蕎麦喰らいの日記

蕎麦の食べ歩き、してます。ついでに、日本庭園なども見ます。風流なのが大好きです。

市島家  新発田市

2009-07-02 23:00:04 | 古民家、庭園
市島家は16世紀終わりごろに新発田に居を構えてから、連綿と豪農として新田開発等に努め、頂点を迎えた明治期前半には全国の納税額で2位となる。




敷地は8,000坪、建坪は600坪に及ぶ明治期前半に建てられた大邸宅である。
明治前半が市島家の頂点となったのは、私の推測だが
・明治に入って新田開発が大っぴらにできるようになった
・信越線の開業前で、日本海側と関東地域の物流にも江戸時代と大して変わらない水運に頼らざるを得ず、この地域の影響力が相対的に高かった
というような理由があるのではないだろうか。


賓客しか利用することを許されなかった欅造の正面玄関。今日の見学客も、当然ここから上がることは許されない。


正面玄関を上がり、池の上に設けられた長い長い渡り廊下の突き当りには、奥座敷とでも言うべき湖月閣(明治30年竣工)が存在したのだが、


惜しくも平成7年4月の地震で倒壊してしまった。




湖月閣座敷の靴脱ぎ石辺りから見た庭園。ちょっと大雑把な感じで、あまり趣味性というかこだわりのようなものが感じられないのは何故なのか。


湖月閣から庭道を歩いて行くと、先ほどの渡り廊下に並行した露地に戻ってきた。


路地は水月庵と呼ばれる池水の上に建造された茶室に至る。


軒を支える桁は流石の一本。斜めに傾ぐ松は、昔はさぞやのものだったのではないだろうか。縁側の下方向に池水が見える。


水屋から坪庭のような庭越しに、当時としては珍しい洋間の書斎が見える。