蕎麦喰らいの日記

蕎麦の食べ歩き、してます。ついでに、日本庭園なども見ます。風流なのが大好きです。

滋賀県五個荘町  外村 繁邸

2007-04-11 22:11:35 | 古民家、庭園
近江八幡の旧市街でゆっくりと昼食をとったので、もう午後2時半を過ぎている。小雨もパラついている。しかし、せっかくここまで来たのだから、五個荘町にある近江商人屋敷を見ずに帰るわけには行かない。とはいえ、そのためには相当な障害物が控えている。
・近江八幡旧市街から、駅まで出る(バス)
・東海道線(琵琶湖線)で2駅(普通電車)
・能登川駅からバスで約10分
しかも、時刻表も何も把握していない。
結果として、それぞれの待ち合わせ時間が10分以内になり、かなり運が良かったようだ。それでも、2時半から閉館の4時半までは、たったの2時間。見たい屋敷は3つ。随分駆け足になると同時に、よさそうな所を写真に撮ったら、どんどん次を目指していく、といういささか落ち着かない態度での訪問になってしまった。


最初に訪問したのは「外村 繁邸」。こちらは、外村家の分家にあたり、明治40年に本家の婿養子の吉太郎が独立したのが始まりだという。


座敷や庭は、かなり凝った造りだが、やはり近代の作と感じさせるものがある。


床の間には、雛人形が飾られていた。


分家としての初代吉太郎の三男として、外村 繁が生まれた。外村 繁は第三高等学校、東大経済学部と、商人としてのエリートコースを進み、家業も継いだが(三男だが長男は本家の養子となり、次男は病没)、昭和8年弟に家業を託し、私小説作家として名を成した。私小説作家としては、もちろんフィクションも織り交ぜてあるのだろうが、恐らくは自己の体験をなるべく忠実に書き記した作品が多いだろうと思われる。そのなかから「澪標」の一説を引用しよう。
「私が生れたところは滋賀県の五個荘である。当時は南、北五個荘村に分かれていたが、今は旭村と共に合併して、五個荘町となってゐる。

 周囲はどこでも見られる平凡な農村の風景であるが、いはゆる近江商人の主な出身地で、村の中には白壁の堀を廻した大きな邸宅も少なくない。木立の間から、白壁の、格別美しい土蔵も見られる。こちらの家の主人は、殆どが大都会に出て、商業に従事してゐ、妻が子供達と共に留守を守ってゐる。」
外村の自叙伝的作品は、その後の東京での生活など露悪的部分にも及ぶのだが、こののどかな一節は五個荘町の描写として、当を得ている。




閉じた無限を象徴するかのような庭。外村 繁は、この窓からの風景をどんな思いでみていたのであろうか。