野菜としての果物 2、パパイヤ

カンボジアから   金森正臣(2005.11.30.)
野菜としての果物 2、パパイヤ

写真:左は熟れたパパイヤの色、右は野菜としての未熟なパパイヤ。左は細長タイプ、右はフットボールタイプ。

 青いパパイヤは、今まで食べたことがなかった。今年になって、努めている教員養成校の実験用ガーデンにパパイヤが沢山育てられている。そのうちに1本が倒れて、果物の成長が見込めなくなった。大きさとしては、1kg位は有ろうか。長さも30cm位にはなっていた。生物のリーダーのブンナさんが持ってきて、野菜として食べると美味しいと言ってくれた。どうするのだと言ったら、魚やブタのスープに入れると良いと言う。食べたことがないと言うと、もうきっと食べたことがあるよと言う。家に帰ってスープにしてみると、何となくトウガン風で頼りがないが、確かにこれとよく似た内側がややピンクのものを食べたことがある。きっと少し熟し始めて使うと、内側がピンクになるのだろう。市場でも青パパイヤはあまり見かけなかったように思うが、気が付いていなかっただけであろうか。案外流通はなく、各家庭で出来た物を使う程度かも知れない。もっとも特に町中でない限りどこの家にも、パパイヤの木の1-2本は有るであろう。熱帯ならどこでも育ち、良く果物が稔る大切な作物である。
 数日して気が付いてみると、市場でも随分青パパイヤを売っている。やはり意識していないと見えない。子どものことも意識していないと、状態が見えないのと同じ。反省しきり。先のブンナさんに言われてもう一つ。細長いタイプのパパイヤには、種がないか非常に少ない。これはきっと花の形態と関係有るのだろう。昔日本でトマトの温室栽培を始めた頃(もう40年も前の話)、昆虫がいない環境でトマトの果実を成長させるには、支柱に振動を与える方法が開発された。でも種子が成長していないので、果肉だけが成長して(食べやすいが)、先端の尖ったトマトになった。パパイヤもきっと種子の成長と果実の形は関係がありそうに思える。今度花をよく調べてみないとならない。
 パパイヤは、生物学的にはかなり変わった花を持つ。雄しべだけの花と雌しべだけの花と両性を具えた花である。雌雄異株のことも有る。普通の植物は、雌雄異花か両性を具えた花かであるから、3種類の異なったタイプの花を持つものは珍しい。
 日本に輸入されているパパイヤは、フィリピン産が多い。洋ナシ型でやや小さく甘くなる品種であるが、カンボジアのものは、大きくなるタイプである。細長いのと下膨れフットボールタイプがある。東アフリカのタンザニアで見るものは、下膨れフットボールタイプの全体に丸いものである。甘味もフィリピンほどではないが、カンボジアよりもやや強いように思う。時には食事の代わりに食べることもあるが、半分に縦割して、種を出し、レモン汁などをかけながらスプーンですくう。半分を一食にはなかなか食べられない大きさである。いずれも中心部は、空洞になりその内側に黒いつぶつぶの種が着いている。カンボジアのものはアフリカのものよりも空洞部分が大きくて、食べるところは意外に少ない。南米のコロンビアで見たものは、長い枕状で、長さ40cm直径は15cmを超す最も大きなタイプであった。表面にうっすらと産毛が生えていた。甘味は少なく、ホテルの食堂では3センチぐらいの輪切りを2切れ位皿に盛り、蜂蜜を添えて出された。これだけで十分な朝食であった。熱帯であれば、どこにでも見られる植物で、木の丈が1メートルぐらいから沢山の果物がなる賢い作物である。ゴミ捨て場などに捨てられた種から出ることも多い。
 パパイヤは、ビタミンCがミカンやイチゴより多いことが、チンパンジーの食物を研究していた安里龍(琉球大学)さんによって明らかにされた。このためフィールドでは、ビタミンの補給の意味もあって、よく食べる様にしている。どこでも安い果物で、カンボジアでは、1個が1ドルよりも安い。東アフリカのタンザニアでも、奥地の道路脇に小さな櫓を組んで3個ほど置いてあったので、いくらかと値段の交渉に入った。25円位というので交渉が成立。1個と思っていたら何と全部渡されて、1人だったのでしばらくパパイヤ漬けになった覚えがある。私の食べた中では、甘い方から並べるとフィリピン産、アフリカ産(タンザニア・ウガンダ・ケニア・エジプト・南アフリカ産はあまり変わらない)、オーストラリア産、カンボジア産、コロンビア産である。
 熱帯ならどこの国でも安い果物で、日本ではフィリピン産の小さなパパイヤが5ドルもすると言っても信用されない。バナナも同じで、モンキーバナナ(小型の品種)、中型種とも12本ぐらい着いて1房が30円以下である。市場では1房以下の単位は存在しない。カンボジアでは普通4房着いた茎ごとが売られている。困るのは、1房飼うと食べきれないで傷んでしまう部分が多いことである。なんだか太陽様や作ったカンボジアの農民に申し訳ないような気分になる。ケチなのか貧乏性なのか、この性格は直らない。
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