goo

「成瀬は信じた道をいく」

 結局、「成瀬は天下を取りにいく」の続編、「成瀬は信じた道をいく」を読んだ。
 前作を読んだ後、なんだか竜頭蛇尾に終わった気がして成瀬あかりという強烈なキャラを生かしきれていないんじゃないかとモヤモヤが残ったのだが、今作を読んでそれが霧散した。面白かった!!
 読み終わった直後に感じたのは、私はもっと成瀬が知りたかったんだろうな、ということ。前作では途中から成瀬の姿が朧げになってしまっていたのが不満の要因だったと分かった。今作は全編、成瀬で溢れていて、成瀬の何たるかがかなり分かって嬉しかった。
 膳所高校から京大に余裕で合格し、大津観光大使となり、スーパーのレジ係のバイトを始め、時間がある時には腕章を付けて地域のパトロールをする、などなどなかなか大変な毎日を過ごしているにも関わらず、何の無理もせずにごく自然にこなしていく成瀬、本人は全く意識していなくとも、「信じた道をいく」という力強さで周りにいる人々を惹きつけていく成瀬、いつも誰に対してもタメ口で緊張したことがないという成瀬には爽快感さえ覚える。実にカッコいい!(表紙のイラストがなかなかチャーミングでこれが成瀬?と思わせるのもいい)



 前作ではイマイチ成瀬を表現できなかった感のあった作者が全力で成瀬をプロデュースしている今作は作者の成長を見るようで興味深かった。いつまでこのシリーズが続くのか分からないけれど、次作を楽しみに待とうと思う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「成瀬は天下を取りにいく」

 「成瀬は天下を取りにいく」を読んだ。週刊誌で作者の宮島未奈が京大文学部の卒業生だと知って、どんな小説なのか知りたくなって読んでみることにした。
主人公・成瀬あかりにまつわる短編がいくつか合わさって一冊の本となっている体裁。最初の一章二章は面白かった。成瀬あかりの中性的な物言い、緊張したことがないという行動力、二百歳まで生きるとかM 1グランプリに出るとか、ちょっとした大言壮語も成瀬のキャラを彩るものとして可笑しかった。
 しかし、語り手が相方の島崎から別の人に変わり、その人物の目線で語られ出してからは、なんだか面白くなくなった。どこかのマンガで読んだことのあるような話が多くなり、これならマンガの方が面白いぞと思い始めて、先を読みたい気持ちが少し萎えてしまった。逆に言えば、今のマンガのストーリーはそんじょそこいらの小説よりも遥かに豊かで想像力に富んでいるから、それらを超えて読者を惹きつけるには物語の面白みだけではなく、文章の独特な魅力が必要なんだろうなと思った。
 続編もあるようだから読んでみようかと思うけど、ちょっと迷うなあ、というのが読後直後の素直な感想。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ねじまき鳥クロニクル」第1部

 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」の第1部 泥棒かささぎ編を読んだ。

 「DJヒロヒト」を読み終わって、次に何を読もうかなと考えていたときに、ふと書棚にあったこの本が目についた。手にとって裏表紙を見たら1994年発行の初版本だった。今から30年も前に、村上春樹の本など殆ど読んだことがなかった私がなぜこの本を買ったんだろう?しかも1ページも開いていないまま30年間もずっと書棚に埋もれさせていたんだから、本当にどういう意図で買ったのだろう、全く思い出せない。不思議だ。

 なんにせよ、読むものが見つかったのは喜ばしいことだから、少しばかり早起きして読み始めた。

 まず最初に感じたことは、30年前の村上春樹と今の(と言っても「街と不確かな壁」の)村上春樹の文体というか、醸し出される全体的な雰囲気がほぼ同じだなあ、ということ。30年前の小説などとは思えない。軽妙でいて含蓄のある文章は流麗で澱みなく繋がっていき、気持ちよく読み進められる。
「こうした一つの世界を構築している作家はさほど多くないだろうなあ」と改めて思った。

 しかし、最後の2章になって様相が変わった。「僕」を中心とした狭い世界から遠く離れた戦争が突如として語られ始める。語られる戦争の残忍さには思わず顔をしかめたくなるほどだ。「DJヒロヒト」で戦争に人生が滅茶苦茶にされた人々を繰り返し読んだ後だから余計に戦争の非道さに思いが行ってしまうのかもしれないが、果たしてこれが今後の展開にどういった影響を及ぼすのだろう。何らかの伏線になっていてもおかしくはないだろうと思う。

 ともあれ、第2部も手元にあるから続けて読んでいこうと思っている。

 ただ、村上春樹の小説のよくあるパターン、話を広げるだけ広げて伏線が回収されないまま終わってしまうというのだけはちょっとやめてほしい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「DJ ヒロヒト」

 高橋源一郎「D J ヒロヒト」を読んだ。
 この小説を読んだきっかけは、題名に惹かれたからだ。ヒロヒトと言えば昭和天皇、彼がDJ?と書名を見た者は誰もが思うだろう。何だそれ、高橋源一郎一流のおふざけか?と思わないでもなかったが、4,000円を超える書籍代でさすがにそれはないだろう、何か意図があるんだろう、じゃあ、何だそれは?と巧妙に仕掛けられた罠にはまってしまった感もあったが、ついつい買ってしまって読むことになった。
 
 天皇ヒロヒトをどう描くんだろう、さすがに正面から取り上げては歴史小説になってしまうし、トリックスター的な扱いになるのかな、と思いながら読み始めたら、140ページほどでヒロヒトは幕尻に下がり、昭和を生きた市井の民の物語となっていった。えっ、ヒロヒトは?と思いもしたが、そんな思いはすぐに消し飛び、展開される物語の濃密さに私は引き込まれていった。
 しかも物語は時空を駆け巡りながらも多岐に及び、さながら昭和史の裏面を見るような様相を帯びていき、つなぎ合わせると戦争に至るまでの日本がどのような社会であったかが垣間見られたように思われた。まるでパッチワークのような小説だなあ、と思っていたが、578ページまで読み進めて、私のこの感想がまさに作者の意図するものであったことが分かる記述があった。

『・・・・さてここまでご覧になったみなさん、どんな感想をお持ちになったでしょうか。戦争の悲惨さ、愛の狂気、あるいはまた、純粋な恋、希望に満ちた少年の思い、博士たちの異様な情熱、どれもつくりもののようにも、ほんとうにあった話のようにも思えます。いや、つくりものとほんとうにあったことの間に、実は差などないのかもしれません。誰かがしゃべる。誰かが誰かと出会う。あらゆる場所で、あらゆるときに。そして、なにかが起こる。それらをみんな知っているものはどこにもいません。それらをみんな知ることはできません。誰かがそれらを言葉に書き起こして、わたしたちに伝えるまでは・・・・』

 高橋源一郎は膨大な資料と読書によって、私たちに伝えようとしてくれたのだ。なんだか変な小説ではあるが、作者の意図は十分すぎるほど伝わって傑作であると思った。
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「黄色い家」

 川上未映子「黄色い家」を読んだ。
 どういうきっかけでこの本を読み始めたのか忘れてしまったが、なかなか辛い話で一気に読み進めることができず、読了するのに時間がかかってしまった。
 
 時間がかかったのは、社会の下層に蠢く人たちがどうやって日々を生きているのか、普段の私が考えたこともない社会が描かれているため、よくこんな風に生きていられるなと高飛車なことを思ったり、今までこういう感じの人たちに接することなく生きてこられたのはよかったと思ったり、やっぱりこんな生き方は辛いよなとページを繰る気が萎えたりしたからだ。
 ブレーキングダウンを見ていると、なんだか異世界をのぞいたような気がするものだが、それに近いものをこの小説を読みながら感じた。もちろん、20歳前後の女の子・花の回想として話が進んでいくのだから、暴力的な場面はないのだが、登場人物が皆世の中のいわゆる「ふつー」からは外れた人ばかりなので、アウトローの世界に近い感じがしたのかもしれない。

 とは言え、やはり少女と呼ぶべき年頃の主人公が世の流れに押しつぶされそうになりながらも何とか踏ん張っていく姿には、「何て健気な子んだろう」という言葉しか浮かんでこない。確かに一人で頑張り過ぎてうざったい気もするが、自分が共に暮らすようになった人たちの生活を一身に引き受けて、その重圧に必死で耐えながら何とか這いつくばって生きていく花は健気だ。そんなに肩肘張らなくても、と思わないでもなかったが、次第しだいに追い詰められていくその姿は、作者・川上未映子の筆致の精緻さによるものだろうが、読んでいてハラハラせずにはいられなかった。「もう頑張らなくていいよ」と声をかけたくなるような主人公の小説は久しぶりに読んだ気がする。(そんな眼差しを注ぐことのできるようになった私自身にも驚いたが・・)

 600ページに及ぶ長編小説だが、冗長さは全くなく、なかなかの傑作だと思った。今まで川上未映子の小説は読んだことはなかったので、他のものも読んでみたくなった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ごめんなさい・・。

 


 編者の岩田文昭くんが献本という形で送ってくれた。昨年も岩田くんは自著「浄土思想」を送ってくれたから、これで二度目である。
 岩田くんは中・高・大と同じ学校に通っていた古い友人であり、ここ数年は同窓会で顔を合わせたり、時々FBでやりとりをしている。その彼から送られてきた本だから、しっかり読まねば、と意気込んだのだが、申し訳ない、私は私小説というものが大嫌いで、そのジャンルに入る小説はほとんど読んだことがなく、この嘉村磯多という人のことは名前くらいはうっすら記憶がある程度で、あまり読みたくない小説家だった。それでも、何も読まないのは失礼だと思い、最初の「業苦」という短編を読んでみたが、やっぱり無理だった。一言で言って、「キモい・・」。
 本当に失礼な感想しかないけれど、無理なものは無理、これ以上は読めない。ごめんなさい。

 でも、岩田くんは解説を書いているだけで、嘉村磯多ではないから、解説だけ読めば良かったのだ。
 解説は宗教研究家としての岩田くんの面目躍如とばかりに素晴らしいものだったから、献本のお礼をする時にその旨をきちんと伝えておいた。

 まあ、末端の読者としての感想だから、こんなものでも心の広い岩田くんなら許してくれそう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ガザとは何か」

 岡真理「ガザとは何か」を読んだ。
 この本は、今年の初め、中高と同級生だった管教授がFBで「必読の書」と檄を飛ばしていたのを読んで、すぐにAmazonで注文したのだが、あれこれ忙しくてなかなか読み終わることができず、数日前にやっと読み終えることができた。
 そんな私が言うのも説得力に欠けるとは思うが、確かにこれは「必読の書」である。「パレスチナ問題は決して"難しく”ない」「今起きていることの歴史的文脈とポイントがわかる」と帯に書いてあるとおり、ガザ地区で暴虐の限りを尽くすイスラエルとはどういう国であり、何のためにそんなことを続けているのかが、分かった。
 ならば私たちはどうすればよいのか、という問いが自ずと浮かんでくるが、それに対して著者は以下のように答えている。
『もっとも基本的なことは、やっぱり正しく知ることです。先ずは正しく知る。それから周りの人にそれを知らせる。どんな形でいいです」(P.185)
という言葉に則って、私のできる最初のこと、この本から印象に残った文を以下にいくつか引用して、少しでもこの本の内容を伝えようと思う。

『私たちは今、<ガザ>の後にいるのではない。次の<ガザ>の前にいるのだと。今回、ガザで起きた出来事を忘れたら、私たちはその忘却によって、次の<ガザ>への道を整えているのだと』(P.123)

『「ハマースとは何か」ではなく、むしろ問うべきは「イスラエルとは何か」だと思います。イスラエルとは何か、どのように建国されたのか、それがこの問題の根っこにある原因です。
 イスラエルは、パレスチナに対して行使するありとあらゆる暴力を、自分たちがユダヤ人であること、ホロコーストの犠牲者であることをもって正当化して、自分たちに対する批判の一切合切を「反ユダヤ主義」だと主張してきました』(P.168)
 
『ヨーロッパ・キリスト教社会における歴史的なユダヤ人差別と、近代の反ユダヤ主義、その頂点としてのホロコースト。西洋社会はこれらの罪を、パレス人を犠牲にすることで贖ってきました。そして今、アメリカもEU四か国も、今回のイスラエルの攻撃に賛同し、アメリカに至ってはこれを支援している。西洋諸国は今もなお、その歴史的暴力を行使し続けています』(P.175)

 こうやってポイントを並べると一面的で過激な内容の本であるかのように思われるかもしれないが、決してそんなことはない。一読すれば誰もが「ああ、そうなのか」と納得できるように落ち着いた筆致で書かれているので、紛うことない「必読の書」である。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「藤井聡太の指は震えない」

 昨年10月に友人から頂いた岡村淳司「藤井聡太の指は震えない」を少し前に読み終えた。
 谷川浩司十七世名人や森内俊夫九段などの藤井聡太論は読んでいたが、いずれもプロの視点からの論考になっていて、私のような素人が読んでもイマイチ面白味が伝わってこなかった。その点、本書は将棋素人の新聞記者から見た藤井聡太論になっているためすとんと腑に落ちることが多く、なかなか面白かった。
中でも、藤井八冠が小学生の頃に通っていた将棋教室の文本力男氏の話は興味深かった。
私も実際に見ていて当時はかなり物議を醸したのが、2018年の竜王戦決勝トーナメント2戦目で、増田康宏六段と対戦した際に、藤井七段が自分の打った手を引っ込めて打ち直したという「待った問題」。将棋連盟は、反則ではなくマナーの問題としたが、文本氏は自らの教室に「反則をしたら負けを認めよういさぎよく」と貼り紙をするほどの人であるから、この藤井八冠の所作を許すことができず、「今からでもあの『待った』を謝罪してタイトルを返上し、もう一度やり直すべきですよ。そうすることで聡太は運気をつかんで、本物の大棋士になれるんです』と著者と杯を傾ける度に言うのだという。厳しい!私のようないい加減な男にはとても吐けない言辞である。
(そう言えば、以前私の塾にいた少しやんちゃな少年がふみもと将棋教室に通っていたが、「お前は将棋に向いていない」とクビにさせられたという話を聞いたことがあったから、自分なりの信念を持っていてそれを曲げない人なんだろうなと思った)

 実際に改めて見直してみれば、どれだけのことなのか分かるだろうと思って探してみたらYouTubeにあった。




 見直してみての私の率直な感想は、「二度とやるなよ、聡太くん!!」
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日本人が奴隷にならないために」

 秋嶋亮「日本人が奴隷にならないために」を読んだ。



 Twitterで白馬社という出版社の投稿を何度か読んでいるうちに、この本の宣伝文に釣られてしまって、Amazonで購入したのが昨年11月ごろ。しばらく放置してあったが、今年になって思い出して、読み始めた。なんだか刺激的な文言で埋め尽くされているのに驚きながらも、少しずつ読み進めてなんとか読了した。

 現今の世界情勢や日本の社会を全くの傍観者ながらも眺めてきた私には、なんとなく分かっていたつもりでいたことをこれだけはっきりと文字として教えられると、なんとも言えぬ袋小路に入ってしまって身動きが取れなくなっている私たちの姿があからさまになり、勘弁してくれよ、という気持ちにさえなった。と同時に、世界情勢を見るのに、思考の起点を決めさえすればこんなにも一本の線で繋げることができるのか、という驚きも味わった。

 全部で5章に分けられた本文を、各章と節ごとに与えられた表題のいくつかを見れば本書の方向性は分かる。
第1章 戦争の時代に突入した(アメリカの公共事業としてのウクライナ戦争)
第2章 金融が平和を解体する(戦争のための制度調整の過渡期に入った)
第3章 カルトの支配は終わらない(ナチスが政権を固めた時代と酷似している)
第4章 理性が消失した日本の風景(企業による企業のための企業の政治)
第5章 無知による奴隷化というリアル(人間を人間たらしめるものが崩壊した)

 う〜〜ん・・・。まだまだイヤになる程の厳しい言葉、政治用語なのか社会学用語なのか経済用語なのか私には判然としない横文字で埋め尽くされているから、たとえこれが現実としても受け入れる勇気はなかなか生まれてこないし、そのまま鵜呑みにするのもリテラシー的に問題があるだろうから、話半分に受け取っておいた方が無難だろうな、といつもの私には似せぬ穏健さが読後感として残った。

 しかし、本書のこうした指摘を首肯したとしても、ならばどうすればこの状況から抜け出すことができるのか、ということについて何も書かれていないのには少なからずガッカリした。特に181ページから182ページの問答には苦笑を禁じ得なかった。

ーそれにしても情報化に伴い、教養のある者とない者の知性の差が、絶望的に大きく開いています。
秋嶋 それを「知識ギャップモデル」と言います。だから物事を深く考える人は増々アウトサイダー(社会の異分子)化し孤絶を深めるのです。しかし歴史が示す通り、そんな知者の痛みが、やがて思想の軸となり、多くの人を照らすのです。だからむしろこのような時代に孤独であることを誇ればいいのです

 竹林の七賢にでもなれというのか・・・。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「未成年」

 次のドストエフスキーは、「未成年」。



 これも、亀山郁夫訳で読もうとアマゾンで探したら、結構品薄みたいで探すのにちょっと苦労した。亀山訳はちょっと軽すぎないか?という気もするけど、ロシア語の読めない私が偉そうなことを言っても詮ない。まあ、ドストエフスキーという幻想から重々しい訳文を期待するのも文学オタクっぽいから、これくらいの口語訳の方がいいのかもしれない。

 ところで、「未成年」て「カラマーゾフの兄弟」の一つ前の作品らしい、全く忘れていた。もちろん読んだことはあるはずだが、内容は全然覚えていない。なので、新鮮な気持ちで読めそうだから逆にいいかもしれない。
 楽しみ!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前ページ