例えば、多くの教師は「国語科の『モチモチの木』で、子どもは、どんな学力が身に付いたか」と聞かれると、答えに迷うをのではないだろうか。私の場合は、
① 新出漢字、読みかえ漢字
② 辞典上の言葉の意味
③ 豆太やじっさまの気持ち
④ 「モチモチの木」の情景や様子
⑤ 物語のおもしろさ
⑥ 音読や朗読
およそ上記の①~⑥であろう。①~⑥の中で、①②はどんな教師も具体的に教えるであろう。③④⑤⑥は読めば誰でもほぼ理解できるものであろう。
ところで、新しい学習指導要領 国語 第1 目標では、次のように示されている。
「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し、伝え合う力を高めるとともに、思考力や想像力及び言語感覚を養い、国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる。」とある。
ここでは、「適切」「正確」「伝え合う力」「思考力」「想像力」「言語感覚」などが指導のキーワードとなる。だから、私が従来してきた授業のように「漢字を覚えるとか、物語を楽しく読む」というような甘い指導では済まされないと考える。だから国語の授業を見直し改善する必要がある。ひょとしたら多くの教師もそうではないだろうか。
ところで追求型の国語の授業「例 光明小の国語の指導」を考えてみると、新しい学習指導要領にとても合致しているように思われる。
「適切」「正確」「想像力」は当然であるが、特に指導に困難と思われる「伝え合う力」「思考力」「言語感覚」の育成である。そればかりでない、今の子どもたちに不足していると言われている「学習意欲」も同時に喚起させることが可能だからである。
従来の国語指導をどうしても変えていかなければならない実状である。そうであるとすれば追求型の国語の授業にぜひ取り組んでいくことを望む。
担任は昨日出張がありましたが、それが終わって帰宅してから、夜7時に来て、指導案を私たちに見せたり、板書を練習したりして夜遅くまで準備しました。
しかし、思ったように子どもたちは思考しませんでした。
その原因は、教師の教材解釈の深さにあると思います。①②はそれほど教材解釈が深くなくてもなんとかなります。しかし、教材解釈が浅いと、③~⑥は太刀打ちできません。
子どもたちが浅いありきたりの読み取り、まちがったとらえ方をしていても見抜けないし、見抜いたとしてもそれを、「おや、変だぞ!」と本気にさせる材料がないのです。
子どもの思考力の前に、まず教師の思考力の深さが大事だと感じました。