認知症 4 認知症の現象

認知症 4 認知症の現象

 

認知症の原因は何であろうか。農業従事者の認知症は少ないように感じる。昔はなかったわけではないが、現在のように多くの人々がなることはなかったように思われる。長野の田舎にいた子どものころ、近所にも認知症の年寄りはいたが、かなり様子が違っていた。家族と一緒に暮らしていたので、悲惨さはなかった。

 

認知症の人々が集まっている施設を何回か訪れたことがあるが、認知症が進むとほとんど主体性がない。しかしそれぞれ主体的にすることはあるようで、それが現実の生活とずれているので、周囲か理解できないようであった。

 

そのころ認知症の症例研究が進み、認知症になるのは脳が委縮するからであると言われ始めた。確かに認知症の方の解剖例では、脳が委縮している例がある。しかし萎縮が起きたから認知症になったのか、認知症が進んで使わなくなったから委縮したのかは明らかではない。どちらが先か不明である。使わなくなったことで委縮する場合もあるように思われる。

 

認知症の多くは、周囲の環境が変わり、よく話しかけられるようになると回復することが知られている。このような例からすると、脳の使用が停止してくると、脳の機能が低下してくるように思われる。人の心の問題を扱っていると、子どもの心の発達には、筋肉と同じように鍛える必要があるように思われる。たとえば意欲や探究心は、繰り返し鍛えなければ発達しない。繰り返しすることは、どのように影響するかは目に見えないが、次第に意欲も探求心も高くなる。脳の使用が繰り返し行われると、次第に自ら動き出してくるように感じられる。

認知症の場合に重要なことは、故郷の記憶、心の帰る「原風景」を持っていることである。

子どものころの楽しさ思いを出せるような世界が存在すると、心が動き出す。これは必ずしも楽なことばかりではない。苦しいことでも、記憶に残っていることが重要である。楽しかった時の時間を共有すると認知症は、8割程度治る方向に向かう場合が多い。子どものころには苦しいことばかりで、思い出したくないという人もいるが、これは視点の問題であるから、変換することは可能である。「内観」の場に行っていると、8割ぐらいの人が苦しい思い出が、楽しい懐かしい思い出になって行く。このことによって、人生の認識が大きく変わる。

自分の人生に積極的に向かえるようになると、認知症などは大きな問題ではなくなる。本人自身はできるが、周囲から働きかけて変更することは極めて難しい。

 

注:「内観」は、浄土真宗に伝わっていた「身調べ」という方法から、奈良県郡山市の吉本伊信氏が、宗教色を取り除き精神療法とした。

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