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娘の帰郷

 

娘が京都から帰ってきた。7月中は試験でずっと忙しかったようだが、なんとか乗り切ってしばしの帰郷となった。土曜の夜に帰ってきたのだが、玄関に入ってすぐに見覚えのないミュールが置いてあって娘が帰ってきたことを告げてくれた。その夜はほとんど顔をあわせなかったのだが、きのう日曜は昼過ぎからずっと一緒にすごした。昼食を食べがてら、娘の運転で買い物に出かけた。5月の連休に帰ってきて以来の運転であるため、同乗する身としては最初かなり緊張したのだが、慣れるにしたがって緊張も解け、あれこれ話しながら近況報告のような趣もあってなかなか楽しかった。
 娘は昔から、右と左の区別が苦手な子供だった。右手を挙げてと言うと左手を挙げても平気な顔をしているような子供だった。長じてもなかなか直らず、昨日も「その道を右」とナビ役の妻が支持しても左に曲がろうと何度かした。「馬鹿か、お前は」と、何度か間違えた挙句に私が文句を言うと、「なぜ私が右左の区別ができないか最近になってやっと分かった」と、どこで聞いたか知らない解説を始めた。
 「ある学者の研究報告によると、人間は利き腕が生まれつき決まっているらしいの。それを生まれたあとに無理に矯正しようとするとどこかに軋轢が生じるらしいんだって。私の場合は、左右がいつまでたってもちゃんと認識できないのがその影響だと思うんだけど。まあ、いろんな人にそれを説明しても賛否半々なんだけどね・・・」確かに娘は左利きであったのを、まだ生きていた私の母が嫌がり、妻が右利きに直させた。その影響がこんな形で現れる、そういうことが果たしてあるのだろうか。息子も生まれつき左利きであったが、そのままにしておいて今も左手で文字を書いている(箸だけは右手を使う)。「大学に入って、左利きの人が多いのにびっくりしたの。今仲良くしている人は、潜在的な左利きの私を含めれば全員左利き、すごいと思わない?」まったくの右利きで、左手をうまく使えない私からみればにわかに信じられない話だが、娘の明快な解説を聞いているとそういうこともあるかもしれないという気になる。いつものことながら、面白い奴だ。
 昼食を終えて、立ち寄ったデパートで娘の買い物につき合わされた。持ち帰るのを忘れた化粧品をあれこれ買わされたのだが、その中にはカラフルなマニキュアもあった。


高校までは化粧気のまるでなかった娘が、卒業と同時にあれこれ塗りたくるようになったのは驚きだったが、今ではもう慣れてしまった。誰かのために飾らねばならない、というのではないようだが、今日の大学3回生の女子大生としては当然の身だしなみなのかもしれない。それにしても化粧品がそんなにも必要なものなのかと疑問になって、思わずきいてしまった。すると、「なに言ってるの、当たり前じゃん」と横にいた妻が答えた。あんたに聞いたんじゃないけどなあ・・

(P.S)
初めてスターバックスコーヒーに入った。コーヒーを飲まない私はアイスティーを頼んだが、あまりおいしくなかった。そんなものなの?
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花火

 私の住む市の隣に豊田市がある。言うまでもなくトヨタ自動車の豊田市である。豊田の横にわが市があるといったほうがいいかもしれない。その豊田市で、金曜から「おいでん祭り」が開かれている。「おいでん祭り」とは豊田市で毎年行われるお祭りで、踊り連と呼ばれる人たちが音楽に合わせて踊りながら道を練り歩き、競い合うのがメインの行事となっている。「おいでん」とは方言で、「おいでよ」という意味であるが、その言葉に誘われてか、私の市からも多くのグループが参加している。なかなかの見物であるとは聞くが、あいにく一度も見物したことがない。
 私にとっての「おいでん祭り」といえば、最終日の日曜に開催される花火大会
に他ならない。7時過ぎから矢作川べりを中心にして、15,000発もの花火が打ち上げられる。その壮観さは、「さすがトヨタのおひざ元!」と唸らずにはいられないほどだ。何度か見物したことがあるが、大スターマインが何度も何度も打ち上げられて、そのたびに大きな歓声が上がる。いつ終わるとも知れぬ打ち上げ花火の連続は、初めて見たときはもう圧倒されてしまって、とてもこの世のものとは思えないほどだった。それまで花火といえば、毎年9月に催されるわが市の陶器祭りの際に打ち上げられる花火しか見たことがなかったので、興奮のあまり夜空をずっと見上げていて首が痛くなったほどだ。比べてはいけないと思っても、それ以来とてもわが市の花火を見ることに耐えられなくなってしまった。
 人出も多く、歩行者天国となったメインストリートは、片道3・4車線もあるほどの広さだが、それでも人であふれかえってしまう。道の両側に並んだ屋台も半端な数ではなく、本当に一大イベントであると実感できる。適当なところに座り込んで見ていたものだが、どうせならしっかり見えるところに陣取りたいと思うのは人情だ。それが先週の日曜に買い物に行ったときに、絶好の鑑賞ポイントを発見した。


これは買い物に行ったデパートの最上階に設けられた展望レストランから外を写した写真である。ぼやけてはっきり見えないのは残念だが、中央付近に白い屋根が見えるのがトヨタスタジアムだ。ちょうどあの近くの川べりから花火が打ち上げられるようだから、全てが見られる絶好のポイントだ。たまたま昼食を食べに行ったのだが、中華レストランで料理もなかなかおいしかった。

  

左が海鮮とろみ中華そば、右が五目焼きそばだが、どちらも量が多くて、あと一品チャーハンを頼んだのだが、3人で苦しみながら何とか食べ終えたほどだ。テーブルに、祭り当日には一人7,000円でコース料理と花火を楽しむプランの案内がおいてあった。昔は展望台が回転していて360度視界が広がっていたが、今は経費節約のためか動いていない。したがって、席によってはまったく花火が見えない可能性もあるが、そういう場合はどうなるのだろう。などと考えて、帰り際に店の人にたずねてみたら、「もう予約でいっぱいです」と言われてしまった。
 そりゃそうだろう、クーラーのきいた快適な店内で、ビール片手につまみをつまみながら、すばらしい花火を一望できるスポットなんてそうざらにないから。来年覚えていたら、ぜひとも利用してみたいなと思う。
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心に潤いを

 夏休みが始まって1週間が過ぎた。毎年のことではあるが、朝から夜遅くまでずっと塾で授業をしているとかなり疲れる。時間的な拘束もつらいが、文字通り塾に体が縛り付けられているような気がして、かなり精神的なストレスを感じてしまう。それに押し流されてしまうと、まともな授業はできないので、あれこれちょっとした息抜きを見つけるようにしている。生徒たちに冗談を言って笑わせたりするだけでもかなりリラックスできる。楽しい雰囲気で授業できるのがやはりいい。生徒も私も心にゆとりを持って臨めることが何よりも大事だ。
 そういう観点でみれば、夏休み用の国語のテキストは私の心に多大な潤いをもたらせてくれる。ともすれば殺伐となりそうな心を国語のテキストに載せられた色々な文章を生徒と一緒になって読むことで、感心もしたり、新しい知識を得たりと、さまざまな効果をもたらしてくれる。昨日も、小学校3年生のテキストに載せられていた田中冬二の二篇の詩にとても感動した。

     幼きものに 一
  幼きものに魚の骨をとってやりながら思う
  おじいちゃんはいつまでこの幼いものといっしょに居られるだろうと
  それからまた幼きものに来る難儀を
  そしてもしも私の余生に幸せがのこっているならこの幼きものにのこしてやりたいと

     幼きものに 二
  幼い孫の靴下に穴があいている
  ――おじいちゃん
    読みもしない本なんか買わずに
  ――お酒もあんまり飲まないで
    靴下を買っておやりなさい

  私が私に言う


いい詩だなと思った。幼い孫を見守る作者の暖かい視線が感じられ、胸が熱くなる。この詩を私は初めて読んだのだが、一語一語が私の心の奥底に深く響き、いい詩に巡り会えたなと感激した。
 しかし、私がそのとき疑問に思ったことが一つあった。それは、この詩を小学校3年生(8~9歳)の子供に読ませると言うことだ。確かにこの詩に対する設問は以下のようなもので、難しくはない。

問い1.「おじいちゃんは・・・居られるだろうと」のあとにつづくことばとしてもっともよいものを次のア~エからえらび、記号で答えなさい。
 ア.言う  イ.話す  ウ.聞く  エ.思う
問い2.「私が私に言う」とありますが、何と言うのですか?次の□にあてはまることばを文中から書きぬきなさい。
 自分の□や□□を買うのではなく、孫に□□を買っておやりなさい。
問い3.二つの詩から感じられる孫に対する作者の思いとしてもっともよいものを次のア~エからえらび、記号で答えなさい。
 ア.不満  イ.あきらめ  ウ.期待  エ.いとしさ

これくらいの設問なら、優しいおじいちゃんが孫のことを思って作った詩だということを感じ取れれば、簡単に答えられるだろう。しかし、この詩はどう考えても、老齢を迎え、死を意識せざるを得ない作者が若い命と接したときの哀歓をつづった詩であり、10歳に満たない子供に読ませるような詩ではないように思う。おじいちゃんというものは自分たちのことを常に大切に思っていてくれるんだなと、孫たちの世代の者たちが読み取ってくれればいいのかもしれない。だが、そんな気持ちを読み取ってほしいから作者はこの詩を書いたのではないだろう。無償の愛を注ぐ者たちから何かを得ようなどとは思わないはずだ。ただ、己の心象風景を包み隠さず吐露した詩であるから、読む者の心を揺さぶるのではないのだろうか。どう考えても小学校3年生に読ませるのにふさわしい詩ではないように思う。
  
 いずれにしても、私がこの詩を書いた田中冬二の年齢に近づきつつあるというのが、こんなことを感じる一番大きな原因であろう。簡単に言えば、この詩が胸に迫ってくる年になってしまったということなんだろう。
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朝顔

 毎年、夏になると朝顔の花が咲く。父が種蒔きから水遣り、支柱たてなどの世話を全て一人でやってくれて、私はただ鑑賞するだけだが、勢いよく伸びた蔓に何輪も咲く朝顔の花は、色とりどりでなかなかの見物だ。何も言わなくても、今年も父が6月はじめに種をまいてくれた。すぐに芽を出した双葉を眺めて、よし朝顔の苗の写真を定期的にとっていって、観察記録を作ってみようと思い立った。そこで一番忘れにくい場所である、バスの車庫の下においてある鉢を観察してみることに決めた。


出たばかりの双葉は緑もつやつやして気持ちがいい。さあ、大きくなれよ、と言っても、私は今まで一度も水をやったことがないからいい加減なものだ。

 

朝顔というのは、芽が出て育ち始めると、加速度的に大きくなっていく。一日目を離すと信じられないくらい成長している。これだけの芽が出ても、たぶん父は間引きなどせずにそのままにしておいたはずだ。

 

支柱が立てられた。これも勿論父がしてくれたことだが、水も朝夕必ずやっている。さすが毎日畑で作物の世話をしているだけあって、育て方に抜かりはない。朝顔の蔓は支柱に見事に巻きついて、上へ上へと伸びていく。その勢いのすばらしさは胸が清々するほどだ。

 

この頃までは晴天も多く、温度も高めだったので、本当によく成長した。この勢いでいったら、あっという間に花が咲くなと思っていたら、梅雨がどんどん勢いを増して何日もはっきりしない日が続き、日照時間も本当に少なかった。朝顔の葉もなんだか元気がなくなって、斑入りの葉が多くなってきて、緑も黄色っぽくなってきた。このままずっと梅雨が続いたら、花が咲く前に枯れてしまうのではないか、と心配し始めた今週のはじめ、ふっと鉢を覗いたらしぼんだ花が見つかった。

 

おお、知らぬ間に咲いたのか!!でも、せっかくならきれいに咲いた花の写真を載せたい。それまでブログの記事にするのは待とう、と我慢した。その結果、やっと昨日になって一輪大きく咲いた花の写真が撮れた。


携帯のカメラだが、思いのほかきれいに撮れた。これも父の丹精のおかげだ。これから毎日どんどん咲いていくだろうが、この花を見つけたときの喜びをもって眺められる花はないかもしれない。本当にきれいだ。
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カブト虫

 昨夜ブログの記事を書いていたら、窓ガラスに何かがぶつかった音がした。カナブンが明かりを見つけ、飛び込んでこようとしてぶつかってくることは時々あるが、昨夜はそんな生易しい音ではなかった。ガツッという鈍い音がしたかと思うと低い羽音がブンブン唸る。何が来たんだとちょっと身構えたけれど、よく考えてみれば鳥がこんな遅くに飛ぶわけがないし、虫に決まっている。でもいったい何だろう・・・と思ってすぐに、はっと気がついた。カブト虫だ!きっとそうだ、カブト虫だ!ブラインドを開けて、窓を開けたら、いた、やっぱりカブト虫だ。ひょっとしたら、オスかなとじっと目を凝らしたが、残念なことにメスだった。どうしよう、と思ったが、せっかくやって来たんだから記念撮影くらいしてやろうと捕まえようとした。じっとして逃げないから簡単に指でつかむことはできたが、その瞬間から全身で抵抗して何とか逃げ出そうともがく。


無茶苦茶力が強い。こちらの指にも思い切り力を込めなければ、逃げられてしまいそうだ。必死の写真撮影となったが、何とか撮ることができた。まあまあの大きさだ。ほっとして手を離したら、紙の上でじっと動かない。ポーズを決めてるのかなと不思議な気がしたが、上からの姿も写しておいた。


これだけ力が強ければ、糸をつけて何かを運ばせるのも楽しい。小さな頃にオスのカブト虫の角に糸を巻きつけてどれくらいの重さまで動かすことができるか試したことがある。いざ観察しようとするとちっとも動いてくれず、結局何にもならなかった覚えがあるが、それもいい思い出だ。

  引っぱれる 糸まっすぐや かぶとむし   高野素十

という俳句も、カブト虫がオスだと思えばサマになるのだろう。あいにく、ここ何年もオスが迷い込んできたことはない。メスさえも昨日のものが何年かぶりにやってきたほどだ。絶対数がオスのほうが少ない、と言うわけでもないだろうが、何故だかオスはめったに見かけない。
 実は私はカブト虫よりもクワガタムシの方が好きだ。確かにオスのカブト虫の角の反り返り具合はなかなか勇壮ではあるが、クワガタムシの角のほうが幾何学的でオブジェのような感じがする。猪突猛進的なカブト虫よりも、どこか知的な感じを漂わすエレガントさをクワガタムシは持っているような気さえする。特にノコギリクワガタのようなギザギザした角は武器として強力な印象を与えるし、装飾品としても見ていて飽きない。もし生まれ変わって虫にならなければならないとしたら、私は絶対にノコギリクワガタになりたい。

 カブト虫は、たとえメスでも、そんな夢想に浸らせてくれるだけの力を持っている。しばし楽しませてもらったカブト虫はちゃんと窓から逃がしてやった。
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 やっと雨が上がった。雨が上がるとさすがに暑い。暑いのがいいか、じめじめしたのがいいか、などと考えてみても仕方ないが、やっと本格的な夏が到来するようだ。せみの初鳴きを観測してから9日ほどで梅雨が明けるものらしいから、今年の場合、今週末がそれにあたる。昨日などはもうせみがうるさかったが、これから1ヶ月ほどはせみの声で朝は起こされるかもしれない。暑さを倍化させるようなせみの鳴き声だが、夏の象徴としてしばらくは我慢しなければならない。


梅雨明け間近の晴天について何か書こうと思って考えていたら、不意に上の写真の絵が頭に浮かんだ。これは息子が字を書き始めて間もない頃だから、保育園に通っていた5歳くらいの時の絵だ。車に乗っていたときに雨上がりの大きな虹を見たときの感動を絵にしたものだ。黄色で「にじ」と題名が書いてあり、その下に赤・青・緑・黄のアーチが思い切りよく描かれている。とても今の息子からは想像できないような大胆さで気持ちよく描かれている。右には「6月19日 ほくたち」と濁点を忘れた文が書かれ、その下に自分の姓名が書かれている。左には「3んにでにじをみてた」と日記風な言葉が続いている。よく見ると、ちゃんと虹を見てる3人の姿が描かれている。「よくできました、上手に描けたね」と、この絵を見た私は息子を心から褒めたのだが、次の瞬間、おやっと思った。あの日は確か、私、妻、娘、息子の4人で車に乗っていたときに虹を見たはずだ。すると、3人というのは息子の勘違いかな、そう思って私はたずねた。すると息子は、指を折りながら、「お母さん、お姉ちゃん、ぼく」と言って3本の指を見せた。「えっ、お父さんは?」と私がたずねると、息子ははっとした顔をして、私にすまなさそうな顔をした。近くにいた妻が、「お父さんなんていなくてもいいよ、3人でいいよ」と言ったのだが、息子のばつの悪そうな顔は変わらなかった。
 そうだった、あの頃の私は妙に家族から迫害されていた。今でもそう変わらないかもしれないが、妻が娘と息子と大の仲良しで、私だけが別物のような扱いを受けていた。「被害妄想だよ」、と妻はニヤニヤしていたが、あれは間違いなく妻が子供たちに刷り込んだものに違いない。まあ、あの頃はよくけんかをして年中プリプリしていたから、仕方ないかもしれないが。
 
 息子が面白いのは、これから先だ。


「7がつ9にち ぼくあどばるんおみた」と説明があって、虹を見た20日後にアドバルーンを車の中から見たことが書かれている。よく見ると、前の失敗に懲りたのか、「ぼくたち」が「ぼく」に変わって、車の中の人数も2人になっている。このときも家族4人でいたはずだが、息子なりにバランス感覚が働いたのだろう、絶妙な人数にしてある。仲間はずれはお父さんだけじゃないよと言いたいのかもしれないし、今度はお父さんと二人だよと言いたかったのかもしれない。結局は確かめることはしなかったが、同じ轍を踏まないだけの知恵は備わっていたようだ。これが息子のよさなのか弱さなのか、よくは分からないが、小さい頃からちょっとした思いやりのできる子供だった。

 などと言いながらも、この2枚の絵は額に入れて今でも我が家のリビングに掲げてある。紛れもなく我が家の家宝だ。
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お祝い

 私には母方の従兄弟が17人いる。先日1人亡くなってしまったため、今は16人になってしまったが、上は60歳から下は34歳まで、親子ほど年齢の開きがある。事実、60歳の従姉妹の長女は、一番下の従姉妹よりも年上である。したがって、その従姉妹の3人の子供たちは、ほとんど従兄弟としての付き合いをしている。
 今月に入って、従兄弟が続けて新しく子供をもうけた。一人は36歳になる従姉妹で自身2人目の出産だった。予定日を過ぎてもなかなか産気づかなかったため、暑いさなか大きな腹を抱えて上の子供と散歩しているのをよく見かけた。大丈夫?と声をかけると「もう、生まれた瞬間に首が座ってるかもしれない」などと冗談を言っていたが、お腹の中でちょっと大きくなりすぎたようで、出産は大変だったよという。2人目も男の子で、暴れん坊二人はこれから大変だろうなと余計なことを思わないでもない。
 もう一人は従兄弟が2人目の父親になった。上は女の子だが、今度は男の子が生まれた。自分が父親から譲り受けた会社を切り盛りしている身だけに、跡取り息子ができたと喜んでいるだろうか。子供が生まれてから顔をあわせたことがないのでよく分からないが、男親として女の子と男の子の父親になれるのはうれしいことのような気がする。
 私も男女一人ずつ子供がいるので、男の子・女の子それぞれの親としての楽しみを味合わせてもらってきた。私に似たのが娘で、とても厄介な女だが、自分と思考回路が近いので話していて飽きることはない。息子は顔立ちも妻に似て呑気な性格だが、現在は受験生として今まで生きてきた中で最高に頭を回転させている毎日なので、息切れしないように祈るばかりである。

 その二人の男の子の誕生祝いを日曜に買いに行ってきた。従兄弟に赤ん坊が生まれると、服を買ってプレゼントするのが私の習慣となっている。5月末に35歳の従姉妹が未婚の母となったが、その子のお祝いにも服を買って贈った。だいたいはファミリアの服を選ぶことにしているが、今回は贈るのが2人とも男の子であるため、一人はファミリアで選んだが、もう一人は違うブランドのものにした。そこはたまたまバーゲンをしていたため、同じ金額で上下2セット買えた。子供はどんな服を着ていても遠慮なしに汚すに決まっているから、数が多いに越したことはない。なかなかうまい買い物だった。
 
 それにしても、大事な従兄弟が亡くなったばかりで意気消沈している私たち身内には、このちょっとした出産ラッシュは心の憂いをやわらげてくれる。帰り道に従姉妹の家に立ち寄って、お祝いを渡しがてら赤ちゃんの顔を見た。生まれたばかりの赤ん坊は、本当に小さい。小さいけれども完全に私たちと同じ形をしている。大きさが違うだけで、見事なまでに完全な人間だ。当たり前のことかもしれないが、赤ん坊を見るたびに私は感動する。「人間は人間として生まれてくるんだなあ」と赤ちゃんの顔を見ながら私が呟いたら、「なに馬鹿言ってるのよ。でも、本当に可愛いね、この子」などと笑顔でくしゃくしゃになりながら、妻が答えた。
 逝くものがいればやって来るものもある。そうして時代はゆっくりと確実に変わっていくものなんだなということを痛感するこの頃である。

 
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土用丑

 昨日は土用の丑だった。日曜なのに土用というのはこれいかに?などとふざけているのも恥ずかしいが、「小暑から立秋までの夏の最も暑いさかり。夏の土用。暑気あたりを避けるため、また、元気をつけるため、にんにく・うなぎを食べる風習がある」と辞書には載っている。旧暦の季節感の見事さを、以前このブログでも取り上げたことがある。その中でも現代に生かされた風習の一つとして、土用の丑の日にうなぎを食べるという風習は広く世間に広まったものであろう。
 我が家でも昨日は夕食にうなぎどんぶりを食べた。わが町はうなぎ専門店が多い町だと思う。細かな数を調べたわけではないが、我が家の近くにもうなぎ屋が2軒あり、少し足を伸ばせば、蒲焼の持ち帰り専門店も2軒ほどある。その中の一軒の娘が塾に通ってきているが、その子が来ると服にしみ込んだ蒲焼の香りがほのかに漂って、無性にうなぎが食べたくなる。時々その子の母親が蒲焼を持ってきてくれて相伴にあずかることができるのだが、なんともいえぬうまさで、さすがと毎回した鼓を打つ。
 昨日は違う店のうなぎを買ってきた。塾生の店のうなぎはつい先日食べたばかりだったので、もう一軒、わが市では甲乙つけがたい店のうなぎを食べた。

 

焼きあがったうなぎを3尾買ってきてそれを家族4人で食べたのだが、肉厚のうなぎがたれの香ばしさとあいまって見事な味をかもし出している。私は玄米しか食べないので、ご飯の色が茶色いが、熱々のご飯なら白米だろうが玄米だろうがおいしさに変わりはない。土用しじみの赤出しを添えてなかなか満足のいく夕食となった。おいしかった。
 
 しかし、このうなぎも土用の丑を前に、今年は高値が続いていたのだそうだ。稚魚のシラスウナギが不足で高騰したのに加え、養殖期の原油高、中国からの輸入減の「トリプルパンチ」が響き、卸価格は昨年のこの時期に比べて1割ほど高いと報道された。私の住む愛知県は養殖うなぎの生産量で日本一を誇っているが、その中心である一色町漁協によると、出荷額で一匹当たり30~40円高くなっているのだそうだ。それが卸売価格にも反映されて、蒲焼一尾あたり100円ほど値上げして販売する店が多かったと言われている。妻も、電話で注文した際に値段のことは何も聞かなかったが、どれくらい高くなっているだろうと心配していたが、この店はいつも通りのお金しか取らなかったそうだ。それを聞いて良心的な店だと思ったが、同時に大変だろうなと同情してしまった。
 新聞によれば、「稚魚は今年3月には大幅に価格が下がったため、お盆を過ぎれば高騰は解消されるのではないか」という観測を述べているが、ぜひともそうなってほしい。私の弟の妻などのように、うなぎが嫌いだと言う人を時々見かけるが、私はうなぎどんぶりが大の好物である。これが気安く食べられなくなるのはつらい。要らぬ心配をせずにすむようになってもらいたい。
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「ゲド戦記」

 金曜日の夜、塾が終わって帰宅すると、妻と息子が台所の横の小さなTVを見ていた。何を見ているのかたずねたら、『ハウルの動く城』だと言う。わざわざそんなものTVで見なくてもDVDがあるだろうと私が言っても、妻と息子は自分たちの会話で忙しい。
「ジブリの映画ってTVでやるときは必ずノーカットじゃん、ずるいよね」
「そうだけど、私が許せないのはハウルの声を木村さんがやってるから、ハウルがやってる間はSMAPの他のメンバーが同時にTVに出られないの。だから、金スマに仲居くんが今日は出てないんだよ。頭きちゃうよね」と妻がぷりぷりしている。さすが、ジャーニーズ事務所、その辺はしっかりしている、などと私が感心していると、
「だけど、仕方ないかもね。来週から『ゲド戦記』が公開されるから、今日しかTVで『ハウル』やる日がないものね・・」と妻がさらに解説を加えた。そうか、『ゲド戦記』がもう上映されるのか。
 
 私の部屋の本棚にはずっと以前から『ゲド戦記』が並べられている。3巻しか出ていなかった頃に買ったものだからずいぶん古い。手にとってみたが、ボロボロだ。


開いてみると、1990年発行の第21刷とある。今から15年ほど前に買った本だ。どうしてこの本を読もうとしたのかはっきり覚えていない。しかも内容もまったくといっていいほど覚えていない。それじゃあ、いくら何でもと思いながら、ちょっと読み返してみようかと思っているうちに、第一巻の「訳者あとがき」に目がとまった。そこに『ゲド戦記』1~3巻の大雑把な内容が記されていたので、復習を兼ねて以下に写してみる。

 この作品の舞台となっているアースシーという多島海世界は、もちろん実在の世界ではなく、作者ル=グウィンの創造になるものです。ル=グウィンはここに血気にはやる高慢な若者ゲドを登場させました。ゲドは魔法の修行中、傲(おご)りと妬(ねた)みの心から死の影を呼び出し、その影に追われてさまよいますが、師と仰ぐ魔法使いの言葉に従って、ある時を境に逆にその影を追うようになります。追いつめていった世界の果てで何が起こったか。ゲドがついに手にしたのは勝利でも敗北でもありませんでした。彼は己の名をになう影を自らに吸収して一体となります。ゲドはそうなって初めて全き人間になったのでした。

さらに、2巻・3巻へと話が進むのだが、私はこれ以上記せない。というのは、1巻は読んだ覚えがあり、話の内容もおぼろげながら思い出せたのだが、当時はどうしてもそれ以上読み進めることができずに、2巻の途中で放棄してしまったのだ。それは物語がつまらなかったからではなく、日本語訳がごつごつしていてとても我慢ができなくなってしまったからだ。清水真砂子という人の翻訳だが、あとがきを読む限りはすばらしい訳者のように思えるのだが、どうしてなんだろう。
 先日本屋へ行ったら、『ゲド戦記』がコンパクトサイズの本となってセットで売られていた。知らないうちに全6巻にまで話が進んでいたようだ。7000円ほどだったから、買ってみようかなと一瞬思ったのだが、そういえば読みにくかったよな・・と思いとどまってしまった。今調べてみたら、訳者は同じ人だ。どうだろう、改訂はされているだろうか。
 それにしても、ジブリも『ゲド戦記』を題材にするとは度胸がいい。きっと劇場に足を運ぶ時間はないだろうからDVD化を待つしかないだろうけど、『ハウルの動く城』でのがっかりをまた味あわせてくれたら、怒るよ。
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甘党

 このブログで自分の好きな食べ物を何回か取り上げるうちに、実に甘いものが好きなんだなということが再認識できてなかなか面白かった。別に辛いものが嫌いなわけでもない。ラーメンを食べるときは胡椒を思い切りかけるし、スパゲッティを食べるときにはタバスコが必需品だ。キャベツを千切りにしたものにソースをたっぷりかけてツユダク状態になったものを食べるのも好きだ。舌をひりひりさせ、汗びっしょりになりながらながら辛いものを食べるのは気持ちがいい。
 要するに、食べるものがおいしければ甘かろうが辛かろうが私には関係ないように思う。確かに、ご飯のおかずには辛目のほうが好きだし、デザートには言うまでもなく甘いものと、状況によって好き嫌いを使い分けているのかもしれないが、大前提としてその食べ物がおいしくなかったら、まず食べることはない。妻が作った夕食のおかずも何品かあるうちの、自分の好みに合ったものしか食べないので、よく怒られる。「せっかく作ったのに食べてもらえないのは腹が立つ」などと言っては、私が食べ残したものを片付ける。そういう場合は聞こえぬ振りをして聞き流すしかないのだが、まあ、文句を言われても当然だから、じっと我慢している。
 
 年をとるにつれ好きな物はますます好きになってきたように思う。特に甘いものが。先日名古屋へ行ってきたお土産に買ってきた「しらたまぜんざい」は見つけた瞬間に買いたくてたまらなくなった。滋賀県大津の「叶匠壽庵」のぜんざいが缶詰になったものだ。「叶匠壽庵」といえば、餡たっぷりの最中が有名な店で、何度か食べたことがあるがめちゃくちゃおいしい。そこのぜんざいだから絶対においしいに決まってると食べたくなったのだ。

 

同封されていた紹介文には、「『もちもち』とした白玉、あっさりと炊き上げた丹波大納言小豆の、すっきりとした甘味に仕上げました」と書いてある。冷蔵庫で1~2時間冷やすといっそうおいしく食べられるとも書いてあった。家に帰ってすぐに食べたかったが、あせりは禁物と翌日まで冷蔵庫の中で冷やしておいた。どうせならベストの状態で食べたい。
 翌日、昼食を軽めにとった後で、待ちに待った「しらたまぜんざい」の封を開けた。本来私はぜんざいの中に白玉を入れるのは好きではない。小豆だけを味わいたいと思っているからだ。しかし、今回は白玉にも相当こだわっているようだから入れてみようと思った。

 

おわんに移して、写真を撮ったら、もう我慢ができない、早速食べた。うん、おいしい。甘すぎず、さっぱり甘いといった感じだが、冷たいからいいんだろう。温めたら少し物足りないかなと思わないでもないが、冷たくして食べるために作られているのだろう。白玉もおいしかった。これだけおいしいならなくてはならないものだ。
 それにしても、製品についた紹介文というのは大したものだ。書いてあるとおりの味がする。読んでから食べたからそんな気がするのかもしれないが、おいしいものは誰が食べてもおいしいのだ、それが本当においしいものなんだ、と己の付和雷同ぶりを省みずに書いておく。
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