農村の子ども

     農村の子ども  2013.6.2.  金森正臣

 農家の調査があり3月中旬から、何回か出かけた。やはり目につくのは、子どもたちの暮らし。調査した農村は、いずれもかなり貧しい地域で、数人家族で1日当たり1ドル(約100円)使えていないように思われる。ほとんど現金収入は無く、食べるだけ作るのがやっとの様だ。それでも飢え死にしないのが、カンボジアの良いところ。親は出稼ぎに出かけていて、中学生以下ぐらいの子どもだけですんでいる家もある。家畜だけが住んでいて、近所の家が面倒を見ている家庭もある。

 それでも子どもたちは元気で、興味津々でついて歩く。2歳ぐらいまでは、ほとんど裸で暮らしており、それが普通となれば、それはそれかと思う。寒くは無いし、汚れれば水で丸洗いすれば良いのであるから、親も楽だ。
貧しくても(いや貧しいからかナ)、皆仲良く、遊びに行くのは一緒。同じぐらいの子どもが集まって、仲よく遊ぶ。あまり除け者になどしない。少し年長者は、年下の面倒をよく見る。多分兄弟姉妹でなくても、あまり気にしない。弱い者には、十分な配慮がされる。

 日本の最近の子どもたちを見ていると、何か別の世界の様な気がする。なぜであろうか?
大きな原因として、子育ての親の態度が違う。親は自然体で昔さながら、本能に任せて子どもを可愛がる。その結果、子どもたちは他の人を信用している。遊びに行って困っても、誰かが助けてくれる。冒険心も旺盛。日本の子どもには、行動の自由と他人への信頼がない。旺盛な冒険心は、意欲を高めているが、日本の子どもには少ないように思われる。


写真1:裸ンボの子どもたち。熱帯は寒くないから、かなり大きくなるまで裸。
写真2:ほとんど子どもは素足だ。
写真3:暑いから氷が大好き。田舎でも氷売りが来る。栄養ないのにと思うのだが。
写真4:お母さんは子どもを抱えながら仕事。ここは森本さんが始めた、「伝統の森」の村。親たちは子どもを連れて来て、綿紬の仕事をしていた。
写真5:遺跡の堀で、浮かせた木に乗って遊ぶ子どもたち
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