夏休み信州2日目。オーナー夫妻に見送られペンションを出発する。今朝も天気はすっきりせず残念ながら白馬連山は雲の中。周辺のオープンガーデンのいくつかを見学したあと、上田市へと移動していく。
途中、道の駅に寄りたいとのことでナビを設定、案内にそって目指していくが目の前に目的地が接近したにもかかわらず何故か行き止まりにぶつかる。はあ?そこにあるのになんで行かれへんねん?とナビに文句を言ってみるがどうしようもない。しばらくうろうろしながらようやく辿り着く。買い物後、再び上田市を目指す。
が、その前に途中にあった川中島決戦の地に立ち寄ってみる。なるほど、なるほど、ここがあの武田と上杉の決戦の場所であったかと、今は広大な公園となった風景をパチリ。それから上田方面へと急ぐ。
右が上杉謙信、左が武田信玄の銅像
なるほど、「敵を塩を送る」という表現はここから生まれたわけだ
かつての戦場も今は広大な公園になっていた
先日も行った「高橋まゆみ人形館」がお気に入りで、その出張展示が上田市の公民館で行われているのだ。聞くと上田市政10周年企画ということで、大勢のボランティアの力で開催にこぎつけたそうだ。先日は見られなかった人形も含めて、2つの部屋に展示がされ、若い人からお年寄りまで大勢の参観者で賑わっていた。
http://www.ningyoukan.net/index.php
せっかく上田市に来たのでやはりここは真田氏の上田城を見ないわけにはいかないだろうということで、いくつかの満車表示の駐車場を巡りながら、ようやく野球場の駐車場に車を止めた。さすがにテレビ効果は大きいようで、場内は人人人人人人・・・!
うーん、こんなところにも出現するのか
真田神社は明治期に建てられたもので真田親子が祭神とされている
上田城は真田昌幸が開いた城で、徳川軍との戦いが行われた舞台だ。大河ドラマ「真田丸」では徳川軍勢を場内におびき寄せ敗退させるシーンが描かれていた。しかし、後に関ヶ原の戦いで敗れた昌幸は、幸村と一緒に和歌山の九度山に幽閉され、上田城は徳川軍に本丸を破壊されたり堀を埋められてしまう。その後、徳川軍に付いた昌幸の長男・信之がここに居を構え、以後本丸は再建されないまま、上田城は別の大名に引き継がれていった。今も残る3つの櫓が当時の様子を物語っている。
表側から見た上田城。左右の櫓は当時のもの