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ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

みいちゃんのこと

2005-05-20 | いろんな人
みいちゃんは 私の同級生。

みいちゃんの結婚式の時は
私もお呼ばれして行ったのだけど、
傍から片時も離れない、
みいちゃんのお婆ちゃんの 得意そうな笑顔を
みいちゃんの おっとりした笑顔と一緒に
いつも私は思い出す。



みいちゃんは
シングルマザーとして ふたりの息子を育てている。

子供が学童期になった時
みいちゃんは ヘルパーさんになった。

老人介護は 彼女に向いていると 私も思ったし、
私がそう言うと 彼女も
「わたしもー。」
と、いつもの おっとりした言葉で こたえてくれた。

(彼女のおっとりした茨城弁は、
 私の実家の地方では 貴重品なのだ!)



その後 制度が変わって、
試験を受けて資格をとるように、という
上からの命令で 
「あたし、資格、取るんだー。」
と聞いたあとからは
さすがに忙しくなったのか、
電話がかかってくることは なくなっていた。

(離婚前は、しょっちゅうだった。)



そのみいちゃんに、
久々に 私から電話を入れた。

みいちゃんの大好きだったお婆ちゃんは 
もう 大往生を遂げていた。



「ウチの息子、バカでさー。
 ペットボトルの、ねー、
 水を、買って 飲んでるんだよー。」

「ウチのもだよ!
 お金が、もったいなく、ないのかね!」

「ああ、やっぱり、そーなのー?
 みいんな、そーなのかしらー。」

変な話で盛り上がりつつ。



私は 質問をぶつけた。

帰ってきた答えは、思いのほか 明快だった。

「ご主人のお母さんみたいにぃ、
 まだ 自分のことが自分でできててぇ、
 恩給があって お金の心配がないんだったらぁ、
 グループホームというのが あってぇ・・・。」

みいちゃん、有り難う!!!

ヘルパーさん

2005-05-20 | 考えたこと
亭主の実家では 
週に数度 ヘルパーが来てくれることになった。

母はとても楽しそうだった。

髪を染めてもらったり、
身体を拭いてもらったり。

そのうち 
ギプスがはずれて お風呂に入れるようになると
お風呂に入ったり シャンプーしたりを
手伝ってもらえる。


hhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh

アッツザクラ。

ふた株あったうちのひと株は
松葉菊の中に 飲み込まれて消えた。

hhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh


母の趣味は 手芸。
手先は誰よりも器用だった。

NHKのテキストに出てくる手芸は
たいてい 何でもやった。

ヘルパーとも 
折り紙でさまざまな物を作ったり、
針金ハンガーに布テープを巻いて
ニットやブラウスも滑り落ちないハンガーを作ったり。

ヘルパーは 母と一緒に 部屋の掃除をしたり
料理を作ったりも してくれた。

義母はヘルパーが来るのを
楽しみに待つようになった。

明るい性格の義母は
ヘルパーからも親しまれていたように思う。



大変だったのは義父のほうで、
ヘルパーが来る前に
家の中をキレイにしておこうとする。

ヘルパーが来る時は どこへも出かけられず、
いてくれる間 家の中でウロウロしている。



これは この年配の人には よくある事だと思う。

新聞に出ていた あるお宅では
突然ヘルパーに来てもらう事になった時
老いた夫を見ていた老妻が
散らかったままの家にヘルパーを通すことはできない、
けれど 私には 
そんなにすぐに 家をきれいにすることはできない、と
泣き出してしまったという。



ヘルパーが来ている間 嬉しそうにしている義母。

ウロウロと落ち着かない義父。

それでも だんだんに
義父の仕事が忙しいときに
ヘルパーに来てもらうようにするなど
義父も慣れていった。

慣れると 義父も 
助かるねえ、と 有り難がるようになった。

ふたりの息子にとっても、
有り難い。



亭主は長男だから、
両親の面倒は 全部自分が見るつもりでいた。

年上で 
身体もあまり丈夫でなかった父親がみまかった後の
あの気の強い母親をどうするか、という事を
頭の片隅で いつも心配していた。

「私にはもうひとり親がいるんだから、
 あなたの親は あなたの弟君と
 なんとかしなさいよ。」

冷たい嫁は たまにそんな事を言って 牽制していた。



このような事態は まさに想定外だったが、
離れて暮らすふたりの息子は 
懸命にできることはしようと 努力している。

子供をふたり育てながら
フルタイムで公務員として働く義妹と
乳がんの治療をしつつ
亭主の仕事を手伝っている(ことになっている)私とは
その手助けをするのみ。

介護保険

2005-05-20 | 考えたこと
介護保険を使うのを
義父は渋った。

「保険料を払っているんだから、
 使わないと、逆にもったいないんだよ!」

ふたりの息子にかわるがわる説得されて、
ようやく折れた。

「そんなのを使わなきゃならないなんて、
 お婆ちゃんが可愛そうだ。」
などという
なんだか よくわからない理屈で 対抗していたが。


kkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkk

これだけはよく増えて困っている、松葉菊。

増えすぎないようにするいい方法はないだろうか。

kkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkk


きょうは役場の人が 保険の査定(?)に来るとかで
亭主が 朝早く 実家に帰った日。

義母は庭先で転んだ。



だいたい、庭に平らなところがないのだ。

私もいつも転びそうで、亭主の実家の周りを歩くのは、
とても怖い。

義母はおそらく 山の中の開けた所に行って
洗濯物を干していたのだろう。



亭主が 義母に背中を向けて 負ぶさるように言うと、
義母は 最大限の抵抗をしたそうだ。

身体が丈夫な、元気な人だから、
なおさら そんなことは したくなかったのだろう。

「おぶされ」、「いやだ」、
そんな押し問答を長く続けた挙句、
ようやく負ぶさって 家に入った母は、
とても歩けそうに状態になかったという。



役場の人との面接を終えて 病院へ行くと、
母のすねの骨が 折れていた。

大たい骨の骨折よりは まだマシなのかもしれないが。

急いで役場に電話をしてわけを話し、
骨折による不便を解消すべく、
新たに別の援助も申し入れる。

母の足は ギプスで固定され、
お風呂に入れない事になった。



その夜 帰宅した亭主は
すっかり 神経性の胃炎を起こしていた。

でも そのおかげで 
タバコを吸うのを止めていられた。

そのまま 禁煙してしまえば、
可愛い亭主だったのになあ。