マダムようの映画日記

毎日せっせと映画を見ているので、日記形式で記録していきたいと思います。ネタバレありです。コメントは事前承認が必要です。

危険なプロット

2013-10-31 09:32:07 | 映画ー劇場鑑賞

ー危険なプロットーDANS LA MAISON/IN THE HOUSE

2012年 フランス 105

フランソワ・オゾン監督 ファブリス・ルキーニ(ジェルマン)クリスティン・スコット・トーマス(ジャンヌ)エマニュエル・セニエ(エステル)エルンスト・ウンハウアー(クロード)

 

【解説】

『スイミング・プール』『しあわせの雨傘』などのフランソワ・オゾンが、フアン・マヨルガの戯曲を原作にして放つサスペンスドラマ。類まれな文才を秘めていた生徒と彼に物語の書き方を指導する国語教師が、思わぬ事態を引き起こしていくさまを見つめていく。『屋根裏部屋のマリアたち』などのファブリス・ルキーニ、『サラの鍵』などのクリスティン・スコット・トーマスなど、実力派が出演。ユーモアを絡めながら日常に存在する狂気や人間が抱える闇を浮き上がらせる、オゾン監督の卓越した演出手腕に引き込まれる。

 

【あらすじ】

作文の添削ばかりで刺激のない毎日に嫌気が差している高校の国語教師ジェルマン(ファブリス・ルキーニ)は、クロード(エルンスト・ウンハウアー)という生徒が書いた同級生とその家族を皮肉った文章に心を奪われる。その秘めた文才と人間観察能力の高さに感嘆したジェルマンは、彼に小説の書き方を指南する。かつて諦めた作家になる夢を託すようにして熱心に指導するジェルマンだが、クロードの人間観察は次第に過激さを増すように。そして、その果てにジェルマンを思わぬ事態に引きずり込んでいく。(シネマトゥデイ)

 

【感想】

少年の作文に、なぜ中年教師がここまで引き込まれてしまったのか?

やはり、言語の壁なのか、私には少し退屈な感じでしたが、いろんなレビューを読むと評判がいいです。

 

かつて1冊の小説を書いたが、全く売れなかったという経験を持ち、皮肉屋となった高校教師ジェルマン(ファブリス・ルキーニ)は、生徒たちに週末のことを作文に書くように宿題を出した。

数行で終わる者がほとんどの中に、クロード(エルンスト・ウンハウアー)という生徒が書いた作文に目が止まる。

内容は、同級生の家に遊びにいったときのこと。

棘のある文章がジェルマンの心にささった。

文章はうまいが、表現が官能的で不道徳な感じがした。

そして、「続く」で終わっていた。

妻ジャンヌ(クリスティン・スコット・トーマス)にも読み聞かせる。

 

ジャンヌは小さな画廊の雇われ所長。

画廊のオーナーが亡くなり、その後継者である双子の女性が、画廊の経営をめぐって、閑散とした状態が続くなら閉館も辞さないという。

この画廊のコレクションには笑ってしまう。

近代アート???

エロだし、下品。

 

☆ネタバレ

さて、クロードが書いている家庭は、同級生のラファの家。

数学の得意なクロードが、毎週ラファに教えにいっていた。

ラファの家は典型的な中産家庭だが、クロードはセクシーなラファの母親のエステル(エマニュエル・セニエ)に引かれている。

そして自分の境遇が、父一人子一人で、父が障害者、その介護と学業で精一杯という自分とは全く違う、一見平凡だか幸せそうな家庭を持つラファをうらやましく思う気持ちと、バカにした気持ちが混在している。

ラファの父親も同じ名前、ラファといい、中国系の企業に勤めているが直情型の単純な人物。

 

先生は毎週書くようにいい、要求もエスカレートしていく。

ラファの数学の成績が上がらないとクロードが終末に行くのを止めさせられるとなると、数学の試験をコピーしてラファに与えた。

二人は共犯者、一線を越えてしまった。

さらに「読者が想像するように書け」と言われ、クロードと先生は虚構の世界へと迷い込んでいく。

 

要求は「書く」と言うことだけれど、これは映画なので映像となってしまう。

そうなると、覗き見みたいに悪趣味な感じ。

覗きをクロードに先生が強要しているみたい。

見ている私も落ち着かない。

 

クロードは家族が欲しかった。

ラファと替われたら、幸せになれるんじゃないかと思った。

でも、クロードの居場所はラファの家の中にはなかった。

 

ラストは、少し不気味です。

仕事も妻も無くした先生が公園のベンチに座って人々が暮らすたくさんの窓を眺めている。

そこへクロードが来て「先生はすべてをなくしたけれど、僕がいる」と隣に座ります。

窓の向こうの部屋ではいろんな人間の営みが…。

それを並んで眺めている二人…。

 

クロードには意図があったとは思えないけど、孤独で家族を求めていた結果なのかな?

そして、先生という疑似家族を得て、満足なのでしょうか?

先生には人の家庭を覗きたいという文学者としての欲求があって、ここまでのめり込んだのかなあ?

 

フランソワ・オゾンらしいのかな?

私には、難しかった。