マダムようの映画日記

毎日せっせと映画を見ているので、日記形式で記録していきたいと思います。ネタバレありです。コメントは事前承認が必要です。

旅倶楽部「こま通信」手造りの旅<ナイルクルーズ>パート4

2010-01-23 15:52:20 | 旅行
ー10.1.8~18 旅倶楽部「こま通信」手造りの旅<ナイルクルーズ>ーパート4

<カルナック神殿>

やはり、旅の興奮があるのでしょうか?
私と同室のKは朝早くから目が覚めて、船の屋上にあるテラスから朝日を見ることにしました。



東の空はすっかり明るくなっていて、昨日見学した西岸には気球が上がっていました。
行き交う船が朝日を浴びてとてもきれいです。

朝食はバイキング。

私の食べたもの。

では、カルナック神殿に出発です。
出で立ちは、タオルやスカーフですっぽり顔を覆って、帽子を深くかぶります。


振り向くと、ハトシェプスト葬祭殿(があるはずなんですが…)。


羊の顔をしたスフィンクスがお出迎え。



顔はこんな顔。

塔門の裏側。
こんなふうに日干しレンガで坂道を作って巨石を積み上げたということです。


生け贄を殺したという祭壇。


セティ2世の神殿



第2塔門、直立しているラムセス2世像と左足を出している像があります。
立っている方は、生きている姿を表し、直立している方はミイラのポーズで死んでいることを表します。
ミイラポーズの足下にいるのは、娘さんです。





ここで、何度も名前が出てきているラムセス2世について、少し説明しておきます。
この人が、今回の旅行のヒーローになりました。(私にとっては、ですよ)

ラムセス2世は紀元前1314年から紀元前1224年(1説ですが)、古代エジプト第19王朝のファラオで、ラムセスはギリシャ語ですが、「ラー(太陽神)によって生まれた」という意味の名前だそうです。

セティ1世の息子で、セティ1世がなくなった後、24歳で即位し、90歳で没するまで、66年間統治し、何人ものお妃や側室との間に、後継者となるメルエンプタハをはじめ、息子111人、娘69人を儲けたと伝えられています。

彼を一躍有名にしたのが、あちらこちらの壁画に描かれている「カディシュの戦い」。
これは、紀元1286年、ヒッタイトとの間で行われた戦争で、自ら軍を率いて闘いました。
苦戦しつつも彼の大活躍で勝利し、これを機にヒッタイトと休戦(世界史初の平和条約)に成功、ヒッタイトの王女を王妃に迎えたそうです。

ヒッタイト!!トルコへの旅行で、ハットゥシャにあるヒッタイトの遺跡に行きました。
あのときは、何にもわからず、ガイドさんの説明がとても眠かったのを覚えていますが、ここで、つながりました。
すごい城壁が修復されて残っていたし、ライオンの門もありました。
なんだか、うれしいなあ!
古代がぐっと近く思えます。

さらにラムセス2世は、ナイルの南の地ヌビアを勢力に加え、ここにスーダンからの侵略者を威嚇するためにアブシンベル神殿を建立したということです。

旧約聖書の「出エジプト記」、モーセのお話ですが、このときのファラオがラムセス2世ではないかと言われています。
最近では、ラムセス2世の息子メルエンプタハという説が有力のようですが。
というのも、メルエンプタハは水死したようで、それはモーセの話と合うということらしいです。

ちなみに赤ちゃんだったモーセを拾って育てたのは、ハトシェプスト女王との説もあるそうです。

このように、新王国に富と栄華をもたらし、大王と呼ばれるラムセス2世ですが、ネフェルタリという王妃をこよなく愛したようです。
王家の谷のネフェルタリの墓(現在は見学禁止)には、ラムセスがネフェルタリを思って読んだ詩がたくさん残されているそうですが、中でも、
「余の愛する者はたゞひとりのみ。何者も余が妃に匹敵する者はなし。生きてあるとき、かの人は至高の美を持つ女人であつた。去りて、しかして余の魂を遙か遠くに奪ひ去りしが故 」という情熱的なものがあるそうです。


ネフェルタリのお墓の壁画に描かれているネフェルタリ(ウィキペディァより)
この輪っかで囲まれているのがカルトゥーシュです。
中にネフェルタリを表すヒエログラフが書かれています。

アブシンベル神殿には、大神殿の隣にネフェルタリのために小神殿さえ作られていました。
亡くなってからも大切にされていたことが、ひしひしと伝わります。

ネフェルタリはラムセス2世との間に3人の息子と2人の娘を儲けましたが、誰も王位を継いでいません。



そして、話を戻しますが、ラムセス2世のミイラポーズの足下にいる女性は、ネフェルタリそっくりの自分の娘で、この娘と結婚しようとしたようです。
さすがに、このころの法律も親子の婚姻は禁じていたし、神官たちも大反対したそうですが、彼は「自分は神から生まれ、神のような存在なのだから、いいのだ」ということを言ったようです。

それはやりすぎでしょう、と思うけど、それほどまでに愛されたネフェルタリという女性。
どんなに素晴らしい人だったんでしょう。
ラムセスって、「英雄色を好む」だけではない、初恋を貫くようなロマンチストな一面があったのかも。
文武両道の愛妻家だったのかなあ。
二人の間には、どんな愛情物語があったのでしょう。
自己顕示欲の強いファラオというイメージが、愛妻家ラムセスさんに変わってきました。


さあ、お待ちかねの大列柱室。
アガサ・クリスティの「ナイル殺人事件」の殺人未遂の舞台となったところです。
映画「ナイル殺人事件」では、こんな柱の間から巨石が落ちてきましたよね!!


柱の裏側には彩色の色がまだ鮮やかに残っています。
カルトゥーシュで描かれているのが、ファラオの名前です。
見えるかなあ?
ファラオの名前は2つ以上はあるようです。


トトメス1世のオベリスク。向こうにハトシェプスト女王のオベリスクが見えます。


これがハトシェプスト女王のオベリスク。

第5・第6の塔門を抜けて、神殿の中に入ると観光客でごったがえしています。
もう何が何かわからない状態です。
とうとう、ワッハブさんともはぐれてしまいました。

神殿の中には至聖殿と呼ばれるいわゆるご神体を祀っている部屋の周りに、部屋がたくさんあって、これはそのひとつのお部屋の天井です。


星が描かれていて、あかり取りの隙間もあいています。



これは、アメン神(太陽神だと思うけど…)。
色が残っています。



やっとワッハブさんを見つけました。



聖なる池。
ここで身を清めるそうです。



みんながぐるぐる回っています。
その正体はスカラベ(糞転がし)。



太陽を運んでいる姿をイメージして、神として祀られています。
私たちもぐるぐる回ってお願いごとを。

修復作業もきりがなく、大変そうです。



スフィンクスの後ろ姿は、なんだかユーモアがあります。



<ナイルクルーズのはじまり>

船に戻ったら、いよいよクルージングの始まりです。
合図も何にもない、静かな出航。

夕暮れが近くなって、エスナの水門にさしかかりました。



水門で船のスピードが緩むのを待って、物売りの人たちがボートでやってきました。



甲板にものを投げ入れて、お金を払わなかったら船の中にも乗り込んで来るというので、みんな必死に投げ返していました。
明日の晩のガラベーヤパーティのための衣装を売りにきているようです。
うまく買えた人もいました。
私は船の中のショップで調達しました。

その際に仲良くなった(ショップの店員さん)。



結局、彼のお勧めに負けて(?!)金製のカルトゥーシュを買ってしまいました。
カルトューシュの中に私の名前をヒエログリフで入れてくれて、裏にはアンク(命の鍵)を貼付けてくれるそうです。
この買い物の値段交渉には、東京から参加の結婚したばかりの若奥様とワッハブさんが通訳で頑張ってくださいました。

甲板に来たカラス。


トルコにもいたなあ。

水門は、先日近江八幡で通った水門と原理は同じ。
エスナダムの上流と下流では水位が違うので、船をいったんドックのようなところに入れて水門を閉じ、上流の水門を開けて水位を上げて、上流の水門を開けてまた進む、というもの。
みんなで、船の先端に集まって、ナイルの流れを眺めていました。

この夜はさすがにみんな疲れてしまって、夕食の後は早く静かに休みました。



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2 コメント

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いつか・・・ (NAKAちゃん)
2010-01-26 08:45:51
長~い旅行記 楽しませていただきました。
私もいつか訪れてみたいです・・・
それにしても日本と歴史が違いますね!

そうそう確か 映画「十戒」でユルブリンナーが演じたエジプト王はラムセスだったと。
本当のお話なの?!
やっぱりロマンですね!!
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NAKAちゃんへ (マダムよう)
2010-01-26 09:21:49
まだまだ続くんですよ。
エジプトって面白いよ。

エジプトって本当に不思議。
日本と全然違うよね。
日本が、まだ共同体で農業を始めたばかりの頃に、もうピラミッドを造る技術を持っていたなんて。

しかも、その知識が壁画のなかに閉じ込められて、蓄積されていないどころか、伝わってもいないのはなぜなんだろう。
疑問が次から次へとわいて出て、もう抑えられない感じなの。

頑張って書くから、読んでね。
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