ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

裃(かみしも)

2005-01-11 | なんとなく民俗学?
雪はほとんど消えた。
冷たい風が吹く日の散歩道は、
こんな感じ。
雪雲はちぎれて 飛んでゆく。
山の向こうは、雪がふっているのだろう。




『風と友達』の中の「お弓祭り」のところで、
裃(かみしも)が出てきて、思い出したこと。

私の祖母のお葬式で、当家の主だった男達は、
黒いスーツの上に、裃を着けていた!



私が(田んぼの続く道の向こうの)高校を卒業して
大学に入学するため、
もうあと 4、5日で 実家を出る、という日。

母方の従兄弟が美人の奥さんと 
お座りができるようになった愛娘とを連れて
車で遊びに来た。
東北道はまだ完全には 繋がっていなかった。

結婚前は 度々遊びに来てくれていた従兄弟も
暫らく来ていなかったし、
なんといっても小さい子が珍しかった。

おまけにとっても愛嬌のある子で、
笑った、声を出した、くしゃみをした、
と、その度に笑い声が起こって、
楽しい時をすごしていた。



そこへ一本の電話。
母の母が亡くなったから、
すぐに帰ってくるようにと。
何がなんだかわからず、
母はパニック。
父はその時 出かけていて 連絡が取れない。
帰省していた大学生の姉も どうしていいいかわからず、
泣きそうになっている。

偉そうに、末っ子の私が 
従兄弟と一緒に帰りなさい、と言って、
一緒の車に 載せてやった。



祖母は交通事故だった。
末の従兄弟が運転する軽トラックで。
交差点で。
軽トラックはメチャメチャ、
従兄弟は足を折り、
祖母はほぼ即死。

葬儀の前日、
私と姉と父も 母の実家に行った。
あまり色々な事は覚えていないが、
棺の前に置かれた湯のみの水を
たびたび取り替えた。
その湯のみの底には、
古銭が入っていた。
三途の川の 渡し賃だろうか。



そして葬儀当日。
当家の男は裃を着けるのだという。
母の兄弟は多いけれど 男兄弟は二人しかいない。
どこから持ってきたのか、
裃は 3着あった。
当然のように 長男である従兄弟に おじ・おばが
着るように言う。

従兄弟は「俺はいい」「俺は着ない」といっていたが、
いざ 式が始まる、という時には
きりりと裃を着けていた。
ただし、黒の礼服の上に。

うすっぺらで 向こうが透けて見えそうな生地。
色は薄いブルーグレー。
肩の所は 時代劇で見るように、
ぴいんと張っている。
鯨の骨でも入っているのか?
家紋もちゃあんと入っている。
葵のご紋の パクリのような紋。

おじ二人も同じ格好だ。
猫背の大柄な伯父が 背筋を伸ばして見える
小柄な叔父が 大きく立派に見える。
日本人には、まことに合った式服と言えそう。



ただ、それを聞いた私は
冗談かと思ったし、
見て びっくり、
へー と 感心。

会津のお味噌のコマーシャルに、
「会津の人は 頑固だからなッシ。」
というセリフがあったが、
なるほど、頑固に 古い風習を守ってるんだ、
とも感心していた。

祖母は そういう風習を守り、
嫁である伯母に伝え終ってからの
旅立ちだった。



ところで、この裃(かみしも)と言う字は、
峠(とうげ)と同じ、国字かしら、と思って
調べて見た。
アタリ。
手元にあった漢語林に、[国字]と付いている。

かみしも:昔の礼服。
     肩衣(かたぎぬ)と袴(はかま)と
     同じ色に染めた式服。
上下そろいの、スーツね。

国見、破れる!

2005-01-09 | 食生活
これも1月2日の写真。
かすかに、かすか~~に、
故郷・茨城の筑波の紫峰が見える。
夏は ほとんど見えないが。
mino さ~ん、私は、ここよー。
ココロで叫んだんだけど。





7度目の優勝を狙っていた、
長崎代表・国見高校が、破れた。
高校サッカー、準決勝のお話。

ベストメンバーでの対戦が 
選手の怪我でかなわなかったのは、
無念だったろう。
けれど、常勝と呼ばれるチームの優勝は
意外性がなく、
ついつい鹿児島実業を応援していた私。
(ついでに言うなら、星陵高校も。)

優勝する事が、義務。
というか、暗黙の了解事項。
勝たねばならないプレッシャーも
大変なものだったに違いない。
国見イレブンにも大きな拍手を送りたい。

それにしても、鹿実の守備は、よかった。



TV 観戦している時に聞いた、
国見高校の 「食べるもの」に関する、情報。

「ご飯を、山盛りにして、それをぎゅっと固めたのを、
 3杯食べる。
 一年生は 食べられないが、
 3年生は 食べられる。」

成長過程にある彼らが、
激しい運動をして
なおかつ 身体を維持して、
さらに 発達させるには、
相当食べるだろう。

ウチのひょろひょろ息子でさえ、
「そんなに食べて、大丈夫?」
と思うくらい、底なしに食べる時があるもの。



またまた私はここで 変なことを思い出した。
管理栄養士・幕内氏が 講師を勤める学校で
氏の講義を聴講している未来の栄養士に、
けっこうアトピーの子がいるのだという。

今時の若者だもの、不思議な話ではないが、
食生活が 影響を及ぼしているかもしれない アトピー、
「食」にただならぬ興味を持つ(ほとんどが女子)学生達、
「粗食のすすめ」の幕内氏、の取り合わせ。
「どういう食生活を送ればよいか」
が質問として出る事は当然か。

そこで氏が答えたのは、
「とりあえずおかずは何でもいい、
 一日三食、どんぶり飯を 食べなさい。」

さすが、未来の栄養士達、実行したのだと言う。
完全に実行できたわけでは ないかもしれないが、
効果があった。

アトピーに、便秘に、冷えに。

実家の母の言葉を思い出す。
「なんったって、めし、食わねば、ダメだ。
 飯食えよー。」
あれは、母なりの、経験から出た言葉だったろうか。



高校蹴球児達、
彼らもイマドキの高校生。
アトピっ子もいて当然。
スナック菓子も 肉もたくさん食べるだろうが、
アトピっ子は いないのだろうか。
でも、とにかく、一食三杯のどんぶり飯だと、
便秘はいなそうね。

ピアス

2005-01-08 | 乳がん
いつもはもっと遠くに見える山。
二日には凄く近く見えた。
あのへんは、登山なんかできそうにない。
見ると登りたくなる人もいるんだろうな。




そんなこんなで、
2003年の夏は
ツメもみしたり 冷水浴をしたり
整体に通ったり 針灸に通ったり
蚊に刺されぬよう、日焼けせぬよう気遣いつつ
夜休む時は 術側の腕を 畳んだバスタオルに載せて
浮腫を警戒しつつ 過ごした。
そして
二人の受験生の学校、部活、塾の 送り迎えで
過ぎていった。

クーラーを使うと 今まで以上に
冷えるような気がしたが、
夏だし、快調に過ごした。



いいことばかりでもなかった。
早朝の電車の中で 
娘が鞄の中から取り出した化粧道具で
顔をいじりはじめるのを
反対側のホームから 見てしまったり。

絶対にそんなことだけは してほしくなかった。
けれど 興味があって、
高校に行けば 化粧している友達がたくさんいるのでは、
(化粧しない子も たくさんいるのだが)
叱っても無駄だ、と 黙っていたが、
がっかりした。



それから 運転中に 助手席の娘の耳に
ピアスを見つけてしまったり。

娘が高校を卒業したら、
一緒にピアスの穴を開けに行こう、と
勝手に描いていた夢は、粉々になった。

亭主は娘のピアスに気づかず、
眉毛が細いというより なくなっていることを、
そして スカートを 不自然なまでに 
わざわざ ウエストのベルトの所を 折って
短くしている事を、
いつも怒っていた。
(娘には似合わないんだよなあ、細眉。)



わたしも ピアスの穴は、
時々 たまらなく開けたくなっていた。
大好きなイアリングを買う時に。

だって、なぜか、「いいな」と思うのは、
ピアスにはあっても、イアリングには ないのだから。
イアリング大好きニンゲンには、悔しい。

大宅映子さんも、いつか同じ事を書いていた。
ピアスの方が センスの良いものがある、
そして、ピアスにするかどうか、迷っていると。
特に、フラメンコが趣味で、
大振りのピアスをつけて踊りたいと。

けれど、素敵なベテランダンサーのフラメンコを見たとき、
耳の穴が かなり大きくなっているのを見て、
怖くなったらしい。
多分、いまだに イヤリング派だろうと思う。



怖いのは、時々 化膿してしまう人がいることで、
自信のない私は フラメンコは踊らないけれど、
そこで 躊躇してしまう。

娘は 後で聞くと、
友達に開けてもらったそうで、
時々 膿んだりもしていたようだ。

ウン十年前、ピアスが流行った頃に、
ピアスの穴(の化膿)が原因で
亡くなった若い女性がいた と聞いた。
若かった私は 友達と「バカだよね。」などと
話していた記憶がある。

卒業式を待って、
きちんと皮膚科で開けてもらおうと思ってたのに。

「身体髪膚、これ父母に受く」などと
思った事はないけれど、
化膿が怖くて、そのままの、私。
大宅映子さんより、ずっとずっと若いのになあ。



ちなみに、娘のピアスの穴は 
最近は 膿んだりせずに いるようで、
安物のピアスのコレクションが 増える一方。
眉はまだ 生え足りないのだが、
すっぴんで 大学に向かう。
超ミニスカートは、
「ありゃあ、若くなきゃ、はけないよ。」
とのたまう。
ただし、たとえ遅刻しようとも、
ヘアアイロンだけは しつこく当てている。

20年以上の歳の差と
価値観のズレは、致し方なし。

身体を温める

2005-01-05 | 健康オタク
遠くに見える白い山並みは、真夏でも白い。
いつもそこに 白い雲がわいているかのよう。







次に読んだのが、石原結實著『《体を温める》と病気は必ず治る』
(三笠書房、2003・4・10、1300円)だった。
著者によると、私たちの身体は、36.5~37℃の体温で
最もよく働くようにでいているとか。
あらゆる病気は 体温の低下によって引き起こされる。

近年、低体温の子どもが増えている、と聞いた事はないだろうか。
子どもに限らず、過食、ストレス、運動不足といった
身体を冷やす要因に事欠かない現代人は、
意識的に身体を温める必要がある、と著者は説く。
(過食で体が冷えるのか!?)

まして、春夏秋冬、ペットボトルで 冷たい飲み物を 
しょっちゅう飲んでいる若い人たちに
低体温が増えているというし、
夏は決して暑い季節ではなく、
かえって冷房で冷えているではないか。
(寒いの! 涼しいんじゃなくて、寒いのヨ!)

我が家の子供達も例外ではなく、
目の届かない所で 甘い飲み物や ミネラル・ウォーターに
どれほどお金をつかっていることか。
(も、もったいない!)
そして 今や 学校の教室も 夏は冷房が入るのだ。

そして 実家の姉は 昔から体温が低い人で、
冷えやすく、しもやけもできやすかった。
子どもの頃は丈夫だったが、
中年になって あちこち 悪い所が出てきた。
低体温を克服すれば、元気になれそうな気がする。



この本には、便秘、下痢、貧血、生理痛、むくみ、
高血圧、低血圧、狭心症、糖尿病、アトピー、
水虫、冷え性、痔、抜け毛、白髪、不眠、うつ、
更年期障害、子宮筋腫、肥満などなどのほか、
がんの治療・予防にも 体温をあげることが
肝要だと書いてある。

まず、体が冷やされている原因は、
① 筋肉不足、下半身の運動不足
② 夏型の暮しを一年中することと、
  冷房の悪影響
③ ストレスによる血行不良
④ 湯舟にしっかりつからない入浴法
⑤ 身体を冷やす食べ物・食べ方
などがあげられている。



また、この本の中で、「陰の食べ物、陽の食べ物」
という言葉がでてきた。
全ての食べ物は、「陰」と「陽」とにわけられる。
ちょうど中間ぐらいに、玄米、玄麦、黒パンがある。
聞いた事はあったが、あまり気にした事はなかった。
確か、根菜は陽性の食べ物で、身体を温めてくれるのでは
なかったか。

身体を温める食べ物として、
① 北方産のもの
② 硬いもの
③ 赤、黒、黄、橙色のもの
④ 塩分が多いもの
⑤ 昔からの主食
⑥ 日本酒、赤ワイン、紹興酒
⑦ 熱を加える
  塩を加える
  発酵させる
の七つが基本として挙げられている。



私が注目したのは、生姜紅茶。
これは 熱い紅茶に、すりおろした生姜を入れ、
黒砂糖または蜂蜜で甘味をつけたもの。
毎日3~6杯飲む習慣をつけると、
効果があるという。

冷え性の私としては、下半身の運動とかと同時に
気になる飲み物ではある。
生姜は 関節痛やリウマチにもいいというし、
ちょっと試して見る事にした。

――効果が上がるまでには 至らなかったが、
薬味に面倒がらずに 生姜をすりおろすようになった。
そして何より、黒砂糖を入れた生姜紅茶は、オイシイ!

実家の姉にも勧めて見た。
おいしそうね、と電話の向こうで言っていたけれど、
飲んでみたかどうかは、不明。

『生活習慣病に克つ新常識』

2005-01-04 | 健康オタク
多分、有名な山だろう。
秀麗な姿はいつ見ても美しい。
そろそろここから見える山の名前を
言えるようにせねば。




この本のサブ・タイトルは、――まずは朝食を抜く!――
というものだった。
(小山内博著、新潮選書、2003.5.20、680円)
朝食を抜く気のない私には、
不要な本のはずだった。

“暖衣飽食”の生活習慣を改めると、
糖尿病、痛風、腰痛などの他、
アトピー性皮膚炎、花粉症、腎炎、肝炎、がん、リウマチ
などの病気が快方に向かう、と著者は言う。

朝食が身体に悪い、というのも、
食後すぐに仕事にとりかかったり、
トラブルが発生すると、身体によくない、
ということらしい。

「親が死んでも食休み」、
どこかで似たような事を聞いた。
「食後は 偉そうにして 30分」、
がんセンターで聞いた、あれだ。
食休みをとる、または、「食べたら寝る」のがいいらしい。
そして、痩せたい人は、空腹時に動け、と。
ま、あくまで参考に、ということで。



私が 注目したのは、
「アレルギーは 冷水浴で抑える」
というところ。

一年を通して、寝起きにくしゃみが続く。
手術の朝にも アレルギーの薬を飲んだ。
ところが、検査をしてみると、
スギ花粉に少々あるぐらいで、
ハウスダストにもダニにも アレルギーがない。
それなのに、くしゃみが出る。

著者によると、副腎を鍛え、
副腎皮質ホルモンを活発に分泌させれば、
アトピー、リウマチ、花粉症などのほか、
アルツハイマー、パーキンソンなどからも 
身を守れるのだとか。

少なくとも、風邪を引きにくい身体にはなるかな、
と思い、実行してみることにしたのが、2003年の夏。
ヒトが一生涯に分泌する量が おちょこに一杯、という、
副腎皮質ホルモン。
ホンのすこ~し 分泌が増えても、
もしかしたら リウマチも良くなるかもしれない。



冷水浴は桶なら10~から20杯、シャワーなら約1分。
寒くて辛いようなら、湯につかり、
充分温まったら 再び冷水、これをニ、三度繰り返し、
最後は冷水で皮膚を冷やす。

というのが、私にはできなくて、
最後は 充分 お風呂で温まって 出てくる。
始めたのが夏だったから、
やりやすかった。
シャワーで30度くらいの水をかぶるのが、
次第に気持ちよくなってくる。

冬には 31~32度くらいにしないと辛い。
これを冬に頑張りとおすと、春の花粉症の
症状が変わる、かもしれない。



とりあえず、これで
私の 「目覚めてすぐのくしゃみ」は、なくなった!
それまで 目が覚めたら 
とにかく何かを食べて 薬を飲まなくちゃ、
と思ってきたのに、それが必要ない。
これは 予想以上に 大きな変化をもたらした。

朝起きてすぐ、パソコンに向かっていられる。
朝食の前に ウォーキングに行ける。
ヘルシーな朝食を用意するまで、食べずにいられる。

年末にサボっていた冷水浴、
時間とココロに余裕ができたので、
また始めた。
心身の鍛錬になりそう(?)

お節料理

2005-01-03 | 食生活
きょうは冷たい雲が垂れ込めてしまったが、
きのう 散歩したときは とっても良い天気。
普段は見えない山まで見えていたので、
デジカメをもって、もう一度土手へ。

これが、このごろの お散歩コース。
短いので、歩いたような気がしない。
愛犬はもっと物足りなく思っているのに違いない。
それでも文句も言わずに付き従ってくる




おせち料理、今年は初めて購入した。
いつも 買ってきたものを 袋から出して詰めるだけなので、
毎年買っているようなものなのだが。
今年のは、1万8千円で、重箱にセットしてあった。
おいしかったが、もうほとんど 無くなってしまった。

何も作らなくてよい(こづゆを除く)、
というのは気が楽だけど、
気が抜けて、年末のお掃除にも 気合が入らなかった。



「お節料理」、皆さんは 何を召し上がるのだろう。
お子さんのいるご家庭では、どんなおせちに
なさっているのだろう。
伝統的なおせちで お子さんは 満足してくれるのだろうか。

ウチの子供達は 好き嫌いが激しく、
おまけに ふたりの好みが違う。
小さい頃は 食べてくれるものが おせちの中にはなかった。

私としても おせちがご馳走、とは思えなかったので、
洋風や中華風など、いろいろなものを用意した。

けれど 歳を経て 子どもの頃に 慣れ親しんだ味が
一番おいしいような気がしてきた。
その上 生活習慣病になったことで、
それまで以上に食生活に気を遣うようになった。

日本の伝統食の良さを見直した食生活になり、
おせちも伝統的になってきた。
子供達も なんとか 伝統おせちを
食べられるようになってきてくれた。
(本心はどう思っているか、わからないが。)



食べていて、私も首を傾げることがある。
昔の人は、これを 「ご馳走」としていたのだろうか。
これが「ハレ」のご馳走で、
地味な「ケ」の食事は、もっと粗末だったのだろうか。
私には いつもの食事の方が 余程 ご馳走だ。

伝統おせちには、肉料理が 原則、ない。
揚げ物が、原則、ない。
油を、 原則、使わない。
ヘルシーな事、この上ない。
日本の食生活が 昔のままだったら、
生活習慣病は これほど蔓延しなかったはずだ。



とにかく、今夜は、麦めしに、とろろ。

こづゆ

2005-01-02 | なんとなく民俗学?
正月に 母が作ってくれた、こづゆ。
私も姉も 大好きだった。
棒タラで 出汁をとる。
この棒タラが、茨城には なかった。




会津へ向かう人がたまたまいたので、
「棒タラ」を買ってきてくれるよう 
頼んだら、 数本で 何万円もして、驚いたのが、
ウン十年前。
けれど、初めて食べた その出汁が とても気に入ったし、
他のものでは この味がでない。

東京時代に 冬のデパートで 探し回った事がある。
能登の物産展で
「ありゃあ、正月のもんだから、もう少ししねえと、
 出まわらねえよ。」
と言われて 納得したが、それきりに。

会津出身の課長に変わった年、
課長に聞いて、アメ横へ行った。
5本まとめて 吊るしてあって、5百円。
これまた 安さに ぶっとんだ。



大根、人参、里芋、牛蒡、木耳、白滝、麩。
これらを ちいさく刻んで、醤油で味付け。
へぎ柚子に 刻み三つ葉、姫なるとを添える。
これが、我が家流。
亭主も子供達も 気に入ってくれているし、
根菜や キノコや コンニャクが とれるので、
ヘルシーな気がする。

いつかテレビ番組で 言っていたのは、
こづゆは 正月や祝言など、おめでたい時に 食べる。
小さな塗りの椀で、何度も何度も お代わりをして 食べる。
そういえば 父母が こづゆ用の 小さな塗りの椀を 
買ってきたとき、
父母は 子どものように はしゃいでいたっけ。
「やっぱし、こづゆは、これで 食わねえと。」



母は こづゆのほかに 
小松菜などで 雑煮用の汁も作ってくれたが、
めんどくさがりの 私としては、
雑煮は 焼いた切り餅を こづゆに 入れる事になる。

こづゆに餅を入れるなんて、と
会津の人が 聞いたら、怒り出すかも知れない。
実家の母も 盆や正月に 会津の実家に帰ることなく
毎年過ごしているから、
私達姉妹も 本場の味も伝統も 知らない。



伝統は 創り出すもの、これでいい、
と 亭主は言う。
この亭主、異常なお餅好き。
お餅が食べられれば、なんでもいいらしい。

正月三が日は、三食お餅。
これは 亭主の実家の 伝統。
亭主の実家も 農村部では珍しい核家族で、
家族で伝統を 創ってきたのだろう。

三が日お餅、というのは、
昔は義母を カマドのそばから 開放する
重要な手段であったに違いない。
息子が餅好きで、いっそう固まった習慣に
なっていったのだろう。



三が日は 三食お餅、
雑煮は こづゆに焼き餅。
これが 我が家の 伝統。
振り返れば、それなりに 長く続いている。

「年頭賀歌」

2005-01-01 | なんでもないこと
新しき春に遇い
国の旗 静かに仰ぎ
こととりて ことたまに 請い祈る
天にはひかり 地にはみのりを




たしか、そんな感じの詩だった。
佐藤春夫の、「年頭賀歌」というタイトルの、詩。

小学生の頃から 好きだった。
(マセガキだね)
年を重ねるごとに、好きになる。
 
心から、佐藤春夫と同じ事を
「請い祈る」ようになった。

残念ながら、詩集が見つからない。
全文をここに 書きたかったのに。

今年も、未熟なワタクシ。

みなさんに、幸多かれ。