金森正臣先生のカンボジアの文化・教育・食べ歩き体験記
金森先生のカンボジア日記
マスコミと人生について 1
マスコミと人生について 1 金森正臣
マスコミは基本的に、人に目立つことを報道する。だれでも知っている当たり前のことは、報道の材料にはならない。現代社会に生きていると、マスコミの影響を沢山受けているが、このマスコミの特性に気がつかないでいると、大きな誤りを起こすことがある。
人生は基本的に、普通のことを普通の通りに行えることが最も重要であると、私は考えている。人生には近道も王道もないし、人から評価されることで変わるものではない。自分の行ったことは、自分の責任であって、他のだれの責任でもない。人から褒められても、やった内容が良くなるわけではないし、けなされたからと言って、やったことが悪くなるわけでもない。しかし、マスコミにさらされていると、あたかも報道されていることが尊いかのような錯覚を起こす。このような現象は、人と話をしているときにしばしば気が付く。
人に目立つことを報道する場合に、物差しが幾つもあるとどれが特別なことか混乱する。価値を単純化することによって、物差しが一つになり、分かりやすくなる。あたかも非常に価値があるように思われる。負け組とか勝ち組とかよく聞くが、人生には勝ち負けはない。一面について成功したからと言って、人生全体が成功したことにはならない。
しかしこの価値の単純化が、前回も書いたように人生の豊かさについて問題になる。人生は単純ではなく、一つの事柄が、いくつもの価値を持っている。また見方によって、様々な異なった価値が存在するのが普通である。あまりにマスコミの価値に依存していると、複雑で多様な価値を見落とし、単純な価値観に陥る。豊かな感性を持てなくなり、人生も貧弱にならざるを得ない。
マスコミの影響は、知らない間に浸透しているところが怖い。だれも自分の人生については責任を持ってくれない。自分の人生のために、常に歩くべき道を見つめて行かなければならない。
マスコミは基本的に、人に目立つことを報道する。だれでも知っている当たり前のことは、報道の材料にはならない。現代社会に生きていると、マスコミの影響を沢山受けているが、このマスコミの特性に気がつかないでいると、大きな誤りを起こすことがある。
人生は基本的に、普通のことを普通の通りに行えることが最も重要であると、私は考えている。人生には近道も王道もないし、人から評価されることで変わるものではない。自分の行ったことは、自分の責任であって、他のだれの責任でもない。人から褒められても、やった内容が良くなるわけではないし、けなされたからと言って、やったことが悪くなるわけでもない。しかし、マスコミにさらされていると、あたかも報道されていることが尊いかのような錯覚を起こす。このような現象は、人と話をしているときにしばしば気が付く。
人に目立つことを報道する場合に、物差しが幾つもあるとどれが特別なことか混乱する。価値を単純化することによって、物差しが一つになり、分かりやすくなる。あたかも非常に価値があるように思われる。負け組とか勝ち組とかよく聞くが、人生には勝ち負けはない。一面について成功したからと言って、人生全体が成功したことにはならない。
しかしこの価値の単純化が、前回も書いたように人生の豊かさについて問題になる。人生は単純ではなく、一つの事柄が、いくつもの価値を持っている。また見方によって、様々な異なった価値が存在するのが普通である。あまりにマスコミの価値に依存していると、複雑で多様な価値を見落とし、単純な価値観に陥る。豊かな感性を持てなくなり、人生も貧弱にならざるを得ない。
マスコミの影響は、知らない間に浸透しているところが怖い。だれも自分の人生については責任を持ってくれない。自分の人生のために、常に歩くべき道を見つめて行かなければならない。
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