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夕日

 夏の夕日は大きくて力にあふれている。天高くあるときは「日輪」という言葉がふさわしいほど灼熱の塊のように見える。それが地平線に沈もうとする瞬間、崩れたような形を見せてくれることがある。ほんの一瞬のことではあるが、たまたまそういう場面に遭遇すると驚く。


こんな雄大な夕日を目にすると、どうしても阪田寛夫の詩「夕日がせなかをおしてくる」を思い出してしまう。

     夕日がせなかをおしてくる
     まっかなうででおしてくる
     歩くぼくらのうしろから
     でっかい声でよびかける
      さよなら さよなら
      さよなら きみたち
      ばんごはんがまってるぞ
      あしたの朝ねすごすな

     夕日がせなかをおしてくる
     そんなにおすなあわてるな
     ぐるりふりむき太陽に
     ぼくらも負けずどなるんだ
      さよなら さよなら
      さよなら 太陽
      ばんごはんがまってるぞ
      あしたの朝ねすごすな  

 小学生の頃、夏休みは本当によく遊んだ。朝から夕方まで暑いさ中、外を走り回っていた。太陽と一日中駆けっこしていたようなものだ。そんな私がもし今子供だったら、やはり同じように外で遊ぶだろうか。--たぶん遊ばないだろう。まず第一に近所に遊ぶ相手がいない。私の住む校区では、1学年が15人前後しかいない。男子はその半分としても、それが広い校区に散らばっているのだから、休みの日などはなかなか顔を合わすことはできない。それに、もし遊ぶことができたとしても、クーラーのきいた快適な部屋でTVゲームをやることになってしまいそうだ。Wii でも Play station でも本当に面白いゲームがたくさんある。わざわざ熱い思いをする気は起こらないだろう。暑い夏に汗をかいて真っ黒になりながら自然に体を鍛える、そんなことは現代の子供たちを取り巻く環境からは望むべくもないことのようだ。
 子供たちがそんな生活をしていたら、夕日をまともに拝むこともあまりないのかもしれない。太陽が沈む頃は、TVで子供向けの番組が放送される。親にしてみても、暗くなりかける時間に子供が外をふらついているよりも、家の中にいてくれたほうが随分安心だ。交通事故、つれさり、変質者・・、不安材料を探せばいくらでもある。そんな危険にわが子をさらすのを承知で、暗くなるまで外で思いっきり遊んでいらっしゃいとは簡単に言えるものではない。
 ノスタルジーに耽るつもりはないが、少し前までは当たり前の夕方の情景だと思っていた阪田寛夫の詩も、だんだんと現実離れしたものになっているようだ。そんな社会になりつつあるのは悲しいし、何とかしなくちゃとも思うのだが、時の流れをおし戻すことは簡単ではない・・。困ったものだ。
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風鈴

 夏休みだからと言って、特別どこかへ行こうとか、何かをしようとか、もうできなくなってしまった。朝から晩までずっと塾で勉強を教えているだけの一週間が終わって、何か気分転換をしたいと思ってもはかばかしい案は思い浮かばない。昨日の日曜日、とりあえず喫茶店に行って目覚ましをしてからどうするか考えようとしたのだけれど、どうにもならない。仕方ないから参議院選挙の投票に行ってみたのだけど、その後どうしたらいいか分からない。やむを得ず、家に帰ってヤンキースの負け試合を見ながら新聞を読んでいたら、市内の施設で氷柱のオブジェ(?)が展示されているとの記事を読んだ。じゃあ、お昼ご飯を食べに行きがてら、そこを覗いてみることにした。どうにもショボイ時間の過ごし方になりそうだが、それしか思いつかないからどうしようもない、物は試しと出かけてみた。
 昼食を終えて書店に立ち寄り、スーパーで一週間分のお茶を買い込んだ後、それじゃあ行ってみるかと、市の中心部にある施設を訪ねた。さぞや立派な氷のオブジェがあるものと少しばかり期待してホールに入ったのだが、それらしきものが見当たらない。人だかりがあれば分かるかもしれないが、そんなものはどこにもない。変だな?と思いながら、目を凝らしてみるとホールの真ん中にポツンと何かが置かれていた。でも、本当にこれなの?

 

 エアコンの室外機の大きさほどの氷の塊の中に招き猫などの陶器の人形が入っている。期待していたものとは随分違っていてがっかりしてしまったが、よく見るとどうやってこんなに上手に氷の中に入れたのか分からない。触ることも許可されているようで、表面には手でこすった跡が残っている。氷が解けて陶器が出てきたら、もらって帰ることができるのだろうか、一人の男性が必死で指で擦っている。見ようによっては面白い、なんとも言えぬものだった・・。 
 
 新聞をもっとしっかり読んでおくべきだったなあ、と後悔しながら天を仰いだら、なんと一面に風鈴が飾られているではないか。気づかなかった。

 

いくつあるのだろう、とても数える気にならないほどの数だ。全て陶器でできている、さすがだ。室内のエアコンの風では風鈴を鳴らすことはできないようだったが、見ているだけでも涼しくなった。氷のオブジェ(?)などよりもずっと涼しさを感じさせてくれた。
 
 風鈴の存在を思い出させてくれただけでも、楽しい時間だったと思い直すことができた。この後は家に戻って、いつもの日曜のごとくに、ビールを飲んでうたたねをしたら選挙速報が始まっていた。自民党惨敗の報道の中、安倍ちゃんが強気を装う姿に哀れを感じた。人間落ち目になると周りから人が逃げていくと言うが、果たして安倍ちゃんはこの危機を乗り切ることができるだろうか。野球でも成績が不振のチームの監督は、オーナーから更迭される。今回の選挙では国民一人一人がオーナーであることを安倍ちゃんは真摯に受け止めるべきだろう。
 この選挙結果を受けて、暑苦しい政治の季節が始まるだろうが、一服の清涼をもたらす風鈴のような存在が、はたして政界に存在するのだろうか。
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見えない敵

 一昨日の朝、生徒を迎えに行くため塾バスを出したら、橋の上にゴミが散乱していた。


「何だこれは!!」と思わず叫んでしまった。その日はゴミの収集日、このブログにも書いたことがあるように、ゴミは橋のたもとのフェンスに縛り付けてあるネットの中に集めることになっているのだが、時々事情を知らない誰かが以前の収集場所であった橋の反対側に平気でゴミを置いて行く。すると必ずと言っていいほど、カラスが集まってきてゴミ袋をあさっては周りにゴミを散乱させていく。そういうことが何度か続いたので、業を煮やした私が立て看板を書いて、「ゴミはネットの中に置くように」と注意を促した。その甲斐あってか、ここしばらくはゴミが散らかるようなことはなかった。ところが、「天災は忘れた頃にやってくる」というか、安心していた矢先に煮え湯を飲まされるようなことが再び起こってしまった。全身に怒りと無力感が走ったが、これだけ散らかっていると片付けなければどうしようもない。だが、今は生徒を迎えに行かなければならないから、そんな時間はない。帰ってきてもそのままになっていたら、私が自分で片付けようと決めてバスを出発させた。

 45分くらい後に戻ってきても、相変わらずゴミは散乱したままだった。少し早めに戻ってこれたから時間に余裕はある。「じゃあ、やるか」と、スコップと(手押し)一輪車をゴミのところまで持っていって、それでゴミを集めることにした。すると、私の様子を興味深げに見ていた5年生の女子生徒が2人、「手伝う!」と言い出した。私一人で十分片付けられそうだが、子供たちの優しい気持ちを無碍にもできない。「サンキュー」と言って、手伝ってもらうことにした。
 10時少し前だったが、もう日がギラギラ照りつけ、少し動いただけでも汗がにじんでくる。「暑いなあ」と思わず口に出してしまったが、愚痴を言っても仕方がない。スコップでかき集めたゴミを一輪車に乗せてアミのところまで運ぼうとすると、悪臭が鼻を突く。「臭いねえ」と小学生が言うので、「悪いなあ、手伝ってもらって」と慰めながら、一生懸命集めていった。コンビニやスーパーの弁当や惣菜の残り物が多かったから、たぶん独身の男性がこのゴミ袋を置いていったのだろう。その前夜、11時半過ぎに私が戻ってきたときにはゴミの袋はなかったはずだから、その後か翌朝早くに持ってきたのに違いない。まったく困ったものだ。また新しい立て看板を設置しなければならないのだろうか・・。迷惑考えろよ・・。

 二人の生徒の助けもあって、短時間で片付けられたのは嬉しかった。「もうこんなことはいやだなあ」と、ブツブツ言いながら塾舎まで戻ってきたら、玄関口に父が世話をして大きくなった朝顔に初めての花が咲いているのを見つけた。


梅雨が長引いて成長が遅れていたのがやっと開花した。
 この花を見て、朝から不快な気持ちでいたのが少しは救われた気がした。しかし、いったいどうしたら気づいてくれるんだろう。何かいい方法をすぐにでも見つけなければならない。
 
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数の不思議

 私立中学に通う一人の女子生徒が持っていた夏休みの宿題プリントの中に、とても興味深いものが一枚含まれていた。それを目ざとく見つけた私は、「ちょっと見せてね」と借りた。しばらく「おー!」とか「すごいなあ」とか嘆息しながら眺めていた私をその中学生は不思議そうな顔で見ていた。「だってこれはすごいよ。そう思わない?」と私がたずねても、何をバカなこと言ってるんだとばかりの顔をして相手にしてくれない。「これコピーしてもいい?」と頼んだら、「もういらないからあげます」と言ったので、もらうことにした。「ありがとう!」と大喜びする私をさらに不思議そうな顔をして見つめていたが、どうしてこのプリントのすごさが分からないのか、私の方こそ不思議だった。
 「数の不思議」と題するそのプリントには、「整数は多くの不思議な性質があります。その美しさに心打たれ研究に没頭してきた数学者も多くいます。あなたも美しさの体験を!」と説明書きがしてある。その下に、その美しさを味わうことのできる数式がいくつか載せられている。そのプリントには式が書いてあるだけで、計算結果は書いてなかったが、美しさを味わうためには答えこそが必要だ。以下にその答えとともに、いくつかの数式を転載してみる。
 
                  1×1=1
                11×11=121
              111×111=12321
            1111×1111=1234321
          11111×11111=123454321
        111111×111111=12345654321
      1111111×1111111=1234567654321
    11111111×11111111=123456787654321
  111111111×111111111=12345678987654321


               1×8+1=9
              12×8+2=98
             123×8+3=987
            1234×8+4=9876
           12345×8+5=98765
          123456×8+6=987654
         1234567×8+7=9876543
        12345678×8+8=98765432
       123456789×8+9=987654321 


               1×9+2=11
              12×9+3=111
             123×9+4=1111
            1234×9+5=11111
           12345×9+6=111111
          123456×9+7=1111111
         1234567×9+8=11111111
        12345678×9+9=111111111
       123456789×9+10=1111111111


              1× 9+1×2=11
             12×18+2×3=222
            123×27+3×4=3333 
           1234×36+4×5=44444
          12345×45+5×6=555555
         123456×54+6×7=6666666
        1234567×63+7×8=77777777
       12345678×72+8×9=888888888
      123456789×81+9×10=9999999999


         12345679×1×9=111111111
         12345679×2×9=222222222
         12345679×3×9=333333333
         12345679×4×9=444444444
         12345679×5×9=555555555
         12345679×6×9=666666666
         12345679×7×9=777777777
         12345679×8×9=888888888
         12345679×9×9=999999999


 残念ながら、数学に天賦の才を持ち合わせていない私ではあるが、上の数式の美しさを味わうことはできる。それぞれに決まりがあって、そうなるのも必然なのだろうが、私などから見れば奇跡のようにさえ思えてくる。
 自然の美が私たちの心を打つのと同じように、人工の美も私たちの心をとらえてやまないこともあるものだ。
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トロピカル!

 先日果物をいくつか頂いた。桃に続いて、今年の夏はなぜか果物に不自由しない。今回頂いたものは、メロン・アボカド・パパイヤ・マンゴー、ちょっと高級感漂う果物だが、頂き物としてありがたく頂戴することはあっても、自分で買ってまで食べようとは思わない果物ばかりだ。それだけ珍しいものであるから、食べ頃の時期を見計らって、おいしく頂こうとした。


まずはメロン。子供が中学生の頃までは毎年夏になると、渥美半島の先端にある伊良湖へ泊まりがけで出掛け、帰りにメロンをたくさん買ってきた。それほどメロンが好物でもないが、親戚・友人へのお土産にはうってつけの果物だ。写真の赤肉メロンは北海道産だそうだが、果肉もたっぷりあって、ジューシーでかなりおいしかった。

 

次に食べたのがアボカド。「畑のバター」とも呼ばれているらしいが、どうやって食べたらおいしいのか妻もよく知らなかったらしく、ネットなどで調べた結果、にんにくや青じそをすりつぶして醤油に混ぜたものを、アボカドに垂らして食べることになった。トロの味がするらしいと妻は言ったが、醤油の味ばかりがして全くおいしくなかった。醤油をかけずに食べてもみたが、何の味もせずに食べた気がしなかった。残りをサラダに入れて食べたが、こちらはドレッシングがおいしかったため、食べることはできた。いずれにしても、アボカドというものは単品では食べる気がしないものであることが分かった。

 

パパイヤには次のような説明書が添付されていた。「コロンブスが『天使の贈り物』と呼んだ貴重なパパイヤ。その最高品種の『カポホパパイヤ』は、ハワイ島の中でもハワイ島キラウエア火山山ろくの発祥地『カポホ』のみで成育しています。カポホ育ちならではの甘く舌触りの良い黄金色の果実をご賞味ください」--こんなことが書いてあれば否応なしに期待が膨らむ。ワクワクしながら食べてみたが、甘いには甘いが、大しておいしくはない。期待はずれな気がして少しばかりがっかりした。食べ慣れないものはやはり私には縁の薄い食べ物なのかもしれない。残念・・。

  

最後にマンゴー。これは宮崎産の「完熟マンゴー」と呼ばれるもので、「収穫前になると、樹になったままの果実にネットをかぶせ、ジーッと待ちます。収穫は鋏を使いません。やがて完全に熟れると自然にポトリと枝から落果します。それをネットで受け止めて収穫しています」と説明書にある。マンゴーは今まで何度か食べたことがあるが、「完熟」というのは初めてだ。いかにもおいしそうな感じがするが、パパイヤのこともあるので話半分くらいに受け取りながら食べてみた。
 う~~ん、これはおいしい!!
メロンと桃が合体したような味がする、不思議だが、それが実感だ。・・と言うことは、桃とメロンの2倍おいしいことになる、最高だ!!

 トロピカルフルーツは味が大雑把で思ったほどおいしくないものだと思い込んでいた。しかし、完熟マンゴーのように、日本人の味覚に合うように、日本で一工夫されたものはやはりおいしい。その分値段は高くなるだろうが、こういうものは自分で買ったりすることはまずないだろうから、いくら高くても気にならない。
 またもらえないかなあ・・。
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ビリー隊長

 「ビリーズ・ブートキャンプ」に入隊して、2週間近く経った。4枚組みのDVDをちょっとした経路から手に入れたが、残念なことにビリーバンドまでは調達できなかった。より大きな負荷をかけられないのは少々物足りないが、ビリーバンドがなくても十分効果はあるとビリー隊長が保証してくれているので、一生懸命頑張っている。
 と言っても、私が訓練を始めるのは毎晩1時半過ぎ、しかも、二階の自室の真下には父親が眠っている。ドタバタ床を踏みならすのはご法度であるから、走ったりジャンプしたりすることはできない。できるだけ音を立てないように気遣ってやっていると、何だか秘密のトレーニングを重ねているような気がして、ちょっとしたアスリートになったような気分に浸れる。
 しかし、私はもう若くはない。体力に自信はないし、なんと言っても体が硬い、硬すぎる。前屈しても指先は床から20cm以上離れたところにしか届かないし、両足をまっすぐ広げたまま座るなんて芸当はとてもできない。したがっていくつかの動きはお茶を濁すことになってしまう。その上、動きがだいぶ鈍くなっている。どうしてこんなに遅くしか動けないんだ、ともどかしくてたまらないほど、鈍い、悲しくなる。ビリー隊長の動きについていけず、いつもワンテンポ、ツーテンポ遅れてしまう。必死になって動きに合わせようとするが、気は焦っても体が反応しない、腹が立つ。
 などと、見よう見まねで10分くらい動き続けると、もう汗びっしょりになる。シャツがまとわりついて気持ち悪いので、上半身裸になって続けるのだが、もうその頃にはかなりフラフラだ。動きもさらに一段と悪くなり、手足が重くなってくる。私には20分が限界だ。限界を超えてまでやる気はさすがに起きてこないので、そのあたりでDVDをストップさせる。本当に疲れる、しばらくは動けない。じっと回復を待って、風呂に向かう・・。
 これを繰り返して、3日くらいかけてDVD1枚分の訓練を終えるようにしている。これを2回繰り返すので、1枚のDVDに収められた1プログラムを終えるのに1週間かかることになる。「7日間プログラム」と銘打ってあるのに、勝手に「1か月プログラム」に変えてしまっているのだから、はかばかしい効果は得られないかもしれない。事実、自分の体に目立った変化は起こっていない。ただ、常に腹筋を意識するようになり、背筋もピンと伸ばさねば、と思うようになったのが効果といえば言えるのかもしれない(ビリー隊長も「ブートキャンプは意識改革だ」と言っている)。
 今は基本プログラム・応用プログラムを終え、やっと腹筋プログラムを始めたところだが、はっきり言ってどれも皆きつい。1つのプログラムを休まず最初から最後までぶっ通しで行ったら、さぞや素晴らしい効果が現れるだろうとは思うが、私の体ではとてもそんなことはできない。限界一歩手前くらいで止まって明日に備えたほうが得策だと思っている。だが、ここまでなんとか続けてこられた理由は何なのだろう。自分でも不思議なので少し考えてみた。
 
 ・1つ1つの動きが短く、次から次へとメニューが変わっていって飽きないこと。
 ・ビリー隊長の、「君ならできる」「諦めるな」という励ましに引っ張られること。
 ・ビリー隊長と一緒に訓練している人たちのほとんどが、見事な腹筋をしていて、自分もそうなりたいという気持ちになること。
 
 夏休みになり、朝から夜遅くまでずっと塾で働いているため疲れてとてもトレーニングなどできなくなってしまうかもしれない。しかし、何とか踏ん張って最終プログラム、さらにはまた基礎プログラムに戻っていって、あのかっこいい腹筋を手に入れたいと思っている。果たしてうまくいくだろうか・・。
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携帯リサイクル

 少し前の毎日新聞に、「携帯電話・PHSのリサイクルが停滞している」という記事が載っていた。その理由を、「携帯端末の多機能化が進んだことで、通話をしなくなっても電話帳や目覚まし時計として使ったり、写真やメールを「思い出」として保存する入れ物として残しておくケースが増えたためだ」と解説していた。なるほど、と思って自分を振り返ってみたところ、今まで使った携帯電話の何台かは押入れなどにしまい込んであるのを思い出した。別にこれといった理由もなく、ただ「なんとなく」手元に残してしまった。コレクションにしようと思うわけでもないが、探し出して並べてみた。


 私が最初に買った携帯電話は、現在は Soft Bank に引き継がれている「デジタルホングループ」が設立された時に買ったものだ。もう15年近くも前のことなので、当時は「糸電話」と揶揄されたほど、通話可能な地域が限られていた。その後、私の住む地域では一番電波状況のよかった IDO(現在の au)に換えて、しばらくは IDO を使っていた。写真の中の一番大きなものが最初の IDO電話だが、これのあとに買い換えた機種は車に乗るときにポケットから落ちたのに気づかず、そのまま発車させたためタイヤに轢かれてバリバリに壊れてしまった。さすがにそうなるとメモリーも壊れてしまい、販売店に持ち込んでもどうしようもなく、泣く泣く新しい機種に換えた。改めて人に電話番号をたずねて電話帳を作り直すのは相当面倒だったので、それからはポケットの中に携帯が入っているかどうか常に確認するようになった。
 i-mode を使いたくなって、 Docomo に乗り換えてからは1年か2年のサイクルで機種を変えてきている。携帯を使って音楽を取り込もうとか、ゲームをしようとかするつもりはないので、メールと写真が撮れる最低限(いつの間にかこれが最低限になっちゃったんだよなあ)の機能さえ付いていれば、私としては十分なはずなのだが、何故だか少し古くなると新しい機種に換えたくなってしまう。悪癖だ。
 ざっと思い返しても、今まで10台くらいの携帯電話を使ってきただろうから、写真に写した以外の物は、たぶん販売店に持ち込んで処理してもらったのだろう。新聞の記事によれば、「携帯端末には、金・銀・銅など希少金属が含まれるほか、プラスチックなどの金属以外の素材も再資源化が可能で、リサイクルのメリットが大きい。リサイクル事業の収支は黒字」なのだそうなので、家に眠っている携帯電話は販売店に持っていって、リサイクルしてもらった方が資源の再利用にも役立つ。だが、機種変更などの時なら気軽に古い機種を置いてこられるが、古いものをわざわざ持ち込むのはちょっとなあ、とつい尻込みをしてしまう。そうしたら、「通信業界は、昨年末から一部の量販店に回収ボックスを設置するなど、リサイクルの「てこ入れ」を始めた。最大手のNTTドコモは6月、業界で初めて、コンビニエンスストア「ampm」の一部店舗にもボックスを設置した」などと書かれていたから、これからは携帯端末のリサイクルもしやすくなるようだ。
 でも、携帯で撮った写真を残しておきたいためにリサイクルに出したくない場合もあるだろう。今はSDカードに保存すれば残せるが、昔の機種ではそうは行かない。そうした写真を何か別の媒体に簡単に取り込める装置が、販売店などに置いてあればリサイクルはもっと進むような気がする。今現在そんなものはあるのだろうか。
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片隅から

 参議院議員選挙の投票日が近づいている。告示から投票日まで2週間以上あって、何だか間延びしたような印象もあるが、新聞各紙が議席予想を発表するようになり、大まかな情勢は固まりつつあるようだ。安倍政権発足後初の国政選挙であるため、首相の政治信条の是非を問う選挙になるはずだったのに、年金問題や政治とカネの問題、さらには閣僚の失言などが相次ぎ、「戦後レジュームからの脱却」などという安倍首相の掛け声も空しく響くだけになってしまった。
 新聞報道によれば、今回の参院選では地方の一人区で自民党が大苦戦を強いられているようだ。それには様々な要因があるだろうが、先日の報道番組では、地方経済の疲弊が進み、中央との経済格差が進んでいることが地方住民たちの不満の根底にあると分析していた。同席していた学者も、選挙というものは自分のポケットの問題に一番関心を寄せるものだから仕方のないことだと認めていた。やはり自分たちの暮らしを少しでもよくしてもらいたいというのが素直な庶民の願いであり、そこに立脚した政治を誰もが望んでいる。至極当然のことなのだが、そうした思いとかけ離れた政治が今現在行われているとの思いを多くの国民が抱いているのかもしれない。
 私の住む町は「元気な愛知」の中にあるのだが、地場産業の陶器産業は惨憺たる有様だ。かつて大きな陶器工場であった場所は、工場が取り壊されてマンションが建てられたところが実に多い。閉鎖しないまでも、かつての勢いはまったくなく、細々と家族だけで青息吐息で営業を続けている会社ばかりだ。もう20年近くも陶器産業はダメだ、と言われ続けながらも、何とか生き延びてきた会社の努力は相当なものだったろうが、限界に近づきつつあるのか、ここ数年は廃業する会社が目立ってきた。いよいよお終いか、などという話も聞くが、市内を少し回ってみれば、そんなうら寂れた証拠はいくらでも見つけられる。

  

 私が子供だった頃は、町中にダンプが走り回り、川には粘土でドロドロに汚れた水が流れ、林立する煙突からは煙がもうもうと立ち上っていた。そんな活気ある町並みが記憶にある者には、こんな死んだような工場を目にするだけでも悲しくなる。時代の流れに取り残された者たちが悪い、と言い捨てられても仕方ないのかもしれないが、写真を見ていると、打ち捨てられた工場から怨嗟の声が聞こえてくるようだ。
 地元紙では、安倍首相を「坊ちゃん宰相」と名付け、その華やかな閨閥や交友関係などを紹介している。それを読めば、彼が毎日を必死で生きている庶民の苦しみが分かる人物であるかどうかを判断するのは容易だ。自分が体験したことのない痛み・悲しみを理解するのは相当難しい。しかし、一国の政治を担う首相たる者、それくらいできなくてはならない。だが、悲しいことに安倍首相の日ごろの言動からは、そうした首相に最低限必要な能力を持ち合わせた人物にはとても思えない。「憲法改正よりも暮らしをもっとよくしろよ」と訴えたところで、苦しい暮らしを味わったことのない人間には届きそうもない。
 今回の参議院議員選挙がどういう結果になるかは分からないし、どこの政党にも期待していない私ではあるが、ただ、首相としての安倍ちゃんはもう見たくないという気持ちでいっぱいだ。
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パンク

 夏休みに入って最初の夏休み、何か楽しいことをして過ごしたかったが、まだまだ準備しなくちゃいけないことがあって、思い通りには行かなかった。とりあえず喫茶店に行って、本屋に行って、それからどうしよう?などと考えてはみたが、時間に制限があるといい考えは浮かばない。仕方がないから、昼食までは当てもなくふらふらしてみようと決めた。それならば、と久しぶりに「天下一品」のラーメンを食べに行った。相変わらずの「こってりラーメン」に満足しての帰り道、もう少しで家に着こうというところで、車の警告表示がモニターに点灯した。


見たこともない表示だ。意味がよく分からないが、タイヤに何か不都合が生じたということなのだろう。どうしたんだろう?と思いながら、そのまま家の近くのスタンドまで行ってみた。
「空気圧がおかしいみたいなので調べてもらえますか?」
と私がスタンドマンに頼むと、道具を持ってきて調節してくれた。それでOKだとばかり思っていた私に、スタンドマンが呼びかけた。
「ここに釘が刺さってますね」と左後ろのタイヤを指差した。


本当だ!見事に釘が突き刺さっている。「抜ける?」と聞いたら、「僕ではちょっと・・」と頼りないことを言う。日曜なので、アルバイトばかりなのだそうだ。それなら仕方ない、ディーラーに持って行って処理してもらおうか、と電話したら、すぐに空気が抜けるようなことはないから気をつけて運転すれば大丈夫だと教えてくれた。もし刺さった箇所が悪かったら、タイヤを交換しなければならないとも言われたので、それならスペアータイヤに交換すればいいじゃないかと答えたところ、私の車には「ランフラットタイヤ」というパンクしにくいタイヤが装着されているから、スペアータイヤは乗っていないはずだと言われた。そんなことは聞いたことがなかったので、トランクを開けて調べてみたら、やっぱりスペアータイヤはなかった。


タイヤを乗せるスペースは確保してあるが、空っぽだった。もし万一バーストしたときには一体どうすればいいんだろうと思ったが、普通の運転をしていてタイヤがバーストすることなんて滅多にないだろうから、そんなことまで考えてないのかもしれない。
 その後、20分近くかけてディーラーまで行って調べてもらったところ、左後ろだけでなく右前のタイヤにも釘が刺さっていたそうだ。いったいどんなところを走ってそうなったのか皆目見当がつかない。勿論これからは気をつけなければいけないだろうが、どこに釘が落ちているかなんて分からない。わざわざ釘だらけの道を走ることなどないから、注意しようにもしきれないと言うのが本当の気持ちだが、心の片隅には留意しておくべきことだろう。
 タイヤの修理で1時間近くかかってしまった。その間エアコンの効いた室内で、やっと夏らしくなった暑さを凌げたのはよかったかもしれないが、せっかくの日曜日がパンクの修理で半分つぶれてしまったのは少し残念な気がした。
 しかし、月曜からが本格的な夏期講習の始まりだ。気合を入れ直して頑張ろうと思っている。
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茶運び人形

 久しぶりに「大人の科学」を買った。お目当ては「ミニ茶運び人形」、からくり人形として馴染み深いあの人形を組み立てられるというものだ。


書店で見つけて喜んで買ってきたのだが、ここのところ夏期講習の準備で忙しく、自習室に置いたまま半ば忘れかけていた。ところが昨日、一人の塾生(浪人生)がその自習室で勉強していたので、チラッと覗いてみたら、「大人の科学」を手にとってあれこれ眺めていた。
「作りたいの?」と私が聞いたら、「ええ、まあ」と正直に答えた。自分で作るのを楽しみにして買ってきたものであるから、彼に作らせるのは少々残念だ、どうしよう、と一瞬躊躇してしまった。だが、日ごろ勉強ばかりして気晴らしも少ない浪人生だけに、ここは自分を押し殺して、彼の気持ちを汲んでやろうと思い直した。
「いいよ、作ってくれ」と、組み立てるのに必要なドライバーやはさみなどを持ってきてやった。彼は「30分くらいでできるそうだよ」と言いながら、嬉しそうに組み立て始めた。私が一見しただけでも、複雑なものではなさそうなので、気分転換にはもってこいのように思えた。

  

なかなか手際がいい。私が作るよりもすばやくきれいに出来上がった。手先が器用には見えない男だが、これだけの技量を持っているとは驚いた。人は見かけで判断してはいけない、反省!
 出来上がったものを見ると、かわいらしい顔をしている。「ミニ茶運び人形」という名前がぴったりだ。


 ゼンマイのねじをギシギシ巻いておいて、人形が手に持っているお盆の上に小さな茶碗を置くと、スイッチが入って動き始める。くるくる動き回って面白い。あいにく作る途中は見ていなかったし、「大人の科学」の本は浪人生にやってしまって手元にないので、どういう仕組みになっているかは分からない。ただ、それほど複雑な構造をしていないはずなのに、動きがなかなかシャープなのには驚いた。
 動いている写真を何枚か撮ったが、どれもその動きの素晴らしさを捉えることはできなかった。このままではどうにもつまらないと、あれこれ考えてみたら、携帯で短い間なら動画も撮れることを思い出した。それじゃあ、と面白がって撮っていたら、goo ブログに直接アップロードできる容量を超えてしまった。仕方がないので yahoo のブリーフケースでアップロードしてみた。
茶運び人形

うまく見えるだろうか・・。
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