ーペルセポリスー PERSEPOLIS
2007年 フランス
監督=マルジャン・サトラピ(原作、脚本) 、ヴァンサン・パロノー キャスト=キアラ・マストロヤンニ(マルジ)カトリーヌ・ドヌーヴ(マルジの母、タージ)ダニエル・ダリュー(マルジの祖母)シモン・アブカリアン(マルジの父、エビ)ガブリエル・ロペス(少女時代のマルジ)フランソワ・ジェローム(アヌーシュおじさん)
【解説】
1970年から90年代の激動のイランを舞台に、どんなときもユーモアとロック魂を忘れない少女の姿を描いたアニメーション。原作者のマルジャン・サトラピ自身が監督を務め、。主人公マルジの成人時の声を『ゼロ時間の謎』のキアラ・マストロヤンニが、マルジの母親の声をキアラの母親でもあるカトリーヌ・ドヌーヴが担当している。ビビッドな映像とウィットに富んだせりふ、さらには少女の成長を見つめた普遍的ストーリーが見どころ。(シネマトゥデイ)
【あらすじ】
1978年のテヘランに住む9歳の少女マルジ(ガブリエル・ロペス)は、両親や祖母とともに何不自由なく暮らしていた。そんなある日、革命が始まり、新イスラム共和国が誕生。反政府主義者として投獄されていたアヌーシュおじさん(フランソワ・ジェローム)も解放され、マルジは彼からさまざまなことを教えてもらうが、その後アヌーシュは新政府に逮捕されてしまう。(シネマトゥデイ)
【感想】
2007年のカンヌ国際映画祭をはじめ、数多くの映画賞を獲得している作品。
監督で原作者でもあるマルジャン・サトラピの自伝的なお話なのだと思いました。
こういう映画に触れて、自分がいかに世界情勢に疎いかということが思い知らされる反面、映画を通じてでも、少しはものを知れてよかったとも思います。
この作品で語られているのは、イランで生まれ育った、一人の少女の個人的なことですが、そのなかにでも、この間の「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」で出てきた、ソ連軍のアフガンの侵攻の原因が、イラン革命にあったというつながりがわかりました。
イランが宗教革命を起こして、それがアフガニスタンに波及するのを怖れたソ連の行動だったのです。
「パフラヴィー朝下のイランは1953年のモハンマド・モサッデク首相失脚後、ソ連の南側に位置するという地政学的理由もあり、西側陣営の国際戦略のもとでアメリカ合衆国の支援を受けるようになり、脱イスラーム化と世俗主義による近代化政策を取りつづけてきた。皇帝モハンマド・レザー・シャーは1963年に農地改革、森林国有化、国営企業の民営化、婦人参政権、識字率の向上などを盛り込んだ「白色革命」を宣言し、上からの近代改革を推し進めた。シャーは自分の意向に反対する人々を秘密警察によって弾圧して、近代化革命を推し進めた。近代化にはイスラム教は邪魔と考え、厳しい弾圧を続けた。結果、宗教界の人々はもとより、右派から左派まで国民はシャー打倒を叫びだした。」(ウィキペディアより)
革命が起こるまでのイランは、上記のように、比較的自由な国に生まれ変わろうとしていたようです。
しかし、王家がアメリカと結びついて汚職などの私利私欲に走ったことや、宗教弾圧が厳し過ぎたなどの理由から、イラン革命へとつながったようです。
革命後は、王権への反発からか、宗教的な規制が厳しくなり、またまた共産党弾圧などが厳しくなったようです。
女性に対する規制はさらに厳しく、服装や生活態度にまで及んでいます。
マルジが学校に遅れそうで走っているだけで、警察官に「走る姿が性的だ、歩きなさい」ととがめられるシーンがありますが、「性的」に見るかどうかは、見る側の責任です。
ヒジャブで全身を覆うのは、女というだけで性的な存在だと言いたいようです。
マルジは「見るな」と叫んで走っていきました。
イランの指導者が十二イマーム派という、アラブ諸国でも異質なイスラームの指導者だったために、周辺国も緊張して、イランイラク戦争も勃発し、ソ連のアフガン侵攻も行われたと言う流れのようです。
体制が変わるたび、国民の生活も変わっていきます。
まさに、激変するのです。
思想弾圧にあって牢獄で亡くなる人、パーティをしていただけなのに、警察に追われてビルから転落してしまう人。
デートしているだけなのに、不純だと言われて、結婚せざるを得ない恋人たち。
パンクロックとブルース・リーをこよなく愛する少女マルジャンも、例外無く巻き込まれていきます。
祖母は「どんな世の中になっても、毅然と公明正大に生きなさい」とマルジを励まします。
母国で生きづらいからと言って、外国に逃れても、そこは所詮よその国です。
自分の居場所なんてないのです。
この作品は、ほんとうに解りやすく私たちに、国とは、人が生きるとは、ということを考えさせてくれました。
戦争や、宗教や、としかつめらしく押し付けてくる権力者たち。
でも、ほんとうに国を支えているのは国民だということに、早く気がつかなければ、いつまでたっても国は復興も発展もしません。
それは、私たち日本人が一番よく知っていることではないでしょうか?
あの国土を焼かれて焼け野原になった敗戦から、戦争を放棄して、先進国と言われるようになった日本の歩み。
そのことは、世界に誇り、戦争なんてしなくても、平和に生きる道はあるんだと、世界に語りかけてもいいんじゃないかなあ。
2007年 フランス
監督=マルジャン・サトラピ(原作、脚本) 、ヴァンサン・パロノー キャスト=キアラ・マストロヤンニ(マルジ)カトリーヌ・ドヌーヴ(マルジの母、タージ)ダニエル・ダリュー(マルジの祖母)シモン・アブカリアン(マルジの父、エビ)ガブリエル・ロペス(少女時代のマルジ)フランソワ・ジェローム(アヌーシュおじさん)
【解説】
1970年から90年代の激動のイランを舞台に、どんなときもユーモアとロック魂を忘れない少女の姿を描いたアニメーション。原作者のマルジャン・サトラピ自身が監督を務め、。主人公マルジの成人時の声を『ゼロ時間の謎』のキアラ・マストロヤンニが、マルジの母親の声をキアラの母親でもあるカトリーヌ・ドヌーヴが担当している。ビビッドな映像とウィットに富んだせりふ、さらには少女の成長を見つめた普遍的ストーリーが見どころ。(シネマトゥデイ)
【あらすじ】
1978年のテヘランに住む9歳の少女マルジ(ガブリエル・ロペス)は、両親や祖母とともに何不自由なく暮らしていた。そんなある日、革命が始まり、新イスラム共和国が誕生。反政府主義者として投獄されていたアヌーシュおじさん(フランソワ・ジェローム)も解放され、マルジは彼からさまざまなことを教えてもらうが、その後アヌーシュは新政府に逮捕されてしまう。(シネマトゥデイ)
【感想】
2007年のカンヌ国際映画祭をはじめ、数多くの映画賞を獲得している作品。
監督で原作者でもあるマルジャン・サトラピの自伝的なお話なのだと思いました。
こういう映画に触れて、自分がいかに世界情勢に疎いかということが思い知らされる反面、映画を通じてでも、少しはものを知れてよかったとも思います。
この作品で語られているのは、イランで生まれ育った、一人の少女の個人的なことですが、そのなかにでも、この間の「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」で出てきた、ソ連軍のアフガンの侵攻の原因が、イラン革命にあったというつながりがわかりました。
イランが宗教革命を起こして、それがアフガニスタンに波及するのを怖れたソ連の行動だったのです。
「パフラヴィー朝下のイランは1953年のモハンマド・モサッデク首相失脚後、ソ連の南側に位置するという地政学的理由もあり、西側陣営の国際戦略のもとでアメリカ合衆国の支援を受けるようになり、脱イスラーム化と世俗主義による近代化政策を取りつづけてきた。皇帝モハンマド・レザー・シャーは1963年に農地改革、森林国有化、国営企業の民営化、婦人参政権、識字率の向上などを盛り込んだ「白色革命」を宣言し、上からの近代改革を推し進めた。シャーは自分の意向に反対する人々を秘密警察によって弾圧して、近代化革命を推し進めた。近代化にはイスラム教は邪魔と考え、厳しい弾圧を続けた。結果、宗教界の人々はもとより、右派から左派まで国民はシャー打倒を叫びだした。」(ウィキペディアより)
革命が起こるまでのイランは、上記のように、比較的自由な国に生まれ変わろうとしていたようです。
しかし、王家がアメリカと結びついて汚職などの私利私欲に走ったことや、宗教弾圧が厳し過ぎたなどの理由から、イラン革命へとつながったようです。
革命後は、王権への反発からか、宗教的な規制が厳しくなり、またまた共産党弾圧などが厳しくなったようです。
女性に対する規制はさらに厳しく、服装や生活態度にまで及んでいます。
マルジが学校に遅れそうで走っているだけで、警察官に「走る姿が性的だ、歩きなさい」ととがめられるシーンがありますが、「性的」に見るかどうかは、見る側の責任です。
ヒジャブで全身を覆うのは、女というだけで性的な存在だと言いたいようです。
マルジは「見るな」と叫んで走っていきました。
イランの指導者が十二イマーム派という、アラブ諸国でも異質なイスラームの指導者だったために、周辺国も緊張して、イランイラク戦争も勃発し、ソ連のアフガン侵攻も行われたと言う流れのようです。
体制が変わるたび、国民の生活も変わっていきます。
まさに、激変するのです。
思想弾圧にあって牢獄で亡くなる人、パーティをしていただけなのに、警察に追われてビルから転落してしまう人。
デートしているだけなのに、不純だと言われて、結婚せざるを得ない恋人たち。
パンクロックとブルース・リーをこよなく愛する少女マルジャンも、例外無く巻き込まれていきます。
祖母は「どんな世の中になっても、毅然と公明正大に生きなさい」とマルジを励まします。
母国で生きづらいからと言って、外国に逃れても、そこは所詮よその国です。
自分の居場所なんてないのです。
この作品は、ほんとうに解りやすく私たちに、国とは、人が生きるとは、ということを考えさせてくれました。
戦争や、宗教や、としかつめらしく押し付けてくる権力者たち。
でも、ほんとうに国を支えているのは国民だということに、早く気がつかなければ、いつまでたっても国は復興も発展もしません。
それは、私たち日本人が一番よく知っていることではないでしょうか?
あの国土を焼かれて焼け野原になった敗戦から、戦争を放棄して、先進国と言われるようになった日本の歩み。
そのことは、世界に誇り、戦争なんてしなくても、平和に生きる道はあるんだと、世界に語りかけてもいいんじゃないかなあ。