ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

音楽教室(2)

2006-02-18 | こどものこと
娘が始めた音楽教室は グループコースの 
3歳児のクラスだった。

娘のことは 音楽教室に関して 泣かせた事がある。

というか、しょっちゅう泣かせた。

練習をしなさい、とか
しないんなら やめちゃいなさい、とか

みんなと一緒にやんなさい、とか
ちゃんとやんなさい、とか・・・・・。



なにしろ 
後に コンクールに出場して 金賞受賞か!というような子が
複数出現したクラスで、

お母さまもピアノが弾ける、とか
お母さまもピアノを教えられる、とか
そんな環境の‘お子さま’たちの中で

ピアノのない家庭の子だった娘を、
周りの足を引っ張らないようにしたかったのだ。

明らかにクラスの足を引っ張って
進度を落としているのが我が子、というのは
私のプライドを傷つけ、我慢できなかったから。

私はヒステリーの最中だったし、
娘に対して 
「あんたは 他の子たちより ひとつお姉さんでしょ!」
という思いがあり、

イライラしたり 叱ったりを
音楽教室を材料にしても やっていた。



そんな私が どんなふうに映っていただろう、
高○先生は いつも娘にやさしかった。

気難しい娘のことを
いつも
「○○ちゃん、可愛い!」とおっしゃってくださり、

ふてくされていて 楽器に向かわない娘を
「デリケートなんだよね。」と理解してくださったり。

少しずつヒステリーが収まってきつつある頃の私には
本当にいい教師だった。

娘に、ではなく、私に。

子供の やりたくない気持ちを理解してくれて
無理強いはしなくて
やる気を引き出してくれて
そして 最後に 子供をノセテくださる先生だった。

反省する事ばかりの私だった。



足を引っ張りながらも 泣きながら、泣かしながらであっても
それなりに私たち親子3人(赤ちゃん息子も一緒)は
充分に楽しませていただき、

クラスは 年度が替わっても
次々と上のクラスに そのまま持ち上がっていった。

親達はみんなで 次も高○先生に、とお願いして
それはひとつのファミリーでもあった。

みそっかすな親子だったけれど
私にとっても それはとてもありがたかった。

もう上のグループコースがない、となりそうな時に
‘チャイルド・コーナー’という新しいコースができたときは
みんなで万歳をしそうな勢いで そのコースに進んだ。



そしてとうとう
グループコースは もうこれ以上はありません、
ピアノか エレクトーン(ドリマトーンと言うのだけれど)かを
選択するように、となって

娘はピアノを選んだ(選ばせた)。

電子ピアノで済まそうと思っていた我が家では
もうひとつ ドリマトーンを買うことはできなかったので。



「こどものバイエル」とか いくつかテキストがあって
1対1での30分のレッスンは 
過密にならないよう、途中で飽きないように組み立てられていたが

そのなかの「ソルフェージュ」というのが 娘は嫌いで、
私もいつもイライラさせられていた。

そのうち
わたしのヒステリーが 抜けてきつつある時に
娘はソルフェージュのテキストを 毎回忘れるようになった。

私が厳しくバッグの中身をチェックしないので
毎回忘れる。

毎回「ソルフェージュを忘れずに」と書かれて来るのに
毎回忘れるので
さすがに責任を感じて 
そっと音楽教室のバッグにソルフェージュを入れておいたら
その日も娘は忘れて持っていかなかった!

「そんなはずは・・・!」と バッグをひったくって
中身を改める私。

「ない! わたしが今日ちゃんと入れておいたのに・・・!!」



すると先生は声を上げて笑い出した。

「そうか。そんなにソルフェージュが嫌いだったのか。

 わかった。

 じゃあ、○○ちゃんは ソルフェージュをしないことにしよう!」

私もどんなに救われた気分になったことか。

さすがに 入っていたテキストを バッグから取り出して置いてくるとは、
私も降参、笑ってしまった。

娘も嬉しそうだったのには腹が立ったが(笑)。



そして 先生はおっしゃった。

「私も 若い頃は 無理矢理 教えたりもしていたんです。

 この年になって ようやく こういうふうに

 柔軟に そのお子さんに合わせてやれるようになってきたんですよ。」

私よりだいぶお若く見える先生は 
実はそれ程年は離れていないといううわさだった。

この先生も お若い頃は もっとガチガチだったのか、とも思った。

先生は 私に対しても 優しくしてくださった。

私は 娘と同じかそれ以上に この先生に助けていただいた。

こころを救っていただいた。



私の、
子育てに対する肩の力が ようやく抜けてきた頃、
今の仕事に対する熱意も なくなってきた頃(笑)のお話。