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心に潤いを

 夏休みが始まって1週間が過ぎた。毎年のことではあるが、朝から夜遅くまでずっと塾で授業をしているとかなり疲れる。時間的な拘束もつらいが、文字通り塾に体が縛り付けられているような気がして、かなり精神的なストレスを感じてしまう。それに押し流されてしまうと、まともな授業はできないので、あれこれちょっとした息抜きを見つけるようにしている。生徒たちに冗談を言って笑わせたりするだけでもかなりリラックスできる。楽しい雰囲気で授業できるのがやはりいい。生徒も私も心にゆとりを持って臨めることが何よりも大事だ。
 そういう観点でみれば、夏休み用の国語のテキストは私の心に多大な潤いをもたらせてくれる。ともすれば殺伐となりそうな心を国語のテキストに載せられた色々な文章を生徒と一緒になって読むことで、感心もしたり、新しい知識を得たりと、さまざまな効果をもたらしてくれる。昨日も、小学校3年生のテキストに載せられていた田中冬二の二篇の詩にとても感動した。

     幼きものに 一
  幼きものに魚の骨をとってやりながら思う
  おじいちゃんはいつまでこの幼いものといっしょに居られるだろうと
  それからまた幼きものに来る難儀を
  そしてもしも私の余生に幸せがのこっているならこの幼きものにのこしてやりたいと

     幼きものに 二
  幼い孫の靴下に穴があいている
  ――おじいちゃん
    読みもしない本なんか買わずに
  ――お酒もあんまり飲まないで
    靴下を買っておやりなさい

  私が私に言う


いい詩だなと思った。幼い孫を見守る作者の暖かい視線が感じられ、胸が熱くなる。この詩を私は初めて読んだのだが、一語一語が私の心の奥底に深く響き、いい詩に巡り会えたなと感激した。
 しかし、私がそのとき疑問に思ったことが一つあった。それは、この詩を小学校3年生(8~9歳)の子供に読ませると言うことだ。確かにこの詩に対する設問は以下のようなもので、難しくはない。

問い1.「おじいちゃんは・・・居られるだろうと」のあとにつづくことばとしてもっともよいものを次のア~エからえらび、記号で答えなさい。
 ア.言う  イ.話す  ウ.聞く  エ.思う
問い2.「私が私に言う」とありますが、何と言うのですか?次の□にあてはまることばを文中から書きぬきなさい。
 自分の□や□□を買うのではなく、孫に□□を買っておやりなさい。
問い3.二つの詩から感じられる孫に対する作者の思いとしてもっともよいものを次のア~エからえらび、記号で答えなさい。
 ア.不満  イ.あきらめ  ウ.期待  エ.いとしさ

これくらいの設問なら、優しいおじいちゃんが孫のことを思って作った詩だということを感じ取れれば、簡単に答えられるだろう。しかし、この詩はどう考えても、老齢を迎え、死を意識せざるを得ない作者が若い命と接したときの哀歓をつづった詩であり、10歳に満たない子供に読ませるような詩ではないように思う。おじいちゃんというものは自分たちのことを常に大切に思っていてくれるんだなと、孫たちの世代の者たちが読み取ってくれればいいのかもしれない。だが、そんな気持ちを読み取ってほしいから作者はこの詩を書いたのではないだろう。無償の愛を注ぐ者たちから何かを得ようなどとは思わないはずだ。ただ、己の心象風景を包み隠さず吐露した詩であるから、読む者の心を揺さぶるのではないのだろうか。どう考えても小学校3年生に読ませるのにふさわしい詩ではないように思う。
  
 いずれにしても、私がこの詩を書いた田中冬二の年齢に近づきつつあるというのが、こんなことを感じる一番大きな原因であろう。簡単に言えば、この詩が胸に迫ってくる年になってしまったということなんだろう。
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