禅~ZEN~
2008年 日本
監督=高橋伴明 キャスト=中村勘太郎[2代目](道元)内田有紀(おりん)藤原竜也(北条時頼)テイ龍進(寂円・源公暁)高良健吾(俊了)安居剣一郎(義介)村上淳(懐奘)勝村政信(波多野義重)鄭天庸(如浄)西村雅彦(浙翁)菅田俊(公仁)哀川翔(松蔵)笹野高史(老僧)高橋惠子(伊子)
【解説】
曹洞宗を開き禅の教えを説いた鎌倉時代の僧、道元禅師の生涯を描く歴史ロマン。歌舞伎俳優の中村勘太郎が、道元の生きざまをりんとした姿で演じる。原作は大谷哲夫の「永平の風 道元の生涯」、監督は『丘を越えて』の高橋伴明。ヒロインのおりんに内田有紀がふんするほか、藤原竜也や笹野高史、高橋惠子といった脇を固める俳優陣も豪華。生や死を深く考えさせられるのはもちろん、道元の魅力的な人柄や風光明美な自然をとらえた娯楽作品としても楽しめる。(シネマトゥデイ)
【あらすじ】
「只管打坐(しかんたざ)」の考えに目覚め、大宋国での修行より帰国した道元禅師(中村勘太郎)。勢力入り乱れる鎌倉時代、道元は禅の教えを広めようとしていた。困窮する人々にも権力者にもわけ隔てなく、出会った人々に真の教えを説いていく。(シネマトゥデイ)
【感想】
高橋伴明監督といえば、社会派やハードな作品を想像しますが、この作品は禅をテーマにしながらも、生き生きと生きている道元を通じて、人生を語るような解りやすい作品に仕上がっていました。
ヒットしていることが納得できました。
それも、ひとえに道元を演じる中村勘太郎の役者としての力量に負うところが大きいと思いました。
歌舞伎役者の花と技量で、ぶれることなく道元を体現していました。
幾度となく、苦しむ人の心に寄り添い、涙するシーンはとても美しいものでした。
時は鎌倉時代、政変もあり、権力の中にいる人も、貧しさに喘ぐ庶民も、心の寄りどころを求めている時代でした。
既成の宗教は保身に走り、争いばかり繰り返して民衆の苦しみを見ていない状態。
現代にも通じる混乱の時代でした。
幼くして母を亡くした道元は、人はなぜ死ぬのか、死んだら魂はどこに行くのかという大きな問いを抱えます。
「母は、死にたくない、そなたと一緒にいるここが浄土だ」と言いながら、母は死んでいったのでした。
宋に渡り、数々のお寺を訪ねますが、道元の問いに答えてくれる高僧は見当たりません。
もう、会えないのか、と諦めかけた時に、天童如浄禅師と出会い、座禅を組み、「只管打坐(しかんたざ)」を体得して大悟を得ます。
ここが一番難しい表現ですが、CGを使ってあっさりと表現していました。
その後、日本に帰った道元は、少ない弟子、貧しい暮らしの中で、人々に禅の教えを仏教の正法として解いていきます。
己の中に仏を見ると言う、厳しい修行をともなう教えであっても、弟子や信者を増やしていきます。
面白く思わないのが、多宗派の僧で、僧兵が来て道元の寺を焼き討ちしてしまいます。
そこで、波多野義重(勝村政信)が自分の領地へ招いてできたのが永平寺です。
今も、修行の寺として、現役ですね。すごい。
戦争の後遺症に苦しむ時の権力者北条時頼(藤原竜也)に対峙する道元は、まさに信念の人でした。
命を賭けたその説法は、病んだ時頼の心も動かします。
「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり」
あるがままを受け入れよ、という道元の教えでした。
おりん(内田有紀)とのエピソードは、「ジーザスクライストスーパースター」のマリアとのやりとりにも似ていました。
道元と弟子との別れ、道元と言えども、いい人間関係を構築できた結果なんだなあ、としみじみ感じました。
人は、一人では生きていけない、禅の極みを極めた人でも…。
全体的にベタなんだけど、真摯に本質を語るやり方に好感が持てる、いい作品でした。
2008年 日本
監督=高橋伴明 キャスト=中村勘太郎[2代目](道元)内田有紀(おりん)藤原竜也(北条時頼)テイ龍進(寂円・源公暁)高良健吾(俊了)安居剣一郎(義介)村上淳(懐奘)勝村政信(波多野義重)鄭天庸(如浄)西村雅彦(浙翁)菅田俊(公仁)哀川翔(松蔵)笹野高史(老僧)高橋惠子(伊子)
【解説】
曹洞宗を開き禅の教えを説いた鎌倉時代の僧、道元禅師の生涯を描く歴史ロマン。歌舞伎俳優の中村勘太郎が、道元の生きざまをりんとした姿で演じる。原作は大谷哲夫の「永平の風 道元の生涯」、監督は『丘を越えて』の高橋伴明。ヒロインのおりんに内田有紀がふんするほか、藤原竜也や笹野高史、高橋惠子といった脇を固める俳優陣も豪華。生や死を深く考えさせられるのはもちろん、道元の魅力的な人柄や風光明美な自然をとらえた娯楽作品としても楽しめる。(シネマトゥデイ)
【あらすじ】
「只管打坐(しかんたざ)」の考えに目覚め、大宋国での修行より帰国した道元禅師(中村勘太郎)。勢力入り乱れる鎌倉時代、道元は禅の教えを広めようとしていた。困窮する人々にも権力者にもわけ隔てなく、出会った人々に真の教えを説いていく。(シネマトゥデイ)
【感想】
高橋伴明監督といえば、社会派やハードな作品を想像しますが、この作品は禅をテーマにしながらも、生き生きと生きている道元を通じて、人生を語るような解りやすい作品に仕上がっていました。
ヒットしていることが納得できました。
それも、ひとえに道元を演じる中村勘太郎の役者としての力量に負うところが大きいと思いました。
歌舞伎役者の花と技量で、ぶれることなく道元を体現していました。
幾度となく、苦しむ人の心に寄り添い、涙するシーンはとても美しいものでした。
時は鎌倉時代、政変もあり、権力の中にいる人も、貧しさに喘ぐ庶民も、心の寄りどころを求めている時代でした。
既成の宗教は保身に走り、争いばかり繰り返して民衆の苦しみを見ていない状態。
現代にも通じる混乱の時代でした。
幼くして母を亡くした道元は、人はなぜ死ぬのか、死んだら魂はどこに行くのかという大きな問いを抱えます。
「母は、死にたくない、そなたと一緒にいるここが浄土だ」と言いながら、母は死んでいったのでした。
宋に渡り、数々のお寺を訪ねますが、道元の問いに答えてくれる高僧は見当たりません。
もう、会えないのか、と諦めかけた時に、天童如浄禅師と出会い、座禅を組み、「只管打坐(しかんたざ)」を体得して大悟を得ます。
ここが一番難しい表現ですが、CGを使ってあっさりと表現していました。
その後、日本に帰った道元は、少ない弟子、貧しい暮らしの中で、人々に禅の教えを仏教の正法として解いていきます。
己の中に仏を見ると言う、厳しい修行をともなう教えであっても、弟子や信者を増やしていきます。
面白く思わないのが、多宗派の僧で、僧兵が来て道元の寺を焼き討ちしてしまいます。
そこで、波多野義重(勝村政信)が自分の領地へ招いてできたのが永平寺です。
今も、修行の寺として、現役ですね。すごい。
戦争の後遺症に苦しむ時の権力者北条時頼(藤原竜也)に対峙する道元は、まさに信念の人でした。
命を賭けたその説法は、病んだ時頼の心も動かします。
「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり」
あるがままを受け入れよ、という道元の教えでした。
おりん(内田有紀)とのエピソードは、「ジーザスクライストスーパースター」のマリアとのやりとりにも似ていました。
道元と弟子との別れ、道元と言えども、いい人間関係を構築できた結果なんだなあ、としみじみ感じました。
人は、一人では生きていけない、禅の極みを極めた人でも…。
全体的にベタなんだけど、真摯に本質を語るやり方に好感が持てる、いい作品でした。