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内藤vs.亀田

 内藤大助と亀田興毅のタイトルマッチを観戦した。いろいろな因縁めいたものが渦巻く試合ではあったが、互いに死力を尽くして最後まで戦った二人の姿は、今更内藤vs.亀田でもないだろう、と少々冷めた目で見ていた私の心でも、終盤少しは熱くなったから、やはりいい試合ではあったのだろう・・。
 しかし、観戦していて、「亀田興毅ってのはこんな闘いをするのか・・」と少々残念に思った。内藤の攻勢をかいくぐってカウンター狙いでポイントを稼ぐ、確かにクレバーな戦法であり、バカみたいに突き進んだ内藤の腫れあがった顔をみれば、彼の冷静な戦いぶりは現代のボクサーとしてはそれなりの高い評価を受けるのだろう。しかし、倒すか倒されるかに己の全生命を賭けた「明日のジョー」の矢吹丈を信奉する私としては大いに物足りない戦いぶりであった。その観点から言えば、前に進むしかないとばかりに12Rフルに興毅に向かって行った内藤の方にどうしたって声援を送りたくなる。試合が始まる前までは、「亀田」に対する拒否反応は大きいものの、かと言って最近TVでチャラチャラしすぎの感のあった内藤にもさほどの感情移入ができなかった私だが、試合序盤で鼻が変形し、血を流しながらも猪突猛進して行く内藤を見るうちに、判官贔屓な心が働かざるを得なかった・・。
 確かにボクシングのうまさとしては、一回りも若い興毅の方が数段優っていた。素人の私でも分かったほどだから、プロのジャッジが興毅に軍配を上げたのも当然なことだろう。しかし、正直私はがっかりした。これがあの「亀田」の戦い方か、と落胆してしまった。過去に興毅の戦ってきた相手は格下の弱いボクサーばかりであるとの批判も数限りなくあったし、今回の内藤にしても35歳とピークを過ぎたボクサーであることは否めない。その相手に対して、試合前に豪語していた「3RでKO」が果たせなかったのは、やはり己の力を過信していると言われても仕方ないだろう。3階級制覇を目標に掲げているそうだが、こんな試合をしていてはとても本当に強い相手には勝てないぞ、と「喝!!」を入れておきたい。
 それでも、やはり「亀田」の試合にあの暑苦しい「親父」がいないのはいい。息子を食い物としているとしか見えないあの親父が前面に出てこないから、以前よりも少しは「亀田」を認めてはいいかな、という気がしなくもない。だが、この勝利に味をしめてまたぞろカメ親父がTVなどで大きなことを吹聴するようになるのかな、といやな予感がしなくもない。以前から、いつになったら亀田三兄弟が「父離れ」をするだろうと注目しているのだが、あの親子にはそんな時は永遠に訪れないような気がする。そう思うと長男の勝利も素直に「おめでとう」と言いたくなくなってしまう・・。
 それでも、試合直後のインタビューでの興毅の第一声はファンに向けた真摯な思いにあふれた丁寧な言葉だった。それを聞いて、さすがの私も「よく頑張った」とグッときたが、すぐその後に「オヤジ、どんなもんじゃい!!」と意味不明の言葉を興毅が吐いたのを聞いて一瞬に冷めてしまった・・。やっぱりあの一家は私には受け入れられない・・。


 負けた内藤大助は35歳、松井秀喜と同じ年だ。松井のワールドシリーズ第6戦での大活躍によって、なんだか今までの不振がすべて帳消しになったような印象を受けるが、世の中そんな甘くはないだろう。左手首の骨折に始まって、両ひざの手術など4年契約を結んだ後の松井は散々な成績だった。はっきり言って、この4年間で松井のおかげでヤンキースが勝利した試合などほんの一握りしかない。そんな故障持ちの選手をヤンキースはよくもこれだけ手厚く扱ってくれたものだ、と感心さえするほどだ。来季の松井に関して様々な憶測が飛び交っているが、私としてはヤンキースの手厚いサポートに甘んじて1年でも長くメジャーでプレーしようとするよりも、新たなチームで多少のリスクを抱えながらも、残り少ないであろう選手生活を実りあるものにしてもらいたいと思っている。
 
 まあ、どこに行こうが松井は松井であり、来シーズンが開幕したらその時の松井を応援するのみである。
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アシタロボ

 インテルのHP上で展開されている「アシタロボを作ろう」という企画にまんまとはまってしまった・・。
 「アシタロボ」と呼ばれるロボットを「作って育てて対決」させるオンラインゲームだが、要領はいたって簡単、誰にでもできる。
1.まずはインテルのHPへ行き、「アシタロボを作ろう!」をクリックする。
2.インテルのCPUを一つ選ぶことがアシタロボ作りの第一歩だが、どのCPUを選んだらいいのかよく分からない。私の場合、とりあえず一番上の左端にあるものを選んでみた。
3.次は、「好奇心の素」を「パーツ」と「アクセサリー」からそれぞれ5つずつ選び、アシタロボを完成させる。
4.完成したアシタロボを他のアシタロボと対決させる。
5・対決と言っても、コンピューターが勝手に戦ってくれるので、ただそれを眺めているだけでいい。
 
 以上、実に簡単だ。ただ「好奇心の素」の選び方によってアシタロボの強さが決まるので、あれこれ試行錯誤してみることが大切だ。ちなみに、「パーツ」は、カメラ・電気/ライト・音/楽器・宇宙・昆虫・魚/水の生き物・鳥・おしゃれ・たべもの・動物・本/図鑑・植物・機械・携帯/通信・パソコン・スポーツ・ゲーム・乗り物・恐竜・CMの20個の中から選ぶのだが、重複も許されている。「アクセサリー」は、おばけ・水・絵具・虫めがね・実験・エコの6個の中から、これも重複可で5つ選ぶ。パーツとアクセサリーの組み合わせによって、アシタロボの外観が決まり、スペック(省エネ・スピード・拡張性・おしゃれ・携帯性)が決まるのだが、その組み合わせはかなり大きな数になり、バリエーションに富んでいるので、自分の作ったアシタロボと全く同じ外観をしたアシタロボに出会うのはかなり難しいのではないだろうか・・。
 はじめ私は適当に「好奇心の素」を選んで他のアシタロボと対決させていたら、最初のうちはボチボチ勝っていたのに、ある段階からぱたっと勝てなくなった。これは「好奇心の素」の組み合わせが悪いんだな、と気がついてあれこれ組み合わせを変えてみた。少しずつ変えてはその都度対決させてみたのだが、なかなか勝てず、負け続けてばかりいた。いつの間にか15勝30敗と負けが勝ちの2倍になってしまったので、これではダメだと、じっくり反省してみた。すると、今までは「パーツ」に無機的なものばかり集めていたのだが、勝ちが全く伸びなかった、ここは発想を180度変えて、有機的なものばかり集めてみてはどうだろう、という考えがパッとひらめいた。そこで試しに「恐竜・恐竜・昆虫・動物・動物」というパーツと、「水・水・ゆうれい・絵具・虫めがね」というアクセサリーを組み合わせてみた。果たしてこれでどんなことが起こるだろうか・・。
 などと言っても正直さほど期待していなかった。また簡単に負けてしまうだろうな、と弱気にもなっていた。しかし・・、
 破竹の勢いとはこのことだ。何が幸いしたのか、全く見当もつかないが、連戦連勝、向かうところ敵なしの状態がしばらく続いた。連勝がいったん途切れても、またすぐ勝ち続ける、といった状態が続いて、あっという間に借金を清算してしまった。素晴らしい!!!レベルもどんどん上がっていき、総合順位も5000位以内に入ってしまった。すごい!!
 今現在の戦績は61勝42敗で、我がアシタロボには「エンターテインメントを牽引する屈強グラフィックス」という紹介文が付けられている。何のことやら意味不明ではあるが、それなりにカッコイイ感じはするので、喜んで受け入れよう!!。

 TVゲームをやらなくなって久しくなるが(去年買った Wii も甥っ子にやっちゃったし・・)、久しぶりに熱くなったのが、このアシタロボだった。ゲーム自体はさほど面白くもないが、レベルが上がっていき、だんだん強くなるというスタイルはやはりゲームの王道だ。ついついやめられなくなってしまう・・。
 レベル99目指して頑張ろうかな・・。

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竜王戦

 今年も不思議な巡り合わせで、竜王戦をTV観戦した。最初は第1局、全くの偶然でBS-2にチャンネルを合わせたら、竜王戦の中継をしていた。そう言えば、昨年も竜王戦の中継を何度か見たのを思い出した。その時、渡辺明竜王に挑戦したのは羽生善治名人。羽生が3連勝した後、渡辺が4連勝するという史上初めての快挙で、連続5期竜王位を獲得し「永世竜王」の資格を得た。第6局を偶然見たことがきっかけで、7局もTV中継を見たのだが、初めて将棋の面白さに触れた気がして、将棋が苦手な私としては新しい楽しみを発見したように感じたものだった。しかし、だからと言って今年も竜王戦を必ず観戦しようなどと考えていたわけではなく、BS-2にチャンネルを合わせたのも全くの偶然だっただけに、将棋との縁が少しは深まってきたのかな、と不思議な気持ちになった。
 今年の相手は、渡辺竜王が初めて竜王を奪取した相手でもある森内俊之九段だった。藤子不二雄のマンガ「魔太郎が来る」にそっくりの25歳の渡辺竜王比べれば、目鼻立ちも整って静かな雰囲気の39歳の森内九段は、羽生世代の一人でもあり、渡辺竜王にとっては難敵かと思われたが、第1戦は竜王が勝利して幸先のよいスタートを切った。この第1戦は比叡山延暦寺で開催されていて、すごいところでやるものだなあ、と感心したが、第3局も京都の東本願寺で行われたものだから、静寂に包まれた寺院は対局場としては最適な場所なのだろうな、と会場のセッティングをする裏方さんたちの苦労が偲ばれた・・。
 第2局は富山の高岡で開かれたが、この頃はヤンキースの試合に全身全霊を込めていた時期で、朝のTVはBS-1にしかチャンネルを合わせていなかったため、知らぬうちに終わっていた。第3局はWSも終わって一息ついた頃だったので、これもまた何かに導かれたように偶然チャンネルを合わせ、1日目からうまく観戦できた。TVではプロ棋士があれこれ解説してくれるのだが、私には何がなにやらさっぱり理解できなかったが、それでも時折映される対局室の様子を見ているだけでも、盤上を見据える二人の対局者の真剣な思いが伝わってきて、目が離せなくなってしまう。WSでの、心と体のせめぎあいには体中の血潮が沸き立つような興奮を覚えたが、将棋の静かなぶつかり合いもまた、見る者に息を呑む緊張感を生じさせるようだ。「将棋は心と頭脳の格闘技なんだな」、そんな感覚さえふっと浮かんできた・・。
 結局第3局も渡辺竜王が勝ち3連勝。いよいよ後がなくなった森内九段が果たして巻き返すことができるか、昨年の3連敗の後4連勝した渡辺竜王の再現なるか、などと注目された第4局は、岐阜の下呂温泉、水明館で行われた。水明館といえば、私も泊まったことのある、下呂では有名な旅館であり、晩秋から初冬の佇まいを見せる飛騨地方の景観も挟みながら中継が進んでいく。もうそろそろ第4局かな、と思ってBS-2にチャンネルを合わせたら、ちょうど中継が始まったところだったので、少し驚いてしまった。まるで竜王戦が私を呼んでいるような気にさえなった。10時までの中継の後、続きは夕方6時から中継する予定だという話だったので、さっそく録画予約をしておいた。
 途中経過は何も知らずに塾が終わった後に録画を見たら、いきなり森内九段が投了した場面から始まった。何でも5時前には決着がついたそうで、案外簡単に勝負はついてしまったようだった。その後すぐに渡辺竜王が画面に登場して、インタビューを受けていたが、「竜王戦という大きな舞台が力を出させてくれる」と、どこかはにかむように答えていたのは、その華奢な体つきと合わせて、まだ高校生くらいにしか見えない。だが、頭の中には勝負を見通すことのできる立体的な脳が隠されているんだろうな、と彼の言葉を聞きながら、うらやましく思った。

 しかし、渡辺竜王は竜王以外のメジャーなタイトルは一つも取っていないのだそうだ。優勝金額が他のタイトル戦と比べて破格に高いだけに燃える度合いが違うのかな、と下世話なことを思ったりするが、私にはその強さの秘密は皆目分らない。もちろん来期以降も連覇をどんどん続けていってもらいたいと思うが、欲を言えば他のタイトルもなるべく早い時期にとって、かつての羽生七冠に少しでも近づけるよう、更なる精進を期待したい。

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「青春のうた」完結!!

 
 
 DeAGOSTINIから隔週で発刊されていた「青春のうた」がとうとう完結した。全100号、1号に6曲ずつ収められているから、合計600曲になる。その内訳は、
   1960年代・後期・・13巻
   1970年代・前期・・22巻
   1970年代・中期・・28巻
   1970年代・後期・・20巻
   1980年代・前期1~16
そして、最終号には年代を超えた6曲(ミューテーション・ファクトリー「イムジン河」、岡林信康「チューリップのアップリケ」、高田渡「この世に住む家とてなく」、南こうせつ「酔いどれかぐや姫」、井上陽水「最後のニュース」、中島みゆき「歌姫」)が入っている。さらには全収録曲のインデックスが、「年代順」「曲名(あいうえお順)」「アーティスト名(あいうえお順)」も別冊として付いていて、それを見ればどのCDに聞きたい曲が収められているのかが一目瞭然で、とても便利だ。延々と100号集めた私にそれくらいのサービスはしてくれても当たり前だとは思うが、なかなかの心配りだと少しばかり感心した。

 そのインデックスをつらつら眺めてみると、知らない曲も確かにいくつかあるが、だいたいは題名を見れば、鼻歌交じりで歌うことはできる。そういう意味ではまさに私たち世代をメインターゲットにした出版物かな、と思わないでもないが、今全100号の付録冊子とCDを並べて眺めてみると、これはこれで私のちょっとした財産になったかな、といささかの感慨が湧いてくる。
(などとカッコいいことを言っても、実は23号のCDがない。かなり前からないのは分っていたが、先ほど改めて冊子を整理したら23号のものはあったので、CDもきっとどこかにあるはずだ。1960年代・後期の号だが、フォー・セインツの「希望」などが収録されていて、ぜひとも聞きたいから、もう一度きちんと探さねばならない。もしどうしても見つからなければ注文し直さねば・・)

 で、「青春のうた」の完結を祝して、全600曲の中から1曲を選んでここに貼っておくことにした。何にしようかと、改めて考えるまでもなく、「あの素晴らしい愛をもう一度」にすることにした。もちろん先月に亡くなった加藤和彦氏のご冥福を祈る気持ちが一番だが、この「青春のうた」第1号の冒頭の曲、つまり全600曲の先頭に掲げられたのがこの曲であるため、一番ふさわしい曲だと思うからでもある。



600曲が手に入ったわけだが、実際にはまだ半分ほどのCDしか聴いていないので、これから折に触れて、ゆっくりと聴いていきたいと思う。私にとっては、ずっと聴いていける曲ばかりだから・・。
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修学旅行(5)

 修学旅行に行った塾生たちが私のために買ってきてくれたお土産の写真を載せて自慢するのは、何回繰り返しても楽しい。塾生たちが私のことを少しは思いやってくれているのが分って嬉しいし、もらったお土産から彼らの行った土地の様子に思いを馳せたりするのもまた楽しい。そこで、10月から11月にかけてもらった修学旅行の写真を以下に載せてみる。

 

これらは京都へ行った小学生が買ってきてくれたお土産。新撰組のストラップは面白い形をしていて変わった動きをする。小さな物だが可愛らしくて気に入っている。私の八ツ橋嫌いは以前のままだ。チーズも何とか食べられるようになったのだから、八ツ橋だって頑張ってみればいいのかもしれないが、チーズの時のように何か大きなモチベーションとなるものがありそうもないから、これから先もずっと嫌いなままだろう。だからと言って、このお土産をくれた子にはそんなことは一切言わずに、「ありがとう」と心を込めてお礼を言った。(生八ツ橋をくれた子もいたが、写真を撮るのを忘れてしまった、残念・・)

 

福砂屋のカステラは中学生、長崎ショコラ餅というものは高校生が、ともに長崎のお土産としてくれた。福砂屋のカステラは私の大好物だ。「ありがとう」という声も一段高かったような気がするが、やっぱりおいしいからそれも当たり前のことだ。ショコラ餅というのは小粒の餅にチョコレートの粉がまぶしてあるものだが、これは小学生たちに分けてしまって私は食べていない。が、なかなかおいしいとの評判だった。

 

北海道に行った高校生は「白い恋人」、沖縄に行った高校生は「ちんすこう」をお土産にくれた。どちらも定番のお土産だが、こうした定番の方がどこに行ってきたかが一目瞭然なだけに話がしやすい。と言っても、私は北海道にも沖縄にも行ったことがないので、大した話はできないが、修学旅行期間中は天気がよくてどちらの生徒も楽しかったと言っていたから、二人とも日頃の心がけがいいんだろう・・。


最後に、修学旅行ではないが、父親と二人でカニを食べに日本海まで行ってきたという女子中学生が買ってきてくれたお土産。土曜の昼過ぎに突然父親から「行かないか」と誘われて、予約も入れずにあたふたと車で出かけたそうだが、適当に飛び込んだ店のカニはおいしかったと嬉しそうに話してくれた。中学三年生の娘と父親が日帰りでドライブに行くなんて、ちょっと羨ましい気がした。
 娘と二人きりでドライブなんて気恥ずかしくてとてもできないなあ・・。
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雪割草

 GWの休日だったと思うが、父が一日中庭で草取りをしていた。精が出るなあ、と話しながら私と妻は出かけた。夕方家に戻ってみると、庭の雑草がきれいに取り除かれていて、ちょっと清々しい気持ちになれた。が、その瞬間妻が、「ない!福寿草の苗がない!抜かれちゃった!」と叫んだ。私もびっくりして、いつも春の初めに花を咲かせるあたりを見たところ、跡形もなくきれいさっぱり土だけになっていた。「わああ!!」とすぐ横にうず高く積まれていた抜き取った草の山を調べてみたら、見るも無残な形で、福寿草の苗があった・・。何てことだ・・。妻は全身でがっくりしているし、私もどうしたらいいのか分らず、ただ草の間からまだ根の付いている苗を何本か取り出して、土の中に植えてみた。「こんなことしてもダメかな・・」と妻に聞いても、半ば放心状態で何も答えなかった・・。
 父はこうした作業を始めるともう止まることを知らない、徹底的にやり通してしまうので、今までにも妻が大事にしていたハーブやバラが引き抜かれてしまい、がっかりしたことが何度かある。その度に、父にクレームをつけてきたが、いったんスイッチが入ってしまうとなかなかコントロールできないようで、その後も度々悲しい結果になってしまった。さすがに妻も学習して、大事にしている草花には、「抜かないで」と書いた札を立てるようになった。いくら父でも、そうしたガードのかかったものには手を出さないから無事大きくなっていくが、今度の福寿草は少しばかり油断していたようだ。「まさかこんなに全部を掘り返すなんて思ってなかったから・・」と妻は悔いたが、後の祭り、せめて何本かの苗を植え直すことができただけ運がよかったと、諦めるしかなかった。
 しかし、植え直した苗が上手く育つ可能性は低い。毎年春を告げる花として、我が家では年明けから開花を待ち望んでいる福寿草だけに、花がなくなってしまうのはつらい。このままでは最悪の結果になる可能性も十分あるから、そうならないようできるだけの手段は講じておかねばならない。そこで、翌日郊外にある園芸専門店に福寿草の苗を求めに出かけたみた。
 だが、まったくの時期はずれであるため、いくつかの店を回っても、どこにも置いてなかった。「正月の頃に咲く花だから、12月前後にならないと・・」どこの店でも同じ返事だった。ネットで調べてみても12月頃から売り出すところばかりだったので、ここは半年じっくり待つしかない、忘れないようにしなくては、と心に刻んでおいた。
 
 時が経つのは本当に早い。もう11月も終わりだ、と先週末に思ったら、福寿草のことを思い出した。「もうそろそろ・・」と思って妻に話すと、「ちょっと早いんじゃない。でも、行ってみて損はないわね」と同意してくれたので、日曜日、塾が終わるとすぐに半年前に回った園芸店に向かった。
 葉牡丹の鉢がいくつも並んでいたので、あるのかな・・と思って探してみたが福寿草は見つからない。店員さんに聞いたところ、「もうそろそろだとは思うんですよ。いつもだったらもう入荷してるんだけど、今年はちょっと遅いかな」という返事だった。「でも、あと半月もすれば必ず入荷しますからその頃来てください」とも教えてくれたので、もうちょっとの我慢だな、とちょっと安心してその店を出ようとした時、妻が「これもいいんじゃない?」と言ったのがこの花・・。


「雪割草」。雪の間を割って外に出てくる花・・なんだか自然界の生命力の強さを象徴するような名前をもっているが、写真で見るかぎりは可憐な花弁だ、確かに可愛らしい。白と赤の苗が売られていたので、1鉢ずつ買ってさっそく庭に植えてみた。両方とも小さな花芽は付いているので、これからゆっくり育っていって、来年になったら花を咲かせるのだろう。黄色は福寿草が受け持ってくれるから、赤と白をこの雪割草が彩ってくれればいい。
 春の庭の賑わいを想像すると、今からの寒い冬を乗り越える力も少しは湧いてくる気がしてくる。
 
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紅白歌合戦’09

 今年の紅白歌合戦の出場者が発表された。歴史を重ね、今年で60回目ということで、「歌の力 ∞ 無限大」をテーマとし、それに則って総勢50組の歌手を選出したそうだが、なんと言っても目を引くのはジャニーズから、SMAP、TOKIO の常連組に加えて、嵐とNYC boys の2組の出場も決まったことだ。長い間ジャニーズからは2組と暗黙の了解があったのに、今年はいったいどうしたことだろう。確かに今年10周年を迎えた嵐の活躍は目覚しいものがあった。妻が「今年は嵐の年らしいよ」と早くから言っていたように、TVで嵐のメンバーを見かけることが多かったし、メンバー一人一人もかなり成長した。毎週月曜の深夜に放送されている「嵐の宿題くん」という番組を妻に付き合って欠かさず見ている私は、今年1年で嵐についてかなり詳しくなった。桜井翔くんと松潤の二人しか顔と名前が一致しなかったのに、今ではもうメンバー全員を完璧に把握できている(つもり・・)。この番組以外にもいくつか彼らのレギュラー番組はあるようだが、あいにくそこまでチェックしていないので、あくまで「宿題くん」だけの印象だが、嵐のメンバー5人はみな仲がいいように思う。小倉智昭などというおっさんは邪魔なだけだが、そんなものとは関係なしにみんなで番組を楽しんでいる雰囲気が見ている私にも伝わってきて、さほど面白くもないことをやっているだけなのに、ついつい最後まで見てしまう。まさに旬のグループだ
 塾生の中にも嵐ファンがかなりいて、私が妻から漏れ聞いた情報を話してやると、目を輝かして聞いてくれる。少し前に嵐の特番で、3Dメガネ作ってTVを見ると嵐のメンバーが飛び出てくる、というものがあった。私は妻が昔SMAPのコンサートで使ったという3Dメガネを借りて見たものの、何の変化もなくて残念な思いをした。だが、嵐ファンの塾生たちは自作の3DメガネでTVを見ていたら、「本当にメンバーが近くに飛び出してきた!!」と感激した面持ちで話してくれた。ちょっと悔しかったが、子供たちの反応を見ていても、最近の嵐の人気ははかなりのものだな、と実感できる。
 この嵐の人気は決して上っ面なものではなく、一人一人のファンに支えられていて、またそれをメンバー全員がしっかり自覚しているからこそ、さらにファンも嵐に魅了されるのだろう。嵐のファンでもない私がそんな感慨を持ったのも、10周年を記念して嵐がファンクラブの会員すべてに記念品を贈ったということを知ったからだ。


 実は、妻はSMAPだけでなく、嵐のファンクラブにも入っている。嵐に転んだわけではなく、相変わらずSMAPに熱狂しているのだが、そんな妻のもとに送られてきたのが、上の写真のものである。しっかりした作りの小さなフォトアルバムで、中にはメンバー全員が並んで撮った写真が入っている。私はこれを見て、「こんな立派な物を会員全員に送ったの?」と驚いてしまったが、妻に言わせると、この品はメンバーがどうしてもそうしたいという気持ちの表れなのだそうだ。「それに比べるとSMAPはコンサートもしないし・・」と愚痴が始まってしまったが、それでも嵐に転ぶつもりはサラサラないようで、「嵐のファンの子にあげて」と言って、この記念品を私に託してくれた。それじゃあ・・、松潤の大ファンで、ケンタッキーのCMで松潤が話しかけているのは絶対自分に対してだ、と言って譲らない女子高生の顔がすぐに浮かんできた。その子はまだファンクラブには加入していないのでこの記念品は持っていないはずだ。よし、そうしよう、と決めて、次にその子が塾に来た時に、「これうちのおばさんが君に渡してって・・」と言って渡したら、怪訝そうな顔をしながら包みを開けた瞬間・・、本当にとろけそうな笑顔になった。「うわっ!・・」。その顔を見られただけでもう十分だった・・。

 さて、嵐が初の紅白でどんなパフォーマンスを見せてくれるか、実に楽しみだ。

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ダビング

 ワールドシリーズの録画は首尾よくできていた。放送時間が延長されても、最後まできちんと録画されていたのはさすがこのために購入した最新機種だと嬉しかった。しかし、録画した試合をDVDにダビングするのは、こうしたAV機器の扱いには精通していない私ではうまくいくかどうか甚だ心もとない。取扱説明書をきちんと読めばその通りにできるのだろうが、説明書を読むことなど滅多にしたことがない私では、斜め読みするのが精いっぱいで、うまくダビングできるかどうか、やってみなきゃ分からない気がしてまるで自信がなかった。
 しかし、尻込みしていてはずっとこのままだ。やってみなきゃ・・。そこで、試しにずいぶん前に買ったDVD-Rにダビングしようとしてみたところ、対応できないと表示された。少し前まで、デジタル放送で録画したものは「コピーワンス」という1回きりしかダビングできないように設定されていたが、新しい録画機では10回までコピーできるそうで、DVDもデジタル放送に対応したものでなくてはならない、と説明書を読んだら書いてあった。このとき初めて説明書が役に立ったと思った。そこで、DVD-RAMを大量に買い込んで、それに全試合をダビングしようと考えた。
 
 平均4時間弱の試合を120分のDVDーRAMに収めるには、試合を半分に切らなきゃならない。その操作を「チャプター分割」と呼ぶのは、妻が録画したSMAP関係の映像を編集するのを横で見ていたから、知っていた。だが、自分でそんな操作をしたこと一度もなかったので、下手にボタンを押したりしたら録画した映像が消えてしまいそうで、なかなか踏ん切りがつかなかったが、「えい、やっ!」という気持ちで思い切ってチャプタ-分割のボタンを押してみたら、案外簡単にできてしまった、いささか拍子抜け・・。しかし、第1戦と第3戦、さらには最終第6戦は放送時間が4時間を超えているため、目分量で半分の箇所でチャプタ-分割しても1試合がDVD-RAM2枚に収まりきらない。そこで少しばかり工夫してみた。
 第3戦は雨で試合開始が1時間以上遅れたので、その部分はカットしてダビングした。第6戦はさすがに最後の試合だけに放送時間が長引いて4時間半近くあったため、DVD3枚に分けてだダビングした。さらに、第1戦は2時間弱と2時間強に2分割して、まずは前半部を普通に高速ダビングした。これだと20分弱でダビングできるので、かなり便利な機能が付いている(妻はこの機械をものすごく羨ましがる・・)。後半部は2時間を5分ほど超えてしまうため、これをそのまま120分のDVDに高速ダビングすることは無理だろうと思ったが、物は試しと高速ダビングをクリックしてみたら、意外にもダビングできてしまった。なんて賢い機械なんだ!!驚きだ!!
 そんなことを繰り返していたら、いつの間にか09年ワールドシリーズ全6試合を録画したDVDが13枚出来上がった。これで松井のためにあったかと思えるワールドシリーズをいつでもどこでも見られるようになった。恐悦至極である。


 本当に録画されているかどうか、確認はしてないが、自分としては間違いなくダビングできたものと思っている。 
 ダビングしながら所々を再生してみていたけどやはり第6戦の松井は素晴らしい。素晴らしすぎて涙が出る。MVPとかそんなものはあくまでおまけであって、松井がヤンスタの観客全員から認められたことがうれしくてたまらない…。来年はどこのチームのユニフォームを着ていようが、ヤンキースの松井として長く人々の記憶に残っていくことだろう。
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「わが悲しき娼婦たちの思い出」

 「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた」

この書き出しを読んだときはびっくりした。あまりに驚いてわが目を疑ったほどだ。ガルシア・マルケスの「わが悲しき娼婦たちの思い出」の冒頭はあまりにセンセーショナルだ・・。
 この本を見つけたのは、真夏だった。夏の初めにマルケスの「コレラ時代の愛」を読み終えて、まったく南米の人たちの精力の強さには参ってしまう、と甚だ低級な感想しか持てなかった私なのに、なんでまた同じような感想しか持てないような題名の本を読もうと思ったのだろう。暑苦しい情事の思い出ばかりを書き連ねたようにしか思えない題名に惹かれたわけではない。マルケスの汲めど尽きない物語の魅力にまた浸ろうと思ったわけでもなさそうだ。あえて言えば、120ページほどの本であり、これなら暇なときに簡単に読めるだろう、ネタを1つ増やすには恰好の題材だと、またぞろ性懲りもなくブロガー根性に突き動かされたからだったとしか思えない。その証拠に、夏も終わり秋も過ぎようとする11月中旬になって、やっと読み始めたのだから・・。
 
 「コレラの時代の愛」は愛を成就させるため、50年間ただひたすら待ち続けた男の、とても現実にはありえないような物語であった。そしてまたこの「わが悲しき娼婦たちの思い出」も、冒頭の文にあるようなことを実行しようとした老人の話であるから、とても現実のものとは思えない。まずは90歳の男性に私は会ったことがない。先日亡くなった森繁久弥は享年96歳だったが、TVで見かけた頃の晩年の姿は、軽妙洒脱の趣は元気な頃と変わらず、枯淡の域に達しながらも、生気溢れる様子だった。しかし、さすがの森繁翁でも、90歳の自らの誕生日を祝うために、冒頭の言葉のような行為をなそうと思ったりしただろうか?思うことぐらいはあったかもしれないが、実際にそんな行為に及ぶことはとてもできなかったことだろう。もう人間としては生きた化石と呼んでもいいような年令で、とてもそんな元気を持ち合わせている人はいないではないだろうか・・。
 などと己の元気のなさに照らし合わせて少々観点がずれたことを書いた気もするが、古い馴染みの娼家の女将から実際に14歳の少女に引き合わせられ、睡眠薬で眠っている全裸の彼女の傍らで一晩過ごすくだりを読んだりすると、「淫行だろう、これは!」と糾弾しないではいられない気持ちになった。確かにこの90歳の男は「淫行」と呼ばれる行為は犯していないのかもしれないが、お金でいたいけな少女を自由にしようと思う時点でもう立派な「淫行」だろう。まったくマルケスも77歳でこんな物語を上梓するのだから因果なものだと、この作品をいったいどう理解したらよいのか、私にはよく分からなかった。
 そんな戸惑いは当然誰もが感じるようで、この作品の映画化に強いクレームが付いて映画の撮影が始まらない、というニュースを知った。小説として文字で表現するだけでもかなりの顰蹙を受ける内容だけに、実写化しようとするのはいくらなんでも無茶だと思う。確かに小説としては微妙なところで平衡を保っていて、エロティックな印象はさほど受けないのだが、この小説を忠実に映画化したら、とても見るに耐えられないものとなってしまう危険がある。いくら高邁な考えがあるとしても、止めた方が無難だろう・・。

 この小説はマルケスが川端康成の「眠れる美女」にインスピレーションを受けて書いたと言われており、本書の冒頭にも
「たちの悪いいたづらはなさらないで下さいませよ、眠ってゐる女の子たちの口に指を入れようとなさつたりすることもいけませんよ、と宿の女は江口老人に念を押した」
という最初の部分が掲げられている。この一文を読んだだけでも怪しげな雰囲気が漂ってくるが、果たしてどんな小説なのか、書棚を調べたら見つかったので、さっそく読み始めることにした。
 川端康成だけに南米人の性に対するおおらかさのようなものは持ち合わせていないだろうから、どういったことが語られているか、楽しみだ。
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発想の転換(3)

 数学の問題で行き詰まったら、発想の転換を心がけることが大切なのは痛感しているつもりだが、ずいぶん硬くなってしまった私の頭では、なかなか上手くいかない。元々数学用にできた頭ではないので、どんな問題もスラスラ解けるわけではない。しかし、塾長という立場上、しかもどんな問題でも教えてやるぞ、と日頃から豪語している身では、どんなに難しい問題でも解き方を教えてやらなければならない、とは思っているのだが、なかなかそうは行かないから困ってしまう・・。
 一昨日、久しぶりにそんな問題の質問をされた。05年の横浜国大の入試問題から、
 
 「xy平面上に点(t,t3乗-4t)を中心とする半径1の円がある。tが-2≦t≦2の範囲を動くとき、この円の通過する領域をDとする。
(1)点(x,y)がD上を動くとき、xのとりうる値の範囲を求めよ。
(2)点(x,y)がD上を動くとき、yのとりうる値の範囲を求めよ。
(3)aをa≧0を満たす定数とする。点(x,y)がD上を動くとき、ax+yの最大値を求めよ。」

という問題だった。(1)(2)は見た瞬間に答えが分ったが、(3)はちょっと面倒くさいなと直感した。センター試験の問題程度なら、少し考えれば大体の問題の答えは分る。しかし、2次の問題となると、いったん詰まってしまうと簡単には埒が明かなくなってしまうことは経験上よく分かっている。私のようにさほど数学の才がない者は直感勝負のところがあって、パッと見て解き方が浮かんでこないと袋小路にはまってしまって、抜け出られなくなることがよくある。まあ、たとえそうなっても何とか切り抜けて今までやってきたから、それなりの能力は自然に蓄積されてきたとは思うのだが、それでもやっぱり泥濘にははまりたくない。もがくのは疲れるから・・。
 だが、そんな願いもむなしく、悪い予感のとおり、すぐに暗礁に乗り上げてしまった・・。こういう問題は円の中心を(x、y)とおいてtを媒介変数としてxとyの関係式を作って、その式が表すグラフをもとにして領域Dを図示することがまず最初の手順だ。次に、最大値を求めたい式をax+y=kとおき、それをy=-ax+kと変形して、この直線をグラフで表された領域D上で動かしていって、切片kの最大値を求めればいい。と、これは半ばマニュアル的な解き方であり、今までにも繰り返し使ってきた解法だから、とりあえずその方針で進めていけばいいや、と簡単に考えて、一応答えを出してみた。
「これでいいかな」、と少しばかり自信を持って答えを見たら、なんと違う!おかしいなと思いながら解答をよく見たら、aを0≦a<1と1≦aとに場合分けしているが、まずその意味が分らない。グラフをから見てt=2の時の円の接線の傾きと、左の極大値をとる円の接線との傾きが等しい場合を境目として場合分けすればいいんじゃないのか、それだとaを1を境目として場合分けすることにはならないが・・。う~~ん、分らない・・。
 熟考している間に授業時間が終わりとなってしまった。不本意だが、時間切れでは仕方ない。その生徒は翌日も来ることになっていたから、それまでに考えておくからと、問題と答えをコピーさせてもらって、一応私の宿題ということにした。こんなことは滅多にないが、滅多にないだけ屈辱感で胸が一杯になる。悔しいけど、ここは踏ん張って何とかきちんとした解き方を見つけなけらばならない。頑張ろう!!

 だが、寝る前にも30分ほど考えたが分らなかった。翌朝起きてからもずっと考えていた。煮詰まってしまったので助けを借りようと、塾舎の問題集を探してもみたが、この問題は見つからなかった。ネットで入試問題が載っているサイトも調べてみたが、そこでも見つからなかった。困ったなあ・・、と思いながらも塾バス2台にガソリンを給油しなければならなかったので、いったん考えるのを止めてスタンドに向かった。
 給油しながらもぼんやりと問題を考えていたが、場所が変わったからだろうか、ふっと今まで考えてもみなかった発想が浮かんできた。そうか、グラフを使ってずっと考えていたからいけなかったんだ。グラフは忘れて式だけに集中すればいいんじゃないか。そうだ、円と直線ax+y=kとの距離が半径1と等しくなる時は、その直線が円の接線となるから、そこから進めていけば解けるんじゃないか?いや、きっと解けるぞ!!
 なんだか胸がわくわくし始めて、急いで家に帰って紙と鉛筆を取り出して新しい方針で解いてみた。すると、スラスラとは行かなかったものの、何とか答えにたどり着くことができた。さらにaを1を境に場合分けする理由もしっかり理解できた。やったぞ、完璧だ!!
 
 と言って威張るほどのことじゃない、塾長ならできて当然だ。むしろ詰まったことを大いに反省しなくちゃいけない。まだまだ修行が足りない・・。
 でも、自力で問題を解決することができ、スッキリするって本当に気持ちがいい、爽快だ!!
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