教師の発達段階について(2004年の最後の報告です)

昨年度の最後の報告ですが、1万語以上は送れませんので「その1」、「その2」の2つに分けました。

カンボジア教育事情 2 (教育問題雑感)「その1」
                       2004.10.24.
                       JICA 短期専門家(生物) 金森正臣
 はじめに
 カンボジアの中等理数科教育改善計画に関わって、5年目になる。日本では考えられない様々な問題を抱えるカンボジアでの教育は、基本的な問題を考える上で絶好の機会となった。教育が極端に崩れた歴史を持つカンボジアは、日本にいると見逃しやすい基本問題の考察無くして、取り組むことが出来ない。「教育とは何か」の根本問題は、見逃しやすい日常的な課題である。
 カンボジアは、ポルポト時代に教育を意図的に崩壊させた。即ち、多くの教師を殺し、学校を破壊し、書物を焼いた。このため多くの教育資源を失った。また社会的リーダーや宗教を迫害したため、教育の基盤も破壊した。この間は5年ほどであったにしても、その後も内戦が続き、海外からの支援も少なく、教育の制度だけは復活しても、ほとんど崩壊したままの教育が約20年間繰り返されていた。即ち、字が書ければ教師であり、その教師から習った高学年の児童が、低学年児童を教える教師になると言ったことによって、教育が維持された。この結果、教室で教えられる内容は限られている上に、覚えることに偏重し、思考する方法はほとんど教えられていなかったと思われる。また、現在の30代の先生たちは、小・中学校の期間に、3-4年程度しか学校に通っていない。従って学習時間が極めて短かった。他にも、教科書、ノートなどの教材も無く、繰り返しの練習はほとんどなされていない。教師が黒板に書いたものを唱和して覚えることだけで教育が行われてきた。このため知識間の関連、論理的思考に関する部分、具体的に物事を見る、抽象化するなどに大きな障害が横たわっている。
 途上国の教育支援に置ける一つの問題は、日本の文化を背負った筆者が、カンボジアの文化との異なりをどの様に認識するかに有る。何処まで異なる文化を押しつけることが許されるのか。この観点は、教育に置ける最終目標との関連で、重要な課題である。この問題の解決のための一つの視点が、相手側の自立を尊重することである。このことに関連して、教育に関わる側の発達の段階が重要であると思われたので、この点について考察を行った。
 この様な教育に関わる側の点については、あまり論じられることが無く、馴染みが少ないと思われる。最初に、教育に関わる場の構成と目標を述べ、その後になぜこの様な考えに至ったかの概要を述べ、その後に教育に関わる側の発達の段階について述べる。その他教育に関連する事項として、ヒト(人間)そのものをどの様に認識し、理解しているかについても述べる。
 この報告は、科学的論文とは書き方が異なり、論理の構築の方法も異なる。経験的に考えると、発展の過程で下の段階では、上の段階が全く認識できない。ある段階に到達した時にその段階が次第に明らかになってくる。その段階を十分に消化した後に初めて次の段階に出る可能性が出てくる。読む場合に、この点についても配慮を願いたい。

 教育の行われる場の構成と目標
 教育は、どの様な教育であれ、1:教育される者・或いは対象者(児童・生徒・学生・社会人など)、2:教材・教科などの媒体、3:する人(先生など)、4:場所(学校・社会教育施設・或いはいつでも何処でもなど)、5:以上の四つの構成要素によって教育の場面が構成される。
多くの場合に、対象者である児童・生徒、教材・教具・教科内容など媒体、行われる環境については良く研究されるし、言及される。しかしながら重要な構成要素である先生についての研究は少ないし、言及されても明確な基準が無く理解が低い。多くの場合は、知識や技量が議論される程度である。
教育の場面(事態の発生、時間的経過、働きかける状態)についても、研究は十分ではない。教育の場面は、上記の4構成要素によると考えられるが、それぞれは複雑に変化している。教育の対象者は、どの様な経験をどの様な順番で持っているかがそれぞれ異なる。例えば兄弟姉妹があるか無いか。あるとすれば何番目であるか。幾つ年が離れているかなど対象者自身の生育歴を見ただけでも、複雑な要因を含んでいることが分かる。これらの要因は、顕在化している部分と無意識の中に内在化している面とが存在する。これは働きかける側が、同じ行動を起こしても、受け取る側は異なった受け取り方をすることを示している。教育をする側にも同じことが言え、どの様な経験をどの様な順番でしてきたかによって、思考の過程やその結果発生する行動様式に影響を及ぼしている。さらにそれぞれが異なる親によって育てられており、複雑さは一層増す。体験的に考えると、自然界の中の法則性の発見には、複雑さに限界があり、両端と中央、さらにその中間を入れてせいぜい5段階までの認識が限度である。5段階を認識した後に、その中間段階を詳細調査して9段階までは可能であると思われる。しかしながら、教育の場面はそれ以上に複雑であり、なかなか法則科学には成り得ない、要因と考えられる。
本報告においては主に、3:教育をする側と5:場面に関連する部分に付いて述べる。この部分が、相手の自立と深く関わっていると思われるからである。
教育における筆者の目標は、「最終的に受けた者がより良い人生が送れる様になる」こと、即ち「人生において普遍的な幸福感を持てる様になる」ことと考えている。その場限りの喜びや消失する一時的な満足感では無く、「人生の最後が満足感を持って終息する」ことが教育の最終目標である。臨終は人生の総決算である。如何様に死ぬかは、人生をどの様に生きたかであり、その人の人生そのものを示している。人生における最大の課題は生死である。誰にも必ず訪れる普遍的・根本的問題である。この問題から目をそらさず、正面から真摯に向き合う必要がある。
ヒトはそれぞれ個性があり、従って人生はそれぞれに異なる。その幸福感や満足感もそれぞれに異なる。同じ場で教育が行われる場合に、個人の尊重が重要な点はここに関わる問題である。個人の尊重を人権などで語る場合は、まだ根底を見据えていない様に思われる。これに対処する方法は、個人の自立を育てる他にない。
カンボジアにおいては、この様な教育の目標や教育がどの様に構成されて出来上がっているかはほとんど考えられていない。これは教育の目標は知識の教え込みであり、人格の形成や自立、人生の最終目標などが教育の視野の中に入ってきていないためだと考えられる。もう少し社会に余裕が出てくると、大きな問題になる課題であろう。

 筆者の思考の変遷の過程の要約
 エジプトの農村で見た1980年代初頭の光景は、大きな思考の転換点になっている。ナセル大統領は社会主義を上げて、小作民を無くし自作農を目指した。それを受けたサダト大統領は、自由主義も取り入れバランスを保とうとした。筆者の滞在中に、サダト大統領が暗殺され、ムバラク大統領が後を受けた。農村で見た風景は、これらの表面上の歴史の流れとは隔離されたかの様な、4500年前の墓の壁画に見られる風景と変わらぬものであった。国を動かすエネルギーを作り出している農民は、幾千年も変わっていなかった。多くの人々は小作農に返り、日々の暮らしは貧しさこの上もなかった。家の中にはほとんど家具らしき物はなく、食料も少なかった。毎日食べているのは、トウモロコシに僅かに繋ぎとして小麦粉を入れて焼き、塩を塗っただけの膨らまないパン、チャパティーとナスの塩漬けぐらいである。彼らの生活は貧乏ではあっても、不幸な感じは無かった。朝夕の涼しい時にだけ働き、日中は長時間木陰で一家団欒である。ヤギやラクダ、水牛も周囲に座り込み、しゃべり、笑い合って楽しんでいる。何もない中で、知らない国から来た客をもてなそうとする温かな心が伝わってきた。
 当時日本はバブル景気に湧いており、右肩上がりの景気の動向に疑いを持つ者は少なかった。所得倍増こそ、より良い人生を過ごすための最良の方法であるかの様に思っていた人は多い。自己の中で明らかな認識を持っていないまでも、乗り遅れないことが必要であるかの様に急がされていた。戦争中の食糧難から解放された世代は、蓄えることこそ幸福につながる道かの様に働いた。
 その後中南米のコロンビアや東アフリカのタンザニアにおいて現地先住民の経済的には貧しい暮らしに接することによって、経済的発展が必ずしも教育の最終目標(人生の最後が満足感を持って終息すること)には成り得ないことを体験的に感ずることが出来た。
 この認識の過程において重要な点は、40代に得た認識方法の拡大である。科学に従事していた結果、認識と思考はユングの言うところの感覚と思考の分野に片寄っており、感情と直感は、軽視されていた。宇宙物理学の先生からの質問によってユング心理学と遭遇した。ユング心理学は、行動学との関係で様々な思考過程を生み出した。彫塑や絵画をする美術の先生との出会いによって、感情や直感の認識と科学的認識の方法は、しばしば同じ結論に到達することを体感的に知ることができた。
 ユングの夢分析、自己分析、内観を経て仏教の修行に行き着くことができ、自己の認識の特徴を理解することができた。また、認識の方法が飛躍的に拡大した。まだ先の長い修行中であるが、その結果、教育の持つ本質的部分の重要性が明らかになった。教育はする者の向上こそが、受ける者の向上につながる道である。他にはどの様な方法も、勝る方法は見つけ出せない。
 人間に関する理解では、動物学的理解の他に不登校児のキャンプや子どもたちとの野外活動が役立っている。多くの具体的理解が得られ、自分自身を見直す結果になっている。
 文化については、乾燥地の農耕民、遊牧民、熱帯の多雨林、肥沃な地帯の農耕民に接することによって、様々な文化を体験することができた。さらにチンパンジーやニホンザルの研究から、文化は、既にサルからヒトが分化する以前から持っている特質で、その基底は自然環境に依存していることを認識する様になった。ヒトの文化は著しく多様化しており、複雑化しているが、基本原則は同様である。これはあたかも生物が如何に多様化しても進化に系統性がある様に、文化にもその基底には明らかに自然環境と関連した系統性があると思われる。
 ニホンザルやチンパンジーの観察は、行動学という言語以外の方法による文化の分析に役立った。この感覚は、学生や子どもたちと接する時にも言葉以外の部分が認識され、教育に生かされた。即ち言葉で表現されたことと、本人が意識的無意識的に感じていることに齟齬がある場合には、感じ取ることができた。その結果、教育に関わる働きかけの瞬間が、明確になった。
 以上の思考と深く関連しているのは、動物学上の進化の思想である。観察され感じられた事項の多くが、この系統進化の思想と関係性を持ちながら整理された。
カンボジアに置ける文化も、上記の文脈を通して理解を深めようと努力している。細部では不明な部分が多いながら、全体的には理解が可能になりつつある。

教育する側の発達の段階
 途上国の教育支援において重要な点は、相手側の自立である。相手の自立を意識すると、知識の伝達では到達出来ない問題が存在することは明らかである。相手の自立を中心に考えた場合の、教育する側の発達の段階は次ぎの様になると思われる。
 筆者自身の体験や多くの学生・卒業生・先生方に接し、教育の最終目標に近付く過程で、次の様な発達段階があることが経験された。
1)持っている知識や教科書の内容を伝えることに主眼がある段階。
一生懸命に勉強し、正しい知識、博識などを重要と考える段階である。教科の内容や教材の研究、方法を重要と考え主張することになる。新しい知識や人の知らない知識に執着して、知識に振り回される傾向が強い。
相手の評価はテストに頼りがちであり、結果の点数の上がり下りに囚われることが多い。子どもたちとの関係背は、不十分であるため、どこかで不安を抱えている。する側に不安があると、子どもたちは意欲が高くならない。その結果子どもたちを競争させて意欲を引き出そうとする傾向がある。
子どもを一生懸命には観察しているのだが、自分のこだわりが大きいため、ある様に見えずに自分のこだわりを通して見えるため現実とはかけ離れて見えている。このために指導しても、現実と合っておらず、相手から受け入れられない。
相手からの評価や周囲からの評価が気になり、常にストレスにさらされている。このストレスが悪循環の原因になって、過剰な反応が起き、さらに周囲との関係に気を遣わざるを得ない。
相手が、自分から努力するようになったように見えるが、先生が替わると目的を見失ったりする。実際には相手や子どもたちは自分自身で動き出していない。子どもたちは敏感に先生に反応して、迎合している。
この段階では、「教育」の育てるに相当する部分の内容が不十分であることが多い。
2)相手のつまずきの問題点を理解する段階
一途にただ教えることから、相手の理解できないでいる点を理解し始める。様々な場面やテストから、学習者のつまずきを探り、その理解に努める。どの様な手段で理解させるかが大きな課題になっている。様々な方法を駆使して、相手が理解できる様に努力する。テストの内容も変化する。但しまだテストが出来ることが良いこととして囚われている。相手が理解した時に大きな喜びを持ち、それを生き甲斐に感じている。
 相手に役に立つことに努力し、役に立つか役立たないかの判断を自分の基準でしていることが多い。従って、相手の現実とは必ずしも一致しない。また、良いと思われることを思いつくと、実施せずにいられない段階で、思考や認識の範囲が狭い。
心理学的理解を進めると、この段階のことまでは理解することが出来る。
ここまでは訓練の段階であって、動物の訓練とあまり変わらない。日本の先生の中には、訓練と教育の違いについて理解していない人が多い。もちろん教育の中に訓練の部分が存在することは重要なことであるが、訓練と育てる部分は理解しながら使う必要がある。
生徒が偶然に、自分からやる気になる場合がある。
3)自分の囚われに気付き、相手の囚われを理解する段階。
そろそろ教育の育てる部分になりつつある。
心理学的理解によって近付くことが出来る部分はあるが、自分の囚われについて体験的理解を持たないと、使える様にはならない部分が多い。
「子どもから学ぶ」とよく言われるが、これはこの段階を指した言葉である。この言葉の使い方によって、2)の段階か、この段階に来ているかが明白である。子どもの発想は素晴らしいとか、沢山の子どもが居ると自分では思いつかない考え方をするとか言う段階は、前の2)の段階である。子どもの行為が気になった時、それは自分自身の無意識の内面の問題であることに気付くとこの段階である。この学習こそが「子どもから学ぶ」と言う言葉の意味である。我々は沢山の行為に接しているが、気に留まる行為はほんの僅かな部分である。授業研究などでも、子どもの行為を問題とする時、人それぞれに異なる。それはそれぞれの無意識の中の問題が異なるからである。自分の無意識の問題に取り組むと、やがて様々な物がよく見える様になってくる。その時、自分自身の問題に気付くことが多くなる。
自分への理解が進むと相手がなぜ、何に囚われているかを理解し、その乗り越え方に工夫を重ねる様になる。
まだ良し悪しの判断が働き、既成の概念に囚われて、心から自由には相手に接することが出来ない。
相手の問題点にかなり接近でき、部分的には改善できるが、根本の問題には近付けない。
比較的生徒がやる気になって自分で動き出すことが多くなる。
自分の問題に取り組むことによって、児童・生徒が向上することを体験できることがある。この体験を持つと、この段階の後半になるが、相手の問題をどうこうするよりも自分の問題を解決することが重要であることに気が付く。ここまで来ると、常に相手のことが気になるのではなく、しばらく忘れて自分のことに集中できる様になる。
4)自分の判断の基準を捨てて、相手の状況が理解できる段階。
心理学的理解程度では、この段階の理解は困難である。体験的に身体と感性が一体となっていることが重要である。囚われが少なくなり、あるものがある様に見えることが多くなる。
自分の良し悪しの判断を捨て、相手の判断が理解できる。日常では相手のことを考えていなくても、対面した途端に必要なことが思い出されてくる。全てのことが思い出されてくるわけではなく、必要なことが思い出される。必要でないことはかなり忘れていることが多い。
働きかけることが限定されてきて、適切な場で適切な働きかけが出来る。必要以上の働きかけはしなくなる。また良し悪しの判断はほとんど無く、何故そう働きかけたかもはっきりしない場合が多い。
自分を捨てて、一瞬相手と共に歩くことが出来る。相手はこの瞬間の影響を強く受け、自立して行く。相手は本人自身の状況で動き出すことが多くなる。
5)その上の段階があるが、私には分からない。
一般に下の段階にいるときには、上の段階のことは、理解も想像も困難である。

 この様な発達の段階の問題は、幼・小・中・高・大学を通じて同様である。大学で高度な知識を教えているからと言って、1)や2)の段階にいる人は多い。自分の研究はできるが、弟子の育たない教官は沢山いる。相手を自立させられないまま、自分の殻を押しつけているだけだからであろう。またこの段階に留まった人に、アルツハイマーになる人が多いと思われる。老人施設や老人医療に携わっている方々と話をすると、先生をした人にアルツハイマーが多いことが指摘される。先生は現職の内は皆から尊敬されている様に見えるが、一度退職すると何の力も持っていない。1)、2)の段階に留まった人は、何もなくなった時に尊敬される様な人格を形成しないできている。多分無意識の自分と意識の中で社会的に認められたいと願っていた自画像とがあまりにもかけ離れており、忘れたと言うことでしか現実に対処出来なかった人が、アルツハイマーになると思われる。
途上国の教育支援において、相手国や個人の自立を考えるのであれば、支援に関わる専門家の能力はある程度この様な理解がないと判断できないであろう。JICAはどの様な基準で考えているのであろうか。机上の空論として言葉の上だけの「自立」になっていないであろうか。

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