孤独は自分の意識の結果

孤独は自分の意識の結果

 

最近の話では、一人は寂しいと訴える人が多い。しかし本当であろうか。人生は常に一人である。

生まれるのも一人、死ぬのも一人、一緒に生活していても人生は一人である。

 

例えば食べることは、他の人に代わってもらうことはできない。排泄もそうであるし、心臓の動きも自分自身でないとできない。と言っても心臓は自分では動かすことが出来ない。自然に任せるしかない。止まればこの世の終着である。

 

孤独は、自分の意識の結果である。他の人からはいかようにもし難い。

最近少し忙しいことがあって、なんとなく書く気合が出なかった。年を取ると体力が落ち、気力も落ちる。なんとなくずるずると、動かなくなりそうな気がする。そこで朝だけは、散歩に出かける。風の音を聞き、ヒキガエルの様なカルガモの鳴き声を聞き、オオイヌノフグリの花などを見ると、次第に元気が出る。でも今は結構寒い。

 

一人で歩いていると、自分の歩いてきた人生が蘇って、小さいときに考えたことが思い出される。卒業して就職するまでは、貧しかったので、とにかく最後まで食べられることが一番の幸せであると思っていた。その思いはかなえられそうである。なんと幸せな人生であろうか。大学受験の時も、受験料を準備するのに苦労した。だから国立の安い受験料の大学しか受けることが出来なかった。しかしその貧しさは、今になると宝物で、何にも代えがたい。若い人たちは、貧しくても頑張って欲しい。若ければエネルギーがあり、苦労に負けない気力が使える、年を取るとそれが次第に減り、無理は効かなくなる。

若いエネルギーのある時には、いくら苦労をしても生き延びることが出来る。孤独などと言うものは、自分の意識だけの問題である。

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