういう風に瓦が地面に埋め込まれている。この状態が気になったのか、結構長時間眺めていたように思う。

昨日の日中、雨が降らず風がちょっと強い程度でした。
夜になり、台風らしい風が吹いいた。
私は、台風が近づくと妙に元気になります。
エネルギーをもらうのかな?



窓を開けていると風が部屋を通ります。
ただ全開すると机の上の作業中の紙がエライことになるからできないのが残念。
風の音や風圧を身体に感じる細胞が活性化してくる観じがします。
外に出て・・・なんて思いますが、昨日は籠城でデスクワークと決めているので作業に没頭しておりました。
例によってあっという間に一日が終わった。


↑普賢堂




↑この窓に映った景色を長い時間眺めていた。

本日の写真は、妙法院の風景です。
ここは、観光客も少なく、考え事をしながらに最適。
歩きながらカメラで撮影しております。
後で写真を見ると面白い。
意図しない意図のようなモノを観じます。


↑小さな祠


↑白龍辨財天、柵があったので近づけなかった。でも暫く前に立っていた。

こんなところが近所にあるのは、とても幸せですね。
きっと縁が深いのでしょう。



こういうのも気になった。長い間、見ていた。
きっと顕在意識でなく、無意識で眺めていたのかも。

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本日籠城

2017年09月17日 04時50分37秒 | 風景・和菓子

↑本日の写真は、妙法院の風景

今日は、京都市内でも少しは台風18号の影響があるようです。
それにしても最近の台風は変ですね。
海水温が高いからなんだそうです。
だったら大きな氷を入れたらいいように思うけど、そんな大きな氷はない。
北極ぐらいから氷山を引いて来るなんてのはどうやろ。





台風のエネルギーってすごいのだそうです。
核兵器や地震のエネルギーよりずっと大きいのだそうです。
ただ、広範囲に分散しているから、エネルギー量が高くても核兵器や地震に比べ被害が大きくないらしい。



この台風18号が通り過ぎたら秋の空気に入れ変わるのかなぁ・・・。
もうお彼岸も近いのですから、そろそろ秋らしくなってもいいと思う。
京女によると次女が京都市内に帰ってくるらしい。
結婚式に参列するらしい。
こんな日の結婚式は困りますね。
参列者が台風の影響で集まらなかったりするだろう。
昔と違って交通機関がすぐに止まりますからね。



そうそうこの近くの三嶋神社も昨日と今日お祭らしい。
そういうのも困るでしょう。
連休だから京都に旅行に来る人もいるだろう。
ホテルとか予約してあったらキャンセルする訳にもいかないしね。
今日は、混乱の一日になるでしょう。


↑塩芳軒「秋いろ」


↑かぼちゃあん、白こしあん

私は、昨日実家に行き「明日は、お休み」と言ってあるのでいきません。
昨日、実家の帰りに百貨店で二日間の食料品を買い込んだ。
だから本日は、籠城なんです。
デスクワークもやらないといけないしね。

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ろうろうケーキ

2017年09月16日 05時34分36秒 | 甘味・喫茶・その他


昨日の続き。
グリル小宝で食べて後、後口が悪いのでなんとかしたくなる。
で、久々に「ラ ヴァチュール」に行くと決定。
行くと決定したのは、京男が勝手に考え、決定したこと。
父に相談したってチャンとした回答は帰ってこない。
もうすこし歩いてくれたら京都国立近代美術館の喫茶に行くといいのに・・・でも、そうまで歩けないだろう。
もう1軒六盛がやっている「スフレ・カフェコーナー茶庭 」でスフレというのもあったな。父にスフレは似合わない。いつのまにか六盛が老舗になっているのも面白い。



父と丸太町通を西に歩く。
ほどなく「ラ ヴァチュール」に到着。
空いていた。



さて注文。
父は、オペラを食べたいとのこと。
糖尿病の人は、チョコレートが好きなんだ。
その癖、食べて「甘い!」と言った。
なら注文しなければいいのに・・・。


↑オペラ

仕方なく私の注文したタルトタタンを食べさせる。
このタルトタタンは、冷凍してあったのか、あまり美味しくなかった。
旬の紅玉の作りたてが食べたいものです。
私としては、ザッハトルテの美味しいのと珈琲が飲みたかった。
最近、美味しいザッハトルテを出す店は少ない。
見栄えがいいだけの美味しくないケーキが巷に氾濫して寂しい限りです。
お店も商売だから客が喜ぶモノを出さないといけないだろうしね。


↑オペラとティーソーダ

飲み物は、ティーソーダを選択。
本当は、温かい紅茶がよかったのですが、父が未経験という理由でティーソーダを注文。しまったと思ったのですが、甘味が付いていた。これは失敗。


↑タルトタタンとティーソーダ

父と二人で、このような店でケーキを食べるなんて、人生の想定外のことでした。
それもひとつの思い出になるのかも。
表題の「ろうろう」は、「朗朗」という意味。
でも、「老老」「老労」という雰囲気だったかも。
なにはともあれ、外食デーは無事終了しました。

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