『子どもはどこで生きる力をたくわえるのだろう』(佐伯 洋 著)に大阪高生研・西村康悦氏より書評を寄せていただきました。
人はときに立ち止まったり、立ちすくんだりします。生きてゆく途中で途方に暮れてたたずむこともあります。
そんな時に「出会い」に恵まれる。「語らい」に身を浸す。「聞いてくれる人がいる」という場に支えられて、自分らしい自分に「気づき」が生まれ、また歩み始める―。
―これまで抱えていた価値観や人生観をすこしずらせて、より自由に生きる人もあります。「時間」という人生のパートナーのおかげで、すこしずつ、しかし確かに、人は変化してゆくものです。
佐伯さんが新しい本を出しました。その本の「はじめに」の書き出しが、あまりにも素敵だったので、冒頭で引用させてもらいました。でも、この本は書き出しだけではなく、全編、佐伯さんの子どもを見守るあたたかいまなざしで書かれています。同じ、ひとを育てる職業にあって、このような視点が持てるのは羨ましい限りですし、ぜひとも私も同じ視点を持ちたいと思っています。
佐伯さんの子どもを見守るまなざしは、どのようにして生まれたのでしょうか?佐伯さんは著書の中で、さまざまな年齢層の子どもについて、実践を通して語られています。これは佐伯さんが、小学校の先生を経て高校教師になり、また、並行して大阪教育文化センター親と子の教育相談の相談員を長年されてきた経験に基づいています。さらに、教育科学研究会や生活綴り方なにわ作文の会をはじめ、さまざまなサークルでの活動がその基底にあると思われます。
そんな、さまざまな顔を持つ佐伯さんですが、子どもを見守るまなざしには揺るぎがありません。「生活綴方の精神と仕事は、不登校・登校拒否問題とかかわる相談活動となんと共通していることか…」と本文にも書かれていますが、子ども観やかかわり方の質はほんとうに終始一貫しています。そこが佐伯さんのすごいところです。
佐伯さんとは、あるサークルで上演された劇の脚本を共同執筆させていただいたご縁で、その後、定期的に集まって会議・相談しながら新しい脚本を書いています。会議のあと飲みにいくと、よく故郷の岡山県牛窓の話をされますが、本の中にも小学校の担任・鹿岡先生のエピソードを紹介されています。私はこの本の中で、このくだりが一番ジーンときました。佐伯さんが教師になった原点をみたような気がしました。そして、鹿岡先生が持っていた正義と愛を受け継がれたのだと思いました。
とにかく、この本は多くの人に、とくに若い先生に読んでほしい本です。
(かわち野高校 西村 康悦)