町村合併で長岡市が広くなってしまい、この屋敷の住所もそう表示されるが旧長岡市街からは信濃川を渡り17号国道を挟んだ小千谷の町のさらに西側にある。
母屋は18世紀前半の建築で、周囲には堀がめぐらされている。下越でも特に古い姿を残す屋敷は、昔の規模の堀で囲まれている。
見事な杉の木の脇にある表門。
その先に大庄屋格の長谷川邸が構えている。
18世紀前半の建築の母屋は基本的に農家の延長であり、内部の採光はほとんど存在しない。台所回りなど、全く薄暗いままの世界である。かろうじて18世紀後半の建築の新座敷(主に来客用に使われた)の廊下に、日の光りの気配を感じることができた。しかし、谷崎潤一郎の愛した暗闇の世界とは程遠い。
勿論、母屋にも上段の間など存在するのだが、天候のせいもあるのか、庭との距離が離れてしまっているように感じられた。
豪雪地帯の屋敷なので、軒の出は深く桁は見事な一本で通してある。その面白さはあるのだが、この庭はもうちょっと手を入れれば素晴らしい姿になるような気がして、そこが残念である。
18世紀後半の新座敷にも、小規模な庭がある。その昔は相当に洗練された庭であったのかもしれない。少なくとも、茅葺屋根のいくつかのカーブが出会う様だけでも絵になるように思う。
この屋敷のある辺りは中越大地震の震源地に近く、その際にはこの屋敷もそれなりの被害を受けたのではと思う。しかし、それも乗り越え、向って右奥の母屋も瓦葺から茅葺に戻して公開する余裕に、拍手を送りたい気分である。
母屋は18世紀前半の建築で、周囲には堀がめぐらされている。下越でも特に古い姿を残す屋敷は、昔の規模の堀で囲まれている。
見事な杉の木の脇にある表門。
その先に大庄屋格の長谷川邸が構えている。
18世紀前半の建築の母屋は基本的に農家の延長であり、内部の採光はほとんど存在しない。台所回りなど、全く薄暗いままの世界である。かろうじて18世紀後半の建築の新座敷(主に来客用に使われた)の廊下に、日の光りの気配を感じることができた。しかし、谷崎潤一郎の愛した暗闇の世界とは程遠い。
勿論、母屋にも上段の間など存在するのだが、天候のせいもあるのか、庭との距離が離れてしまっているように感じられた。
豪雪地帯の屋敷なので、軒の出は深く桁は見事な一本で通してある。その面白さはあるのだが、この庭はもうちょっと手を入れれば素晴らしい姿になるような気がして、そこが残念である。
18世紀後半の新座敷にも、小規模な庭がある。その昔は相当に洗練された庭であったのかもしれない。少なくとも、茅葺屋根のいくつかのカーブが出会う様だけでも絵になるように思う。
この屋敷のある辺りは中越大地震の震源地に近く、その際にはこの屋敷もそれなりの被害を受けたのではと思う。しかし、それも乗り越え、向って右奥の母屋も瓦葺から茅葺に戻して公開する余裕に、拍手を送りたい気分である。