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小林かいち

 日曜日の朝、何気なくNHK教育TVにチャンネルを合わせたら、「日曜美術館」が終わりかけていて、展覧会の案内をしているところだった。いつもならすぐに違う番組にチャンネルを変えてしまうが、その時は画面に映し出された絵に思わず見入ってしまった。


 ニューオータニ美術館で8月23日まで開かれている「謎のデザイナー 小林かいちの世界」の案内だった。「謎の」という言葉が妖しく目に留まったが、私は「小林かいち」なる人物はまるで知らなかった。だが、初めて見た彼の絵は一瞬で私の心を捉えた。竹久夢二を髣髴とさせるが、より現代的・都会的な印象を受ける。女性には顔の造作が描かれていないため、謎めいた雰囲気が漂い、彼女に関して様々な憶測が広がる・・。刺激的な絵だ。
 今回の展示は、『大正時代の後期から昭和初期にかけて、絵はがきや絵封筒のデザインを数多く手がけた京都のデザイナー、小林かいち(本名:嘉一郎、1896~1968年)の、謎に包まれた生涯と作品を大々的に紹介する、東京では初の展覧会となる』のだそうだ。少し調べてみたが、小林かいちは、近年その存在が注目され始めたばかりで、未だに経歴や作品の全貌は明らかになっていないという。また、かいちは画家ではなかったため、今回の会場に展示される作品も、当時実際に販売されていた絵封筒や絵葉書、木版画が中心となっているとのことで、調べるうちに私も美術館まで見に行きたい思いが募ってきた。
 だが、開催期間が夏休み中ではどう考えても無理な話だ。残念で仕方ないが、こればかりはどうしようもない。潔く諦めるしかない。ただ、その無念さを少しばかり晴らすために、ネット上で彼の手になるデザイン画を何枚か集めてきて、このブログに貼っておくことにしようと思う。

  


 


   


 


 名古屋で展覧会が開かれればいいのに・・。
 でも、どうして惹かれるのかなあ。
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看板に偽り・・

 小谷野敦著「『こころ』は名作か」(新潮新書)を読んだ。書店でこの本を見つけた時、少し前に毎日新聞夕刊で、この本の題名と同じ主旨の記事が載っていたのを思い出した。確かこの本の作者のインタビューも載っていたと思うが、夏目漱石を敬愛し、多大なる影響を受けた私としては、徒に看過できぬ由々しき題名であり、すぐに購入して読み始めた。
 実を言えば、私自身「こころ」はあまり好きではない。かつて塾生の女子高生に頼み込まれて渋々感想文を書いたことがあったが、そこには漱石の視点が男中心のものであり、先生の奥さんは何も知らされないまま、夫を失ってしまうのだからあまりに可哀想だ、と不満を書いた覚えがある。フェミニストを気取ったわけではないが、その辺りが明治を生きた漱石と昭和生まれの私との感覚的な違いかな、と今でも思っているので、筆者の指摘する「こころ」の抱える現実との非整合性に納得する点はないわけではなかった。しかし、小説をそんなに現実と照合して、瑕疵をあげつらってみたところでどんな意味があるのか私には理解できない。筆者のように文学を研究している学者にはそれなりの発見なのかもしれないが、大多数の読者にとっては枝葉末節のどうでもいいことにすぎない。もちろん私も、なるほどとは思っても、だからと言って「こころ」が愚作だと断言しようとは思わない。筆者も繰り返し書いてるように、文学には普遍的な基準などないのだから、こうした見方もあるんだ、くらいに捉えておくのが無難なところだろう。
(そうは言っても、かつて私も大江健三郎の小説を読んでいて、まだ携帯電話がさほど普及していない時期であったのに、四国の山中奥深く入った人と携帯電話で話す場面に出会って、さすがにこれはありえないだろう、と一気に興が冷めてしまって、その先を読む気がまったく起こらなくなってしまったことがあるから、筆者の気持ちが理解できないわけではない・・)

 しかし、この本を読み始めて一番驚いたことは、題名に惹かれて読み始めた私に肩透かしを食らわすかのように、筆者が考える「こころ」が名作の名に値しない点を述べる箇所が余りに少なくて、大部分を筆者の厖大な読書遍歴の結果導き出した「読書案内」が占めていたことだ。確かに一人でそれだけの本を読み通したのはすごいと思う。私など足元にも及ばなく恥じ入るばかりだが、もし初めから本書が筆者の勧める必読の書を挙げたものだと分かっていたなら、きっと読み始めることはなかっただろう。そう思うと何だか題名に騙されたような気になった。確かにインパクトのある題名で読者を惹きつけるのも、著作を売るためには必要なのだろうが、ちょっとあからさまかなとげんなりしてしまった。それでも最後まで読み通せたのは、筆者が誰はばかることなく、名作の誉れ高い小説をバッタバッタと切っていく筆致の鋭さに感心したからだ。該博な知識の裏づけがあってこそ、これだけ思ったことを忌憚なく表明できるのだろうが、そんな筆者の姿勢が正直羨ましく思えた。
 そこで1962年生まれの筆者のプロフィールを少し調べてみた。色んな分野で著作を刊行しているようだが、中でも『もてない男――恋愛論を超えて』(ちくま新書)は彼の著作中最高の10万部を売ったそうだ。題名を見るとなかなか面白そうだし、本書の中でも自らを「恋愛評論家」と名乗っているから読んでみようかなと反射的に思ってしまったが、本書で少しばかり失敗した感は否めないので、もうちょっと調べてから読むかどうか決めようと思っている。まあ、自分のことを「かっこいい」と思い続けている私にはあまり理解できない世界のことかもしれないが・・。
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「復讐するは我にあり」

 緒形拳主演の「復讐するは我にあり」を見た。昨年WOWOWで放送された時に妻が録画していたのをやっと見ることができた。
 
 『稀代の殺人鬼、榎津巌の犯行の軌跡と人間像を描いた佐木隆三の直木賞受賞作を鬼才、今村昌平が挑んだ意欲作。九州、浜松、東京で五人を殺した上、史上最大と言われる重要指名手配の公開捜査をかいくぐって、時には大学教授、時には弁護士と称して詐欺と女性関係に明け暮れる犯罪王の生き様を、エネルギッシュに見事に描いた、日本映画史を語る上で欠くことのできない傑作』

 昨年亡くなった緒形拳の代表作にも挙げられる作品でもあり、かなり期待して見たのだが、さすが緒形拳、ピカレスク映画の主役としては素晴らしかった。お金を得るためならどんな卑劣な手段も選ばぬ詐欺師としての顔と、情け容赦なく命を奪う殺人者としての顔と、そして女性を誑かす男としての顔・・、見る者を釘付けにする迫真の演技で様々な顔を持つ男を演じきっている。まさに役者として脂の乗り切った頃の緒形拳を見ることができて感激した。さらに倍賞美津子や小川真由美の若く美しい姿態には魅了されたし、ミヤコ蝶々・清川虹子・フランキー堺といった懐かしい人たちの姿を拝めたのは嬉しかった。
 だが、映画の途中からどうしても理解できないことが出てきた。それは「復讐するは我にあり」という題名に関して、途中妻から何度も「誰に復讐してるのかなあ?」と訊かれたことだ。その度に「親に復讐してるんじゃないの」とか何とかいい加減な返事をしていたものの、実はまったく分からなかった。詐欺師がなぜ連続殺人犯となってしまったのかも、よく分からなかったから、映画を見終わってからも釈然としないものがいくつか残った。
 そこでネット検索してみたところ、意外なことが分かった。

『タイトルの「復讐するは我にあり」という言葉は、新約聖書(ローマ人への手紙・第12章第19節)に出てくる言葉で、その全文は「愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒りに任せまつれ。録して『主いい給う。復讐するは我にあり、我これを報いん』(申命記32:35)」これは「悪に対して悪で報いてはならない。悪を行なった者に対する復讐は神がおこなう(参考;詩篇94:1)。」という意味である』(Wikipedia)

 だが、どう解釈すればいいのだろう・・。緒形拳の演じた主役・榎津巌はキリシタンの末裔であり、敬虔なクリスチャンを父に持っていたから、その辺りを斟酌するべきなのだろうが、悪を行った者に対しての復讐は神がするというのなら、榎津巌に下された復讐とはいったい何だったのだろう?彼は死刑に処せられて、その遺骨を父親と妻が山頂から撒き散らすシーンでこの映画は終わっているのだが、それが何かの復讐を意味するのだろうか?徹底した確信犯として描かれた榎津にとって、死刑などなんらの復讐の意味も持たなかっただろうから、いかなる処置も彼にとっては「復讐」たりえないのではないだろうか、そんな気がする。それとも殺人者として地獄に落ちた榎津は、業火に焼かれ永遠の責苦に苛まれるというのだろうか・・。

 私は映画を見ただけで、佐木隆三の原作を読んでいないから、この題名の持つ意味が理解できないのかもしれない。もちろんそんなことなど分からないまま見ていても、何も困らないだろうが、それはただ緒形拳や他の出演者の好演によるものであって、映画としては「何故?」と首を傾げたくなる場面が散見されるように思った。
 それもみな題名のことが気になって仕方がなかったせいかもしれない。結局は、私のキリスト教世界に対する知識のなさがいけないのだろうが・・。

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赤福氷

 日曜日、昼食を終え、買い物を済ませたら、なんとなく小腹が空いた。昼食に食べた冷麺の量が少なかったようだ。何か食べたいなと思いながら、地下の食品売り場に行ったところ「赤福」の前に出た。偽装問題で営業停止になった赤福が営業再開を果たした時に食べて以来だから、一年以上食べていないことになる。順番待ちをしている人も多くなかったので、久しぶりに食べたくなって椅子に座って待つことにした。
 私にしては珍しいほど大人しく待っていたら、「赤福氷」という張り紙が目に付いた。
「カキ氷かなあ?」
「そうだろうね。頼んでみたら?」
「うん、そうする」
椅子に並んで待っているうちに注文をとってくれるたで、店内の席に着くとすぐに「赤福氷」が運ばれてきた。おお!!本当にカキ氷だ!!


 だけど、これではただの宇治氷だ。赤福は何処に?
「そりゃあ、中に入ってるんでしょう」
妻の言うとおりだと思いながら、せっせと食べ始めた。しかし、すぐに頭がキーンと痛んでしまった。
「痛い!!」
手を額に当ててしばらく待った。先日「笑っていいとも」に出てきた上戸彩は冷たいカキ氷をいくら食べても頭が痛くならないと言って実演して見せたが、とても人間業とは思えなかった。カキ氷を急いでかきこめば、頭がキーンとするのが普通だろうに・・。
 しばらく経って何とか回復した私は、飽くなき挑戦者としてさらに食べ続けた。すると、あった!!あんこが見えてきた。


獲物が見つかれば元気も出てくる。スプーンで氷をかき分けて、赤福を表に出してみた。

 

 なんとあんこと餅は別々になっている。しかも、餅は2つ入っている。なるほどこういう仕組みか・・。
 あんこから食べてみた。やっぱり赤福のあんこだ。おいしい。しかし、餅も一緒に食べてこその赤福だ。慌てて餅も口に入れてみた。うん!これでこそ赤福だ!!
「おいしいね」
つまみ食いした妻も絶賛した。今年からなのか、今までもずっとあったものなのかは知らないが、赤福の新しい食べ方を教えてもらって、ずいぶん得をした気分になった。これならカキ氷ではなく、アイスクリームの中に入れてもおいしそうだ。今度試してみよう。
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テレビ塔

 夏休みに入って最初の日曜、有意義にすごさなくちゃ勿体ない。何をしようか、考えてみたら、子供が生まれたばかりの従兄弟にお祝いを買いに行こうということになった。だが、デパートに行って帰ってくるだけでは面白くない。何か・・と思案をめぐらして、昨年の夏休みに名古屋城に行ったのに倣って、今年はテレビ塔にのぼってみるのも一興じゃないか、買い物が終った後に行ってみた。

 

 テレビ塔は今年建設55周年に当たるという。ということは東京タワーよりも古いことになる。私が登ったのは小学校の時だったからかれこれ40年も前のことだ。妻も小学校の遠足以来のぼったことがないといったから、テレビ塔は名古屋近郊に住む者たちにとっては、「近くて遠い」存在なのかもしれない。
 3階までエレベーターで行って、そこから展望台までは有料となっている。入場料600円を払えば、エレベーターで行くもよし、徒歩で外部に取り付けられた階段をのぼっていくもよし、2択できるのは嬉しい。昨日は階段を使用できる日だったが、ここでエレベータでのぼって行こうというのは、「階段で行きたいよー」オーラを出し続けている妻の手前できない相談だ。
「階段でいこう!!」
少々ビビりながらも一大決心をした私は、淡々と、あらゆる邪心を捨て去って、ただひたすら手すりを握りしめ、脇目もふらずに階段をのぼり始めた。

  

 かつて一度この階段をのぼったことはあるはずだが、足もとから地上まで透けて見えたのが、今は頑丈に覆われていて、とても落下しそうにない。それなら平気かと言われれば、全くそんなことはない。前を見ても空中、下を見れば地面がはるか
彼方・・、とても私の出る幕ではない。何でこんなことになってしまったのか、後悔しながらも後には引けぬ、もう半ばやけくそで一段一段階段を上って行った。

  

 今思えば、写真を撮るだけの心の余裕があったかもしれないが、その時はもう必死だった。早く展望台までたどり着け!そんなことを思いながらひたすら手すりにつかまりながら階段をのぼっていった。すると・・。


おお、あれは展望台の入り口!!助かった・・・。

かなり足元も覚束ない、ぜーぜー言いながらもたどり着いた私をあたたかく迎えてくれたスタッフの人には改めてお礼を言おう。途中でクイズがあったようだが、そんなものに答えている余裕などまるでなかった。でも、「がんばったで賞」なるものがもらえたので、ありがたく頂戴してきた。


 そしてこれが展望台から写した名古屋の東西南北。

 

 


いい眺め、絶景かな!!
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アウトラスト

 今月に入った頃から、朝起きると汗びっしょりになっていることがよくあった。まだそれほど暑くないのに変だな、と思って理由を考えてみたら意外に簡単なことだった。私の寝室のベッドは窓際に置いてある。窓は東向きだが、崖の斜面の立木が陰になって日の出の光が直に注ぎこむことはなかった。少なくとも初夏までは・・。いや、きっと朝日は窓に当たっていたのだろうが、まださほどの熱を含んではいなかったので苦にならなかっただけかもしれない。なので雨戸も立てずに眠っていたのだが、7月に入って俄然太陽光が強くなり始めた途端、ジリジリと焼けるような感覚で目が覚めるようになったのだ。

 

 それなら雨戸さえ立てれば問題解決かと言えばそうは簡単な話でもない。私は出来ることなら睡眠中はクーラーの世話にはなりたくないので暑い時期は窓を開け放って眠ることにしている。ヒンヤリ夜の空気を感じながら眠るのは心地いい。だが、雨戸を立ててしまうと、その快適さが損なわれてしまう。困った、どうしよう?
 だが、汗ビッショリで目覚めるのはかなり辛い。起きた瞬間から疲れた気がする。やはり安眠を優先すべきだろう。ということで、夜風は別の窓から取り入れることにしてベッド横の窓は雨戸を立てて眠ることにした。
 しかし、それだと部屋の中の体感温度が高く感じられる。朝日に苛まれる心配はなくなったが、寝苦しさはあまり変わらない気がする。これじゃあ、クーラーを欠けて眠るしかないのかな、そんな弱気になり始めたとき、妻が新兵器を渡してくれた。その名も「アウトラスト」。これを布団に敷けば暑さ知らずで眠れるそうだ。

 


 「アウトラストはNASAが宇宙空間で使用するグローブのために開発された素材です。極寒の天候下でも寒くなりすぎず、また高温の環境下でも暑くなりすぎないように、皮膚表面温度をつねに快適な温度に保ってくれる快適温度調節素材です」
との説明を読むと快適な睡眠を保証してくれるようだ。妻が注文して送られたものの上に寝転んだら、ひんやりして気持ちがよかったと言った。それなら、試してみる価値は十分あるな、と思って早速その夜から使ってみた。

 私が鈍感なのか、私の身体にどこか不具合があるのか、1週間ほど使ってみたが、さほどの効果は感じられなかった。ここのところ天気が悪くてさほど気温が上がらなかったせいもあるかもしれないが、「気持ちよく眠れた」という感想は一度も持てなかった。ただ、夜明け直前に暑くて目が覚めることは何度かあっても、すぐにまた眠りに落ちて、次に起きた時には汗をまったくかいてないなどとういうことが続いたから、どこまでがこの「アウトラスト」の効果なのか、もう少し使ってみてから結論は下したほうがよさそうだ。
 しかし、色んなものがあるものだ。またそれを探して出してくる妻のアンテナも大したものだ・・。
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スッポン

 「何だ、あれは?」
バスで生徒を送り、一旦塾に戻ってきたら、塾舎の前の道路になにやら物体が落ちている。
 ゴミ?
じっと目を凝らしたがよく分からない。車を停めて確かめてみたら、なんとスッポンだ!!なぜここに???
 「じっとしてろよ」
そう言い聞かせて、慌ててカメラを事務室に取りに戻った。
 「そうだ、妻を呼んでやらなくちゃ。」
玄関のインターフォンで妻に
 「スッポンがいる!!」
と叫んでから、スッポンのところに戻った。ちゃんと言うことを聞いてくれたようで蹲ったままじっとしている。甲羅の直径が30cm近くはある大きなスッポンだ。


すぐに妻がやって来た。好奇心の強い妻はすぐに甲羅に触った。
 「硬い!」
私も触ってみたが、確かに硬い。亀の甲羅だから当たり前かもしれないが、やっぱり実際に触ってみなくちゃ分からない。二人でキャーキャー叫んでいたら、やおらスッポンが歩き出した。案外早足だ。

  

 道端のフェンスの下をくぐり抜けて駐車場の方へ行こうとするが、隙間が狭すぎて通り抜けられない。
「無理だよ」
何度妻が声をかけても言うことを聞かない。仕方がないので妻が方向転換をさせてやってなんとか駐車場に入り込めた。

  

 あとは草に覆われた土手まで歩いていけば川はすぐそこだ。自分が出てきた川が分かっているのか、一直線に向かっていく。動物の本能はなんて優れているのだろう。脳みそなどほんのちっぽけなんだろうが、決して侮れない。

  

 最後は草むらに隠れて姿が見えなくなったが、なかなか面白い一時だった。捕まえてスッポン鍋にするのも夏バテ防止にはよかったかもしれないが、誰も調理などできないから、見守るだけで十分だった。このスッポンは前々から川の中に棲息しているのを見かけていたが、陸上に上がってきたのは初めて見た。何がしたかったのかよく分からないが、なかなか可愛い奴だった・・。


 顔をアップにしたらこんな感じ。

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「日本の悪霊」

「タカハシカズミ」と言われて「高橋一三」を想起するのは古くからの巨人ファンであろう。だが、「高橋和巳」という小説家に変換できる人は、今この日本にいったい何人いるのだろう。私は大学生の頃むさぼり読んだ高橋和巳の著作を、もうずっと読み返すことなく過ごしてきたが、心の底では今一度読み返したいと常々思ってきた。こんな軽佻浮薄な時代だからこそ、それに逆行するだけの気概を持ちたいという思いと、今の私に果たして高橋和巳を読み通すことができるだろうか、そんな思いが時々は交錯していたが、なかなか彼の著作を手に取ることはできなかった。
 ところが、先日「1Q84」を読み終わって、何だか心に空虚が広がった。確かに面白く読んだが、面白いだけの小説ならエンターテインメント雑誌を開けばいくらでもあるだろう。だが、私が小説というものに対して抱いている思いは、それとはどこか違う。たとえ片言隻句につかえつかえしながらも、著者の思いが総身に伝わってくるような小説を読みたい、という思いが「1Q84」に対する反動のように広がってきた。何も小説に思想が反映されていなければならないとは思わないが、これだけは読者に伝えたい、表現したい、という作者の願いが滲み出ているような小説を読みたい、そういう思いが私を凌駕して、気付いたら高橋和巳の「日本の悪霊」を読み始めていた。
 
 学徒出陣で特攻隊の訓練を受け、死を覚悟していたものの出撃することなく敗戦を迎えた落合は、大学に戻ることなく一介の刑事としてやり場のない憤怒に囚われながら疲弊した毎日を送ってきた。一方、革命組織に属し、その思想に殉じる意図から富豪を惨殺した後8年間の逃亡生活で身も心もすり減らしてしまった村瀬は、如何ともしがたい時の流れに一石を投ずべくちゃちな強盗事件を引き起こして逮捕され、取調べの過程で過去の己の行状が世の中に知れ、社会を震撼させることを夢想する・・。この年齢こそ違え、同じ大学で学んだ同窓の二人が、ともに己の満たされぬ思い-底知れぬ「憤怒」と呼んでもいいかもしれない-に突き動かされながら、決して交わることのない心の闘争を繰り広げる。
 この両者に共通する憤怒はどこから来るのだろう。どうしてもそれを読み解こうと思ってしまう。だが、それはこの小説を読む者にとってはごく自然の流れのように思う。小説が、作者高橋和巳がそれを読者一人一人に求めているのだ。「1Q84」のように、屁理屈をひねり出して辻褄を合わせようとする必要はない。読者は様々なヒントを作者から与えられていて、それらを丁寧に繋ぎ合わせていけば、なるほどと得心が行く。だが、その作業が恐ろしくしんどい。日本の裏面史を紐解くようで、その過程ではげんなりと消沈するばかりだ。どうしてこんな小説が書けるのか、私は驚きよりも高橋和巳の心の奥深くに潜む「悪霊」の何たるかを知りたくなった・・。
 高橋和巳の享年は39歳、いつの間にか私は10年以上も長く生きながらえてしまった。だが、未だ何もなさず、何かをなそうとさえ思っていない。そんな厚顔無恥な生き方をかつて高橋和巳に耽溺した頃の私なら唾棄すべきものと一顧だにしなかったであろう。それはこの小説を最初に読んだときに一箇所だけ傍線が引いてあった文言を読めば明らかだ。
 
 「人は抱負の実現せず、暗礁に乗りあげたまま腐敗する人生を余生と呼ぶ。だが、それは正確ではない。余生とは、豊饒と安定の中で、熾烈な選びもなく試行錯誤のくやしさもなく定められた道を歩み、定められたエスカレーターに乗ることを言う」(高橋和巳全作品9「日本の悪霊」P.247)

 思えば、落合と村瀬は人生の中でたとえ一瞬なりとも己を完全に燃やし尽くした時があった。かたや特攻隊の兵士として辞世の歌まで詠み、かたや革命の実現に己の身命を賭して。だが、その代償として得たものが余りに己の輝ける一瞬を侮蔑するものであった時、その憤怒は計り知れないものとなるのかもしれない。
 残念なことにそうした輝ける瞬間を体験したことがない私では、平板な余生を送るしかないのだが・・。




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皆既日食(2)

 前日の天気予報は「晴れ」、しかし目覚めてみると曇っていた。すぐに毎朝届くウエザーメールを確認したところ「」・・・、「なんだよ」と力なく呟いてベッドから起きた。せっかく作った「日食観測器」もこれじゃあ出番がない。それでも雲間から太陽が時にはのぞくこともあるかもしれない、それに期待しようと気持ちを奮い立たせて、塾生を迎えに出発した。
 バスに乗ってきた女の子が手に小さな袋を提げていた。何かな?と思いながら運転していたが、塾に着いてすぐにその子が袋から取り出したのは「日食メガネ」。学校で生徒全員に配られたのだそうだ。聞けば他の塾生も何人か「日食メガネ」を持ってきていた。「じゃあ、時々は観察しなくちゃいけないね」と、勉強の合間を縫って、何度か観察することにした(一番見たいのは私だったろうけど・・)。
 

 曇り空は一向に解消しなかったが、それでも陽が差すことも時々あった。「今だ!」と子供たちに促して、窓から空を観察してみたら、10時過ぎにはもう欠け始めていた。私も子供たちからメガネを借りたところ、上の部分が欠けているのが分かった。すぐにカメラを太陽に向けて写真を撮ってみたが、うまく写らなかった。やはり「日食観測器」を家まで取りに行かねばならないかな、とも思ったが、授業をほっぽりだしてそんなことはできない。でも、何とか写真は撮りたい。あれこれ頭をひねってみたら、カメラのレンズを日食メガネに当てて撮ったら上手くいくんじゃないだろうか、早速試してみた。


小さいがかなり欠けた太陽の様子が分かる。子供たち全員に見せて回ったら、皆一様に感心してくれた。やはり人知を超えた自然の不思議に感動する心は子供たちの方が優れているのかもしれない。これが11時少し前のことだったが、その後は雲が厚くなってしまい、日食を観測することはできなかった。それでも、外は薄暗くなってきて、雲の上では月が太陽を隠している様子が間接的に伝わってきた。昼に暗くなるのはやはり神秘的だ・・。
 その後塾生の一人が携帯のカメラで写したという日食の写真を送ってくれた。


 どうやったのか知らないがなかなか上手く撮れている。
 
 奄美大島まで日食の観測に行った娘からは「曇り」という連絡しか来なかったらしいが、有名な芸能人が大挙して乗り込んできているとの情報もくれたそうだ。スマヲタの妻垂涎のあの方も・・、という話もあるようだが、あくまでも未確認情報なのでガセなのもしれない・・。
 
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40日後へ

 「解散!」と父親に宣言されてホームレス生活を余儀なくされた芸人もいたが、昨日の衆院の解散により40日後は「ただの人」にならざるを得ない議員はたくさんいるようだ。それがイヤであれこれ画策したもののいずれも不発に終わり、とうとう夏真っ盛りに負け戦覚悟で体力、精神力、さらには資金力まですり減らさねばならなくなった御仁たちには「ご愁傷さま」としか声がかけられない。
 まあ、なんにしても国民が「そのまんま東」に踊らされずにすんだことは喜ばしいことだ。今回の醜態は己を買いかぶりすぎた男の末路だとしか言いようがないが、マスコミ始め国民の大多数も適切かつ冷静に判断できた結果であるだろうから、まだこの国も捨てたもんじゃないと思った。笛を吹こうとした者たちがあまりにお粗末だったから、踊りたくても踊れなかっただけかもしれないが、それでも悪臭紛々たる風が吹かなかないまま総選挙に突入できそうなのは何よりだ。
 それにしても、麻生太郎が解散を明言して以来の自民党のすったもんだは三文芝居よりも醜悪だった。その中心にいた人物の面妖な顔つきをTVで見る度に、「これは放送禁止だろう」などと思ったりしたが、彼らの持って回ったような言質はいくら聞いてもいったい何が言いたいのかまるで伝わってこなかった。あれこれ忙しい時に彼らの道楽に付き合ってもいられないから、早々にチャンネルを代えたものだが、どうしてこの大変な時期に下らぬ争いに血道をあげられるのかまるで理解できなかった。訳の分からぬことばかりやってないで、生活が少しでも楽になるよう粉骨砕身してみろよ、そう思った者は私一人ではないはずだ。私たちの暮らしが己の保身をかけた政争の道具に使われるなんて真っ平ごめんだ。とりあえず解散という一区切りがつき、次の政治を担う人々を選択する権利が私たち一人一人に与えられたことは、何よりも喜ばしいことであり、じっくりと候補者ならびに政党それぞれを見極めなければならない。今回の選挙こそ、民意が十二分に反映されたものになることを期待してやまない。
 と言っても、下馬評は圧倒的に民主党有利だ。このところ見せ付けられた自民党の体たらくぶりを考えれば至極当然なことだ。週刊誌で何度か当落予想を読んだが、かなりの有名政治家が苦戦を強いられているようだ。派閥の領袖、キングメーカーを気取った黒幕、そうした古い自民党の体質を象徴する者たちがいわば在庫一掃セールのように、国会からはじき出されると停滞し続けた政治も少しは風通しがよくなるかもしれない、期待しよう。と同時に、民主党をあまりに大勝させてしまってもよくないだろう。何せ彼らは政権を握ったことのない者の集まりであり、権力の陥穽にはまって、国民に対する謙虚さを失ってしまったりすれば、自民党政治となんら変わりはない政策しか取れなくなってしまう。「官僚政治の打破」などと叫べば威勢はいいが、いつの間にかそんな政治にどっぷり浸かってしまう危険性は十分ある。現状に安住した瞬間から、堕落は始まる・・。
 日本人のバランス感覚はなかなか秀でたものがあると、選挙のたびによく言われてきたが、前回の「郵政選挙」ではその微妙な感覚が失われ、自民党の独裁を許してしまった。今回もあまりに民主党が一人勝ちしてしまうと、制御不能の暴走列車になりかねない。そのあたりに民意が果たして及ぶかどうか、40日後に結果が分かるとは言え、それまでの過程がなかなか面白そうだ。
 ちょうど私が夏期講習で寝食を忘れるくらいに頑張っている最中に、国会議員を目指す奇特な人々も必死になると思うと、「共に頑張ろう!!」と思わず声を掛けたくなる。私も必死、彼らも必死。彼らに負けないよう、頑張っていこう!!
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