ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

30年

2005-08-04 | 考えたこと
あれはまだ 私が 若いお母さんだった頃。

ぽっちゃりとしたオバサマに尋ねられたこと。

「ねえ、ねえ。 あのさ。

 永代供養って、どうゆうの?」



お寺の出身だというと 何でも知っているように思われ、

何でも知ってるような顔をしたい病という 病気持ちの私、

知ってるだけの話を 精一杯して、

と言っても 今でもよく知らないことなので

たいした話はしなかったはず、

そして その頃考えていたことを 話した。



「でも、この前見た広告では、

 30年間 管理してくれるんですって。

 30年たったら、
 いろんな人と ごちゃ混ぜにしてしまうらしいですよ。


 永代って言ったら、

 未来永劫、地球滅亡の日まで 面倒見てくれなきゃ、

 永代じゃないのに。」



オバサマは カラカラと 陽気に笑った。

「あらー。

 いいわよ。

 30年もたったら 
 
 知ってる人は 友達もみんな 死んじゃってるし、

 どうなっても。」




え? そうなの??



「でもさー、やっぱり 死んですぐはねえ、

 お墓参りにも 来てほしいしさ。

 ねえ。

 寂しいじゃない?

 友達も 何人かは 来てくれると思うんだ。

 30年たっちゃったら、ねえ。

 自分はもう何にもわからなくなっちゃってるんだからサ。」

「・・・・・・・・・。」




そう、かも、知れない。

確かに、死んで30年たったら、

この世に残した未練は なくなってるかもしれない。

知ってる人もみんな 死んじゃってるかもしれない。

そしたら、死後30年経ったら お墓なんか、なくても、いい

の、かも、知れない。



妙に納得してしまった私だった。

未来永劫変わらないなんてことは
ありえないのだし。



彼女には お嬢さんがいるらしかったが
女の子を 跡取りだからと 家に縛り付けるのが
可愛そうだ、との お考えらしかった。



永代供養という文字の入った墓地の広告によれば
30年、33年、35年、50年、
いろいろな方針で運営しているようだ。

30年経った世界で どんな変更が生じようが、
お墓の下から訴えを起こすことはできないし。



それから しばらくは 30年という数字に
少しのこだわりを感じてしまう私だった。



今は。 

今の私は 死を身近に感じていないので
お墓の問題も あまり自分の問題としては
考えていない。

ノーテンキ! 

6 コメント

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30年の意味 ()
2005-08-04 21:47:35
普通に生きたら、平均寿命まで生きたら、男女の差があるけど80歳ぐらいまでとして、晩婚化で子どもは30歳ぐらいで出来たとしたら80の時は子どもは50歳それから供養して自分も寿命で終われば丁度良いのが30年というわけ?実家の神道では、50年祭をしたらもう終わりだと言われています。子が親の50年をするのは早く別れすぎだといわれます。結局子、孫で供養をしてそれで終わりと言う事だろうかと勝手に思っています。

まあ死後がどうなのか知らないし、供養が死者に及ぼす影響などないと思っているものですが、供養するのは生きている人間が、自分を納得させるためのものじゃないかと思っている不届き者?です。

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考えます (Coo)
2005-08-05 07:03:48
この年になると、

いや、この年になっても

実家のお墓参りがほっとします。

母の実家の自分の祖父祖母のお墓も、

年に何回かしか行けないけれど

やっぱり落ち着きます。



夫の実家のお墓は宗派が違うし

お会いした事のない方ばかりで

20年経っても実感がないです。



この病気になって死というものをずいぶん

身近に思うようになりましたが

私もここに入るのって?



風さんのおっしゃるとおりわたしも

不届き者?です。

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墓・・・ (arfa)
2005-08-05 08:00:49
「ハムレット」の墓場の場面を思い浮かべる。

せいぜい知っている人の範囲は ジイ様・バアサマくらいのもんです。

曾祖父のお墓にお参りしても なにも感じません。見たこともないのですから。だからやっぱり 30年説は正しいように。



竜馬の銅像や「竜馬の妻」のお墓を見ると 色々なことが感じられるのは 他人であろうが その人を少なからず 知ってるからなのでしょうね。



いつも思うのは 一般人の墓も 有名文化人みたく なにかその人ゆかりの言葉なり 業績を書き込んだらいいと思うのです。

そうすれば50年間は思い起こしてくれる人もいるかもしれませんね。



でもarfaは墓に入りません。(無いし)

ちょっとばかりの思い出を抱いて 海にまいてくれたらうれしいかも・・・。

そして きれいさっぱり 忘れてくれたら もっとうれしい。

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同感 (すまいる)
2005-08-05 18:46:15
arfaさんのお墓に入らない・・に同感

私もすでに両親はいないし1人だからお墓に入っても誰も手をあわせてくれる人いないし、時間が経過してお墓がくちはてるほうが辛いです



祖母の葬儀の際、親戚の叔父が強引に勝手に葬儀を取り仕切り母がとても苦労しました

母の葬儀は辛かったのですが、最期まで母の希望通りに行ないました、それが私のつとめだと思ったので・・・



私のまわりもみんな海にまいてほしいといっています、私も美しい海にちりたい



叔父は半分は海で半分はロケットにのせて宇宙に・・おっちゃんはな~死んだら、空の星になるんや~・・といっています



でも私は忘れてもらうのは淋しいかも?・・・あんな人もいたな~くらいは記憶にとどめてほしいかも・・

往生際悪いかな・・・
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やっぱり、30年? (ジョルジュ)
2005-08-05 23:05:51
風さん、

不届き物は 多いみたいですね(笑)。

風さんの計算、ぴったりじゃないですか!

私は お墓は 残された者のためにあるもの、

という解釈もしています。



Cooさん、

もう少し年をとると また考え方がかわるのでしょうか。

それとも 変わらないのでしょうか。

ただ 死んじゃった後では わからないし(笑)、

死んだ後には もう少し出来た人間(?)になるので

たとえ生前憎んでいた人とでも あの世で なかよくできるのかもしれないし、

まあ 私が死んだ後のことは 私が取り仕切ることはできないので あとの人に まかせます(笑)。

病気になって(あるいは ならなくても)死について考えるということと

実際その時になって 考えるのとでは

やはり 不届きな私には かなり 差があるかもしれません。
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お墓? う~ん。 (ジョルジュ)
2005-08-05 23:18:41
arfa さん、

私は お墓というのは 

遺体やお骨専用のもの置き場としての役割の他に

残された者が 死者を偲ぶよすがになる、とか

供養した気になって 自分をなぐさめる、とか

そんな役割も 重要なものとして 担っていると思っています。

なくてもいい、と 本当に全部 山や海に(あ、あと、宇宙に?)まいてしまって お墓がなかったら

残された人が 寂しいです。

それと お墓参りに行くか行かないかとは また少し違うかもしれませんが、

行きたい、行こうと思った時に 行くべき場所がある、

と言う事が大事かなあ、なんて。

本当は 忘れないでいてほしい、とか

たまには 誰かおもいだしてよね、とか 思いませんか?



すまいるさん、

往生際が悪いのが、凡人です。私も 同じです。

すまいるさんには まだ辛い内容でしたね。

でも お母さまは きっと納得してくださっていると思うし そう思いたい。

朽ち果てるまで、というと 30年くらいは 大丈夫かな?

やっぱり 何年もそのまま子孫に引き継いでもらって、

ず~~っと供養をしてもたいたい、とは 思えないのが 現代人なのかしら。

してもらえると思っていても ままならない人生、

先のことは どうなるかわからないですし。

結論:永代供養は 未来永劫でなくて 30年でOK!
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