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大掃除

 今日は塾の大掃除だ!毎年30日まで授業を行っているので、31日にやるしかない。一日でやり終えなければならないので、塾生の何人かに援軍を頼む。今年は朝の10時から12時までの2時間で、昼食代を含めた2,500円のバイト代を提示したところ、中高合わせて10人程度が名乗りを上げた。その中には私の息子を始めとして、もう何年も続けて来てくれている者もいて、なかなか頼もしい。
 バス4台の洗車に2人、5つの教室の掃除を私を含めた9人で行う予定にしているが、午前中の2時間でやり終えなければならないため、昨夜のうちに教室の中の椅子と机は、私が廊下へ出しておいた。これだけでも相当の重労働だ。しかし、誰も手伝ってくれないので、ビールを飲みながら、ヤケクソな気分で「クソッ」とか叫びながら頑張ってみた。机を運ぶ途中で、机の上の落書きを消しゴムで消し、中に忘れてある紙切れなどを取り出したりしながら、今年も何とか無事に終えられた喜びをしみじみと感じた。勉強を教えるのが塾の使命ではあるが、生徒が事故などに遭わず安全に通塾できることが大前提である。何も問題が起こらなかったのは、当たり前のこととは言え、やはり心からホッとできる。今年は子供が犠牲となった痛ましい事件が連続しただけに、塾の安全を来年も徹底させなければならない。
 机や椅子を出した後の教室は、広々と感じられるが、何だか物悲しい。早く掃除して元の状態に戻してやらねば・・・とは思うが、今はこれだけにして、後は大掃除が終ってから書きこもうと思う。

 終った。疲れた・・・10時開始の約束に全員遅刻せずに集まった。洗車・窓拭き・雑巾がけに担当を分けて、私は掃除機で各部屋を回る。昨夜の準備が功を奏して、順調にすすんでいく。子供たちは話をしながらも手はちゃんと動かしているので、思ったよりも早く済んだ。11時半に完了の合図をして、「ご苦労さん」と言いながらバイト代を手渡して塾の大掃除は終った。しばし休憩しようとPCの前に座っている。でも、教室の掃除は終ったけれど、事務所というか、今私のいる部屋は足の踏み場もないくらいグチャグチャのままだし、自宅の部屋はさらに乱雑に散らかっている。気を抜いたら、たぶんこのまま何もやりたくなくなるので、今からすぐに始めなけりゃいけないのだろうが、「ふーっ」と溜息ばかり出てきて、もっとダラダラしていたい。
 おいおい、今日は大晦日だよ、ぼっとしていたらすぐにお正月になっちゃうよ。今夜は小川直也と吉田秀彦が闘うし、曙とボビーも闘う。絶対見なきゃいけない。それに紅白歌合戦だって、歌手によっては見たい、そうだ、ユーミンだ!ユーミンが出るんだ。夜になったらTVに釘付けじゃないか。それまでに、何とかしてそれまでに2つの部屋をきれいにしなけりゃいけない。
 確かに慌ただしいが、幸いなことに今日は天気がいい。風は冷たいけど、気持ちが晴れ晴れする。一年最後の日がこんなに上天気だと、今年一年がいい年だったように思えてくる。楽しいことも、悲しいことも、辛いこともいっぱいあったが、今日で2005年は終る。新たな気持ちで2006年を迎えられるよう、よし、もう一ふんばりするぞ!!

 
 このブログに訪れてくださった皆様、今年はたいへんお世話になりにました。
来年も何卒よろしくお願いいたします。

 よいお年をお迎えください。
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私の十大ニュース

 2005年もあと2日。もうそろそろ今年を振り返っておかなけりゃ、振り返るときがなくなってしまう。そこで、「私の十大ニュース」を選んで、私にとって2005年がどんな年であったかを振り返ってみることにする。まずは、10位から。

第10位「再検査」
 秋口に、私の父と妻の母が、ほぼ連続して健康診断に引っかかって、再検査をするように言われた。父は胸部レントゲンに影があり、義母は脳腫瘍が見つかったと言われ、精密検査をしたのだが、幸い父はなんともなく、義母も悪性ではないとのことでほっとした。二人とも若くはないのだから、無理せずいつまでも元気で暮らして欲しい。
第9位「新車購入」
 4年半乗った車を買い換えた。10年近くステーションワゴンに乗っていたが、子供も大きくなり、一緒に遠出することもめっきり減ったため、もうそんなに荷物を積めなくてもいいかということになりセダンに換えた。3ヶ月位したら、妻がぶつけてびっくりするような修理代がかかった。なんともいいようのない痛手だった。
第8位「松井秀喜ヤンキースとの契約延長」
 来年もまたヤンキース松井を応援できることになった。今年は応援していても、がっかりすることが多かっただけに、是非来年こそは素晴らしい活躍を見せて欲しい。WBC不参加を表明したが、私としてはほっとした。松井も来年で32歳。体調管理を優先しなければ1年間フルに活躍することは難しいと思う。その点、よく決断したと私は思う。
第7位「奥さん元気で留守ばかり」
 今年の妻はすごかった。2年ぶりのSMAPのコンサートで東奔西走したかと思えば、藤原竜也を追っかけて、これまた東へ西へ。京都に娘の部屋という拠点ができたおかげで、ずいぶんフットワークが軽くなった。しかし、来年は息子が受験生となるのでそうは簡単には出かけられない。覚悟はしているだろうが、果たしてどれだけ我慢できるか見ものである。
第6位「娘のイタリア旅行」
 怖いもの知らずの娘だけに、変なトラブルに巻き込まれなければいいが、とヤキモキした1週間だった。関空に到着して我が家にかけてきた電話を受けたのが私だった。声を聴いた瞬間に胸が熱くなったが、そんなことを悟られるのも悔しいので妻にすぐに代わった。それ以来、一度も顔を見ていないが今日の夜帰ってくる。やっぱりちょっと嬉しい。
第5位「掲示板に投稿を始める」
 昨年までは、眺めて楽しんでいただけの松井秀喜の掲示板に投稿を始めた。たくさんの方と親しく話を交わしていただけるようになり、あっという間にシーズンが終ってしまった。最後は物足りない結果に終ってしまったシーズンだったが、最後までたくさんの方と共に応援できたのは素晴らしい体験だった。やっぱり、シーズンオフはつまらない。
第4位「月謝に消費税」
 4月から、塾の月謝に消費税を加算することになった。消費税法が変わって、私の塾でも消費税徴収が義務付けられたと、税理士から連絡があったときには呆然とした。父兄にこれまで以上の負担をかけるのは忍びなかったが、納税は国民の義務であると心を奮い立たせて、消費税を徴収するという苦渋の決断をした。幸い父兄からの理解がいただけたのには、随分ほっとした。
第3位「好調な入試結果」
 塾としての真価が問われる受験で、私立中入試・高校入試・大学入試すべて素晴らしい結果を収められた。自分がやってきたことが正しかったことの表れだと正直嬉しかったし、必死の努力が報われた塾生と心から喜びを分かち合えたことも嬉しかった。年が明ければ、センター試験、中学入試、高校入試と息継ぐ暇もない。来年も必ず塾生と喜び合えるよう、気を引き締めてやっていこう。
第2位「野草を食べる会同窓会」
 3年ぶりに同窓会が開かれた。それはそれで十分楽しかったが、2晩続けて自宅を離れたことが20年ぶりくらいで、そちらのほうが私には強く印象に残っている。まるまる2日間、塾のことをほとんど忘れて頭を空っぽにできた。先輩たちに久しぶりに会って受けた刺激も大きかったが、この京都での連泊でずいぶん心が軽くなったのは、忙しい夏休み期間中には素晴らしい休養となった。
第1位「ブログ開設」
 やはりこれが1位だ。まとまった文章を書くことなど無理だと諦めていた私が、こんなにも長く一日も休まずに書き続けてこられたのはまったく望外の喜びである。それもこれも毎日コメントを下さる皆様のおかげであり、深く感謝している。とりあえず、1年365日どんなことがあっても書き続けていこうと心に誓っているので、もうしばらくはお付き合い願いたい。

 こんなことしか私には特筆すべきことがないのかと、少々寂しくなる。でも、今年はかなり充実していたと思う。来年も心身ともに健康で、この調子でガンガン飛ばしていきたいと思っている。
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門松

 新年を迎えるため、一対の門松が塾の玄関前に飾られた。これは業者に頼んだものなどではなく、私の父が毎年自分で竹を切ってきて、工夫をを凝らして作ってくれるものである。もう10年以上、毎年暮れになると準備を始め、クリスマスが終った頃に作り上げてくれる。最初の頃は、いかにも素人が作ったなと言いたくなるような出来だったが、年々腕前を上げ、最近ではどこの門松と比べても決して引けをとらないだけの大きさと品格を持ったものを作ってくれるようになった。元々が大工なので竹を切ることはお手のものだが、スパッと斜めに勢いよく切った切り口が気持ちいい。節をうまく利用して、人が笑った口元のように切るのがコツらしいが、3本ともそのとおりになっていて、笑い顔がうまく演出されている。門松というくらいだから、当然松も飾られているが、これも竹と同じように父が山の中で切ってきた。ワラを編んで作ったもので囲った桶に、竹と松さらに同じく山で採った梅と南天の枝を挿し、笹の葉も添えて上から砂を入れて固めてある。仕上げに白と紅の葉牡丹が一対ずつ植えられている。思うにこの葉牡丹がアクセントとなって全体を引き締めている。去年はどういうわけかこの葉牡丹がなかったものだから、ずいぶん貧相だったが、今年は立派なものが植えられた。唯一この葉牡丹だけがお金を払って買ってきたものだから、総経費は2,000円を越えていないだろう。業者に頼んだら一体いくらくらいかかるのだろう。勿論、お金を払ってまで門松を飾ろうなどという酔狂は持ち合わせていないが。
 塾生たちもこの門松を見ると、お正月が近いことを実感できるらしくて、玄関に入る前に立ち止まって見る者も多い。中には高かったでしょう、などと心配する生徒もいて、「あのお爺さんが作ったんだよ」と父を指差すと皆驚く。「すごいね」と褒めてくれると、自分で作ったわけでもないのに何だか嬉しくなる。 
 それにしても、父の工夫にはいつもながら驚く。大工という職業は、2つの「そうぞう」力が要る仕事だとかねがね思っていた。それは、住む人の身になってどういう家を造ろうかという『想像力』と、自分の持つ技術を駆使して思い通りの家を『創造する力』のことであり、この2つのどちらが欠けてもいい家は建てられないと思う。父を見ていると、本当にこの2つが備わった人物であることがよく分かる。それに比べ、今年大きな問題となった、耐震強度を偽ったマンションを建てた建築家たちにはこの想像力が全く欠如しているとしか思えない。机上の計算ではギリギリ耐えられるものだとしても、そこに住む人たちのことを考えたらとてもそんなことはできないはずだ。住民のことなどまるで頭に浮かべず、自分たちの利益をいかに大きくするかにのみ集中している。想像力のかけらすら持ち合わせていないからこそ、こんな暴挙を行っても平気な顔をしていられるんだろう。
 父は一連のニュースを見聞きするたびに厳しい言葉を浴びせるが、それも当然だろう。父は、建築士の作った設計図などなくても家一軒ちゃんと建てられた。私の住んでいる家も塾舎も、父が自分で引いた図面を建築士がなぞって建築許可を取り、父が力を込めて造り上げた。昔の大工で、棟梁と呼ばれた者たちは皆これくらいの想像力と創造力、そして確かな技術を持っていたのだと、今さらながら驚く。
   
    門松は 冥途の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

 一休禅師の有名な歌だが、毎年父が門松を作ってくれるたびに心に浮かぶ。年が明ければ、私たちは皆1つ年をとり確実に死に一歩近付くことになるが、ここまで生きてこられた喜びも、また大切にしなければならない。あと何年父が健康で門松を作り続けられるか分からないが、それが1年でも長く続いてくれることを、出来上がった門松を見ながら、切に祈った。
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年賀状

 やっと塾の年賀状ができた。と言っても、私が作ったわけではない。妻がPCを使って作ってくれたのだ。4、5年前までは印刷屋に頼んでいたのだが、妻がPCで作ってくれるようになってからはずっと任せてきた。性格は大雑把なくせに、こうしたことには妙なこだわりを見せ、フォントを変えたり、文字の色を変えたりと、PCの知識を総動員してなかなかいいものを毎年作ってくれる。
 しかし、今年はいくら頼んでもなかなか作ってくれなかった。「そんなに毎日PCをかまっているんだから自分で作ればいいでしょ」と意地悪ばかり言って、どうしても作ろうとしなかった。「まあ、印刷屋に頼めばそれでいいや」と私は半ば諦めていたのだが、忙しさに紛れて印刷屋に電話することができなかった。ちょっとこれはまずいぞ、と思い始めた矢先にどういう風の吹き回しか、「これでいいの?」と一昨日試作品を見せてくれた。「おお、作ってくれたのか、ありがとう!」と少々大袈裟にお礼を言ったのだが、こういうときに下手なリアクションをしようものならまた風向きが変わってしまって、ひどい目にあう。それくらいは私も心得ているので、大袈裟くらいがちょうどいいのだ。「ふ~ん、何枚いるの?」「100枚」と即座に答えると、「分かった」と言って印刷を始めようとする。なんだか優しすぎて気持ちが悪いが、まあ便利には違いないから、「本当にありがとう」と肩を叩いてその場を離れた。それが今日になって、印刷も完了したようで、100枚手渡してくれた。その1枚を写真に写してみた。
 シンプルな絵柄だが、小学生から高校生までに送るものだから、なるべく簡素な方がいい。下手に凝ったりすると、ある年代には受けても、違う年代には不評という場合もあるので、サラッとしたものの方がいいと思っている。去年の鶏はなかなかの評判だったが、今年の犬はどうだろう。我が家の弁慶を写真に撮って載せる手もあったんだが、妻がずっとへそを曲げていたので相談できなかった。自分で思い通りにやればいいのだろうが、生憎私には時間と技術の両方がない。妻が作ってくれたものをありがたく使わせていただくしかない。犬の絵の下に、塾長からの新年の挨拶が書いてある。
   『今年もいっしょうけんめい勉強しましょう』
これはもう20年近くも変えていない。塾は勉強をしに来るところだ。今年も勉強頑張ろう、とやわらかく檄を飛ばしているつもりなのだが、真意がうまく伝わっているだろうか。10年位前までは、これに手書きのメッセージを一人一人に書いていたが、今は年末の授業時間もかなり増えたので、残念だが、時間的にできなくなってしまった。そのせめてもの罪滅ぼしと言っては何だが、生徒の宛名だけは印刷などせず、私が手書きで書いている。しかし、何せ空いた時間がほとんどない時期であるため、どうしても半分殴り書きのようになってしまい、いい加減に書いたように見えてかえって逆効果なのかもしれない。いくら筆ペンとはいえ、普段使い慣れない毛筆は慣れるまでに時間がかかり、100枚くらい書くと最初と最後ではかなり字体が違ってくる。申し訳ない気がするけど、それでも全て印刷で済ますよりは心がこもっているだろうと、今年も今日から寸暇を見つけて生徒全員の宛名を認めようと思っている。
 さてその字だが、自分としてはなかなかの字が書けると自負しているのだが、妻に言わせれば、私の性格を表して優柔不断なしょぼい字だと手厳しい。確かに大学くらいまでは、何故だか小さな字を書いていたのだが、塾で子供たちに赤ペンを使って色々説明するうちに、書く文字が大きく大胆に変わってきた。今では、見ようによっては味のある字になってきたと思うのだが、妻は認めてはくれない。まあ、彼女は私のやることは全て疑うようにできているから仕方ないのだが・・
 さあ、妻がせっかく作ってくれた年賀状だ。一枚も失敗することのないよう、細心の注意を払って大胆に書き上げよう。でも、元日に届くかなあ。
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捨ててこそ、

 昨日、家の近くの禅寺の前をバスで通りかかったら、山門の前の掲示板に、
   「捨ててこそ 得るものもあり 年の暮れ」
と太い文字で半紙に書かれてあった。たしかに使わなくなったものをいつまでも持っていては何も片付かないし、思い切って捨ててしまったほうが新しいものも買えるし、今まで知らなかったことも何か発見できるかもしれない。要するに大掃除の心得を述べたものだなと、チラッと眺めたときはそんなことしか思わなかった。しかし、いくらなんでも当地では由緒正しき禅寺として有名なこの寺が、わざわざそんな即物的なことを伝えるために張り紙するわけがないだろう、もうちょっと禅的な解釈を加えた方がいいのかなと思い直し、少し頭をひねってみた。
 私たちには様々な欲がある。物欲・食欲・性欲・支配欲・・など欲だらけだ。その欲が色々なものへの執着を引き起こす。それが物質的なものであれ、精神的なものであれ、執着すればするほど私たちの煩悩は多くなる。108もの煩悩を持つといわれる私たちにとって、生きていくことはいかにも悩ましい。こだわりを持った心は広がりに欠け、柔らかさがなくなる。そこで、そうした執着を1つ1つ断ち切って、1つ1つ煩悩を消していくことができれば、心穏やかに静かに暮らしていくことができる、などとあやふやな仏教知識で考えてみたが、なかなか難しい。私など、煩悩の塊のような男であるから、様々な執着を引きずっている。それを1つ1つ切り捨てていけば、まっさらな人間になることができるかもしれないが、それではずいぶん面白味のない人間となってしまう気がする。悟りなど死ぬまで得られなくても構わないから、あれこれ思い悩みながら生きていった方が、辛いことも多いだろうが、かえって生きている実感が味わえるように思う。「我思うゆえに我あり」を「我煩悩あり、ゆえに我あり」と言い換えてみたい気がする。まあ、これが禅寺の伝えたかったことであるはずもないだろうけど。
 しかし、やはり捨て去れるものは捨て去った方が潔いだろう。いつまでも恋々と手離さないでいるのは傍目から見ているとなかなか見苦しい。その好例を町の中で見つけた。写真の柿の木は、10月31日に『秋味』というタイトルで書いた文に貼付した写真のものと同じものであるが、なんと今でもまだ実がそっくりそのまま枝に残っている。写真を撮るために近付いたら、葉はすべて枯れ落ち、実は熟しすぎてかなり小振りにはなっていたが、周囲を見回しても落ちた実はなかった。どうしていつまでも実が落ちないのだろう。柿というのは実が落ちないものなのだろうか。不思議に思って、バスを運転しながら車外を見渡すと、そこここに実がなったままになっている柿の木が見つけられた。渋柿ばかりなのかもしれないが、人が採ることもなく、鳥などが啄ばむこともないようだ。ずいぶん不人気だが、いつまでも実を落とさずに立っているだけの柿の木を見ていると、様々な煩悩を捨てられず右往左往するしかない自分の姿を象徴しているように思えて、「いい加減にそんなものなど捨てろよ」と声をかけたくなってくる。
 私が知らなかっただけで、毎年こうやって季節を通り過ぎて来たのかもしれないが、いつまでも実が残っていると、新しい芽が出てくる妨げとなるように思えてしまう。自然の摂理に背くことはないだろうから、何も間違ってはいないだろうが、どうにも気にかかって仕様がない。
 そうは言っても、今年も後残り5日。捨てることのできる煩悩は今年のうちに捨ててしまって、新しい年を少しでも心軽く迎えられたらなと思う。
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残雪

 先週1週間はずっと雪にたたられっぱなしだった。日曜の昼過ぎに降り始めた雪は月曜の朝まで続き、名古屋では59年ぶりの大雪となった。私の家の周りでも、20cm以上積雪した。昼にかけて日が射したので溶けた雪も多かったが、夕暮れからの冷え込みが厳しく路面が凍結して塾バスを運転していても何回か滑ったほどだった。本当に怖かった。火曜・水曜と日差しも弱く、気温も上がらなかったための残った雪はなかなか溶けなかった。すると、木曜の夕方になってあろうことかまた雪が降り始め、金曜の昼近くまで降り続き、15cm以上は積もった。が、この時の雪は水分が多かったからなのか、気温がそれ程低くなかったからなのか、昼頃から射した薄日であらかた溶けてしまった。しかし、金曜日は冬休みが始まった日で、午前中から授業が予定されていたため、午前中は前夜から巻いてあったチェーンを付けてバスを走らせた。至るところ雪だらけだったが、なんとか無事に走行できたのは何より幸いだった。下手に凍るくらいなら雪が降り続いていたほうが、まだ運転し易い。ここ1週間の雪道走行で、身も心もくたくたになってしまった。やっぱり、雪は大嫌いだ。
 それでも昨日、日曜日は久しぶりに冬型の気圧配置が緩み、朝からぽかぽかと日差しで暖まることができた。雪も大体は溶けたが、日陰となるところにはまだ残っている。上の写真は塾舎から見下ろした空き地であるが、日陰だけにはきれいに雪が残っていて、なかなか面白く思わず携帯のシャッターをおろしたものだ。雪が降るたび思うことだが、太陽の力は偉大だ。雪など太陽のいない所でこそこそする悪戯っ子のようなもので、太陽が差し込めば必ず溶けてしまう。あれだけ一面を覆い尽くしていた雪も日差しとともに徐々に消えて行く。当たり前のことながら、日が当たるところは溶け、当たらないところはなかなか溶けない。太陽は正直だ。はっきりしていて、なんの誤魔化しもない。陽光は直射し、遮る物があれば迂回などせずそこを照らすだけだ。しかし、ほんの小さな隙間さえあれば、必ず通過し明るく照らし出す。
 
 「光あるうちに光の中をすすめ!」

 トルストイの作品の題名にある。ずいぶん昔に読んだきりで何も覚えていない。トルストイとドストエフスキーはほとんど読んだはずだが、トルストイの作品についてはあまり覚えていない。この2大文豪の違いは、常々、ドイツ車のベンツとBMWの違いだと私は思っている。勿論、トルストイがベンツで、ドストエフスキーがBMWなのだが、どうだろう。王道を歩むのがトルストイ=ベンツ、ちょっとインテリジェンスをちらつかせるのがドストエフスキー=BMWという図式は私の勝手な思い込みだが、自分では気に入っている。これを鴎外と漱石に当てはめれば、やはり鴎外=ベンツ、漱石=BMWになるのかなと思うが、世迷言もいい加減にしなければならない。
 太陽は言うまでもなく、私たちの命を育む根源である。私は娘の名前を付けるときに、太陽を感じさせる名を付けたかった。それも、ギラギラした夏の太陽ではなく、春の日の長閑な陽光を連想させる名前を付けたいと思った。それにはやはり、「日」という文字がふさわしいと思い、これを使った名前をあれこれ考えた末に命名した。可愛らしい名前を付けられたと思うが、今にして思えば呑気さ加減が本人にぴったりの名前になってしまった。本人はどう思っているかは知らないが、名は体を表すという言葉そのものの人間になっている。
 えっ、今日はもう26日。なんで娘は帰ってこないのだ。大学なんてとっくに終ったはずだろう。何をしなければならないというのか。早く帰って来いよ。我が家で一番の太陽は今のところ娘なのだから、一日も早く帰ってきて欲しいと思う。まったく、何をやってるんだか・・
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Happy Xmas

 クリスマスと言っても、何も心が弾まない。ケーキを食べて、街のイルミネーションを眺めたらそれで終り。いや、妻や娘・息子、それに6人いる姪や甥にプレゼントを買ってやらなけりゃいけない。それがすめば役目も終る。私にはそれ以外にするべきことが見つからない。昔から、クリスマスは冬期講習の真っ最中で、それに集中しているため他のことは何も目に入らないのかもしれないが、それは仕方がない。同世代のオヤジ達がどんな風に過ごしているのか聞いてみたい気もするけれど、大して変わりはないだろうと高をくくっている。
 それでもあえてクリスマスに関して何かを書くとするなら、この時期に一斉に流れ出すクリスマスソングに関してだろう。今年は、ゴジ健さんに紹介していただいた、木住野佳子のCD「My Little Christmas」 が気に入って何度も聞いている。ゴジ健さんが、「透明感のある女性特有の優しいピアノが彼女の魅力です。・・・ゆったりとした気持ちになれること絶対にうけあいます」とおっしゃったとおりに心がくつろげるなかなかの名盤だ。しかし、惜しいかな、ピアノの旋律をここに載せることなどできない。
 そこで、ジョン・レノンの「Haapy Xmas (War is over)」の歌詞とその訳を載せて、ささやかながら私からのクリスマスプレゼントとしようと思う。

(Happy Xmas Kyoko)
(Happy Xmas Julian)

So this is Xmas         そう、今日はクリスマス
And what have you done     そして何をした?
Another year over        一年が終わり
And a new one just begun    そして新しい年が今、始まった
And so this is Xmas       そして今日はクリスマス
I hope you have fun       楽しんでるといいな
The near and the dear one    身近にいる人も敬愛する人も
The old and the young      老いた人も若い人も皆

A very Merry Xmas        心からメリー・クリスマス
And a happy New Year      そしてハッピー・ニュー・イヤー 
Let's hope it's a good one   願おうよ、良い年であることを
Without any fear        不安なんてない年をさ        

And so this is Xmas       そして今日はクリスマス
For weak and for strong     弱い人も強い人も
For rich and the poor ones   金持ちも貧しい人も
The world is so wrong      世界はとても間違っている
And so happy Xmas        そして今日はクリスマス
For black and for white     黒人も白人も
For yellow and red ones     黄色人種も赤色人種も
Let's stop all the fight    やめようよ、あらゆる争いを

A very Merry Xmas        心からメリー・クリスマス
And a happy New Year      そしてハッピー・ニュー・イヤー
Let's hope it's a good one   願おうよ、良い年であることを
Without any fear        不安なんてない年をさ

And so this is Xmas       そう、今日はクリスマス
And what have we done      そして何を僕らはした?
Another year over        一年が終わり
A new one just begun      そして新しい年が今、始まった
And so happy Xmas        そしてハッピー・クリスマス
We hope you have fun      楽しんでるといいな
The near and the dear one    身近な人も敬愛する人も
The old and the young      老いた人も若い人も皆

A very Merry Xmas        心からメリー・クリスマス
And a happy New Year      そしてハッピー・ニュー・イヤー
Let's hope it's a good one   願おうよ、良い年であることをさ
Without any fear        不安なんてない年をさ

War is over, if you want it   戦争は終るさ、みんなが望むと
War is over now        戦争は終るさ、もう            

(Happy Xmas!)          ハッピー・クリスマス          

 ジョン・レノンが凶弾に倒れたのは1980年。もう25年経った。その間にも世界中でいくつもの戦争が起こった。ジョンの願いはまだ実現していない。
 世界中の人々が平和を願っている。それなのに戦争が起こってしまうのは何故だろう。民族・文化・宗教・慣習、そうしたものの違いを超えて、世界中の人々が、人間として心から理解しあえる日はいつになったらやって来るのだろうか。
 クリスマスが平和を祈念するための日となれば・・・
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星の王子さま

 今年2005年1月に日本での著作権が消滅したのにともない、サンテグジュぺリ原作の「Le Petit Prince」 の新訳が次々と出版された。今私の手元には、内藤濯訳(岩波書店)、倉橋由美子訳(宝島社)、池澤夏樹訳(集英社)、山崎庸一郎訳(みすず書房)の4冊がある。他にも中央公論新社版など数種類あるようだ。
 内藤は、「星の王子さま」という邦題を名付けた元祖とも呼ぶべき翻訳家であり、倉橋と池澤は小説家である。山崎の訳のみ、題名を「小さな王子さま」としているが、その理由を「作品の物語性のみを前面に押し出し、その内面性を見落とさせる惧れなしとしないと考えたからである」と書いているが、明晰さを第一とするフランス文学の研究家としては、歯切れの悪いまどろっこしいコメントである。これに対して池澤は「原題を直訳すれば『小さな王子さま』ということになるだろうけれど、元の petit (小さい)に込められた親愛の感じはそのままでは伝わらない」として、「星の王子さま」以上の題は考えられないと述べている。倉橋は題名は「星の王子さま」としているが、「この小説は子供が書いたものでもなく、子供のためのものでもなく、四十歳を過ぎた男が書いた、大人のための小説」という視点から邦訳している。
 こうした一言持った人々が訳すのであるから、同じ原典を元にしながらも微妙な違いがそれぞれの訳に滲み出ている。そのいくつかの例を以下に記して、そのニュアンスの違いを楽しんでみるのも面白いかもしれない。
(例1)
 原典:"C'est tellement mysterieux, le pays des larmes!"
 英訳:"It is such a secret place, the land of tears.
内藤訳:「涙の国って、ほんとうにふしぎなところですね」
倉橋訳:「・・・涙の国というのは謎に満ちたところだ」
池澤訳:「涙の国というのはそんなにも不思議なところだ!」
山崎訳:「涙のくにというものは、ほんとうに謎めいているのです」

 こんなに短い文を訳すだけでもこれだけの違いがある。その違いがまた、訳者のこの物語に託す思いの違いを表わしているようで興味深い。
 さらにこの物語の中で、最も有名な箇所の1つであるキツネと王子との対話から引用してみる。
(例2)
 原典:"Voici mon secret. Il est tres simple: On ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux."
 英訳:"And now here is my secret, a very simple secret: It is only with the heart that one can see rightly; what is essential is invisible to the eyes."
内藤訳:「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、物事はよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
倉橋訳:「おれの秘密を教えようか。簡単なことさ。心で見ないと物事はよく見えない。肝心なことは目には見えないということだ」
池澤訳:「じゃ秘密を言うよ。簡単なことなんだーーものは心で見る。肝心なことは目では見えない」
山崎訳:「ぼくの秘密を教えてあげよう。とても簡単なことなんだ。心で見なくちゃよく見えない。大切なことは目に見えないんだよ」

 この部分だけをとってみれば、私は山崎の訳が一番いいと思う。「本質的な、欠くことのできない」という意味の essentiel という単語を山崎だけが「大切な」と訳している。確かに語義的には「肝心な」という訳の方がいいとは思うが、目で見て「肝」という字はあまりきれいでないし、耳で聞いても「カンジン」というのは耳障りな音であるように思える。それよりも、「大切な」というやさしい言葉を選んだ山崎の言語感覚に私は軍配を上げたいと思う。(あくまでも、この文章においてだけだが)
 これだけで各訳の優劣をつけてしまうのは暴論過ぎる。ただ、何かのヒントにはなるかなという程度のものであることは言うまでもない。

  
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海陽学園

 12月21日の中日新聞に次の記事が載っていた。
 
「海陽学園の設置を認可  愛知県私学審議会」
 愛知県私立学校審議会が20日開かれ、トヨタ自動車、JR東海、中部電力の3社が愛知県蒲郡市で設立を進めている中高一貫の全寮制男子校「海陽中等教育学校」について、学校法人の設立と学校の設置を認可する答申を出した。同校の学校法人名は海陽学園(豊田章一郎代表)で、来年4月、リゾート施設「ラグーナ蒲郡」内の13万㎡の敷地に開校する予定。学費は寮費、食費を含めて約350万円。
 学校施設などの準備が整い次第、県は来年3月に認可書を交付する予定。

 私は仕事柄、この学校については以前から注目して来た。トヨタ・JR東海・中部電力という大資本をバックに、東大合格24年連続トップの開成高校の元校長を初代校長に迎えたこの学校が何を目的に設立されたのか、大いに興味を持ったからだ。学校設立に動いた財界首脳の中で最も熱心とされるJR東海会長の言葉が示唆に富んでいる。
 「日本の教育はリーダーシップの養成から目をそむけてきた。今の小学生は塾で徹底的に受験訓練を受けるが、偏差値を目標とするのは高い志とはいえず、一流大学に入っても志がないと意味がない。寮は人間的な成長を助け、創造性や自主性をはぐくむ自由な時間を生んでくれるだろう」
 こうした首脳らのロマンを実現するため、教員は全国の進学校から集められ、ハウス(寮)の監督者は世界をまたに駆けたビジネスマンを中心に、各社からの若手出向社員が務める。また、生徒の安全を図るため全ての建物への入退出をITで管理し、防犯カメラや動体検知システムで校内を監視し、生徒が常に校内のどこにいるのか把握できるよう、IT端末を持たせるという。
 なんだか夢の世界のような話だが、私ならこんな学校に入りたくはないし、子供も入学させたくない。まず第一に、偏差値を目的にする愚かさを指摘しながら、偏差値の頂点に立つ学校のトップを校長に据えたことから、本音が見えてくる。結局は東大至上主義を踏襲するだけで、自分たちの既得権を守るのに都合のいい人間を作り出すための学校ではないかと、勘繰りたくなってしまう。
 第二に、寮生活というものは今の時代果たして上手く機能するのだろうか。現代の子供は少子化の影響で、まるで王様のように育てられている者たちが多い。塾の子供たちを見ていても我儘で協調性のない者が多くいる。それらを集めて、集団の中で生きていく上で大切な規律を教えるという考えは素晴らしいものだと思う。「個」としてしか自らをとらえられない現代の子供たちが、集団の中で「他」を認め合っていくことができれば、それこそ真の教育といえよう。だが、今の子供たちがそこにたどり着くまで辛抱できるだろうか。すぐにいじめの問題が出てくるだろうし、上手く集団に溶け込めない者たちもいることだろう。それよりも親が責任を持って中学生くらいまではしっかりと育てていくことの方が大切だと思う。親が子育てを外部委託するようなものだと私には思える。
 さらに、施設があまりに温室的過ぎるように思う。確かに昨今の不穏な世情を見れば、子供の安全を図るのが学校としては第一条件だろう。しかし、中学生男子がそこまで庇護されながら成長していってもいいものだろうか。街を歩けば様々な誘惑が待ち受けているだろうし、危ない男達も待ち受けているかもしれない。が、そうしたいわば通過儀礼を自力で乗り越えていくことこそが大人になることではないだろうか。危険を知らない人間が危険を回避することができるだろうか。昔、ひ弱な子供を「もやしっ子」と揶揄することがよくあったが、そんなイメージが浮かんできてしまう。
 年間350万円も子供につぎ込めるだけの財力を持った親たちが、説明会には多く集まるそうだ。さすがに私の塾でこの学校を今年受験する者はいないが、これからいつ希望者が現れるかもしれない。そうした時までに、上にあげた疑問点が解消されていれば「お勧めします」と言えるかもしれないが、現段階で私に意見を求められたら、「やめておきなさい」と答えようと思う。


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叔母

 12月21日は回文の日だったらしい。回文とは、右から読んでも左から読んでも同じ意味を表す文のことだから、12・21、確かに回文になっている。5月15日でもよさそうだが、1番数字が多いからこの日を選んだのだそうだ。しかし、私にとって12月21日は、母方の叔母の誕生日として記憶にとどめている日だ。と言っても、昨日は全く忘れていた。思い出したのは、叔母の夫、叔父がケーキ箱を手に提げて歩いていたのをバスの運転中に見かけたからだ。「どうしてケーキなんか・・ああ、そうか」と思いついた時には、あの叔父にも優しいところがあるんだなと感心した。というのは、叔母はずいぶんこの叔父には悩まされてきたからである。
 叔母は9人兄弟の末娘として生まれたが、どういうわけか少々グレて、家族の中では頭痛の種だった。挙句の果てには、20歳そこそこで駆け落ち同然で叔父と一緒に暮らすようになった。叔父はかなりの不良青年で、近隣にはちょっと名の知れたワルだったらしいが、叔母と暮らし始めてからはトラック運転手として真面目に働くようになった。生活は楽ではなかったようだが、叔母が働きに出て人並みの生活は送って来た。一男一女をもうけて、それなりに幸せな家庭を築くことができた。ただ、叔父が我儘な性格で、独善的というか、家庭内では王様のような存在で、叔母は叔父の言うことには絶対服従の態度を取り続けてきた。傍目から見るとかなり窮屈な暮らしに見えたのだが、たいして愚痴もこぼさず、家庭を維持してきたのは不思議に思うし、立派にも思える。
 私の母が存命中は、母を慕って長い間私の家で母と一緒に働いていた。私たちは「叔母さん」などと呼んだことは一度もなく、「・・ちゃん」と名前で呼んできた。働き者で、母が亡くなってからは、親戚が経営している工場へ勤めに出て、もう20年近くはなるだろう。息子が大学を卒業し、就職して結婚し、孫も一人できて一段落したと思った矢先に、なんと叔父が脳梗塞で倒れてしまった。今から6年ほど前のことだ。幸い一命はとりとめたが、後遺症が残り、運転手として働けなくなってしまった。家計を支えるため働き続けながら、叔父の看病に朝夕懸命に頑張り続け、その甲斐あってか、叔父は何とか独力で身の回りのことができるまで回復し、自力で歩けるようにもなった。体が不自由になった分、少し気弱にはなったように見えるが、まだまだ我儘を言って困らせる叔父を上手にあしらいながら、叔母はなんとか家族を支えてきた。ここしばらくは、大きな問題もなく平穏に暮らしていたのだが、最近になってまたもや叔母に試練が襲い掛かった。
 叔母には今年34歳になる娘がいるが、一度結婚して一年もたたないうちに離婚してしまい、ずっと実家で父母と暮らしている。この私の従姉妹は、一風変わった娘で、話をしていると面白い奴だが、最近妊娠しているのが分かり、子供を産むと言い出したのだそうだ。相手は誰だと、家族がいくら問い詰めても、固く口を閉ざしてどうしても言わないらしい。どうしても産んで育てると言い張るので、叔母は生まれてくる子供には何も罪はないのだから、できることはしてやろうと心を決めたらしい。妊婦が腹帯を巻く日に親戚に紅白の餅を配る風習が私の住む地域にはあるのだが、それを生まれてくる孫のためにまずはやってやろうと、私の家にもその告知に訪れた。
 その話をして叔母が帰った後に、私の父が「あいつは本当に可哀相な奴だ。何であんなに次から次に苦労が襲ってくるんだ」と半分涙ながらに、ぽつんと言った。父も末っ子で、同じ末っ子の叔母を可愛がって、自分の畑で作った野菜をせっせと運んでいくのを見ても、「運の悪い奴だ」と叔母のことを心から気にかけているのがよく分かる。叔母を見ていると本当にそんな気がする。私の知っている限りでは、そんなに楽なことはあまりなかったように思う。旅行とか楽しみに出かけたことは余り聞いたことがない。ただ、休日ごとに叔父の目を盗んでパチンコに行って遊んでくるのが、唯一の楽しみのようだ。
 叔母ももう57歳。そろそろゆっくりしてもいい頃なのに、これから生まれてくる新しい孫のために、もうひと頑張りもふた頑張りもしなければならない。私はこの叔母のことを思うたびに、とにかく丈夫でいつまでも元気でいて欲しいと願っている。
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