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名古屋遊覧

 連休でも娘と息子は帰って来ない。どうして?と思わないでもないが、それぞれにやることがあれば仕方ないだろう。といっても、どんな用事があるのか私はよく知らないけれど、あれこれ文句をつけても見苦しいから黙っている。しかし、妻はやはり息子のことが気にかかるらしく、息子が「味噌汁の作り方を教えて」と言ってきたのをうまく利用して、作り方をレクチャーすると称して日曜に東京まで出向いて行った。そのついでにネットの接続やら、おかずの作りおきやらをしてくるという大義名分を幾つか考え出して、息子に会いに出かけていった。私には妻を名古屋駅まで送っていくぐらいのことしかできないので、味噌や日用品の入った大きな荷物を抱えた妻を車に乗せて行った。
 名古屋駅までは無事に着いたものの、このまままっすぐ帰るのも面白くない。何か面白いことはないかと考えてみたら、名古屋駅の前に開業したばかりのミッドランドスクエアーが聳え立っていた。TVなどでは繰り返し取り上げられ、その立派な様子は私でも知っていたが、こんな時くらいしか行ける時はない。思い切って行ってみようと思ったが、妻が「その恰好で行くつもり?」と尋ねた。あっ、そう言えば普段着のままいつもの草履履きで出てきた・・。「これじゃあ、いくらなんでもまずいよな」、と断腸の思いで断念した。仕方ないから、持っていたカメラでその雄姿を収めて満足することにした。

  

左がミッドランドスクエアー、トヨタビルを改築してトヨタの本社が移動してきた(17F~40F)、文字通り名古屋の顔である。真ん中はJRセントラルタワーズ、高島屋とマリオットアソシアホテルが入っていて、ここだけは何度か行ったことがある。右は名古屋ルーセントタワー、これは知らないうちにできていたので、何があるのか知らない。
 名古屋駅前は再開発が進み、これからも高層ビルがどんどん建つらしい。「元気な名古屋」というキャッチフレーズにふさわしい活気にあふれている。だが、こうした新顔とも言うべきものよりも昔ながらの建物に名古屋を感じたいと思う私はもう古い世代なのだろうか。車を走らせて写真に収めた。

    

やはり名古屋と言えば、名古屋城とテレビ塔、小学校の遠足でどちらにも行った記憶がある。2年前に名古屋城の金の鯱が天守閣から下ろされた時には見学に行った。手で鯱に触ったときの感動は今でも覚えている。テレビ塔はエレベーターを使わず階段で上ったことがあるが、怖いやら疲れるやらで2度とごめんだと思った。この2つは名古屋の象徴であり、名古屋市内とその近隣に住む者たちの誇りでもある。

 

左が名古屋市役所、右が愛知県庁。私はどちらがどちらの建物なのかずっと分からないできたが、この日初めてしっかり確認できた。県庁舎は、木村拓哉の「華麗なる一族」のロケ地に使われたのはまだ記憶に新しい。


最後に名古屋ドーム、言わずと知れた中日ドラゴンズの本拠地。私の弟夫婦は生粋の巨人ファンであるため、巨人戦があるとせっせと通っている。去年あたりから双子の子供も一緒に連れて行くようになったようで、男の子などは小さなメガホンで上手にリズムを刻む。今年も落合ドラゴンズは強そうだ。
 
 車で横を通っただけだが、どこも多くの人がいた。やっぱりゴールデンウィークなんだな。


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あんこ玉

 27日の毎日新聞朝刊に、「もう一度食べたい」ものとして「あんこ玉」が特集されていた。「あんこ玉」はおいしいに決まってるよなあ、とあんこ大好きな私は嬉しくなったが、記事に添えられた写真を見たら、見覚えのある「あんこ玉」だった。白黒の写真ではあったが、9つある「あんこ玉」が全て微妙に色が異なっているのが分かる。おお、これは!と思って記事を読んでみると、浅草の舟和本店の「あんこ玉」だった。「やっぱり」と思って、携帯のカメラで撮った写真を探してみたら見つかった。


「あんこ玉」とは餡(天玉)を寒天で包んだものであり、この寒天が口に入れた時のツルリとした食感を作り出す。日が経つと寒天が白くなってひび割れ、その食感が損なわれてしまうため賞味期限は3日だという。舟和では天玉にフレーバーをつけ、昔ながらの定番である小豆以外にカラフルな「あんこ玉」を作って、9種類の味が楽しめるようになっている。柚子、巨峰、小豆、珈琲、あんず、紅茶、抹茶、白いんげん、苺であるが、写真を見ただけではどれがどれなのか思い出せない。写真の「あんこ玉」は妻が息子の受験の付き添いで上京した際に土産として買ってきたもので、箱に入ったままの状態で撮ったので有り難味が薄れているが、1つ1つの味に変化があり、「ツル、プチッ」とした食感も楽しくて何個でも食べられそうだった。この中で小豆が私の一番のお気に入りだったが、紅茶も意外なほどおいしかった。これはちょっとおいしくないな、と思った物が1つもなかったのはさすがだった。
 写真の下の方に見えるのは舟和本店のもう1つの人気商品である芋ようかんだ。これには「芋ようかんは、さつま芋を一本一本手で皮をむき、さつま芋と砂糖で造り、甘味をおさえ素朴な風味を生かしたようかんです」という説明が付いていた。一口頬張れば、さつま芋のおいしいところだけが凝縮された物を食べているような気がしてきて幸せな気持ちになれた。さつま芋で作った和菓子といえば、名古屋地区では「鬼饅頭」が有名だが、まったく別の味わいであるから比べようがない。
 でも、やはり羊羹となると小倉羊羹に優るものはないと思う。今月初めに高校に合格した姪の入学式の日に、私の妹が持ってきてくれたとらやの羊羹はやはり絶品だった。

 

木箱に納められた黒糖の「おもかげ」と小倉の「夜の梅」。いかにも高級品ですよと言わんばかりの威圧感さえ感じるが、食べてみれば納得がいく。文句なくおいしい。分厚く切って口いっぱいにほおばるともう何も言えない、言う気もなくなる。ただただおいしい・・。「夜の梅」とは羊羹らしくない名前に思えるが、切った断面に小豆が浮かび上がり、それが夜に見る梅の花のようだからこう名づけられたという話を聞いたことがある。
 そう思うと、舟和本店の「あんこ玉」同様、見て楽しみ、食べて楽しむという和菓子の真髄を余すところなく表現している銘菓なのだろう。(簡単に食べられないだけに、思わず言葉も上ずってしまう)。

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ひなげし

 車庫の近くの空き地に向かって妻が叫んだ、「あれってケシじゃない?」


「ケシってアヘンが採れる花のことだろう?そんなものがここに咲いているわけないだろう」と私は言ったものの、妻の指差す方を見たら濃いオレンジ色の花弁をもった花がぽつんと咲いていた。近付いていって写真に収めたが、そう言われてみると昔よく見た「ケシの花の栽培は法律で禁止されています」と書かれたポスターに描かれていたケシの花に似ていなくはない。「まさかなあ」と思いながらも、少し気にかかったので調べてみた。
 すると、これとまったく同じ花の写真が見つかった。名前は「長実雛罌粟(ながみひなげし)」。そうか、あれは「ひなげし」なのか。ひなげしと言えば昔懐かしいアグネス・チャンの「ひなげしの花」がすぐに思い出される。

  ♪丘の上 ひなげしの花で
   うらなうの あの人の心
   今日もひとり  ♪
 
という歌詞だが、朝咲いていた花弁が夕方には散っていたりするから、「ひなげし」で花占いするのはそれほど簡単ではないかもしれない。
 この日本名「ひなげし」は、他にも色々な名前で呼ばれている。まずは、英語から「ポピー(poppy)」。オール阪神・巨人が「車にポピー」とCMをして有名になった車の芳香剤があるが、あれは「ひなげし」の香りがするのだろうか?
 フランス語では「コクリコ(coquelicot)」。これは、与謝野晶子が渡仏時に歌った、
 
 ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君も雛罌粟 われも雛罌粟

で有名だ。この「ひなげし」が炎のように一面に咲いている野の風景はモネの「ひなげし」の絵に描かれている。

さらにスペイン語では「アマポーラ(amapola)」。スペインのホセ・ラカーリェの「アマポーラ」という曲が有名で、沢田研二や山下達郎も歌っているが、山本のりこという人がギターで歌っている映像を見つけた。(余りうまくない・・)
 これだけでも呼び名の多さに驚くが、もう一つ「虞美人草」という呼び名もある。これは夏目漱石の小説の題名として有名だが、絢爛たる文章がかえって読みにくくて、私は高校生のときに一度読んだきりである。この「虞美人草」という名は、「四面楚歌」の語源となった、劉邦との最後の戦いに敗れた項羽の愛妃・虞に由来する。項羽に殉じて自刃した虞を弔った墓に「ひなげし」の美しい花が咲いたため「虞美人草」と呼ばれるようになったと伝えられている。

 こんなに色んな名前で呼ばれているのは、人々から広く愛されてきた花であることの証しであろう。
 ただし、日本に咲く「ひなげし」からはアヘンの成分モルヒネは採取できないそうなので、安心して近付ける。
 
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老人力

 わが市の65歳以上の高齢者の市全体の人口に占める割合が、名古屋市近郊では初めて20%を上回った、という記事が先日新聞に載っていた。中でも、私の住む町のすぐ隣の学区では30%を超えたそうだ。と言うことは、住民の3分の1近くが65歳以上の老人ということになる。市の中心部であり、商店街のある商業地域でもあるが、小学校の各学年すべて1クラスという状態がもう10年以上続いている。「町を歩けば年寄りしか見ない」というのも冗談には思えないような人口構成だ。こんな状況では塾に通って来る生徒が減るのも当然だ、などとついつい愚痴を言いたくなってしまう。本当に子供の数が少ない・・。
 市内には老人のための施設が続々と開設されている。最近オープンしたデイケア施設はすぐ前に大きな墓地が広がっていて、まるでブラックジョークみたいな土地に立っているが、そうした施設から派遣される送迎用のマイクロバスが市内をひっきりなしに走っている。私が毎朝行く喫茶店の常連さんたちもほとんどが老人だ。三々五々集まって来ては新聞を読んだり談笑したりと、現代風な喫茶店が平日の午前中だけは完全に老人の憩いの場となっている。そういう場に集まる老人達はみな元気だ。時には大きな笑い声で周りの客たちから白い目で見られたりするが、そんなことはお構いなしだ。身体の元気な老人はどんどん家の外に出て行くべきだし、仲間とのコミュニケーションをとるのも大切な仕事だ。孤独で寂しい老後なんてあまりに悲しい。
 現代では、65歳を超えたくらいで老人と呼んでしまうのは間違っているのかもしれない。「矍鑠」という表現が失礼に当たるのではないかと思うくらい、色んな分野で当たり前のように活躍している高齢者も目立っている。再選された石原東京都知事を例に出すまでもなく、年齢の定義によって高齢者と言われるだけで、気力がまったく衰えていない意気軒昂な人たちの力は決して侮ってはならない。中にはいい加減世代交代したほうがいいのにと思う人も少なからずいるが、自分でまだまだやれると思う彼らの気持ちを尊重することも必要なのかもしれない。
 などと私が思うようになったのは、今週私の父が塾舎に併設された建物のトタン屋根に上がって、そのペンキを塗り替えたのを見たからだ。家族が「危ないから止めろ」と言っても聞くわけがない。自分がやらずに誰がやる、と強い義務感で動くときの父には何を言っても無駄だ。ただただ「気をつけてやってよ」と言うしかない。私が手伝おうと言っても、足手まといになるだけだから、と承知などしてくれない。もうこうなったら、無事にやり遂げてくれるのを願うだけだ。
 
 そうした願いが通じたのか、何とか首尾よく塗り終えてくれた。よかった。

  

 こういう時の父は一日中機嫌がいい。自分の力がまだまだ残っているのを再認識できた喜びや仕事をやり遂げた充実感から来るのだろうが、口も滑らかで若い頃の父に戻ったように思える。そうした父を見るのは私にとっても嬉しいことなので、もし万一途中で転げ落ちて死んだたとしても本望だろうと、父のやりたいようにやらせている。
 しかし、74歳になってどうしてあんなに高いところに上ってペンキを塗ったりできるのだろう。私は、今の年齢でもとてもそんなことはできるような気がしないのだけれど。
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全国学力テスト

 全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)が24日、国公私立の約3万2700校で実施された。対象となる小6、中3の児童・生徒約233万人が取り組んだ。
 テスト問題は国語、算数・数学ともに、身に着けておくべき「知識」(A)と実生活の場面に活用する「活用」(B)の2種類と、生活習慣などを尋ねる調査(アンケート)からなる。文部科学省は集計が終わり次第発表する方針。(MSN.ニュースより)

 新聞で学力検査の問題はチラッと見たが、私立中学受験の準備をしている小6生には簡単すぎるだろうし、私立中学に通っている中3生なら苦もなくできてしまう問題ばかりだと思った。さらには、都市部の、それなりに訓練を日々受けている生徒と、そうではない生徒との間での学力格差が改めて浮き彫りにされるだけで、そんな分かりきったことを今更調査しなくてもいいのに、と思ってしまった。私立の中学では参加しなかった学校が多かったそうだが、わざわざ時間を使ってまでやるほどの問題でもないから、無駄なことに時間をかけるより授業を進めたほうがいいと考えるのも当然かもしれない。公立の学校でも、愛知県の犬山市は「学力検査の意図がはっきりしない」と参加を止めたようだが、私には犬山市の教育委員会の意図こそ分からない。独自の教育改革を進めていると言われる犬山市だが、参加した上で問題点を指摘した方が、より建設的で説得力がある態度のように思う。
 私個人としては、学力検査の問題よりもそれと同時に行われたという「生活習慣などを尋ねる調査」というものの方に興味を持った。新聞紙上には掲載されていなかったが、ネット上では公開されている。その質問用紙の表紙には「この調査は、みなさんの学校や家での勉強や生活の様子について尋ねるものです」と書かれていて、小6生には99の質問、中3生には101の質問が出されている。私はダウンロードして全問読んでみたのだが、文科省が調査したかったのは実はこちらの方ではないかと思えるくらい、生活・学習・学校に関して細かな点まで質問している。その中から面白そうな質問を、中3生を対象にしたものからいくつか例を挙げてみる。
 
  (1) 朝食を毎日食べているか。
 (12) 将来の夢や目標を持っているか。
 (15) 普段(月曜から金曜日)、何時ごろに寝ますか。
 (18) 普段(月曜から金曜日)、1日当たりどれくらいの時間、テレビゲーム(コンピュータゲーム、携帯式のゲームを含みます)やインターネットをしますか。
 (19) 携帯電話で通話やメールをしていますか。
 (21) 学校の授業以外に、普段(月曜から金曜日)、1日当たりどれくらいの時間、勉強をしますか。(学習塾で勉強している時間や家庭教師の先生に教わっている時間も含みます)
 (24) 学習塾(家庭教師の先生に教わっている時間も含みます)で勉強をしていますか。
 (28) あなたは、家の人(兄弟姉妹は含みません)と学校での出来事について話をするか。
 (32) 家の人や学校の先生以外の大人の人から注意されたことはありますか。
 (38) あなたは学校生活について、どのように思っていますか。友達に会うのが楽しいか。
 (41) 新聞やテレビのニュースなどに関心があるか。
 (51) いじめは、どんな理由があってもいけないことだと思うか。
 (52) 人の役に立つ人間になりたいと思うか。
 (56) あなたは学校以外で、花を咲かせたり、野菜を育てたりしたことがあるか。
 (68) 「総合的な学習の時間」の授業で学習したことは、普段の生活や社会に出たときに役に立つと思うか。
 (98~101) 調査問題は簡単でしたか。

これらの質問に、4択で答える形式をとっているが、長時間かけて国語と数学(算数)の問題を解いた後で、さらにこんなにたくさんのアンケートに答えなければならなかった生徒たちは大変だったことだろう。これらの質問から現代の子供たちの実像がどれだけ浮かび上がってくるかは分からないが、精査分析した上で是非とも今後の学校教育の指針として役立てて欲しいものだ。
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復帰戦

 松井秀喜が復帰した。こうした節目になるような試合には必ずと言っていいほど大活躍して私たちの心を躍らせてくれた松井だけに、この復帰戦でも何か大きなことをやってくれるはずだと、気合満々で目覚めた私は、すぐにTVのスイッチを入れた。映像で久しぶりに見た松井は、髪を切ったのか、ケガをする前とは少し印象が違っていたが、やはりユニフォーム姿が似合う。「さあ、もう一度開幕するぞ!」などと私が一人でいきり立っているように思えるほど、松井は涼やかな表情をしていた。もちろん心に期するものはあるのだろうが、それを面に表さないところが松井の松井たるところであろう。
 などと思いながら始まった試合を見ていたら、2回の表にAロッドがソロHRを放って幸先よいスタートを切った。続く5番ジオンビーが2ベースヒット、いきなりチャンスで松井の復帰第一打席がやってきた。去年手首骨折後に復帰したヤンキースタジアムでのスタンディングオベーションを思い出したが、さすがにこの日は敵地だけにさほどの歓声は沸き起こらなかった。しかし、はるか離れた日本の地では、TVの前で私一人がスタンディングオベーションしていた・・。結局その打席は一度もバットを振ることなくストレートのフォアボールだったが、これで一区切り付いた気がした。簡単に15日間のDL入りと言っても随分長く感じられた。松井がいないと放映される試合も見る気が起こらず、手持ち無沙汰な日々が続いた。前日までのレッドソックス3連戦でチームはスイープされたばかりだけに、松井の力で何とかこの苦境を脱してくれと、復帰を本当に心待ちにしていた。それだけに、無事打席に立った松井の姿を見られて、心からホッとした。それと同時に、「さあ今日は勝つぞ、ずっと勝つぞ!」と、TVの前での応援に力を込めた。
 しかし、その裏先発の井川慶投手が打ち込まれあっと言う間に1-4と逆転されてしまった。「松井がケガをした試合も井川がボコボコに打たれたよな」、といやな記憶がよみがえる。先発投手陣にケガ人続出で台所の苦しいヤンキースでは、身体の頑丈な井川が先発の軸になってくれるのが望ましいだけに、この体たらくぶりは残念だ・・。その後小刻みにヤンキースが点を返していくものの、井川の調子が戻らずどんどん加点されていく。松井が4回に復帰後初打点となるセンターへ打ち上げた犠牲フライも影が薄くなってしまう。6回に6-7まで追いつくものの7回裏には救援陣が打ち込まれ、6-10となってしまった。9回にAロッドのこの日2本目となる2ランHRで食い下がりはしたが、松井が最後の打者となるセカンドフライを打ち上げ試合終了・・。ひどい試合だった。
 結局この日の松井は5度打席に入り、2打数0安打、2四球、打点1の成績だった。可もなく不可もなくといった打撃だったように見えるが、けがする前のようにゴロでの凡打が一度もなかったのは、打球が上に上がり始めた証拠なのだろうか。そうすれば近いうちに長打も生まれるかもしれないが、何にせよ私のような素人の見立てでは怪しいものだ。まあ、そんなことよりも元気な姿が見られただけで十分なんだが。
 
 しかし、今のヤンキースではやはりAロッドの打席に目が釘付けになってしまう。この日2HRを加え、今季は18試合で通算打率 .400 打点34 HR 14とダントツの三冠王だ。162試合に換算すると打点 306、HR 126本と驚異的というか想像を超えた成績になってしまう。まさか今のままの調子がシーズン中ずっと続くことはないだろうが、ひょっとしたらと思わせてしまうほどのハイペースだ。Aロッドほど、ヤンキースで激しいブーイングを受ける選手もいない。昨年までは、MVPをとったこともあるが、ここぞと言う勝負どころで持ち前の気持ちの弱さがでてしまい、ファンを納得させるだけの打撃は見せてこなかった。ところが今年の彼は一味もふた味も違う。サヨナラHRも何本か打ったし、彼の一打が試合を決めたこともたびたびだ。何が彼を変えたのかはよく分からないが、ずば抜けた才能の持ち主であり、さらには練習熱心だとも言われているだけに、精神面さえ充実すればこれだけの活躍を見せるのもなんら不思議ではないだろう。今メジャーリーグファンなら誰でも知りたいのが、Aロッドの心を成長させた秘訣ではないだろうか。

 実は私、Aロッドが松井秀喜の著書「不動心」を愛読しているのではないだろうかと思っている。オフの期間に日本語を一生懸命勉強して、日本語で「不動心」を読んで、精神修養に励んだのではないだろうか・・。これはただの冗談だが、松井の心がAロッドの才能に乗り移ればこれくらいの活躍は当然だと思う。あながち妄想でもないような気がするんだけど。
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「海辺のカフカ・上」

 久しぶりに長編小説を読んでいる。村上春樹の「海辺のカフカ」、新潮文庫で上巻が500ページ弱ある。昔は長編小説ばかり読んでいたが、最近では気力が続かず、長編小説など手に取ることもなくなっていた。しかし、昨年村上春樹がノーベル文学賞を受賞するのでは?などと噂が流布した頃から、それまでほとんど読んだことがなかった村上春樹を一度はしっかり読んでおくべきじゃないかと思い始めた。短編集は昨年の元日に「東京奇譚集」を読んでいたが、どうせなら一冊も読んだことのない彼の長編小説を読みたいと思った。ならば、最新作の「海辺のカフカ」を読むのが一番いいんじゃないかと勝手に思い込み、文庫本を買って読み始めた。
 実は上下巻読み通してから、感想文を書こうと思っていたのだが、上巻をやっと読み終えた今、果たして下巻を読み通すことができるかどうか少しばかり不安になったので、とりあえず上巻についてだけでも感想を書き留めておこうという気になった。と言うのも、村上春樹という作家が一体どんな作家なのかよく分からなくなったからだ。今の私が「海辺のカフカ」について抱いている感想を一言で言うなら、「マンガみたい」または「ファンタジーみたい」。そんな感想しかもてない小説を書く村上春樹とは何なんだろう・・。

 筋立ては、主人公たる少年が家出をして四国に行き、そこである人物と出会う、というのが本流だとすれば、それにこれから先絡んでいくであろういくつかの支流と呼ぶべきものを描いていって、それを一つずつ本流に合流させていって、最後に大きな流れとなるようにさせる、と言った長編小説の王道のような展開を見せている。上巻では幾つかの支流がまとまり始め、徐々に太い流れとなって本流に近付き始めた、というところで終わっている。従って、これから先の展開がどうなるのか面白いと言えば面白いし、楽しみでもあるのだが、登場人物の行動や設定に、現実では考えられない、起こり得ないものが多くて、物語がどんどん空想化していく印象を受けてしまう。それがファンタジーだと思った所以なのだが、この小説を原作として力のある漫画家と組み合わせれば、読み応えのあるマンガが出来上がるのではないかとも思った。
 小説は想像力の産物であるから、現実をなぞるだけでは面白くないのは当然だが、想像力が現実から遊離した空想力に変わってしまい、その中では何が起こっても不思議ではないというような小説になってしまうと、私には読み続けるのが難しい。そうした空想小説は一つのジャンルとして確かに存在し、それはそれとして面白いのかもしれないが、村上春樹はそうしたジャンルの小説家だと私は思っていなかった。ただ、「東京奇譚集」を読んだ時にも感じた、「村上春樹ってこんな小説を書くの?」という驚きと失望を持ち続けながら読んできたものだから、どうしてもこの小説の中に没入することができなかった。浅学非才な私であるから、こんな感想しかもてないのかもしれないし、たまたま「海辺のカフカ」がそうした小説なのであって、村上春樹の他の小説はまったく違うのかもしれない。さらには「まだ上巻しか読んでいないくせに何を言う!」という謗りを受けるかもしれない。だが、自分のブログに自分の正直な感想を記さずにいて何になろう。確かに文章としては読みやすく、機知に富んだ表現も随所に見られ、さすがに評判の作家だけあると感心したことも多かったが、何だか冗長な説明も多くて、もっと簡潔に表現すればいいのにと思う箇所も幾つかあって気にかかった。
 
 長編小説を半分近く読んでくると、自分なりにその小説に対する好悪がはっきりして、つまらなければそこで止めようかとも思うが、ここまで読んだなら頑張って最後まで読まなきゃ損だ、という気もしてきてどうしようか迷うものだ。今私は「海辺のカフカ・下」を手にしながら、そうした迷いの中にいるのだが、とりあえずは最後まで読んでみようと思っている。どうやって支流を一つの流れに収斂させていくか村上の手腕を知りたいと思うし、ひょっとしたらこれまでの荒唐無稽さにも何か深い意味が見つかるかもしれない。最後まで読み通した時に果たしてどんな感想を持っているのかもまた楽しみである。
 遅々として進まないかもしれないが、なんとか下巻500ぺージ余りを読み通そうと思っている。
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始動!

 妻が動き出した。息子の大学進学に際しまさに髪振り乱して奮闘努力していたのが一段落したと思ったら、すぐにチケット探しに奔走するようになった。お目当ては稲垣吾郎主演の舞台「魔法の万年筆」。 5月12日(土)から6月12日(火)まで東京・渋谷のPARCO劇場での公演に行こうと、先週の半ばから先行予約の電話をかけまくっていたが、あえなく全て不発に終わった。「厳しい!」と日に日に鬼気迫る形相を帯びてきたが、一般発売が22日の日曜の朝10時から行われるため、そこで何とか手に入れようとあれこれ作戦を練っていた。チケットぴあで発売されるのだが、私の住む市には「チケぴ」がない。なので名古屋まで買いに行くと言っていたのだが、よく調べたらわが市に隣接する岐阜県の市にも「チケぴ」があることが分かった。そちらの方が人も少なく、手に入る確率が高いだろうと、そちらに行くことになった。私は「行ってらっしゃい」と言っておいたのだが、どういうわけか日曜の朝になったら、7時過ぎに目が覚めてしまい、暇を持て余すのもなんだから、車に妻を乗せて行くことになった。
 日曜の早朝はさすがに車が少なく、8時30分頃には「チケぴ」のある駅前のビルについてしまった。しかし、9時半にならなければ、受付を開始しないという話なので、まだ誰もいない入り口の扉の前に並んで待つ妻を残して、私は町探検を兼ねながら近くのコンビまで歩いて行った。

  

さすがに9時前では商店街も開いていない。駅前も車の通りが少なく、タクシーも手持ち無沙汰そうだ。ただ、この市でも市会議員選挙が行われているようで、ポスターが貼られていた。私も自分の市の選挙は家に戻ってから済ませた。

  

コンビニで買い物を済ませて9時を回ると、町にも少しずつ活気が戻ってくる。パチンコ屋がこんな早くから開店したところで、客なんて来ないだろうという私の思い込みなど大外れで、早くも店内は熱気全開で出玉を告げる野太い声が外にまで響いて来る。暇人が多いというか、欲張りが多いというか、私には信じられないような世界があるようだ。とか思いながら歩いていくと、FUJIYA の看板とともにペコちゃん人形が立っていた。「おお、ペコちゃん、逆境に負けずに頑張れよ!!」とエールを送ってみたが、ペコちゃんに聞こえるはずもない・・。駅前に戻り、まだ時間があるようなので、駅舎の方に行ってみた。すると、私の市と並び評される陶器の町だけあって、いくつか陶器が飾ってあった。しかし、その1品ごとに付けられた値段にびっくりしてしまった。

  

左の抹茶茶碗は1つ50,000円、ふ~ん、まだいいかな。真ん中の妙なオブジェのようなものは筍らしい。200,000円・・。何で?さらに、右の大皿は525,000円(消費税なんて入れるなよ!!)、何考えてるの?
 陶芸作家と自称する人たちは私の市にも腐るほどいるが、なかなかこれだけの価格を付けられる人はいないのではないだろうか。驚きながら、「チケぴ」の所に戻ったら、10時まであと15分だった。妻は一緒に並んでいた人とSMAP談義に花を咲かせている。私は持っていた文庫本を読んでいたら、10時少し前に入り口が開けられた。


妻の並んだ順番が1番だけあって、首尾よくチケットは取れた、しかも最前列の真ん中!妻は大満足で帰りの道中、ひたすら陽気であったが、私はただただ眠くて仕方なかった。
 また妻が東奔西走する季節がやって来る。
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「ソクラテスの唄」

 金曜日、高校生の授業を終え生徒をバスで送っていく間に最後に残った三年生の男子生徒と話していたら、倫理の授業を聞いていると頭が痛くなると言った。「私が私であるために・・なんて先生が言い出すもんだから、訳が分からなくなって・・。今はソクラテスの思想を勉強してるんですけど」と教えてくれた。すると私の頭に、突然昔懐かしいCMソングが頭に浮かんできた。

 ♪ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか。
  二・二・ニーチェかサルトルか。
  みんな悩んで大きくなった。♪

野坂昭如が歌っていたサントリ-ウイスキーのCMソングだ。私が大きな声で歌い出したら、「何ですか、それは?」とその高校生が聞き返した。まあ、30年以上昔のCMソングを17、8の子供が知っているわけがないから、少しばかり説明してやったが、私にしてもこの後どんな歌詞が続いているのか思い出せなかった。その辺りは適当にごまかして、「これで哲学者の名前が暗記できただろう。覚えて置いて損はないよ」などと煙に巻いてやったが、自分としては続きが思い出せないので気持ちが悪い。そこで、ネット検索をしてみたら、続きとそれに続く2番の歌詞まで分かった。

 ♪(女性 声のみ)大きいわ、大物よ。
  (野坂)俺もお前も大物だ。♪

これでは、歌詞とは言えないかもしれないが、野坂ならではの言葉だ。そして2番の歌詞は、

 ♪シェ・シェ・シェークスピアか西鶴か。
  ギョ・ギョ・ギョエテかシルレルか。
  みんな悩んで大きくなった。
  (以下同じ)♪

こちらは文学編とでも言うのだろうか、ギョエテはゲーテ、シルレルはシラーのことである。(CMの最後には「とんとんとんがらしの宙返り」というフレーズが入っていたと注釈があったが、私はまったく覚えていない。)1番の哲学編と合わせて、重要人物の名前の暗記には便利な歌だ。「デカンショ節」の、デ=デカルト、カン=カント、ショ=ショペンハウアー、よりも実用性は高いように思う。

(あれこれ検索していたら、当時このウイスキーを買うとおまけについていたグラスが今でももらえる酒屋を見つけた。「哲学グラス」。欲しい!!)

 こんなふうにCMソングがためになることも時々ある。これももう随分昔のCMで覚えている人なんていないかもしれないが、私の記憶が正しければ、「美酒爛漫」という清酒会社のCMに吉永小百合が起用されていて、彼女をメインにした画面のバックに、与謝野晶子の短歌にメロディを付けて女性が歌っているものが流れていた。

  ♪やわはだの あつきちしおに ふれもみで さびしからずや みちをとくきみ♪
   (柔肌の 熱き血潮に 触れもみで 寂しからずや 道を説く君)

その会社のHPを調べたら、吉永小百合がCMに出ていたのは昭和46年1月から昭和53年12月とあったから、たぶん私が高校生の時に何度も見たCMなのだろう。とにかく吉永小百合がきれいで、ただただため息をついていた覚えがあるが、このCMを通して与謝野晶子の密やかな熱き思いが私にも伝わったようで、それ以来彼女の短歌のいくつかが私の愛吟するものとなった。このCMがなかったら、与謝野晶子の短歌をさほど気にせずに今まで過ごしてきたかもしれない。そう思えば私にとって忘れられないCMである。  



 YouTube で検索してみたが、どちらのCMも見つからなかった。残念・・・。
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バカじゃないの!

 昨日「笑っていいとも」を見ていたら電話が鳴った。私が出ると、銀行だと名乗った。
「さきほど、私たちのもとに警察から電話がかかってきまして、お宅様のキャッシューカードが届けられているとのことでした」
「えっ?キャッシュカード?」
「はい、今日は使われましたよね」
「ええ、午前中に」
「そのカードだと思うんですけど、落し物として届けられているそうなんです」
「・・・。うーん、よく分からないですけど・・・」
「詳しい事情は聞いていないのですが、日曜までは○○の派出所に保管してあるそうですから、取りに行って頂きたいと思いまして」
「はあ、取りには行きますけど・・。ATMから抜き忘れたのかなあ・・」
「そうかもしれませんね。で、不正があってはいけないので、今はそのカードの使用ができなくしてありますので、警察で受け取られたら一度私たちのもとにおいで頂けませんでしょうか」
「はい・・、分かりました・・」

 何だか狐につままれたような話で訳が分からなかったが、調べてみると確かに午前中使ったキャッシュカードが見当たらない。妻に事情を説明すると、あきれたような顔をして、「何やってるの、まったく。キャッシュカードからお金を引き出されてたりしてないの?」「分からない・・。参ったなあ・・」「とにかくすぐに警察に行ってらっしゃいよ」
 その通帳には、税金などを支払うために銀行から借りたお金が入金されたばかりで、少しばかりまとまったお金が入っている。それを引き出されていたら、かなりまずい。とにかく警察へ行かなくちゃ、と印鑑と通帳を持ってすぐに出かけた。

 教えてもらった派出所に行くと若い警官が3人で対応してくれた。免許証と通帳を見せて私のカードだと確認されると、用紙に住所氏名を書き込んで無事キャッシュカードは手元に戻ってきた。「これが発見者の電話番号です」「はい、御礼の電話はします」「そうしてください。自宅の近くに落ちていたのを拾ってここに届けてくれたようです」「はい、どうもありがとうございました」拾った場所の地名は口頭で教えてくれたが、そこは銀行から少し離れたところだ。ということは、ATMから私がとり忘れたカードをそのまま銀行の職員に届けるのではなく、外に持ち出してから捨てたことになる。それじゃあ、ひょっとするとカードを使ってお金は引き出されてしまっているかもしれない。スキミングという手口もあるし・・。ううう・・。かなり青ざめてきたが、派出所を出るとすぐに銀行に向かった。
 銀行では午前中に私に対応してくれた顔なじみの行員さんに事情を話して、必要な手続きをしてもらった。
「もしかしたら、全額引き出されてるかもしれないので、確認してもらえますか?」
「はい」と言って、すぐに手元のパソコンを操作してくれた。
「ご安心ください、午前中に取引されたままですよ」
「あ~、よかった」
ホッとした、こんなにホッとしたのは久しぶりだ、一気に緊張が解けた。ソファーに腰掛けて手続きが完了するのを待っている間に己のバカさ加減に嫌気がさして来たが、とにかくよかった、よかったと思っていた。

「これでこのカードは使えますけど、こんなことがあるとご心配ですよね。なので、今は手のひらの静脈で本人確認ができるカードがありますので、それに申し込まれてはいかがですか」
「はい、お願いします」
普段だったら、面倒な手続きは絶対にしないのだが、さすがにその時は偉そうなことを言っていられない。言われるままに用紙に記入して申し込んできた。
 家に帰ると、妻が「大丈夫だった?」とすぐに聞いてきた。「うん、何ともなかった」「よかったわねえ」と喜んでくれたが、もとは私のドジから生まれたことだけに素直には喜べない。
「本当にバカだよなあ」
「本当にダメだねえ。気をつけてよ」
「うん」
ものすごく反省した。警察に届けてくれた人に電話をして心からお礼を言った。もう二度とこんな失敗をしないと誓った。

 だけど、またやっちゃいそうだよなあ・・。
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