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初恋の来た道

 中国映画「初恋の来た道」というDVDを見た。何ヶ月も前に買ってあったものだが、一昨日の日曜に見ることができた。「山の郵便配達」を見て以来、見たい気持ちが募っていただけに、やっと念願が果たせてうれしい。しかも、見てよかったと思えるからなおさらうれしい。
 ストーリーは、「山の郵便配達」でもそうだが、単純なものだ。

 中国華北の美しい村が舞台。都会で働く青年は、父の訃報を聞いてこの村に戻ってきた。母は、伝統の葬儀(出先でなくなった父の死体を車ではなく、担いで村まで運ぶ)をすると言って周囲を困らせる。石のように頑なな母の様子を見ながら息子は村の伝説となった父母の恋物語を思い出していく。
 都会からやってきた若い教師に恋して、その想いを伝えようとする18歳の少女ディ(チャン・ツィイー)。手作りの料理の数々に込めた少女の恋心は、やがて彼のもとへと届くのだが、時代の波「文革」が押し寄せ二人は離れ離れになる。教師が戻ってくると約束した日に、少女は町へと続く一本道で愛する人を待ち続ける。しかし、教師は現れず、少女は高熱で倒れる。目覚めた少女は町まで教師を探し求めにいくが、また倒れてしまう。その報を聞きつけた教師が戻って来るが、無断であったため二人が結ばれたのは、その2年後・・・
 
現代のシーンがモノクロームで始まる。最愛の夫を亡くし、悲嘆にくれる母親。白黒の画面が愛惜を誘う。それが回想のシーンになると、一転してカラーの画面になり、若き日の母親の姿が現実感を帯びたものに見える。その手法に私は感じ入ったが、それからはもうただひたすら、チャン・ツィイーの可愛さだけに心を奪われてしまい、彼女の一途な恋心が実るようにと、それしか祈っていなかった。
 
 

 教師のために腕によりをかけてご飯を作る彼女。教師の声を毎日聞くために学校の近くにある、家からは遠い井戸まで水汲みに通う彼女。教師が生徒を送っていくのを毎日待ってはすれ違うことで満足する彼女。三つ編みにした髪を振り乱しながら、教師を乗せて走る馬車を追う彼女。数え上げればきりがないほどの切ない場面ばかりで、胸がいっぱいになってしまった。冷静に考えれば、彼女の行動はストーカー行為といえなくもないが、映画を見ている間はそんなこと微塵も感じなかった。
 チャン・ツィイーを見ていただけかと言われれば、確かにそうかもしれない。でも、それは、彼女が表象した純朴さというか、汚れのない心の美しさというものに私の心が射抜かれたからだということもできるだろう。いい年こいたオヤジが「いいなあ、可愛いなあ」、とぶつぶついいながら一人で見ていたのも変だが、それは清らかなものに対する一種のノスタルジーではなかっただろうか。
 そういう私の感慨をより高めたのが、映し出される中国の悠久の大地であったこともまた確かであろう。日本の狭苦しい土地の描写では、決して味わえなかっただろう。人と自然、この2つがぴったりはまった映画はやはり素晴らしい。
 

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