私には3人の息子がいて、上2人は、すでに結婚し、それぞれ子どもを持っています。
友人が携帯の写真を見せながら孫の話を溶けるような顔でするのを見て、もっと他に楽しい話はないんかいななどと思っていたのに、なんと自分が孫を持ってみると、ころっとまいってしまっている自分がいて笑ってしまいます。
■お花さんが笑ってる
次男の娘は、もう2歳と9ヵ月になり、楽しいおしゃべりをいっぱい聞かせてくれるのです。それがまたいっそうかわいくてたまりません。
「ねえ ばあば みてみて おはなさんわらってるよ」
山で花を見つけると、言葉がとび出します。アンパンマンの靴下を買ってやると、「ねえばあば カエルさんもくつしたはかせてあげようか」と大きなカエルを見ながら話してくれます。車窓から洗車している泡だらけの車を見つけると、「あっ くるまがせっけんになっちゃった!」と目を輝かせて新しい世界との出会いを、習い覚えた言葉と感性を全部駆使して語ってくれるのです。
■言葉から人格へ
人は、言葉を獲得し、その言葉で思考し、物事や周りの世界を認識していきます。そして言葉で自分を表現し、「ねえみてみて」と話しかけながらコミュニケーションを可能にしていきます。
「ほんとだね、お花さん笑ってるね、ほら、おはようって言ってるよ」と言葉を返してもらうと、満面の笑みをたたえて満足します。
話を聞いてもらって心が充たされた子は、またお話がしたいな、聞いてほしいなと心を躍らせます。そして、さらに目を輝かせて新しい世界を認識していくのです。
言葉をわがものにしていくことは、人間を人間にしていきます。そして、言葉で自己を表現することで、その人が人格として立ち上がってくるのです。その育ちのプロセスは、感動のドラマそのものなのです。”ばばバカ”ではなく、すべての子どもたちにとっての感動なのです。
ところが最近、言葉が届かないという子どもたちに出会うことが増えてきました。
この子たちは、大人にやさしい言葉をかけてもらってきたのだろうか、自分の話を「うん、うん」とうなずきながら共感して聞いてもらってきたのだろうか、と考えさせられています。
言葉は、人間を人間にしていく学力と自立のカギを握っています。
■うなずきながら聴く
今、大人たちに求められています。
やさしい声でやさしい言葉を子どもたちにかけてやることで、子どもたちに安心や喜びや生きる意欲を届けてやることが。
そして、子どもの話を、目を見て、うなずきながら共感して聴いてやることが。
さらには、子どもたちはメディア時代にいます。言葉を知っていても、そこには、体験の裏付けも人間的な感性も育っていない言葉がたくさんあるのです。言葉を体験とつなぎ、言葉に人間らしい感性が宿るような大人の働きかけが求められているようです。
「あっお母さん、夕焼けや」
「ほんとだね。まあきれい! おばあちゃんも見てるかな」
共感してくれるよい聴き手がいてこそ、生きた言葉は育つのです。
(とさ・いくこ 大阪市立加賀屋小学校教諭)