クメール正月の記録

2003.4.21.
JICA短期専門家 生物 金森正臣


記録の対象期間:2003.4.13-17.
場所:コンポントム州 コンポントム市周辺他
旅行日程
4/13 9:30 ホテルにキムさんが迎えに来て出発。キムさんの妹、ペンロン君の弟、妹、他に1人。コンポンチャムの分かれ目まで約1時間30分。それから約30分で、キムさん(チャンセン君も友人である。夜のパーティーには、他にFOP時代の同級生が4人参加)の友達の家。挨拶。今夜はここに泊まることになるが、昼食は約1時間走って、チャンセン君の家でよばれる。午後戻り友人の家。クメール・ニューイヤーパーティ。
4/14 友人の家を出て、キムさんの家に。泊まる。
4/15 朝食後、ペンロン君の家へ。昼寝。寺を回る。
4/16 キムさんの家に移動。池の魚取り。夕方寺を回る。
4/17 ペンロン君の家に移動。寺に年始の行事に行く。昼寝。午後寺にゲームをしに行く。16:00頃からプノンペンに向かう。21:00にプノンペンに。

新年を迎えるパーティーについて主催者は、キムさんの友人で、高校の生物の先生。自宅では、英語の学習塾をしており、高校と同じような黒板と机、椅子がある。大型のトラックターを持っており、8枚のデスクプラウが付いていた。かなり裕福な家庭。両親がいる。父親は、サトーキビジュースを絞る屋台を持っており、17日に寄った時には営業から戻ってきた。
昼頃から、ステージがセットされ、大きなスピーカーが両側で20個ほども設置され、エレキギター2、シンセサイザー、ドラムなど奏者4人と歌手4人(内女性3人、細くて小柄のピチピチギャル2人、30代1人)の編成。大音響で演奏を続ける。ほとんど話は聞き取れない。彼ら自身もうるさいと言いながら、端に寄ったり、耳栓をしたりしている。とにかく音響で盛り上げる。夕方16時頃から朝の3時頃まではやっていた様だ。その間、1時間ごとぐらいにやや休みらしきものもあるが、ほとんど続いている。演奏者や歌手が夕食を取ったのは11時頃であった。その後再び開始された。
 パーティーの参加者は、主催者の関係者。各自お祝いを持ってきている様だ。知り合い同士を一つのテーブルに案内し、接待するのが主催者。来た者から順次食事や飲むことを始める。だいたい知り合いのグループメンバーは時間を打ち合わせて同じ時間に来ているようである。少し進むと、音楽に合わせてダンスが始まる。宴席の中央のテーブルを取り囲む様にして円になって踊る。踊りは数種類有る様だ。キムさんは1種類だけしか踊れないと言っていた。
 この宴席は、参加者、接待者、演奏者、料理担当人(外部から道具材料一式を手押し車で持ってきている)、主催者の生徒(手伝いをしている男女半々の15人ぐらい)、道路端から見学する者、間を走り回って飲み物の空き缶を集めるストリートチルドレン数人から成っている。
 それぞれはお互いをあまり意識すること無く、それぞれの役割を果たしている。空き缶などは、注ぎ終わるのを見ていて後ろから手を出す。客が来て新しいテーブル(1テーブルは6-10人)が始まると、料理担当人は、数種類の口取り(ソーセージ、ドライミートの焼いたもの、かまぼこ、カニかま、カシューナッツなど)、野菜炒め、焼き肉、トリ野菜炒め、魚のフライ、スープとご飯などを順次運ぶ。
 私は、近くを走り回っているストリートチルドレンが気になったが、他の参加者はほとんど気にせず、当たり前の様に振る舞っている。このことは、カンボジア社会では当然のこととして受け取られている様だ。即ち、地方であってもストリートチルドレンがいる。彼らは社会の中に認知されていて、一定の役割を担っている。このパーティーでは、足下に転がされる空き缶を片付ける役割を担い、彼らはアルミ缶をどこかに出してわずかな金銭を得る。片付けの責任と金銭を得る権利は、彼らに認められていると言って良い。
 一般的に、カンボジアでは、ストリートチルドレンの行動はレストラン内などでも認められており、花輪や花、靴磨き、新聞売りなどが行われている。
 道端からの見学者についても、特に招待するのでも排除するのでもなく両者の関係が成り立っている。
 宿泊したペンロン君の家では、手伝い人を2人置いていた。彼女らの食事は明らかに別であり、私と家族全員でする場合、他に客人があって客人と男性家族、女性家族が別々にする場合でも彼女ら2人は入らず、世話係、後片づけをした後に食事をしていた。
 この様な状態を考えると、カンボジア社会では、平等意識は乏しく、社会には異なる経済状態の者がおり、それぞれは他者を侵害せず、そのままの状態で共存する事を原則にしている様に受け取れる。インド社会におけるカースト制ほど分化していないが、有る意味で共通性を持つ、階層是認の社会であるように感じられる。日本社会の様な平等主義、イスラム社会のような持てる者は持たざる者に配分して当然と言ったのとは異なる社会通念があるように思われる。日本とカンボジアはその文化的基盤として仏教を取り入れている点で共通である。しかしながら全ての人が同じように救われるとする大乗仏教と僧侶は仏として特別の存在とする小乗仏教の世界観との相違と思われる。
 主催者の生徒である高校生が、手伝いにかり出されている点も日本社会の通念とは異なる。プライベートの英語教室の生徒か、高校での生徒かははっきりしないが、いずれにしても夜間12時過ぎまで手伝っていた。また次の朝も早くから、水汲み、掃除などを手伝っていた。自分の学生を私用に使う感覚も生徒を夜間まで使う感覚も日本社会の通念とは異なっているが、これがカンボジアの社会では普通のことと思われる。教師と生徒の関係は、かなり異なっている。行事・娯楽としての踊りと音楽正月を通して各地で踊りが行われており、様々な踊りの輪を観察する機会を得た。全て音楽に乗って、多数が円陣を作り踊る。最初誰かが踊り出すと、次々と加わって次第に円形になって行く。人数が多ければ、円は幾重にも重なる。一重の円であると男女が交互に入ることが多いが、円が複数になると男女が並んで踊ることもある。踊りは単純で、誰でも直ぐ入れるようではあるが、やはり上手い下手がある様である。この踊りは、参加することに意義がある様で、大部分の人は参加する。また新たに参加する人は休んでいる人を誘って踊りの輪に加わることが多い。男性が女性を誘うこともしばしば行われる。普段男性が女性を誘って行動することは少ないカンボジア社会の、男女交際の機会でも有ろう。踊り中も、意中の女性の近くで踊ろうとする男性をしばしば見かけた。単純で比較的個人の自由に任せたルーズな踊り方、集団性、出入りの自由さ等日本の盆踊りとの幾つかの共通性を見いだすことが出来る。
 音楽は、流行のクメールミュージックやジャズ調のものなど様々なものが演奏される。バンド奏者がリードし、歌手が歌い、延々と続けられる。全体の後半からは、飛び入りで歌う人があり、奏者はそれに合わせて演奏する。生物のチャンセンさんなどは、私が聞いてもかなりの音痴と思われ、音程リズムとも外れるが、歌うのが好きで何回も歌っていた。また踊るのが好きで、常に踊りの輪にも加わっていた。寺の場合には、踊りたいグループが、ラジカセを持ち込み、カセット音楽を流しながら、そのリズムに乗って踊る。寺で大きなスピーカーを10個ほども設置してあるところもあり、流される音楽に乗って踊っている。だいたい一つのグループは20-30人で、皆笑顔で和やかであり顔見知りの仲間の様である。いずれの場合にも、踊ることや歌うことを楽しむようになっている。1999年には、3月と11月であったため、クメール正月のカンボジアは明らかではないが、表情が明るくなり、楽しむことを目的にして生きている姿が伺える。熱帯の多くの人々は、成長が早く寿命も成長期間に比例するかのように短い。その短い期間を、楽しむために生きているように感じられる。カンボジアでも、今年に至って熱帯に共通する「楽しむ文化」が復活しているように思われる。この様に生活の中で楽しむ事を優先する文化は、先を考慮して努力を積む事を重要と考える日本の文化とは、学校に行く目的などでかなりの隔たりがあると思われる。

つづく
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