途上国での日本人

途上国での日本人  2018.8.29.

前回投稿した途上国に行く若者への意見は、多くの日本人を見てきたことによる、年寄りの老婆心である。一時的に見るのではなく、途上国に暮らして、若者の変化してゆく様子を見ていると、初期の志とは異なる方向に向いてしまう者も少なくない。

支援の最初は、誰も同じようなもので、相手の喜ぶことに邁進する。途上国の刺激と新しいやりがいに大いに頑張る姿を見ることが多い。NGOや様々な任期は、2年程度で、短いところでは1年程度の所もある。また現地の事務所を置かずに、必要な時に来る団体も多い。援助ではなく、仕事としてきている皆さんは、これらの状況とはかなり異なる。

支援に来て途上国が気に入り、そのまま次の仕事を見つけて居つく人も結構いる。しかし3-4年すると次第に状況に慣れ、最初の志を目指した活動が、思い通りには進まない現実に向き合うことになる。多くの若者から聞くのは、この国こそ自分に合っていると言う思いである。実際には多くの国を知っているわけではなく、視界の狭さが気になるところである。また、その国の文化についても理解が低い場合が多い。

アフリカでは、上のような若者はあまり見かけない。日本から離れていて簡単に行けないこと、文化がかなり異なり生活自身にかなり違和感があるなどによると思われる。しかしその国にはまり、生活を続ける若者もいないわけではない。

若者でなくとも、最初の志とは異なってしまう場合も少なくない。しかし中年以降になるとそれなりに経験を積んできているので、自己責任としか言いようがない。しかし若者は、その視界の狭さによって、進路を誤ると思われる。また視界が狭いが故に、最初の壁にぶつかったときに選択肢が少なく、思わぬ方向に向かってしまうように思われる。

純粋な思いで始めたことが、結果的に目的とは異なり、自分たちが生活するための方向性が違ってしまう例も認められる。あるNGOでは、最初は歓迎されていても、次第にプロジェクトの維持の日本人が増えることにより必要な生活費がかさみ、現地への貢献が少なくなってしまった。その結果現地政府からは、搾取していると見られ、継続が難しくなった場合もある。日本からの支援の輪も広がっているが、なかなか長い期間継続して維持するのは難しい。

私は、外国に出かけるようになったのは30代の終わりごろである。そのため出かけるまでに、多くの情報があった。また経験の多い良い友達が多く、社会の成り立ちや生活の基礎に関する考え方なども十分に学ぶ機会があった。狩猟採集、遊牧、農耕の文化などについて文化人類学の調査をしている友人らと話をする機会があった。また食の文化についての友人、生態学の仲間など。出かける国の基本的生活について知ることは、その国について理解するうえで重要なことである。放牧から出発した国と農耕に活路を見出した国とは、国民の基本的考えが異なる。土地に結びついて動けない農耕民と、常に移動をしなければならない遊牧民では基本的考えがかなり異なる。日本のような農耕民は、隣人との協調が基本であるが、遊牧民では協調についてかなりの違いがある。仕事のために人を雇っても、その契約の内容についての理解は、基本的に異なりがある。

現在はいろいろな情報が、本やインターネットで十分に得られる。しかし、情報を得るには、どの様な情報を得るかについて、基本的教養が必要になる。普段からの広い見識が必要になる。
一度国外に出た見たら、何が必要であるかはある程度理解できるであろう。常に何が必要であるか、アンテナを張りながら活動することが重要であろう。また海外での経験の多い人々から、いろいろな意見を吸収することも重要であろう。

その他にも、日本での仕事が上手く行かず、逃げ出すように外国に来ていると思われる人も見られる。働くことは、日本でも外国でも同じで、外国であるから特別に活躍していることにはならない。当人は外国での活躍は、国際的で日本の仕事より価値があるように思っていることもある。日本で十分な仕事ができないと、外国でも同じである。
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