ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

風習(特売品)

2018年02月04日 22時59分44秒 | Weblog
休日の夜中に酒と肴を買いにスーパーに行くと、恵方巻が並んでいた。
それらは皆特売の札付きで、そういえば節分だったのかと思う傍ら、
特売(半額)にしても高く、一体どこの層にどれほどの需要があるのか
訝しく感じる。

元々住んでいた地域で節分に恵方巻を食べる習慣が無く、関西に来てからも
少し経ってから恵方巻がどうのと言われるようになった感もあり、
雛祭の時にちらし寿司を食べるくらいの感覚で、巻き寿司を食べる日という
認識であった。 しかしその店頭の恵方巻は何やら妙に豪勢で外側に
サーモンを巻きつけたものや、普通の寿司ダネを丸々巻き込んだものや、
大の大人の拳大くらいの径があり、とても一口ではいけないようなもの等、
シュトーレンかブッシュ・ド・ノエルあたりと間違えているのではないかと
不安を掻き立てられるような内容で、個人的には売れ残りもやむなしと
思えてしまうものであった。
仮に腹が空いていたとしても、コストパフォーマンスに優れた助六を選んで
いたであろう。というか、助六の巻き寿司を切らないだけで充分である。

そもそも、鬼も豆まきも節分のイメージから除外されつつある昨今、もはや
それが何の行事かも分からなくなっている感が否めない。
旧居があった地域よりも、古い家並みの残るこの地域にあってなお、まかれた
豆を踏みしだくあの感触は全く味わわずじまいであった。
商業的なアレコレに結び付けたいのだという気持ちは分かるが、なればこそ
消費者の要望は敏感に察知しておかねばなるまい。

テレビとかで"今○○がブーム!"とか"この日には○○をする習慣があるから
みんなやろうぜ"という類の試みは、ただ流すだけではダメで、消費者の要望に
ある程度沿ったものである必要があるし、流した後のケアもマメに行わないと
すぐに枯れ落ちてしまう。少し前にあったような気がしたプレミアムフライデー
と大して変わらない。
ただ、節分は由緒ある行事である点が違うが、現代人にとって実利を伴わない
習慣や慣習などもはや無きに等しい。一人暮らしてあればなおさらである。
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天の動きに道を問う

2018年02月01日 23時02分27秒 | Weblog
先日帰宅の道すがら、月を見たら何やら変だったので調べてみたら
月食だった。しかも皆既月食。
何でも見たら幸運に恵まれるとか、少々取ってつけたようなご利益が
あるというが、ともかくこれは思わぬ幸運ということで、しばらく空を
眺めることにする。しかし自宅のある一帯ではあいにくの曇り空で、
月が欠けていくさまがぼんやりと見える程度でしかなく、最終的には
ただ見えないだけの月夜という少々残念な結果に終わった。

しかし思うのは、この手の見れば幸運がもたらされるという類の天体現象
について、雲に隔てられたくらいで効力が削がれる程度であるのならば、
それはたかが知れているのではなかろうかということである。
実際にスッキリ晴れた状態で見ることが叶ったならば、それは非常に
嬉しいことではあるが、見たからというよりは見えたからどうというのは
何か少しモヤモヤした感覚が残る。

仮に見えてなくてもその現象はしっかりと起こっている以上、見ようとした
以上、その効力にさほどの差は無いと思うが、負け惜しみと言うか、取れない
ブドウは酸っぱいと吹いているのとさして変わらないので、次の幸運に
恵まれることを祈ることとする。

そして直後購入した、神羅万象で笑ってしまうほどの引きの悪さを発揮する
(系15個買ってキラ1枚)。
月(ツキ)が消えるとか欠けるとか、隠れるとか、もしかしてマイナスの
幸運補正だったというのか。
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