『足んこの歌』と書いて、「あしょんこのうた」と読むらしい。
(ルビがふってある。)
ふとしたことで存在を知り、
全部を読みたくなって ネットで注文。
『第三詩集 足んこの歌』、らくだ出版
(2005.9.20、1260円)
著者は 高野つるさん、今年81歳になるおばあさんだ。
千葉県で農業をするかたわら同人誌に作品を発表し、
詩集を出してきた。
誰が書いたものか、カバーには
「高野つるさんの詩は、内面の怒りを封じ込めた独白である。
村の因襲や秩序を充分に尊重し、
実践すればこそ、その束縛に抗う。
自己に忠実であり、はっきり自己の気持ちを表にだすこと.....」
とある。
厚さは1センチにも満たない薄っぺらな本だけれど
つる婆ちゃんの詩集は
詩も そして 絵も すべて つる婆ちゃんの手になる。
この表紙の絵もタイトルも つるさんがご自分で書いたもののようだ。
その瑞々しい感性には 驚きを禁じ得ない。
小さい方がいい
花は小さいほうがよがっぺ
なんでだって?
そりゃ きまってるがな
萎んだ時のこと考えでみろや
いが
大え花は 悲しみもまた大えからよ
しあわせ
幸福も やっぱり小粒がよがっぺ
なんでだって?
そりゃ きまってるがな
大え幸福 つかんでみろや
有頂天になっちゃって
おらの目ん玉さ 他人の涙が
見えなく なっちゃうからよ
私が小学校4年生の時、ばあちゃんがいったこと(p16)
春だもんな
土の中から
地べた どっついているのは
だれっぺな?
それは わらびの げんこつだがな
だって 春だもんな
枯れ草の中さ
青空ばきざんで ぶんまいたのは
だれだっぺな?
それは 山のすみれだがな
だって 春だもんな
―――後略―――
「びわの実学校」掲載(p36)
その訛りの懐かしさと確かさは
私のふるさとを思い出させてくれると同時に
昔 教科書で読んだ
やはり方言を使って力強くげんこつを書いた詩を思い出させる。
ひともと
「一本の桔梗」という詩(?)(p66)に書かれていることによれば、
つるさんの夫の甚之助じいさんというひとは
宮城県の仙台は秋保(あきう)という温泉のある村で生まれた。
日立製作所で 電子顕微鏡の製作に携わり、
その技術は神業と称えられた。
召集令状も2度来たが
優れた技術者であったため、兵隊にはならなかった。
終戦の頃には
東北大学工学部には航空学科が設置されており、
成瀬政男教授のもとで
航空ギヤーの研究を手伝っていた。
終戦になると
爆弾や焼夷弾の中を 命がけで疎開させた研究資料や機械は
トラック3台ぶんの荷物となって 没収されていった。
研究者達の心には ぽっかりと 大きな空洞が。
そのとき 教授は
「皆 よく聞いてくれ!
敗れたりとはいえ 日本民族、
MPには 毅然たる態度で接して欲しい。」
と訓示なされたとか。
荷を積み終わったMPたちは
整列していた甚之助爺さん達の前で挙手の礼を取り、
さらに隊長は教授にむかって
「貴方の精魂こめられたこれらの研究資料、
これからは
世界平和の為
大切に使わせて頂きます。」
と言い、
教授の手を両手で握り締めたということだ。
つるさんは
孫達に語りかける体裁をとるこの詩を
ばあ
「私ちゃんの一生のお願いは、
故里を大切にする事と
地球上から 戦争をなくすることですよ。」
と結んでる。
アメリカ合衆国の皆さん、このふたつの事は
あなたがたにもお願いしたい。
つるさんの瑞々しい心は 遠い昔の記憶も 瑞々しいままで
傷ついた人の心の痛みは 鮮血がほとばしりそうだ。
父を突然失った自分。
夫を失ってしまった母。
暮らしを支える母の細腕。
(それはその後 つるさん自信の腕にかかってくる。)
息子を失ってしまった祖母。
その悲しみの一方で
家庭を捨てて出て行ってしまった息子を
どうすることもできない自分を不甲斐なく思う祖母。
働いて 働いて 働いて
そうして 立てなくなった母を看る娘、つるさん。
ほねがら
母を「骨殻大師」とよんで泣き笑いをする。
そうして ようやく 安楽の世界へ旅たつ母に
これらは全部「一幕の芝居」だったな、と語りかけるつるさん。
「馬鹿正直でそんな役柄をもらって
き
これが自分の十八番と腹を定め
地べたを這うような 下手な芝居を
精かぎり魂かぎり続けてきただもんな」
この世は芝居、人はみな役者、
あんな駄目お父も
芝居の役柄では 恨めない、
という つるさん。
「性学育ち(大原幽学先生の教え)のばあちゃん」が
幼いつるさんや 妹さんに教えてくれたものが
おばあさんだけんでなく
つるさんの言葉や 行動のはしはしからも
キラキラと煌いて見え隠れしているこの詩集。
またとない宝物を手にした気分だ。
(ルビがふってある。)
ふとしたことで存在を知り、
全部を読みたくなって ネットで注文。
『第三詩集 足んこの歌』、らくだ出版
(2005.9.20、1260円)
著者は 高野つるさん、今年81歳になるおばあさんだ。
千葉県で農業をするかたわら同人誌に作品を発表し、
詩集を出してきた。
誰が書いたものか、カバーには
「高野つるさんの詩は、内面の怒りを封じ込めた独白である。
村の因襲や秩序を充分に尊重し、
実践すればこそ、その束縛に抗う。
自己に忠実であり、はっきり自己の気持ちを表にだすこと.....」
とある。
厚さは1センチにも満たない薄っぺらな本だけれど
つる婆ちゃんの詩集は
詩も そして 絵も すべて つる婆ちゃんの手になる。
この表紙の絵もタイトルも つるさんがご自分で書いたもののようだ。
その瑞々しい感性には 驚きを禁じ得ない。
小さい方がいい
花は小さいほうがよがっぺ
なんでだって?
そりゃ きまってるがな
萎んだ時のこと考えでみろや
いが
大え花は 悲しみもまた大えからよ
しあわせ
幸福も やっぱり小粒がよがっぺ
なんでだって?
そりゃ きまってるがな
大え幸福 つかんでみろや
有頂天になっちゃって
おらの目ん玉さ 他人の涙が
見えなく なっちゃうからよ
私が小学校4年生の時、ばあちゃんがいったこと(p16)
春だもんな
土の中から
地べた どっついているのは
だれっぺな?
それは わらびの げんこつだがな
だって 春だもんな
枯れ草の中さ
青空ばきざんで ぶんまいたのは
だれだっぺな?
それは 山のすみれだがな
だって 春だもんな
―――後略―――
「びわの実学校」掲載(p36)
その訛りの懐かしさと確かさは
私のふるさとを思い出させてくれると同時に
昔 教科書で読んだ
やはり方言を使って力強くげんこつを書いた詩を思い出させる。
ひともと
「一本の桔梗」という詩(?)(p66)に書かれていることによれば、
つるさんの夫の甚之助じいさんというひとは
宮城県の仙台は秋保(あきう)という温泉のある村で生まれた。
日立製作所で 電子顕微鏡の製作に携わり、
その技術は神業と称えられた。
召集令状も2度来たが
優れた技術者であったため、兵隊にはならなかった。
終戦の頃には
東北大学工学部には航空学科が設置されており、
成瀬政男教授のもとで
航空ギヤーの研究を手伝っていた。
終戦になると
爆弾や焼夷弾の中を 命がけで疎開させた研究資料や機械は
トラック3台ぶんの荷物となって 没収されていった。
研究者達の心には ぽっかりと 大きな空洞が。
そのとき 教授は
「皆 よく聞いてくれ!
敗れたりとはいえ 日本民族、
MPには 毅然たる態度で接して欲しい。」
と訓示なされたとか。
荷を積み終わったMPたちは
整列していた甚之助爺さん達の前で挙手の礼を取り、
さらに隊長は教授にむかって
「貴方の精魂こめられたこれらの研究資料、
これからは
世界平和の為
大切に使わせて頂きます。」
と言い、
教授の手を両手で握り締めたということだ。
つるさんは
孫達に語りかける体裁をとるこの詩を
ばあ
「私ちゃんの一生のお願いは、
故里を大切にする事と
地球上から 戦争をなくすることですよ。」
と結んでる。
アメリカ合衆国の皆さん、このふたつの事は
あなたがたにもお願いしたい。
つるさんの瑞々しい心は 遠い昔の記憶も 瑞々しいままで
傷ついた人の心の痛みは 鮮血がほとばしりそうだ。
父を突然失った自分。
夫を失ってしまった母。
暮らしを支える母の細腕。
(それはその後 つるさん自信の腕にかかってくる。)
息子を失ってしまった祖母。
その悲しみの一方で
家庭を捨てて出て行ってしまった息子を
どうすることもできない自分を不甲斐なく思う祖母。
働いて 働いて 働いて
そうして 立てなくなった母を看る娘、つるさん。
ほねがら
母を「骨殻大師」とよんで泣き笑いをする。
そうして ようやく 安楽の世界へ旅たつ母に
これらは全部「一幕の芝居」だったな、と語りかけるつるさん。
「馬鹿正直でそんな役柄をもらって
き
これが自分の十八番と腹を定め
地べたを這うような 下手な芝居を
精かぎり魂かぎり続けてきただもんな」
この世は芝居、人はみな役者、
あんな駄目お父も
芝居の役柄では 恨めない、
という つるさん。
「性学育ち(大原幽学先生の教え)のばあちゃん」が
幼いつるさんや 妹さんに教えてくれたものが
おばあさんだけんでなく
つるさんの言葉や 行動のはしはしからも
キラキラと煌いて見え隠れしているこの詩集。
またとない宝物を手にした気分だ。