マダムようの映画日記

毎日せっせと映画を見ているので、日記形式で記録していきたいと思います。ネタバレありです。コメントは事前承認が必要です。

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2011-06-13 09:52:01 | 映画ー劇場鑑賞

 

ーマイ・バック・ページー

2011年 日本

監督=山下敦弘 原作=川本三郎  脚本=向井康祐 キャスト=妻夫木聡(沢田雅巳)松山ケンイチ(梅山(片桐優))忽那汐里(倉田眞子)石橋杏奈(安宅重子)韓英恵(浅井七恵)中村蒼(柴山洋)長塚圭史(唐谷義朗(東大全共闘議長))山内圭哉(前橋勇(京大全共闘議長))古舘寛治(中平武弘(週刊東都記者))松浦祐也(タモツ)青木崇高(キリスト)山本浩司(佐伯仁)山本剛史(清原)中野英樹(津川(週刊東都記者))菅原大吉(小林(東都ジャーナル編集長))康すおん(高峰(刑事))中村育二(島木武夫(週刊東都編集長))山崎一(徳山健三(週刊東都デスク))あがた森魚(飯島(東都ジャーナルデスク))三浦友和(白石(東都新聞社社会部部長))

 

【解説】

海外ではベトナム戦争、国内では反戦運動や全共闘運動が激しかった1969年から1972年という時代を背景に、理想に燃える記者が左翼思想の学生と出会い、奇妙なきずなで結ばれていく社会派エンターテインメント。川本三郎がジャーナリスト時代の経験を記したノンフィクションを『リンダ リンダ リンダ』の山下敦弘監督が映像化。激動の時代を駆け抜けた若者たちの青春を初共演で体現する、妻夫木聡、松山ケンイチの熱演から目が離せない。

 

【あらすじ】

全共闘運動が最も激しかった1960年代後半、週刊誌編集部で働く記者・沢田(妻夫木 聡)は、理想に燃えながら日々活動家たちの取材を続けていた。ある日、梅山と名乗る男(松山ケンイチ)から接触を受けた沢田は、武装決起するという梅山の言葉を疑いながらも、不思議な親近感と同時代感を覚えてしまう。

(シネマトゥデイ)

 

【感想】

この作品は、あの時代の日本を知っているのと知らないのでは、大きく感想が異なると思いました。

 

鑑賞後、若い女性は「わからなかった」といい、若い男性は「あんなんにダマされるなんて、アホや」という声が聞こえてきました。

 

なぜ川本三郎ともあろう人物ー東大を出て、東都ジャーナル(朝日ジャーナル)の記者をしていた人物が、自称新左翼の梅山(本名は片桐)に惑わされてしまったのか。

 

私は高校時代○○ジャーナルという雑誌を作るクラブに所属していました。

当時の早稲田大学新聞には「右手にジャーナル、左手にマガジン(週刊少年マガジン)」と書かれたそうで、それほどまでに、学生に指示されていた週刊誌でした。

そこで、社会問題には縁のないようなお嬢さん学校であった我が校でも、2年上の先輩が○○ジャーナルを立ち上げたのでした。

 

1969年1月に、安田講堂が陥落して、東大全共闘の活動は終息へと向かって行った訳ですが、学生運動は各大学へと広がり、過激派は地下へ潜っていった時代でもありました。

 

そして、国民に見えてきたのは、よど号ハイジャック事件や、浅間山荘、それにつづく大量リンチ事件でした。

 

こうして、学生運動は、国民感情から乖離して行き、人々はしらけた空気に包まれました。

 

そういう時代を背景に、この物語が語られています。

 

 妻夫木聡

 

沢田(妻夫木 聡)は、東大を出て、憧れの東都新聞社に入社するのだが、配属されたのは希望した東都ジャーナルではなく、大衆紙と呼ばれる週刊東都だった。

表紙も、高校生モデルの倉田眞子(忽那汐里)がきまり、編集部もジャーナルとは違う雰囲気だった。

 

フーテンの潜入取材から戻った沢田は、傍観者的な視点で記事を書く自分に偽善的なものを感じていた。

そこへ、先輩記者中平(古舘寛治)に接触して来た梅山と名乗る男(松山ケンイチ)を取材することになった。

中平は、梅山をうさんくさく感じ、近づくなと言ったが、その夜一晩自宅に泊めた沢田には、なにか引かれるものがある人物だった。

宮沢賢治を愛読する、CCRの「雨を見たかい」を一緒に歌ったということで、沢田は梅山の話にのめり込んで行くのだった。

 

 松山ケンイチ

 

☆ネタバレ

ここから起きる事件は、現実にあった「朝霞自衛官殺害事件」を元にしています。

「朝霞自衛官殺害事件」は、1971年に赤衛軍と名乗る犯人によって、陸上自衛隊朝霞駐屯地内で自衛官が殺害された事件です。

この事件で、当時週刊朝日ジャーナルの記者だった川本三郎が犯人の菊井から自衛官の腕章を受け取り、自宅裏で焼いたことから、証拠隠滅材に問われ、有罪となり、朝日新聞社も退社しました。

 

名前は変えて描かれていますが、ほぼ事実に近いんじゃないかなあと思いました。

 

今の感覚から見れば、沢田のしたことは問題が多すぎます。

実際、起きたことは人命が失われた事件なので、結果責任をとわれても仕方がないと思いました。

 

でも当時は、知識人を自負する人は、世の中を変えなければいけない、そのためには多少の暴力や犠牲は必要だと考えていた人も多かったように思います。

特に、警察官や自衛官は権力側の人間と位置づけて、闘争の中では敵となっていました。

でも、違うよね。

警察官も自衛官もただの職業です。

親もあり、制服を脱げばよき家庭人である日本人には違いがありません。

判決が出て、職場を離れるときの沢田に、その意識があったかどうかー。

 

数年経って、沢田がかつて取材したフーテンのタモツ(松浦祐也)の店にたまたま入って、タモツの生活を目の当たりにして流す涙の意味ー。

とても深いものがあったと思います。

 

この涙の意味について、夫と語り合いましたが、結局彼の生き様というか、傍観者的な考え方が、がらがらと崩れ落ちた涙だったのではないかという結論になりました。

私は悔恨の涙だと思い、夫は再生の涙だと思ったようでした。

 

どちらにしても、この妻夫木聡の演技は素晴らしかった。

 

そして、3.11を経験したかつての全共闘世代が、過去の挫折から立ち直って、ふたたび行動に出るきっかけになる作品じゃないかなあと思いました。

 

でも、この作品を手がけた山下敦弘監督も、脚本の向井康祐もこの事件の後に生まれた人たちなのですね。

だから、ここまで冷静に描けたのかもしれないし、立脚点もぶれなかったのかもしれない。

 

あがた森魚も出演していい味を出していたし、長塚圭史の全共闘議長もぴったり、三浦友和も出番は少ないけど、渋くてよかったです。

 

沢田の部屋にあるものが、見覚えのあるものばかり。

カラーボックスとか、床材とか、カーテンの柄とか…。

うまく集めたねー。

 

とってもいい作品でした。