ー日本を愉しむ出雲ー
強行スケジュールの旅行始まる
日本中の夏の熱気が入れ替わった9月の終わりに、出雲へバス旅行に行きました。
主催は「日本文化研究所なら」(紹介記事http://www.nara-np.co.jp/20100203104614.html)です。
ここで募集されているスペイン旅行は終わっています。
主催の勝部月子さんは私の大学の先輩で、帝塚山大学講師です。
勝部さんの親しい友人つながりで、彼女の故郷島根を案内していただきました。
神話の国出雲の旅は、ロマンをかき立てます。
旅行日程を見ると、1日目の23時まで佐太神社の神事を見せていただき、翌朝は6時から須我神社と奥の宮の参拝が組まれていました。
ひゃあ、いつ寝るの?と驚きましたが、それどころではない強行軍でした。
グルメがつきもののいつもの旅ではなく、とてもアカデミックな(私らしくない)いたって高尚な旅となりました。
出発は奈良が7時大阪が8時の予定ですが、むしろ15分ほど早く出発できました。
でも、最初の昼食場所である松江市島根町小波の民宿「なかよし」に着いたのは13時を回っていました。
ここの民宿のお魚料理はとても美味しかったです。
次回は、「冬の日本海の荒波をただ眺めるだけの旅」を企画してくれるそうです。
「なかよし」さんではカニも名物だそうですので、とても楽しみです。
昼食の後は「加賀の潜戸(かかのくけど)」を遊覧船で訪ねる予定でしたが、波が荒くて船が出ないということで、遊覧船乗り場でDVDを見せていただきました。
詳しいことはHPで。http://asokoi.shimanecho.jp/shisetsu/kukedokanko/index.html
このあたりは、岩が波に寝食されて洞窟になっていたりトンネルのようになっていたりするのですが、特に「加賀の潜戸」と呼ばれるところは、佐太神社の祭神・猿田毘古大神(サルタヒコノオオカミ)がお生まれになったところと伝えられています。
ここは、夏至のころに朝日が真正面から当たり、洞窟の中が黄金に輝くそうです。
猿田毘古大神の母キサカヒメが産屋を探していたところ、「加賀の潜戸」のあたりに金の矢を射通して、そこが金色に輝いたので「カカ」という地名になったそうです。
そして、もともと「加賀の潜戸」に祀られていたという「加賀神社」へ。
今は「加賀神社」ですが、昔は「潜戸大神宮」と言われた。
宮司さんが丁寧に迎えてくださり、お祓いをしてくださいました。
神殿は狭いけれど、その四方の壁には立派な絵馬が飾られていました。
絵馬の説明をしてくださる宮司さん
ほとんどが江戸時代、北前船の寄港地として栄えていた頃のもの。
加賀の裕福な人たちが、大阪の絵師に描かせて奉納したものでした。
最後は明治のものでしたが、素晴らしい青色で、今ではどうやってこの色を出したかわからないそうです。
次は八重垣神社。
資生堂の「TSUBAKI」のアイコンの元になった椿の木がありました。
神社の境内では結婚式が行われてしました。
素盞嗚尊(スサノオノミコト)と櫛稲田姫(クシイナダヒメ)が祀られていて、八重垣神社の名前の由来は、櫛稲田姫が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に食べられる寸前に素盞嗚尊が助け、八岐大蛇を倒し、「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」と詠んでこの地で住んだという故事から来ています。
このことから、縁結びの神としても名高く、奥の院の鏡の池では、紙にコインを浮かべて良縁をお祈りする人がたくさんいました。
ちょうどこの日は結婚式も行われていました。
次に訪れたのが神魂神社(かもすじんじゃ)。
この神社は、古代出雲の中心地にあり、出雲の国造が天穂日命から数えて25代まで奉仕してきたと言われる神社です。
現在の出雲の造である出雲大社の宮司家が、国造の代替わりのときには身を清めるためにこもる神社だそうです。
ようやく宿に入り、立派な夕食。
なのに…あわただしくすませて、またバスに乗って出かけました。