マダムようの映画日記

毎日せっせと映画を見ているので、日記形式で記録していきたいと思います。ネタバレありです。コメントは事前承認が必要です。

旅倶楽部「こま通信」手造りの旅<ナイルクルーズ>パート3

2010-01-22 11:36:05 | 旅行
ー10.1.8~18 旅倶楽部「こま通信」手造りの旅<ナイルクルーズ>ーパート3

<王家の谷とハトシェプスト女王の葬祭殿>


メムノン巨像です。
アメンホテプ3世の像だそうです。
もともとはこの後ろに葬祭殿があったのですが、メルエンプタハが自分の葬祭殿の石材を調達するために壊してしまったということです。

ここの駐車場でホテルが作ってくれたお弁当をバスの中で食べました。


メムノン像の側面に彫られたヒエログリフ。
古代エジプトの文字です。
これから巡る遺跡は、この文字で溢れているそうです。
飛行機の中で、友達が持ってきた本を少し読みましたが、簡単そうに書かれていたのに、すぐに眠くなってしまいました。
でも、読む方向くらいはわかったし、王様の名前の特徴もわかったので、興味津々です。

ヒエログリフの解読は、19世紀のフランス人の言語学者シャンポリオンが成功したそうです。
1799年にエジプトのロゼッタで発見されたロゼッタストーンには、3つの言語で書かれた文章があり、最初がヒエログリフ、次がデモティック、最後にギリシャ語でした。
ギリシャ語は読めて、後の文章も同じだと考えられていましたが、すでに読める人はいなかったのでした。
シャンポリオンはコプト文字の研究もしていて、コプト文字に近いデモティックを読むことに成功し、ヒエログラフも読めたそうです。
ロゼッタストーンの解読にはコプト文字がが役に立ったんだと、ガイドの大政さんが教えてくれました。


ロゼッタストーン(ウィキペデアより)カイロ博物館でもレプリカを見ました。

エジプトで初めて見る巨像なので、その大きさにびっくりしましたが、奈良の大仏より、少し大きいくらいです。
メムノン巨像18メートル、奈良の大仏は14.5メートル。
しかも、こちらは椅子に座っているし、大仏はあぐらをかいているし、どっちが背が高い?なんて考えるのも面白かったです。

続いて王家の谷へ。
ここはカメラが禁止です。
エジプトの観光施設全部に言えることですが、セキュリティチェックがとても厳しい。
かならず空港みたいなセンサーがあるし、受付にカメラを預けなければならないところもありました。
そこには自動小銃をかかえた警察官もいて、ものものしい感じもします。

クルーズ船にも自動小銃を持った警察官が乗り込んでいたし、船を乗り降りするときにも見張っていました。

日本人にとって忘れられない事件。
ルクソール事件と呼ばれています。
「1997年、1997年11月17日午前9時(現地時間)ごろ、ルクソールの王家の谷近くにある、ハトシェプスト女王葬祭殿の前にて、外国人観光客ら200名に向けて待ち伏せていた少なくとも6名(もっと多かったという証言もある)のテロリストが、守衛を襲撃した後、無差別に火器を乱射し銃弾がなくなると短剣で襲ったという。この襲撃でスイス人、ドイツ人、日本人(観光客9名、添乗員1名)ら観光客61名が殺害された。」(ウィキペディアより)

私と友達は、1997年以前からエジプトに憧れ、行ける機会を待っていましたが、この事件から後の中東の不安定な情勢を考えて、なかなか踏み切れないでいたのでした。

やはり、この事件のことを考えると、暗い気持ちになり、厳しいセキュリティチェックも仕方がないという気持ちでした。

さて、まだ10時過ぎだというのに、気温はどんどん上がっていきました。
砂漠の中の王家の谷。

(ウィキペディアより)

飛行機の中で少し勉強したヒエログリフなので、王様の名前がどこにあるかくらいわかって(カルトゥーシュと呼ばれる輪っかで囲んであるのが王様の名前です)、自分が歴史ハンターになった気分です。

ラムセス9世、ラムセス1世と見たところで、ワッハブさんが「今日はツタンカーメンのお墓が見学できますよ」と言いました。
決まった時間しか公開していないそうです。
しかも、見られない日もあると言います。
ここの入り口を見張っている人はとても怖い顔で「入るなら早く入りなさい」と言っているようでした。


ツタンカーメンのお墓の入り口(ウィキペデアより)

中へ入ると、今まで見てきた王の墓より、だいぶ規模が小さいけれど、あまりにも有名です。
理由は盗掘を免れたからです。
玄室には一番外側の人型棺が展示されていました。
壁には一面の壁画。

入り口近くの小さな部屋に、ツタンカーメンのミイラが眠っていました。
3300年以上の時を超えて残る肉体って、あり得なーい!!
でも、彼はただ、静かに眠っているだけでした。
カイロ博物館で彼の遺品を見るのが、ますます楽しみになりました。

もうへとへとでしたが、ラムセス3世のお墓を見ました。
このお墓は、とても豪華でした。
ツタンカーメンは亡くなったのが18歳くらいらしいので、あまりお墓の準備ができなかったらしいのです。
このラムセス3世の墓は、準備する時間がたくさんあったのでしょうね、ほんとうに立派でした。

見られるお墓は1グループ3個だそうです。
入り口でチケットにはさみを入れてくれます。
ツタンカーメンは別チケット。

次は、ルクソール事件の惨事があったハトシェプスト女王葬祭殿へ。


ハトシェプスト女王は、トトメス1世の娘で、夫はトトメス2世。
不幸なことに世継ぎに恵まれなかったので、トトメス2世は妾の子トトメス3世を世継ぎに指定しましたが、この子が幼かったため、王に変わって22年間も統治した女王です。
テレビで予習したところによると、彼女は幼いトトメス3世を継子いじめして、みずから髭を付けて男装していたそうです。


神殿の壁画


天井には星も

この葬祭殿にも、「自分は神から約束された命なので、女ではない、神聖な存在だ」と言う物語が描かれてあるそうです。

カイロ博物館にも男装して顔色も浅黒いハトシェプスト女王の顔の像がありました。

葬祭殿というくらいですから、ここで彼女のお葬式が行われたのでしょう。
とても巨大な遺跡、その影響力が忍ばれます。


第3テラス


一番奥にある岩をくりぬいて作られた至聖室

彼女の死後、王になったトトメス3世は、彼女を嫌って、壁画の中の彼女の神格化された部分を削ってしまったそうです。
いつの世も、人間の感情的な部分は変わらないようです。
(女性の王を認めない神官がやったという説もあります)


葬祭殿から東岸ルクソール市内を臨む


クルーズ船にチェックイン


クルーズ船のロビーから吹き抜けの天井を見上げる。

クルーズ船にチェックインして、お昼ご飯!!
バイキング形式で、たくさんの食べ物で溢れていました。


食堂


初めてのエジプト料理。なかなか薄味でピクルスなんて、すごく美味しいです。
後ろにあるのがエジプトのビールサッカラ。
イスラム教はアルコールが禁止ということで、飛行機にも置いてありませんでしたが、船は観光用なのでビールもワインもエジプト製のものがありました。
ちなみに、サッカラビールはキリスト教徒が経営しているそうです。

<ルクソール神殿>

4時過ぎに再集合してルクソール神殿へ。



この神殿は東岸、ルクソールの町の中心にあります。
エジプトの神殿は、その地の豪族が既に建てていたところに新築したり増築したりしたものが多いようです。
この神殿も、もともとあったところに新王国の第18王朝のアメンヘテブ3世によって建立されたそうです。

この神殿は、次の日に行くカルナック神殿の付属神殿として作られたもので、本来は約3キロも続くスフィンクスの参道で結ばれていました。
その参道を復元しようと、町の真ん中で、家の立ち退きや修復作業を進めている最中のようでした。



入り口には塔門があって、その前にはラムセス2世の座像が入り口に2体あります。
オベリスクも2つあったはずですが、今は1つしかありません。
切り取られた台座だけが残されていました。
ここにあったオベリスクはパリのコンゴルド広場にあります。
壁面には、ラムセス2世の「カディシュの戦い」が描かれてありました。



入り口を入ると、遺跡に不似合いな建物がありました。
現在もイスラム教会として使われているそうです。


ここはラムセス2世の中庭と呼ばれている空間です。


再び現れるラムセス2世の座像


台座には征服した捕虜が描かれています。これは、東方系の敵。


これはアフリカ系の敵。

ラムセスの2体の座像の間を通って、アメンヘテブやツタンカーメンが作った神殿に入っていきます。


これはツタンカーメンとその妻アンケセナーメンの仲睦まじい像ですが、なんと、この像に書いてあるのはラムセス2世の名前!!
このように、ラムセスは過去の王様の偉業に自分の名前を書き換えているものが多数見られるそうです。
ラムセス2世って、どんな人だったんだろう。
私の頭の中に、自己顕示欲の強い暴君のイメージができあがっていきました。

神殿の一番奥にはギリシア風の花が開いたような形のの柱があって、ここはアレキサンダー大王の所縁の神殿となっています。

この神殿に、長い時間が流れていることを感じます。

いよいよ夕暮れが迫り、ライトアップされました。
振り返れば大列柱室の巨大な柱の林が浮かび上がりました。



では、ルクソール宮殿のライトアップを楽しんでください。





塔門の前のラムセス2世の顔


カルナック神殿まで続いていたというスフィンクスの参道


こんな顔をしています。

今日は停泊中の船で宿泊です。

エジプトには神殿やお墓はあっても宮殿は残っていません。
このファラオたちがどんな暮らしをしていたのか、もはや謎ですが、お墓にこれほどまでの執念を燃やす人々ですから、その住まいはもっときらびやかだったに違いありません。

大氾濫を起こして、人々に災いと豊かさを同時にもたらしたナイル川。
その川とともに行きた古代のエジプト人たち。

古代人への憧れに、私の心はますます膨らんでいくのでした。


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