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ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

防災とボランティア週間

2005-01-16 | 考えたこと
防災とボランティア週間というのが
1月15日(土)から始まったようだ。
週末に始まる週間だったが、
防災の日の1月17日をはさみ、
毎年1月15日から21日を
期日としている。


阪神淡路大震災の起きた日が またやってくる。
もう十年になるという。
NHK の朝の連ドラも震災にひっかけているし、
テレビでは特集番組が目白押し。

どうぞ、どうぞ。
いっぱい特集して放送してほしい。
私たち人間は、忘れやすいイキモノだから。
原爆記念日と同じように、
ずっとずっと 忘れないでいるように、
忘れずに特番にしていってほしい。

けれど当事者達は 決して 忘れはしないだろう。



昨日のNHK の ETV 特集を見た。ちょっとの間だけだが。
作家・高村薫さんは 
自身の小説の中で 人が殺されることや 事件が起こることに
興味をもてなくなってしまったという。

結果、自分をモデルにした「晴子情歌」を
5年かけて執筆、出版した。
無名の人の人生を見つめるようになった、
なんでもない 普通の人生が尊いと 思えるようになった、
と話している。

ところが、この本は 今までの彼女の読者には
受け入れられなかったらしく、
販売部数が伸びていないそうだ。

こんなふうに
人生観が変わり、作風まで変わったのだが、
高村さんは
震災の悲劇を 「辛い」と感じることに
どうも罪悪感があるらしい。

大阪・吹田市で揺れを体験したけれど、
家も無事、家族も失っていない自分が
そんなことを言えるのかと。

悲しみの只中にいない人たちにも、
震災は 大きな爪あとを残している。
その爪あとは これからも消えないだろう。



この前日、14日には TBS で
「阪神淡路大震災10年悲しみを勇気にかえて」を見た。
これも 途中で出かけたりなんだりで、
三度に分けて いい加減にちょっとずつ見ただけなのだが、
そのちょっとの間に、
涙がボロボロ。

いつから泣いていなかったろう。
涙はじんわりにじむだけで、
こぼれることはなかったのに。

いつもの「再現ドラマ」とはちょっと違う気がした、
10年の節目で、力を入れて 作ったのだろう、
それにしても 泣けるとは 思っていなかった。
震災のニュース映像では 泣かなかったのに。

私のなかで、阪神淡路大震災が
済んだこと、過ぎ去ったこととして
風化した事の顕れか、と思う。

本当に悲しい時に 涙が出ない人もいる。
私は父の急死にも 泣かなかった。
自身の癌の宣告にも泣かなかった。

ただ 顔がゾワゾワして 冷たくなっていく気がして
その場から逃げたいのに 動けない、
そんな反応しかできなかった。

だから この日 ひとつひとつの物語に
垣間見ただけで そのつど ボロボロ泣ける自分に
驚いた。
そして 過ぎ去ったことなんだ、と実感した。

きっと 当事者達は まだこんなふうには泣けないだろうし、
チャンネルを合わせることさえ
できないにちがいない。

阪神にも 北海道・奥尻にも 新潟・中越にも
去年の台風の被害や今回の津波の被害のあった国々にも
親類・縁者がいなかったから、
私は平気で涙を流して 見ていられたのだと思う。

それは 決して 被災者の流す涙とは 違う。
どこか、「よそごと」、ドラマ、といった感覚が
あるのではないか。



だからといって 高村さんの意識の変化を
偽善だとは思わないし、
私の共感も嘘ではない。

人のちっぽけさ、人知の幼稚さを感じ、
できることを 精一杯しようと思う。

阪神淡路での教訓を 中越で生かし、
中越での教訓を 今後に生かそうと
奮闘している人たちもいる。――ガンバレ!
 
ちっぽけな私にも できることは いくつかある。
それは 小さいことだけれど
大きな希望に繋がると 信じたい。