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あしたのジョー

 火曜日からNHK・BS2でTVアニメ版「あしたのジョー」が5夜に渡って放映されている。第1シリーズ全79話のうち出崎統監督自らがセレクトした37話を放送する予定で、昨夜はウルフ金串戦から力石徹が減量に苦しむ場面までが連続して放映された。私は金曜から塾が春休みになったため、運良く見ることができた。尾藤イサオが歌う、寺山修二作詞の主題歌「サンドバックに 浮かんで消える 憎いあんちくしょうの・・・」を耳にしただけで目頭がジーンと熱くなってしまう。
 少年マガジンで連載されていた「あしたのジョー」は毎週読んでいたが、当時野球小僧であった私は、同じ梶原一騎原作(「あしたのジョー」は「高森朝雄」の名で書いていた)の「巨人の星」の方が好きであったし、アニメも「巨人の星」の方に力を入れて見ていた。今ふり返るとやたら暑苦しい「巨人の星」のストーリー展開にも、当時の私は大ファンであった王貞治や長嶋茂雄が登場することで、毎週胸をときめかせていたのだろう。それに比べて「あしたのジョー」はボクシングという血なまぐさい世界の話であり、しかもジョーの終生のライバル・力石徹が死んでしまってからは、ジョーが破滅に向かってひた走る様が描かれているように思え、10代の私には少々荷が重すぎたのかもしれない。単純明快なスポーツ根性物語の「巨人の星」(大リーグボール3号辺りはジョーと同じく「滅びの美学」が描かれているが)の方が、単純な私には受け入れやすかったのだろう。
 しかし、長じて何度も「あしたのジョー」を読み返すたびに、力石の死を引きずり、どうしてもそこから抜け出せないジョーの苦しむ姿に胸を打たれるようになった。「巨人の星」にも飛雄馬が愛する美奈さんを失った悲しみ・苦しみが描かれているが、「西に沈み行く満月と東から昇り出づる日輪」とを同時に見る印象的な場面を境にして、飛雄馬は悲しみを乗り越え、それを糧にすることができた。だが、力石を失ってからのジョーは常に悲哀に包まれ、そこから脱却できないでいる。アニメでは、TV放映が「少年マガジン」の連載に話が追いついてしまい、カーロス・リベラとの対戦までしか描かれることはなかったが、「あしたのジョー」は力石徹が死んだ後のジョーの生き様こそ、高森朝雄(梶原一騎)が見る者に伝えたいものであるように私は思う。悩み、苦しみ、のた打ち回り、自らの死に場所を見つけるために生きているかのような印象を受けるジョーの心の虚無は、カーロス・リベラ戦を経て、王者ホセ・メンドーサとのまさに死闘まで描ききらなければ、見る者に十全に伝わらないのではないかと思う。(勿論、自殺行為とも言える減量をしてまでジョーと戦おうという力石の姿に涙しないわけはないし、戦いが終わった後に力石が倒れるシーンを見て号泣するに決まってはいるが・・)
 だが、ジョーと戦った相手のその後の姿は誰もが痛々しい。力石は言うまでもないが、顎をトリプルクロスカウンターで砕かれてしまったウルフ金串はヤクザの用心棒になってしまったし、カーロス・リベラはパンチドランカーになってしまった。ホセ・メンドーサさえも、戦いが終わった後には髪の毛が真っ白になってしまった。何もそこまでしなくても、と思わないでもないくらい、彼らはジョーとの戦いに己のすべてを賭ける。ジョーがそれほどの難敵だということなのかもしれないが、戦う男たちの勝負にこだわる執念と言うものが当時はそれだけ強かったのだと思う。誰もがハングリー精神にあふれ、自分の手で自らのあしたを切り開こうという貪欲さに満ち溢れていた時代、そう考えると、「あしたのジョー」という題名も象徴的に思える。決して昨日を振り返らず、明日のために今日を精一杯生きよう、そうした時代の空気がそこに込められているような気がする。40話まで小池朝雄が歌っていたエンディングソングの歌詞にもそれがうかがえる。
 
  昨日はぐれたオオカミが
  今日はマットで血を流し
  明日をめざして立ち上がる
 (立て、立て、立て、立つんだ、ジョー)
  子守唄などリングにゃないぜ
  立たなきゃ昨日に逆戻り

私は、ジョーがメンドーサと戦い終わって真っ白な灰になったのは、ジョーが死んだことを表しているのではない、ジョーは死んでいない!と当時から思っているし、今でもそう思っている。

 
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もうすぐ

 メジャーリーグがもうすぐ開幕する。それに合わせるかのように、昨日発売された「週刊文春」に松井のインタビュー記事が載っていた。例年だったら、松井個人のことに質問が集中したであろうが、今年は松坂大輔がレッドソックス、井川慶がヤンキース、さらには先日足首を捻挫してしまい開幕はマイナーで迎えることになった桑田真澄らが、大挙してメジャーリーグに入団したため、どうしても質問が彼らがらみになってしまう。確かに彼らのことも気にはなるが、それよりも私は松井のことが何十倍も気にかかる男であるから、インタビューの記事も松井が自分自身について語ったものを中心に読んでしまう。
 
 骨折した手首については、「プレーには全く支障はない」、例年この時期苦しむ花粉症に関しては、「少し鼻水が出たり、目がかゆかったりはしていますけど、これまでみたいにひどくない」、さらに左ひざは「今年は今のところまったく気にならない」と言う。さらに、
 ―ことコンディションに関しては、ヤンキースでの五年間で一番いいのでは?
「そうなりますね」
 おお、毎年この時期体調の不備が囁かれてきた松井が、万全の状態でシーズンを迎えられるのか!体調さえよければ、技術的には問題ないだろうから、これは相当期待してもいいのではないか。いやがうえにも私の気持ちは高まってくる。
 ―その体調の良さがオープン戦にも表れている。
「(前略)いま自分のバッティングで、気になるところはないんです。一年目、二年目にはどうしてもやらなければならない課題があったけど、今はそういうのはない。今あるものを全体的にレベルアップしていけば、それなりに対応できるという自信はあります」
 そうだ、ヤンキースで4年間やってきたことは、たとえ昨年が不完全燃焼の年であったにしても、松井の身体の各部分にまで沁み込んでいるのだ。年齢が今年の6月で33歳になる松井だが、肉体的にも精神的にも技術的にも、常に進化し続けているのだ、何てすごい男なんだろう。さらに、逆説的な物言いになるが、松井にとって去年苦しんだ骨折が、今年はいい方向に作用してくれるかもしれない。連続試合出場記録が途切れたために、どんなことがあっても試合に出続けねばならないというプレッシャーから解放され、「体調とか、投手との兼ね合いとかで(試合に出場するかどうかを)判断できる」ようになった。適度に休みながらやっていけば、かなりの数字が残せるだろう。いや、そんなことよりも、連戦の疲れから身体が重そうにしている松井を今年は見なくてもいいのはホッとする。松井が試合に出ないのは寂しいが、それよりも体調万全な松井を見たい気持ちの方が、少なくとも私には強い。 
 ヤンキースのオープン戦を今年は一度も見ることができなかった。時折ニュースで何打席か見ただけだが、それでも今年の松井にはメジャー・リーガーとしての風格が漂いだしたと思う。オープン戦でHRを打った時にダイアモンドを一周する様子は神々しくさえあった(大袈裟じゃなく)。上に挙げたインタビューの中にも自信が漲っているように思う。必ずやる、今年の松井はそんなオーラに包まれている。
 ―もちろんすべては世界一の道へとつながっていく。
「四年間ヤンキースで戦ってきて、本当に世界一になることの難しさを痛感しました。だからこそ、どうしても勝ちたい。その思いは年々強くなっています」
 そんな松井にとって、松坂との対戦はさほど意識するものではないようだ。
「実際に松坂くんと対戦するのって、シーズンで三回か四回ですよ。だから特別に意識するより、やっぱり他の投手と同じように考える」
まさしく「不動心」。
 
 とにかく、今年の松井はすごそうだ。もうすぐ、本当にもうすぐだ、どれだけすごいのかが分かるのは。  
  
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新生活

 妻のパソコンの置いてある部屋には、壁に1989年のフォトカレンダーが貼ってある。写真に写っているのは、生まれて間もない息子とそれを抱きかかえている娘。今までは大して気にもならなかった写真だが、このところ何度もじっと見入ってしまっている。こんなに小さかった二人がもう大学生か、などと感慨にふけるのも年寄りくさくていやだが、こんなに仲のよかった姉弟が京都と東京で離れ離れに暮らすようになるのだから、時の流れの速さには驚くばかりだ。
 昨日息子は東京での新生活に向けて家を出た。アパートのカギの受け渡しを昼ごろの約束にしたので、家を朝の7時に出て行ったそうだ。私は見送ってやるつもりで前夜は早く寝たはずだったが、目が覚めたら7時20分過ぎで、息子はもういなかった。「あ~あ・・」と溜息をつくしかなかったが、「いつだって会えるからいいや」と思い直してもう一度布団に入った。息子の門出くらい見送ってやれなくてどうする、と後悔したもののいつの間にか寝入っていた・・。
 
 夜、息子に電話してやったら、少しばかり疲れたような声をしていた。
「片付いた?」
「うん、ちょっとはね」
「どんな感じ?」
「けっこう広いよ。でも、食器棚はいるみたい。棚が吊ってあるけど、ものすごく高い所にあって背伸びしなけりゃ届かない」
「そうか、まだ色々買わなきゃいけないんだな・・。ところで、部屋の様子が見たいから、写真に撮って送ってきてよ」
「うん、わかった、送るよ」

 しばらくして、携帯で撮った部屋の写真が4枚送られてきた。玄関を入った台所の写真、風呂場の写真、6畳間の写真、こちらから送った荷物を入れたダンボールの写真。さすがに新築のアパートだけあって、白い壁もきれいだし、浴槽もピカピカしている。半日足らずの間に荷物をかなり整理したようで、どこもこぎれいに片付いている。一日遅れで今日妻が上京して、荷物の整理や足りない物を買い足したりするそうだが、これだけ上手に片付けてあるから、さほど心配する必要はないかもしれない。やはり子供は親の知らないところで確実に成長しているものなのだ、改めて実感した。それに比べて、息子の出発も知らずに惰眠を貪っていた己の愚かなことよ。思わず恥じ入ってしまう。せめてもの罪滅ぼしに、新生活を始める息子に次の詩を贈ろう。いつまでも今の気持ちを忘れないでくれという願いを込めて。


  「真昼の星」  吉野弘
 ひかえめな 素朴な星は
 真昼の空の 遥かな奥に
 きらめいている
 目立たぬように――。

 はにかみがちな 綺麗な心が
 ほのかな光を見せまいとして
 明るい日向を
 歩むように――。

 かがやきを包もうとする星たちは
 真昼の空の 遥かな奥に
 きらめいている
 ひそやかに 静かに――。
 
 

がんばれ!!
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HP

 今、塾のホームページ(HP)を一生懸命製作している。と言っても、一から自作できる知識など持ち合わせていない私であるから、「簡単にホームページが作れる」と呼びかけてくれている Yahoo の geocities を利用している。
 実は、去年の秋の初めに goo で簡単なHPを作ったのだが、ページにいくつも広告がくっついていて鬱陶しくて仕方なかった。どうやったら外れるのか分からず、イヤになって放置しておいたら受験期の忙しさに追われて、その存在をいつしか忘れてしまっていた。ところが受験が終わり、生徒募集に本腰を入れなくてはならなくなった時に、例年のように新聞折込チラシを1回入れただけでは全くと言っていいほど反応がなかった。いくらなんでも新入生が入塾してくれなくては塾の経営が苦しくなる。そこで、テコ入れとしてもう1度チラシを出したのだが、前回と同じように反応が悪い。こんなことは今までになかったから、「困ったな・・」と真剣に悩み始めた。あれこれ考えた末に、現状を打破する手段として、即効性はないものの、ちゃんとしたHPを作っておくことが大切ではないかと思い至った。近頃のTVCMの多くは、最後にPCの検索ボタンをクリックする画像が出る。今の時代、HPを持っていないようなことでは、一端の塾として認められないのかもしれない。かと言って、HP作成にお金をかけるのもなんだか勿体無い気がするから、何とか自作してみようと決めた。ただし、前回の轍は踏みたくないから、goo ではなく、広告の載っていないところにしようといくつか探してみた。すると、Yahoo の geocities なら、毎月315円払えば広告の付いていないHPを利用できるというのを見つけて、早速申し込んでみた。
 私はPCの知識など、児戯に等しいほどしか持ち合わせていない。ブログ上で写真を貼り付けるのが最高の技術であるくらいだから、なんとも情けない話である。そんな私にとって、このHP作りはなかなかの難敵であった。テンプレートを使って最初のページは簡単にできた。写真を縮小して塾舎を紹介することもできた。しかし、矢印をクリックすれば次のページに移っていけるようにするには一体どうすればいいのか・・。はたと困ってしまい、PC上で色々調べてみた。すると、リンクをはればいいのがおぼろげながら分かってきた。ならば、どうやってリンクをはればいいのか?ブログならURLボタンがあるから、それをクリックしてURLを貼り付ければ自動的にできてしまうが、HPにはそんな親切な機能は見当たらない。だが、仕組みとしてはブログの場合と同じはずだ。要するに、編集画面上でURLを貼り付けるところを見つければいいのだ。ここまで考えが及んだら、HPの編集画面にはHTMLエディターとジオクリエーターの2種類ある意味がやっと分かった。HTMLエディターの方は、HTML言語と呼ばれるものが書いてある画面なので私には無理だと最初から見向きもしないでいた。だが、そこに行けばヒントが隠されているのではないか、そこに書いてあるのと同じようにURLを貼り付けてみれば何とかなるのではないか、恐れていては何もできない、飛び込んでみろ!などと必死の覚悟でHTMLエディターの画面上で奮闘してみた。すると、何とか、本当に何とか、リンクをはることに成功した。奇跡だ。ホームに戻って矢印をクリックしたら、リンクした画面に移っていけた。おお、感動だ!!
 などとおバカなことを何度も繰り返す間に徐々にではあるが、HPとしての形が整ってきた。何と言ってもド素人が自作した物であるから、見劣りするのは否めない。しかし、少ない知識を振り絞って作っただけあって、私には妙に誇らしく見える。まだまだ不十分で、これからコツコツ改善していかなければならないだろうが、ぜひともかっこよく仕上げてやりたいものだ。
 私の作ったHPを見た人が、一人でも多く私の塾に興味を持ってくれたらな、と願うばかりである。
 (一応公開はしてあるが、今のところ google で検索してもヒットしない。何故なんだろう・・)
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ゾロ

 日曜日、大相撲の千秋楽で朝青龍と白鵬の激突を楽しみにしていたら、余りにもあっけない幕切れに終わってしまった。「何だこれは!」と憤りがさめやらぬままTVのチャンネルをあちこち変えていたら、WOWOWで「マスク・オブ・ゾロ (The Mask of Zorro)」がやっていた。いつの時代のどこの国が舞台なのか、まったく分からず見ていたら、結構面白い。しかし、ゾロがなかなか登場しない。ゾロといえばやはり目隠しマスクをした姿を思い浮かべるが、そんな者はまるで出てこない。少ししびれを切らしてTVから離れて、夕食を食べた。
 しばらくしてTVの前に戻ったら、おお、ゾロだ!まさしく怪傑ゾロ!!画面いっぱいにゾロが飛び跳ねている。


見ているうちに、なんとなく筋立てが読めてきた。私が中座していた間に話の肝心な部分が終わってしまったようだが、私はこの映画にストーリーを期待していたのではない。ゾロの快刀乱麻な大活躍を見て、大相撲を見ていて不完全燃焼だった自分の気持ちをスカッとさせたかったのだ。期待に違わず、その点では大いに満足行く映画だった。
 初代ゾロ=ドン・ディエゴ・デ・ラ・ベガ(アンソニー・ホプキンズ)から薫陶を受けて盗賊から2代目ゾロを襲名したアレハンドロ(アントニオ・バンデラス)がなんとも言えぬ男の色気を漂わせている。貴族に化けて敵と相対するときにも知的な雰囲気を漂わせて、とても盗賊上がりだとは見えないような凛々しさだった。それが一旦マスクを顔に巻いてゾロに変身すると、見事な剣さばきで数多の敵をばったばったとなぎ倒していく。爽快だ!!やはり大活劇はこうでなくっちゃいけない。
 二人のゾロの敵となるカリフォルニア知事のドン・ラファエル・モンテロ(スチュアート・ウィルソン)の娘・エレナ(実は初代ゾロ=ドン・ディエゴ・デ・ラ・ベガの娘)役の女性が見事に美しい。外国の女優で顔と名前が一致するのはメリル・ストリープくらいしかいない私には、この女優が誰なのか分からなかった。分からないけど、美人を見ているのはやはり楽しい。後で新聞を読んで、彼女がキャサリン・ゼタ・ジョーンズだと分かったが、なるほどその名前なら私でも知っている、とにかく驚くほどの魅力的な女優だと思った。
 大団円ではゾロの獅子奮迅の活躍によって敵を打ち倒すことはできたが、初代ゾロは宿敵との戦いの果てに死んでしまう。しかし、アレハンドロはめでたくエレナと結ばれ子供も生まれハッピーエンド・・、と書いてしまえばそれだけの話なのかもしれないが、手に汗握る展開の連続で最後まで飽きることなく見てしまった。やたら面白かった。

 これが終わってすぐに「レジェンド・オブ・ゾロ (The Legend of Zorro)」が始まり、同じくアントニオ・バンデラスとキャサリン・ゼタ・ジョーンズが共演していたため、つられて見てしまった。しかし、こちらの方は余り面白くなかった。大団円でのゾロの活劇シーンが「さすがにこれはないだろう」と言いたくなる場面の連続で、ちょっと荒唐無稽になりすぎてしまったような気がした。相変わらず、アントニオ・バンデラスは男らしいし、キャサリン・ゼタ・ジョーンズも美しいままだったけど、物足りなさが残る映画だった。

 それにしても、「怪傑ゾロ」を下敷きにしてできた映画はやはり面白い。昔アラン・ドロンが主役の「ゾロ」もあったような記憶がある。まあ、私の子供たちの世代には何と言っても「怪傑ゾロリ」が一番親しみがあるだろうけど・・。


ゾロリ先生は楽しい。イシシとノシシもいいよね。
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火事!

 昨日の日曜日、妻がマッチ(近藤真彦)のコンサートに出かけるのを駅まで送って行った。マッチは妻がジャニーズヲタに走り始めた記念碑的存在であり、しかもジャニーズ事務所から無料のコンサート招待状が送ってきたものだから、当たり前のようにして出かけていった。
 本通りに出ると車が渋滞している。観光客が集まる時期でもないから不思議に思っていたら、その辺りでは唯一のマンション付近から白煙が上がっている。「火事だ!!」と後部座席に乗っていた妻が叫んだ。


そう言えば、出かける前に消防車のサイレンがけたたましくなっていた。まさかこんな近くだとは思ってもみなかったのでいつもどおり表通りを走ろうとしたのだが、これでは駅にたどり着くのにどれだけかかるか分からない。やむを得ず裏道に入ってみたのだが、誰も考えることは同じようで裏道と言えどもかなりの対向車とすれ違った。
 それでもなんとか駅に着いて妻を降ろして帰途についたのだが、まだまだ車の渋滞は続いていた。ノロノロと火事の現場に近付くにつれて、消防車・パトカー・救急車が多くなってものものしい雰囲気が漂ってきた。

  

助手席に乗っていた息子が、「どこなんだろう?」とたずねるが私だって分からない。あの辺りには塾生の家があるから心配だなと思って近付いていくと、プロテスタントの教会の横にある家から煙がモンモンと出ている。
「教会の隣にあるクリーニング屋じゃないか?」と私がたずねるとすぐに、息子が「ああ、あそこはそうだ」と同意した。人だかりもすごくて「まったく野次馬が多いなあ・・」と嘆いてみせたが、次の瞬間「車を降りて見に行こうか?」と息子を誘っていた私が一番の不謹慎者だった。
 
 

近くの公民館に車をとめて現場近くまで歩いていったが、携帯のカメラで写すのがはばかれるほどぴりぴりした雰囲気が伝わってきた。(それでも写しちゃったのは、ブロガー根性かな・・)クリーニング店は屋根が落ちてしまい、かなり燃えてしまったようだ。だが、隣の教会には火の粉が飛び移らなかったようだ。まさしく不幸中の幸いだった。

 それにしても3月に入ってから、市内で火事が相次いでいる。理髪店が全焼したのから始まって、古いペットショップが全焼し死者が一人出た火事がすぐに起こった。その後も陶器製造会社の工場が全焼したばかりなのにまた今日も火事、なんだかうすら寒い負の連鎖が続いているように思える。原因はみな失火だと言われているが、これだけ連続して火事が起こると、思いもかけぬ力が働いているような気がして心配になってくる。大丈夫か?

 駅から歩いて帰って来た妻は「マッチはかっこよかったよ」と教えてくれたが、火事の現場近くを通ったときにはまだまだ燃えカスの臭いが周囲にたちこめていたと眉をひそめた。火事は本当に怖い。石川県を中心にして昨日起こった地震は、人間の力では防ぎようがない。しかし、火事なら常日頃から火の元に注することが安全への第一歩であり、未然に防ぐことはできるはずだ。
 「火の用心、マッチ一本火事の元!!」

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ベトナム料理

 家の近くにベトナム料理店が開店した。以前は喫茶店であった建物を、長い時間かけて改装して昨日やっと開店した。外壁を青く塗ってベトナムの青い空をイメージしようとしたのだろうか。


 新しい物好きである私は早速行ってみたいと思っているが、ベトナム料理というものを今までに一度も食べたことがない。ベトナムという国はどうしてもベトナム戦争の悲惨さが頭から離れず、近年の目覚しい経済発展を見るにつけても、よくぞここまで復興できたものだと感慨を抱くばかりであった。勿論国民の懸命の努力が結実したのであろうから喜ばしいことであり、今日本にいてベトナム料理を味わえる平和の尊さを噛み締めなければならないだろう。
 だが、いかんせん私にはベトナム料理の知識がほとんどない。辛うじて妻が家で食べていたフォーという一風変わった麺がベトナム料理であったと記憶しているのみである。これでは折角開店した店に行っても、ベトナム料理を十分に堪能することなどできないなのではないか、と心配になって少し調べてみた。

 『ベトナムは古来から、中国の一部となるなどして、中国文化の影響を強く受けてきたため、ベトナム料理にも中華料理の影響が色濃く現れている。また、19世紀から20世紀にかけてフランスの植民地統治を受けていたため、他のインドシナの国々同様、フランスの食文化の影響も多く残されている(バゲットやコーヒー、プリンなどが日常の食生活の中に定着しているといったような点はその例である)』

 食文化がその国の歴史を語っているというのは興味深い示唆だが、一国の歴史とは言うまでもなく国民一人一人の生活の記録の総体であり、食文化は国民一人一人の生活の表象であるのだから、それも至極もっともな話である、などと柄にもなく思索に耽ってしまったが、今はそれが目的ではない。ベトナム料理を予習することこそが眼目である。そこで「ベトナム料理図鑑」というサイトを見つけたので、そこから美味しそうなものをいくつか選んでみた。と言っても、あくまでも素材(好き嫌いの多い私には一番大切なポイント)と見た目だけで選ぶのであるから、実際に食べてみなければ私の嗜好に合うかどうかは分からないが。

 

まずは前菜。左はバナナの花のサラダ(Goi Hoa Chuoi ゴイ・ホア・チュイ)。バナナの花を千切りにし、野菜や肉とともに甘酸っぱいドレッシングで和えたもの。
右はカニ肉とアスパラガスのスープ(Sup Mang Cua スプ・マン・クア) カニ肉とホワイトアスパラガス、溶き卵などが入ったとろみのついた中華風スープでクセのない優しい味付け。

 

次はメイン。左はエビのココナッツジュース蒸し(Tom Hap Nuoc Duaトム・ハップ・ヌックズア)。エビをココナッツジュースで蒸したもの。ほんのり甘味がつき、後引くおいしさ(らしい)。右は、牛肉のフォー(Pho bo フォー・ボー)。 フォーとは水につけた米を挽き、蒸してから細く切った平打ち麺のこと。スープをはった汁麺で、この牛肉のフォーは、ゆでた牛肉か生の牛肉をのせ、スパイスの香りが漂う牛骨ダシのスープをかけたもの。(私は勿論牛肉は食べない)

 

最後にデザート。左はベトナムぜんざい(Che チェー)で、冷たいものも温かいものもあり種類豊富。写真はココナッツミルクで煮たチェーバーバー。右はハス茶(Tra Sen チャー・セン) 、ハスの香りがするお茶。

 なかなかのメニューだ、どれもこれも美味しそうだ。さてお味は如何に。
 近いうちに出かけられるといいんだけど・・。 




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もの忘れチェック表

 名古屋市医師会は2007年度から、開業医と専門医療機関、市が連携して認知症の早期発見や治療にあたる「なごや認知症安心安全プロジェクト」を始めるという。新聞の記事で読んだのだが、以下に3月22日の中日新聞朝刊から関連記事を抜粋してみる。

 プロジェクトは、同医師会の「かかりつけ医認知症対応力向上研修」を受けた開業医(かかりつけ医)を、物忘れ相談医として登録。かかりつけ医は認知症の疑いのある患者を診断し、その結果に応じて認知症治療の専門医のいる大学病院や基幹病院などに紹介する仕組み。
 具体的には、同医師会が独自の「物忘れ相談チェック表」を作って、保健所や区役所などに置いてもらう。チェック表には(中略)20のチェック項目があり、3項目以上該当した人に、もの忘れ相談医の受診を勧める。
 そのう5つ以上該当した受診者に対しては、かかりつけ医が認知機能の国際的調査方法であるMMSEと呼ばれる二次スクリーニング検査を実施。30点満点の減点方式で23点以下の受診者は、かかりつけ医が診断して「正常」「経過観察」「要精密検査として専門医受診必要」の三群に振り分ける。

この記事の横には「もの忘れ相談チェック表」の20項目が載せられている。私も近頃ぼーっとしていることが多い気がするので、一度チェックしてみようと思う。

 ①1日に1回以上、置き忘れがある。
 ②今日が何月何日なのか、思い出せない。
 ③1日に1回以上、ど忘れがある。
 ④朝食の内容が思い出せないことがある。
 ⑤漢字が書けないことがよくある。
 ⑥物の名前が出てこない。
 ⑦以前に比べて新聞やテレビを見なくなった。
 ⑧知り合いの人の名前が出てこない。
 ⑨元気で働けない、または仕事をやる気がしない。
 ⑩火の不始末がある。
 ⑪この1ヶ月間一度も電話をかけていない。
 ⑫計算間違えが多い、また勘定をよく間違える。
 ⑬いつも孤独感や寂しい気持ちがある。
 ⑭よく知っている道で迷ったことがある。
 ⑮会合や社会奉仕活動に全く参加していない。
 ⑯1日に1回以上物をどこにしまったか忘れることがある。
 ⑰この1年間旅行を全くしていない。
 ⑱野菜の名前を10個以上言えない。
 ⑲話している言葉がよく聞こえない。
 ⑳現在の総理大臣の名前を知らない。

 やってみた。ヤバイかもしれない。該当した項目が、①③⑧⑮⑰の5項目もあった・・。これだとMMSEという二次検査を受けなくてはいけなくなる。そこでこのMMSEを調べたら、例題のようなものがあった。じっくり読んでみたが、さすがにこれなら大丈夫だろう、間違いなく「正常」と判断されるはずだ。しかし、チェック表で5項目も該当したのは紛れもない事実だから、やはり「認知症」予備軍であるかもしれないという自覚は持っておいたほうがいいのかもしれない。
 
 塾長なのに、ダメじゃん。
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順位予想

 日本のプロ野球は、24日にパ・リーグ、30日にセ・リーグが開幕する。松井秀喜がヤンキースに入団して以来、私はプロ野球にほとんど興味がなくなってしまったが、毎年この時期になると毎日新聞に掲載される「担当記者による順位予想」を楽しみにしている。毎日新聞でプロ野球を担当している記者が、己の眼力を頼りに各リーグの順位を予想し発表するというなかなか思い切った企画である。ペナントレース終了後に順位結果と各々の予想とを比べて、愚痴とも言い訳ともつかないコメントが載せられるので、それを読むのもまた面白い。私たち一般人と違って、監督・選手と間近に接している記者たちでも、1位から6位すべてを言い当てることは難しいらしく、もう10年以上続いているにもかかわらず、すべて正解した記者は数えるほどしかいない。
 今年はセ・リーグ、パ・リーグの順位予想にそれぞれ6名ずつの記者が挑んでいる。以下にその予想を写してみる。(カッコ内は担当地域)

【セ・リーグ】    1位  2位   3位  4位  5位   6位
  A記者(中部) 巨人  阪神  中日  ヤク  横浜  広島
  B記者(大阪) 中日  阪神  巨人  ヤク  広島  横浜
  C記者(東京) 中日  阪神  広島  ヤク  巨人  横浜
  D記者(東京) 中日  阪神  巨人  広島  ヤク  横浜
  E記者(大阪) 中日  阪神  広島  巨人  ヤク  横浜
  F記者(東京) 中日  阪神  広島  巨人  横浜  ヤク 
【パ・リーグ】
  G記者(東京) ソフ  ロテ  日ハ  西武  オリ  楽天
  H記者(東京) ソフ  西武  ロテ  日ハ  オリ  楽天
  I 記者(西部) ソフ  ロテ  日ハ  西武  オリ  楽天
  J記者(東京) ソフ  ロテ  日ハ  西武  オリ  楽天
  K記者(大阪) ソフ  西武  日ハ  ロテ  オリ  楽天
  L記者(東京) ソフ  ロテ  西武  日ハ  楽天  オリ
   (注。ヤク=ヤクルト、ソフ=ソフトバンク、ロテ=ロッテ、日ハ=日本ハム、オリ=オリックス)

 各記者それぞれが、己の予想の根拠を短くコメントしている。その中でもセ・リーグに関しては、D記者のコメントが正鵠を射ているように私には思える。「2強4弱の構図か。巨人は高橋由ら生え抜きの奮起がカギ。若手が育ってきた広島が台風の目になる可能性も」。パ・リーグについてはI記者のコメントが参考になると思う。「昨季の混パが一転、投打充実のソフトバンクが突っ走る予感。西武は松坂の抜けた穴の大きさを知る結果に」
 一位の中日・ソフトバンクはほとんどの記者で意見が一致している。最下位候補は横浜と楽天・・。これらをもとに私なりの順位予想を立ててみた。
         1位   2位  3位  4位   5位  6位
  セ・リーグ 中日  阪神  巨人  広島  横浜  ヤク
  パ・リーグ ソフ   ロテ  日ハ  西武  楽天  オリ
私の予想など外れるに決まっているが、かつての巨人ファンとしては悲しい限りの予想である・・。
 開幕前に、西武のスカウトによる現金供与問題が明らかになり、プロ野球界は暗雲垂れ込めた状況下にある。しかし、プロ野球が面白くなくては世の中に活気が出ない。特に今年はペナントレースの上位3チームによる日本シリーズ出場をかけた「クライマックスシリーズ」がセ・パ両リーグで開催され、勝ち残ったチーム同士で日本シリーズが開催される、プロ野球の大きな変革の年でもある。
 是非とも、選手一人一人の熱いプレーで日本中を熱狂の渦に巻き込んでほしいものだ。
  
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春には、

 水仙が今が盛りとばかりに咲いている。私の家では、こんな所にも咲き始めた。


水道の元栓がある所だが、「何でこんなところに!」と思わず驚いてしまった。水仙だけではない。タンポポも名も知らぬ草も。

 

タンポポは家の横手のコンクリートブロックの隙間から生えていた。草は塾の玄関に敷いてある鉄製の泥落としのほんの小さな隙間に芽吹いていた。都会と違って土などいくらでもある場所だから、なにもすき好んでこんな所に根を下ろさなくてもいいのに。たまたま種が落ちたところがここだったのだから仕方ないのだろうが、生命の強さ・不思議さを感じさせてくれる。
 確かに春の息吹は力強くなってきた。川原では群生した菜の花が満開だ。

 

少し前に、このブログで改修工事が行われていることを記事にした川だが、工事現場から少し遡ると、写真のように菜の花が咲き誇っている。私は菜の花畑が一番春らしい情景だと思っている。一昨日は畑から採ってきた菜の花を具にしたスパゲッティを食べたが、菜の花の茎の苦味が春を実感させてくれ、なかなかの味わいであった。
 それにしても、今の時期は黄色い花をつけた植物が多い。やさしくなってきた陽光を浴びると、黄色がよく映える。見渡せば実に黄色の花が多い。プランターの中のパンジーも黄色の花びらが一番目立つ。


そう言えば、毎朝行っている喫茶店のテラスにあるテーブルの上には黄色いチューリップの鉢が置いてあった。少し前には水仙だった。もしかしたら、風水では黄色は金運が上がるとされる色だから、意図的に黄色の花を飾ろうとしているのかもしれない。一ヶ月ほど前の記事には、庭に咲いた黄色い福寿草の写真も載せた。今はもう花の時期は終わってしまったが、しばらくの間私たちの目を楽しませてくれた。「春には黄色がよく似合う」などと、太宰治を真似てみたくなる。
 だが、目を凝らしてみると、紫の花もけっこうある。スミレ、クロッカスなどが代表的な花だが、それなら次の2つの野草は何と呼ばれているのだろう。

 
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