休日の夜中に酒と肴を買いにスーパーに行くと、恵方巻が並んでいた。
それらは皆特売の札付きで、そういえば節分だったのかと思う傍ら、
特売(半額)にしても高く、一体どこの層にどれほどの需要があるのか
訝しく感じる。
元々住んでいた地域で節分に恵方巻を食べる習慣が無く、関西に来てからも
少し経ってから恵方巻がどうのと言われるようになった感もあり、
雛祭の時にちらし寿司を食べるくらいの感覚で、巻き寿司を食べる日という
認識であった。 しかしその店頭の恵方巻は何やら妙に豪勢で外側に
サーモンを巻きつけたものや、普通の寿司ダネを丸々巻き込んだものや、
大の大人の拳大くらいの径があり、とても一口ではいけないようなもの等、
シュトーレンかブッシュ・ド・ノエルあたりと間違えているのではないかと
不安を掻き立てられるような内容で、個人的には売れ残りもやむなしと
思えてしまうものであった。
仮に腹が空いていたとしても、コストパフォーマンスに優れた助六を選んで
いたであろう。というか、助六の巻き寿司を切らないだけで充分である。
そもそも、鬼も豆まきも節分のイメージから除外されつつある昨今、もはや
それが何の行事かも分からなくなっている感が否めない。
旧居があった地域よりも、古い家並みの残るこの地域にあってなお、まかれた
豆を踏みしだくあの感触は全く味わわずじまいであった。
商業的なアレコレに結び付けたいのだという気持ちは分かるが、なればこそ
消費者の要望は敏感に察知しておかねばなるまい。
テレビとかで"今○○がブーム!"とか"この日には○○をする習慣があるから
みんなやろうぜ"という類の試みは、ただ流すだけではダメで、消費者の要望に
ある程度沿ったものである必要があるし、流した後のケアもマメに行わないと
すぐに枯れ落ちてしまう。少し前にあったような気がしたプレミアムフライデー
と大して変わらない。
ただ、節分は由緒ある行事である点が違うが、現代人にとって実利を伴わない
習慣や慣習などもはや無きに等しい。一人暮らしてあればなおさらである。
それらは皆特売の札付きで、そういえば節分だったのかと思う傍ら、
特売(半額)にしても高く、一体どこの層にどれほどの需要があるのか
訝しく感じる。
元々住んでいた地域で節分に恵方巻を食べる習慣が無く、関西に来てからも
少し経ってから恵方巻がどうのと言われるようになった感もあり、
雛祭の時にちらし寿司を食べるくらいの感覚で、巻き寿司を食べる日という
認識であった。 しかしその店頭の恵方巻は何やら妙に豪勢で外側に
サーモンを巻きつけたものや、普通の寿司ダネを丸々巻き込んだものや、
大の大人の拳大くらいの径があり、とても一口ではいけないようなもの等、
シュトーレンかブッシュ・ド・ノエルあたりと間違えているのではないかと
不安を掻き立てられるような内容で、個人的には売れ残りもやむなしと
思えてしまうものであった。
仮に腹が空いていたとしても、コストパフォーマンスに優れた助六を選んで
いたであろう。というか、助六の巻き寿司を切らないだけで充分である。
そもそも、鬼も豆まきも節分のイメージから除外されつつある昨今、もはや
それが何の行事かも分からなくなっている感が否めない。
旧居があった地域よりも、古い家並みの残るこの地域にあってなお、まかれた
豆を踏みしだくあの感触は全く味わわずじまいであった。
商業的なアレコレに結び付けたいのだという気持ちは分かるが、なればこそ
消費者の要望は敏感に察知しておかねばなるまい。
テレビとかで"今○○がブーム!"とか"この日には○○をする習慣があるから
みんなやろうぜ"という類の試みは、ただ流すだけではダメで、消費者の要望に
ある程度沿ったものである必要があるし、流した後のケアもマメに行わないと
すぐに枯れ落ちてしまう。少し前にあったような気がしたプレミアムフライデー
と大して変わらない。
ただ、節分は由緒ある行事である点が違うが、現代人にとって実利を伴わない
習慣や慣習などもはや無きに等しい。一人暮らしてあればなおさらである。