goo

08 ヒット商品

 このブログでも05年から毎年載せている、SMBCの「ヒット商品番付」08年度版が発表された。調べてみたら、毎年12月上旬に記事にしているので、今年は少しばかり早めなのかな、とも思うが、横綱のいない番付は初めて見たので、少しばかり驚いた。

                     東       西
                   該当なし 横綱  該当なし
              アウトレットモール 大関  5万円パソコン 
                   篤姫   関脇  花畑牧場「生キャラメル」(殊)  
              ランニング&自転車 小結  「Wii Fit」
  「モンスターハンターポータブル2nd G」 前頭1 崖の上のポニョ(敢)
       「おむすび山 赤飯風味」    同2  北京オリンピック
          ブルーレイレコーダー  同3  鉄道博物館
           ニコン「D90」     同4  H&M
             鍋の素      同5  「クロスウォーカー」
           おバカキャラ     同6  血液型・自分の説明書

      技…技能賞 敢…敢闘賞 殊…殊勲賞 「」…商品名
   <今後の注目株> Google携帯、ドラゴンクエスト最新作、付加価値ツアー
 
 「生活防衛意識の中、『選択と集中』が進む」と標題が添えられているが、原油高を源とする物価高に見舞われた前半から、アメリカの金融バブルがはじけたショックによる金融危機まで、苦しい生活を余儀なくされた今年一年を象徴している言葉だ。こんな時勢では大ヒット商品は生まれにくいのかもしれない。横綱不在という事態は10年前にもあったそうだが、その時はその後3年間横綱が不在のままだったと言う。果たして今回もヒット商品が生まれない時期がしばらく続くのだろうか。各種報道で「消費マインドが冷え切っている」と盛んに言われているが、そうした報道に接した者は「自分の財布も引き締めねば」と思ってしまうため、ますます消費が落ち込むことになる。できれば、景気のいい話をどんどん聞きたいのだが、それも一旦落ち込んだ心にはむなしく響くだけで、なんだか四面楚歌になってしまったように思えてならない。まあ、そんな閉塞感に捕らわれてばかりいても仕方ないので、小粒ながら今年ヒットした商品をざっと見てみよう。

 私はアウトレットモールには行ったことはないが、一度は行ってみたいと思っている。私の家からは岐阜の土岐市にあるアウトレットモールが一番近い。でも、どんな物が売っているのかぜんぜん知らない。
 5万円パソコンは、使わない機能を削ぎ落とした小型・軽量のミニノートPCのことであり、今年10月の販売数量ではノートパソコン全体の25%を占めるなど、急激な勢いでマーケットシェアを伸ばしているそうだ。確かに5万円ならもう一台持っていてもいいかな、という気になってしまう。
 「篤姫」はほとんど毎週見ている。幕末の人間模様はやはり面白いが、史実に即した作りになっているかどうか、時々怪しい気がして見る気が失せてしまうのは残念だ。
 タレントの田中義剛が牧場長を務める北海道十勝の「花畑牧場」で、厳選された素材を使って手作りされる「生キャラメル」は、1箱12粒入りで850円もするそうだ。水曜に北海道に行く妻に買ってきてもらいたいが、千歳空港では長蛇の列で、即刻売れ切れ状況が続いているらしいから無理な相談だろう・・。
 健康を維持するためには、ランニングや自転車で体を鍛えるのが一番安上がりな方法だ。我が家も妻が三輪自転車を買った。だが、Wii Fit を使ってするエクササイズもちょっと楽しそうだ。しかし、残念なことに私は今年買った自慢の Wii を久しぶりに訪ねてきた甥っ子にやってしまった・・。酔っ払うとやたら気が大きくなるのも困ったものだ。
 「モンスターハンター」は PSP のゲームソフトらしいが、我が家には PSP がないからまるで縁がない。その代わり「ポニョ」はちゃんと映画館で見た。「ポニョ、ポニョ、魚のポニョ」とついつい口ずさんでしまったりするから、紅白歌合戦で聞くのが楽しみだ。
 「北京オリンピック」では、どうしても星野ジャパンの不甲斐ない戦いぶりが忘れられない。WBCの代表監督が原に変わってほっとしたが、松井が出られないのだから、もうどうでもいい・・。
 ブルーレイがこれから主流になっていくのだろうが、我が家はまだDVDレコーダーをブルーレイに買い換える気などまったくない。この先壊れてしまったら、ブルーレイにしなくちゃいけないだろうが、焦って買おうなどとは思っていない、当然の話であるが・・。
 さいたま市大宮区に2007年10月にオープンした「鉄道博物館」は、TVで何度も取り上げられているのを見た。近くだったらぜひ行ってみたいが、埼玉は少し遠すぎる。同じように、スウェーデンのアパレルブランド「H&M」の銀座店・原宿店がオープンしたらしいが、多分行くことなどないだろう。出不精なのは損なのかなあ、やっぱり・・。
 私は今年 Panasonic 製の新しいデジカメを買ったが、素人にはこれで十分で、 Nikon なんて恐れ多くて買えない、でも、Nikon て聞くとなんだかプロっぽくてかっこいい。
 鍋の素と言えば、少し前に「カレー鍋」を食べた。もちろんカレー鍋の素を買ってのことだが、なかなかおいしかった。やはりカレーは王様だな。
 「おバカキャラ」のタレントたちは、もう見たくない。それと、血液型別に自分の性格を他人にわかりやすく説明するテーマで出版された「血液型・自分の説明書」シリーズは累計500万部のベストセラーとなったようだが、どうしてこんな本が売れるのか私には分からない。血液型で自分の説明が付くなんて、ちょっと安易過ぎる気がする。
 
 などといい加減な感想を長々と記してしまったが、SMBCの分析によれば、「(今年の傾向から)消費者が「選択と集中」を進めるときの基準は、「価格」「安全」「エコ」「健康」「交流(つながり)」であった。これは来年も続くとみられ、ヒット商品もこれらのテーマから生まれることだろう。特にこれらのテーマで画期的なイノベーションが起これば大ヒット商品になる可能性がある」らしい。本当にそうかどうかは、来年の今頃には分かるから、楽しみにしていよう。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ダンシング・ヴァニティ」

 筒井康隆著「ダンシング・ヴァニティ」(新潮社)を読んだ。読み始めたのはかなり前のことだったが、読み終わるのにものすごく時間がかかった。それはこの小説が、言葉と表現を少しずつ変えながら、ある場面を何度も繰り返し描写するので、途中で読むのが面倒くさくなってしまっためだ。どうしてこんなにくどくどと同じような描写が繰り返されるのか、初めはまったく理解できなかった。ある場面の繰り返しが終わって、やっと話が少し先に進むとまたすぐに繰り返しが始まって、なかなか物語が進展しない。これにはかなり辟易してしまい、しばらく読まずに居間の片隅に放っておいたら、いつの間にかトイレに置いてあった。妻が、「トイレで少しずつ読もうかな」と思って持ち込んだらいしいが、なるほどトイレで座っている短時間ずつで区切って読んでいけば、案外リズムができてくるかもしれないな、と私も1ページ2ページ、トイレに入るたびに読み進めることにした。すると結構スムーズに読むことができ、思わず4、5ページ連続で読んだりすることもあって、ゆっくりとではあるが確実にページは進んでいった。(話はなかなか進まないけど・・)まさか筒井自身は自作がトイレで読まれるなどと想定してはいなかっただろうが、この小説に関してはそれがちょうどいい読み方のように思えた。
 ブログに記事を書いていると、何かの拍子で記事が消えてしまうことが時々ある。書き終えて投稿ボタンを押すと、ログインのページに変わることがこの goo のブログには度々ある。慌てて編集画面に戻すと書き終えたはずの記事がきれいに消えてしまっている・・。何度苦汁を飲まされたことか。思わず呆然としてしまうが、いつまでも真っ白になった画面を見ていても仕方がないので、「くそっ!」と舌打ちしながらもう一度書き直すことになる。(最近はその危険を防ぐために、書き終わった記事をコピペしてから投稿ボタンを押すことにしている)
 そんな時に書き直してみると、消えてしまった文章と少しずつ違う文章になる。テーマは同じことなのに、言葉や表現方法が少しずつ変わると文章全体の印象も違ったものになる。どちらの文章がいいのかは、前の文章が消えてしまっているから比べようもないが、こうした体験を何度もしている私には、この筒井の小説は同じような体験をもとにしているのではないかと思ってしまう。そこで、私もこの小説に倣って、ちょっとした文章を何パターンか書いてみようと思う。
 
 『私は日曜日ごとに定期購読しているディアゴスティーニのDVD「刑事コロンボ」を1話ずつ見ることにしている。最初の2・3話はすぐに見たものの、その後はずっと見ないでいたため、20巻以上も溜まってしまった。これでは勿体ないと、日曜の夜、「篤姫」を見終わってから見るようになった。毎回見応えのある推理ドラマばかりだが、殺人を犯す犯人がすべて各界の有名人であるのに気づいた。一般庶民ではインパクトに欠けるのか、傍目から見れば何不自由ない暮らしをしている者たちが、計画的にあるいは突発的に殺人を犯してしまう、そうした意外性が見る者を引き付けるのかもしれないが、毎回同じではちょっとどうかと思わなくもない。
 ここ2ヶ月ほど毎週日曜の夜、「篤姫」を見終わるとディアゴスティーニから隔週で発売されている「刑事コロンボ」のDVDを1枚ずつ見ている。発売当初は何枚か見たものの、その後怠けていたから20話以上溜まっていたのを、このままでは勿体ないと思って見始めた。毎回凝ったストーリーでドラマの中に引き込まれるが、それにしても殺人犯たちが皆各分野の著名人ばかりであるのはどうしてなのだろう。一見何ら不満のない暮らしをしている者たちでも、一皮めくればドロドロしたものが心の中に流れている、と訴えたいのだろうか。それにしても毎回同じパターンでは、どうかな?と思わないでもない。
 毎週日曜日の夜に、ディアゴスティーニから出ている「刑事コロンボ」のDVDを見るようになってしばらくが経った。発売したての2、3話を見ただけで、その後は溜まる一方だったDVDの山を見て、これでは勿体ないと「篤姫」の後に見ることにした。毎回意表をついた展開でコロンボの術中にはまってしまう私だが、一つだけ気になることがある。それは人殺しをする者たちが、みな色んな世界で名を成した人たちばかりだということだ。一見人生を謳歌している者たちでも、心には深い闇を抱えているんだな、と見るたびに思うが、毎回設定が同じように見えてしまうのは、あまり面白くない』

 私の拙い文才ではこんな駄文にしかならないが、筒井センセイの文章は、ぐるぐる回りながらも確実に下降していく螺旋階段のような構造になっているから、さすがだ、感心する。しかし、そうした趣向を「「だるい」と言ってしまえば言えるだけに、この小説の評価は人によってかなり違うのではないだろうか。
 私はこの小説独特のリズムにさえ馴染めれば、最後まで読み通すことはできると思っているが、「なら、おもしろいの?」と問われれば、きっと「?」と答えるだろう・・。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

娘と

 娘が、水曜の夜遅くに帰ってきた。木曜にナゴヤドームでのSMAPコンサートに行くためだ。初めの予定では、水曜日も行くことになっていたが、研究室で何か抜けられない事情ができ、やむなく断念した。まあ、もう既に東京と大阪のコンサートには行っているし、来週は札幌ドームでのツアー最終日にも行く予定になっているから、一日くらい行けなくなってもどうってことはない、と私は思うのだが、娘や妻にとってはまさに断腸の思いの決断であったらしい・・。
 今回の娘の帰省にはそれとともに、もう一つ大切な目的がある。それは2週間ほど前に京都で財布を落としてしまい、中に入っていたキャッシュカード・免許証・健康保険証などを一切合切失くしてしまって、その再発行手続きをする必要があったのだ。紛失届けはすぐに出し、カードの再発行はもう手元に届いたようだが、免許証と保険証は住民票が京都に移してないため、こちらに戻ってきて手続きをしなければならない。と言っても、免許証がないものだから、娘は車の運転ができない。一人で行って来いと言うのも交通事情の悪い当地では少しばかり酷な話なので、木曜の午前中に私が市役所と警察署に乗せて行った。
 市役所で保険証はすぐに発行してもらえたが、警察署では簡単に事が運ばなかった。運転免許証を再発行するのには30日かかると言う。名古屋の運転免許試験場まで行けば即日発行されるのは分かっていたが、娘は金曜の昼までに京都に戻らねばならないらしく、そこまで行っている時間がないと言う。仕方なく地元の警察に行ったのだが、それにしても時間がかかりすぎる。さらに運が悪いことに、警察署は年末26日が御用納めで、新年5日が仕事始めになるそうで、これでは年末ぎりぎりにしか帰ってこれず、年明け早々に京都に戻っていかねばならない娘の日程には合わない。免許証の受け渡しは本人しか認められないし、郵送も不可だという話なので、いったいどうすればいいのか戸惑ってしまった娘が職員に向かってあれこれ事情を説明したが、当然のごとく撥ね付けられてしまった。「まったくお役所仕事なんだから!」と、このところ就職活動で動き回っている娘は、そうした職員の紋切り型な対応が鼻に付くようだ。決まりは決まりだから仕方ないとは思うが、住民の立場に立った方策をあれこれ準備しておいてもいいのに、と私までむかっ腹が立った。
 しかし、「公務員は12月27日から1月4日までずっと休みなのか・・。呑気でいいなあ・・」、そんな気持ちになって、娘に「公務員になればいいじゃん」と勧めてみたところ、まるでそんな気はないらしく、いくつかの企業名を挙げて自分の活動状態をあれこれ説明しようとした。不景気のあおりを受けて就職活動も厳しいのかと尋ねてみたら、「私たちはぎりぎり大丈夫かな」と答えた。さらに、自分よりも来年就職活動を行わねばならない弟の学年の方が厳しいじゃないかと、自分の思うところを教えてくれたが、就職活動というものを一度もしたことがない私にはよく分からない。ただ、娘の就職に関しては、「お前は都会暮らししかできないから、田舎はやめておけよ」と、地方に研究所のある会社への就職はやんわりと反対してみたが、まあ、自分の思う通りに何でもやってくれればいいし、納得いく道を選んでくれればそれでいい、と思っている。別に格好つけてそう思うわけではなく、5年も離れて暮らしていると、どこで暮らそうが元気でいてくれさえいればいいという気になる。それでも、やっぱり娘からSOSが発せられたときに、たどり着くのに長時間かかってしまうような土地にだけは住んで欲しくないと思うのは、娘が可愛いからなのだろうな・・。

 SMAPのコンサートから帰ってきた娘が塾を終えた私に、「コンビニに行こう」と言ってきた。珍しいことなので車に乗せていったが、その車中で就職の話になったものだから、「別に就職してくれなくてもいいんだけど・・」と私の本心を言ってやったら、「だって、働きたいから」と返事が返ってきた。「それはいい心がけだ」とすぐに答えたが、そんな思いが届く会社をうまく見つけられたらいいな、と心から思った・・。
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅白歌合戦’08

 松井のWBC参加が夢と消えた今、来シーズンが始まるまで何の楽しみもなくなってしまった。だが、そんな寂しいことばかり言ってもいられない、紅白があるじゃないか、大晦日の大イベント紅白歌合戦を楽しみに年末のきついスケジュールを一生懸命こなしていけばいいじゃないか、そんな天からのお告げが届いたかのように、今年の紅白の出場歌手が発表された。メンバー表を見てすぐに、「これじゃあ、民放各局とのタイアップ番組みたいだな」と思った。TBSからは「私は貝になりたい」の中居正広・仲間由紀恵両司会者、フジTVからは「クイズヘキサゴン」の羞恥心、TV朝日から「相棒」の水谷豊、さらにNTVからは「崖の上のポニョ」の大橋のぞみと藤岡藤巻など、テレビ東京を除いてすべて民放各局のかかわった番組や映画からヒットした歌手たちを集めている。今の世の中、NHK一局だけでは話題をさらうのには限界があるだろうが、それにしても手当たり次第おいしいところかき集めているようで、なにか釈然としない気持ちも残る。
 
 だが、そんなことなど瑣末なことだ。私としては今回の出場者の中に、いきものがかり、Perfume、青山テルマの三組が入っているだけでもう十分だ。若者が好んで聞く楽曲は、私ではもうとても付いていけないものばかりだが、その中でこの3組の楽曲なら何とか楽しめる。
 いきものがかりの「花は桜 君は美し」を初めて聞いたとき、今時こんな古風な詞を書く若者がいるのか、と少しうれしくなった。「万葉調」などと言っては大げさすぎるし的外れだとも思うが、そんな感じが彷彿としてくるこの曲は、いきものがかりという少し妙ちくりんなグループ名とともに、私の心をがっちりつかんだ。

 ♪花は桜
  君は美し
  春の木漏れ日
  君の微笑み
  冬が終わり 
  雪が溶けて
  君の心に
  春が舞い込む

 実は私、Perfume の隠れたファンである。家族に知られたりすると「何バカなこと言ってるの」と相手にされないだろうから内緒にしているが、かなりのファンだと自分では思っている。と言っても、3人のうち誰が誰なのかまるで知らないのだからいい加減なものだが、この際ちゃんと覚えておこうと写真を探してきた。


 写真右から「のっち」(大本彩乃)、中「あ~ちゃん」(西脇綾香)、左「かしゆか」(樫野有香)なのだそうだ。ふ~~ん、そうなのか・・。私としては「のっち」が一番可愛いと思うのだが、全員わが息子と同じ学年の女の子だから、大きな声で「Perfume ののっちって可愛いよな」とも言いづらい。まあ、ファンであることは秘めておいて、密かに応援していった方が無難だろう。でも、今年の9月まで毎週名古屋地区のラジオ局CBCで土曜の11時半から1年間放送された「Perfume のパンパカパーティー」は楽しみに聞いていたし、今年一度だけ行ったカラオケで歌った曲が Perfume の「チョコレイトディスコ」だったから、私の年齢ではかなりコアなファンだと自負しているが、やっぱりここだけの話にしておこう・・。

 青山テルマは SoulJa との掛け合いのような「ここにいるよ」が心に残る。聞いていると切なくなる・・。


 テルマのやわらかく包み込むような声にかぶさる SoulJa の野太い声、なんとも秀逸な組み合わせで聞く者を魅了する。だが、紅白には青山テルマが単独で選出されたようだから、この曲は歌わないのかもしれないが、できれば聞きたいと思う。

 こうやって考えてみると、今年の紅白はかなり楽しみになってきた。そう言えば、水谷豊も出るんだった。私の妹が彼の大ファンで、アルバムも持っていて、私も何度も聞いた覚えがある。で、何歌うんだろう?それもまた楽しみだ。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「私は貝になりたい」(2)

 「私は貝になりたい」を見に行ってきた。いつも行く映画館の一番早い上映時間を調べたら、朝の10時から12時半までとなっていた。「2時間半も!」と少々驚いたし、長すぎるんじゃないか、とも思った。「そんなに長く座ってるのは大変だな・・」と少し腰が引けてしまったが、これから年末に向けて忙しくなって、映画館まで足を運ぶ時間はなかなかとれないため、思い切って昨日出かけた。
 ここ最近、中居正広のTVでの露出の多さは異常なほどだった。すべてこの映画がらみなんだろうが、スマヲタの妻でさえ「出すぎだよ」と言うくらいだから、ファンでもない私では「いい加減にしろ」と言いたくなるほどだった。こんなに映画の宣伝に一生懸命になるのは、映画のできによほど自信があるか、まったく反対に駄作であるのを誤魔化すために中居の神通力を借りようとしているか、のどちらかだと邪推した。妻は「中居くんは相当いいものができたと思ってるみたいだよ」と教えてくれたが、スマヲタの話を鵜呑みにすることはできない。「やはり自分の目でどんな映画になっているかを見なくちゃ」などと評論家でもない私が思う必要もないが、少し前にこのブログの記事にした以上、確かめる必要は少しくらいはあるだろう。しかし、過剰な期待をもってスクリーンに向かったら、外れた場合にダメージがきついから、「もしもよかったら儲け物」くらいの気持ちで見ることにした。
 大まかな粗筋は知っているから、どうやってそれを見せてくれるかを楽しみにしていた。主人公・清水豊松が戦犯として捕まり、軍事裁判で絞首刑を宣告されるまでは息もつかせぬ展開で、じっと見入ってしまった。戦争の理不尽さ、上官の命令には絶対に逆らえない軍隊の不条理さ、愛する妻と子供から引き離される男の無念と悲しみや憤り、それらすべてが伝わってきて、私の頬には何度も涙が流れ落ちた。「中居、やるなあ」と正直感嘆した。時々は軽さが見え隠れしたが、普段の中居からは想像できないほど、真摯にこの映画に取り組んでいることが感じられた。仲間由紀恵も好演していたと思うが、息子役の子役の自然な恵演技にも驚いた。彼の素朴な顔を見ていたら、同じ年頃の甥っ子のことを思い出してしまって、「ああ、こんな小さな時に父親から引き離されたら可哀想だよな」と、心からこの親子の境遇が哀れで仕方なくなってしまった。涙もろくなったものだ、私も・・。
 だが、巣鴨プリズンに収容され死刑囚として過ごす豊松の生活を描き出す辺りから少しばかり冗長な気がしてきた。刑の執行を恐れながら日々暮らす者たちの緊迫した毎日を十分描いているとは思えなかった(鶴瓶のシーンはすべてなくてもいいだろう)。画面から緊張感が伝わってこなくなったのは、やはり上映時間が長すぎるからではないだろうか。もっと切り詰めて、家族を思いながら、ひょっとしたら赦免されるかもしれないという希望と、もしかしたらこのまま・・という絶望の間で葛藤する豊松の内面を中心に描き出したら、緊迫感とともにストーリーに奥深さが出たのではないか、などと思ってしまった。
 それでも、刑の執行を言い渡されて絶望にどん底に突き落とされる豊松を中居は迫真の演技で演じきったと思う。無理なほどの減量もこのシーンのためなのかと納得させられるほどの鬼気迫るものだった。しかし・・、やはり顔がきれい過ぎる。まったくかっこいい。これほど美しい中居を見たことがない、と言っても過言ではないと思う。だが、豊松は決して己が絞首刑されるのを受け入れてはいないのだから、死ぬ覚悟などできるはずもない。後に残していかねばならない家族のことを思って、精神に破綻をきたす一歩手前の彼があんなにきれいな顔をしていられるはずはないだろう・・(眉毛はきれいだしね)。妻は「中居くんは別嬪さんだよ」と常々言っているように、顔がきれいなのが中居だし、きれいな顔をしているのは中居が悪いわけでもない。だけど、やっぱりもっともっと心の奥底からくしゃくしゃの紙切れのような顔をしていなくちゃ・・。かなり見応えのある演技だっただけに「画竜点睛を欠く」思いがしてならない。
 さらに言えば、豊松の絞首刑のシーンを最後まで映す必要はあったのだろうか。私はあのシーンで思わず、「ギャッ」と叫んでしまった気がする。一緒に見ていた妻も伯母も「あれはちょっと・・」と眉をひそめていたから、多くの人がそう感じるのではないだろうか。なんだかそれに気を取られてしまって、その後の余韻などまるで吹っ飛んでしまったのも残念至極だった。

 「これでフランキーさんの映画も見れるなあ」と中居が思っていた以上に素晴らしい演技をしたことに気をよくした妻が言った一言が印象的だった。
 
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前赤壁の賦

 先日「三国志」にまつわる記事を書いたとき、「赤壁の戦い」にインスピレーションを受けた蘇軾が書いた賦(韻文の一種)のことを思い出した。古来名文の誉れ高いこの賦を久しぶりに読んでみたらここに全文を載せておきたくなった。以下に4段からなる賦を書き下し文、現代語訳の順に載せることにする。

 壬戌の秋、七月既望、蘇子客と舟を泛べて、赤壁の下に遊ぶ。清風徐に来りて、水波興らず。酒を挙げて客に蜀して、明月の詩を誦し、窈窕の章を歌う。少焉して月東山の上に出でて、斗牛の間に徘徊す。白露江に横はり、水光天に接す。一葦の如く所を縦にし、萬頃の茫然たるを凌ぐ。浩浩乎として虚に馮り風に御して、其の止まる所を知らず、飄飄乎として世を遺れ独立し、羽化して登仙するが如し。是に於て酒を飲みて楽しむこと甚。舷を扣いて之を歌う。歌に曰く、桂の櫂、蘭の漿。空明を撃って流光に泝る。渺渺として予懐い、美人を天の一方に望むと。 
 
元豊5年(1082)の秋7月16日の夜、私は客と舟を浮かべて、赤壁のほとりで遊んだ。清々しい風が静かに吹いて来て、水面には波も立たない。酒をすすめて客に注ぎ、「詩経」の「月出」の詩を口ずさみ、「関雎」の詩を歌った。しばらくして、月が東の山の上に出て、南斗星と牽牛星との間をゆっくりと動いていった。白いもやが長江一面にかかり、川面の光が(きらきらと)天空に接するようである。一艘の小船の行くに任せ、果てしなく広い水面を越えていく。広々として身を虚空に浮かべて風に乗り、どこまで行くのか分からないようで、ふわふわとして俗世間を忘れてひとりいる気分で、羽が生えて仙人となって天に登るような気持ちである。そこで、酒を飲んで大いに楽しんだ。船べりを叩いて(拍子をとり)このような歌を歌った。歌の文句は、「桂の香木の櫂と蘭の香木の槳で、川面に映る月の光に掉さして、水面にきらめく月の光をさかのぼる。遥かに遠く我が思いは、美しい月を天空の一方に望み見る」と。  

 客に洞簫を吹く者有り。歌に倚りて之に和す。其の声鳴鳴然として、怨むが如く慕うが如く、泣が如く訴えるが如く、余音嫋嫋として、絶えざること縷の如し。幽壑の潜蛟を舞はしめ、孤舟の寡婦を泣かしめ。蘇子愀然として襟を正す、危坐して客に問いて曰く、何為れぞ其れ然るやと。
 客に洞簫を吹く者がいて、歌に合わせてこれと合奏した。その音は悲しみ嘆くような音色で、恨むようで慕うようで、また泣くようで訴えるようであった。余韻は細く長く続いて、絶えないことは細い糸のようである。奥深い谷に潜むみずちを舞わせ、一艘の小舟の未亡人を泣かせ(るほどだっ)た。私は憂いて顔色を変え、襟元を正して、正座して客に尋ねた、「どうしてそれはこのような(悲しい音である)のか」と。  

 客曰く、月明らかに星に稀、烏鵲南に飛とは、此れ曹孟徳の詩に非ずや。西のかた夏口を望み、東のかたに武昌を望めば、山川相繆うて、欝乎として蒼蒼たり。此れ孟徳の周郎に困しめられしとかろに非ずや、其の荊州を破りて、江陵より下る、流に順い東のかた、軸艫千里、旌旗空を蔽う 酒を。妥んで江に臨み、槊を横てて詩を賦す。固に一世の雄なり。而るに今安くに在りや。況や吾と子と、江渚の上に漁樵して、魚蝦を侶として麋鹿を友とする。一葉の軽舟に駕り、匏樽を挙げて以て相蜀し、蜉蝣を天地に寄せる.、渺たる滄海の一粟なり。吾生の須臾なるを哀しみ、長江の窮り無きを羨む。飛仙を挟んで以て遨遊し、明月を抱いて長しえに終えんことを、驟かに得可かざるを知り、遺響を悲風に託するなりと。
 客が言うには、「『月が明るく星がまばらで、カササギが南に飛んでいく』とは、これは曹孟徳の詩ではないか。西の方向に夏口を望み、東の方向に武昌を望めば、山と川とが互いにまつわりあい、こんもりとして草木が生い茂っている。この辺りは孟徳が(呉の)周郎に苦しめられた所ではないか。(孟徳が)荊州を破り、江陵から(長江を)下って、流れにのって東へ向かうその時には、船が多くて舳(とも)と艫(へさき)が続いて千里にも及び、軍の旗は空をおおうほどであった。(その時孟徳は)酒を酌んで飲み長江を目の前にして、槊(ほこ)を横たえて詩を作った、本当に時代の英雄である。しかしながら(その英雄は)今どこにいるというのか、いやどこにもいない(死んでしまったのだ)。まして私と君は、長江のほとりで魚をとり、きこりをし、魚やえびを友として大鹿や小鹿を仲間として、(時には)一艘の小船に乗り、酒の器をもってすすめ合い、かげろうのようにはかない身を天地にまかせる、はるかな大海原の中の一粒の穀物のような存在では、なおさら(死ぬのは当然)のことだ。私の人生がほんのしばらくの間であるのを悲しみ、長江が尽きることのないのをうらやましく思う。空飛ぶ仙人と腕を組んで気ままに遊び、明月を抱いて永遠に生き遂げることは、急にはできぬとわかっているから、洞簫の音の余韻を寂しい秋風に託したのだ」と。    

 蘇子曰く、客も亦夫の水と月とを知るか。逝く者は斯の如くなるも、而も未だ嘗て往かざるなり。盈虚する者は如彼の如くなるも、而も卒に消長すること莫きなり。蓋し将其の変ずる者よりして之を観れば、則ち天地も曾て以て一瞬なる能はず、其の変ぜざる者よりして之を観れば、則ち物と我と皆尽くること無きなり。而るに又何をか羨まらんや。且つ夫れ天地の間、物には各々主有り。苟くも吾の有る所に非らずんば、一毫と雖も、取ること莫し。惟江上の清風と山間の明月とのみは、耳之を得て声を為し、目之に遇うて色を成す。之を取れども禁ずる無く、之を用いるも竭きず。是れ造物者の無尽蔵なり。而して吾と子との共に適する所なりと。客喜んで笑い、盞を洗いて更に酌む。肴核既に尽きて、杯盤狼藉たり。相い與に舟中に枕籍して、東方の既に白くりを知らず。
 私が言うには、「君もあの水と月とを理解しているのか。去り行くものはこの(水の)ようであるが、まだ流れ去ってなくなったことはない。満ち欠けするものはあの(月の)ようだが、結局は消えたり大きくなったりするのではないのである。つらつら思うに変化するものからこのことを見ると、この天地ですら一瞬間も同じ状態ではありえない。(逆に)変化しないものからこのことを見ると、万物も私もすべて尽きることはないのである(全ては悠久のものだ)。それなのにこの上に何を羨ましがることがあろうか。そもそもまた天地の間にあるものは、それぞれ所有者がある。仮初にも自分が所有するものでないならば、一本の毛と言えども取ってはならない。ただ長江の上を吹く清々しい風と、山あいの明月だけは、耳に入れば音楽となり、目に映れば美しい景色となる。これらを取っても禁じるものはなく、使っても尽きることがない。これは万物を創造した神の尽きることのない倉なのだ。そして私と君とのともに心にかなうものである」と。客は喜んで笑い、杯を洗って改めて(酒を)酌んだ。酒の肴はもう無くなって、杯や大皿が散乱している。そして二人はともに船の中で互いに寄りかかって寝てしまい、東の空がもう白く明けてきているのも分からなかった。 

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州場所

 相撲もなあ・・。なんだかもう面白くないよなあ。
 夜中にNHKでやってるダイジェスト版をたまたま見たりすると、観客席がまるで埋まってないのが目立ってしまって、取り組みに集中できない。いくらなんでもこれじゃあダメだろう、そんな気がするほど空席が目立って仕方のない場所だった。それも当然だろう、力士の大麻事件、八百長疑惑、さらには朝青龍の連続休場・・、相撲界がこうした問題に正面から取り組んでこなかったツケが回ってきた結果としか思えない。自業自得といってしまえばそれまでだが、自浄作用のない組織など早晩滅んでしまうしまうだろう。そうした運命に相撲界が甘んじるかどうか、新理事長になって2場所目の九州場所、かなり冷めた目で見ていた私には、果たしてファンの期待に応えられたかどうか、かなり危なっかしいものであった・・。
 確かに千秋楽を相星で迎えた横綱・白鵬と大関昇進を事実上決めたばかりの関脇安馬が共に勝って、13勝2敗で優勝決定戦に臨んだから、最終盤になってやっと土俵が盛り上がりを見せた。結果は番付通り横綱が貫録勝ちしたが、安馬の健闘は特筆ものだ。安馬の体は少し前と比べて、かなり大きくなった。白鵬と並ぶとやはり一回り小さいが、それでも朝青龍と遜色ないまでの大きさになったのではないだろうか。もともと身長は 185cm と私と同じくらいの長身であるいから、肉さえ付けば堂々とした体躯になれるはずだ。それが、ここまで大きくなったのは、安馬本人の自覚と精進の賜物であろう。白鵬を破った相撲も見たが、ひるむことなく真正面からぶつかった結果の勝利で、彼の強さが際立った一戦だった。優勝決定戦では惜しくも敗れたが、かなりの善戦をしたのは地力が付いてきた証拠であろう。(なによりも決定戦で負けた後の悔しそうな顔がすばらしかった・・)。
 

 新大関が誕生するのは角界にとって喜ばしいことであろうが、ファンとしてはこの九州場所は物足りない気がしてならなかった。優勝争いに横綱が絡むことは当然のこととして、4人いる大関がまったく優勝争いに加わらなかったのは、寂しい限りである。特に私が応援している琴欧洲の不甲斐なさには目を覆うばかりである・・。千秋楽を7勝7敗で迎えるなんて何場所か前に優勝した大関としては余りに情けない。序盤で負けがこんでしまい、新聞の結果を見るたびに「まったくもう・・」と舌打ちするしかなかった。いったい何がいけないのだろう。白鵬戦を見たが、がっちり組みとめてから繰り出す技の鋭さが余りに違っているように思えた。あれだけの上背があれば組み止めて慌てさえしなければ、必ず勝てるはずなのに、それができないのはやはり精神力に問題があるのだろう。初優勝して吹っ切れて一気に横綱まで駆け上るものだと思っていた私には、余りの情けなさに目を覆うばかりだ・・。
 朝青龍の復帰などまるで当てにならない現状では、琴欧洲が要になると私はずっと言い続けてきた。白鵬vs.琴欧洲が看板の取り組みになりさえすれば相撲人気も少しは回復するのではないか、そうした希望を持っていた。だが、どうにも私の思い描いていたシナリオ通りにことは運ばないようだ。所詮は素人の妄想かと思っていたところに安馬の快進撃が始まった。痩せ細ってとても相撲取りには見えなかった彼がいつしか肉をつけ大関横綱と対等以上に戦うようになったのは、驚きと共に喜びを感じる。白鵬・朝青龍・琴欧洲の三つ巴を期待していた私ではあるが、これからは白鵬・琴欧洲・安馬が軸となって相撲を盛り上げていってくれるよう願うばかりである。
 しかしながら、やはりガラガラの会場を見るのは余りに忍びない。「かまわんよ」と言いながら会場に詰めかけてくれる人々が一人でも多くなるようにしなければならない。それには相撲内容の充実しかないのだろうが、こんな私の気持ちが相撲協会の幹部にまで伝わるのはちょっと難しいかな・・。それが問題なんだろうけど・・。
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

救心

 別に年だから、などと愚痴るつもりはない。かと言ってまだまだ若い、などと見栄を張りたくもない。だけど、やっぱり年齢を感じずにいられなくなってきた。悔しいけど事実だから仕方がない。
 と言うのもこのところなぜか心臓が痛む。子供の頃から心臓がきゅっとなったり、裏側が痛くなることはよくあったが、最近はその頻度が高くなってきた。痛みがきつくて我慢できないほどだったら、さすがの私も「病院に行かねば」と思い切ることもできるだろうが、それほどでもないから、病院に行く気にはなれない。でもやっぱり心臓が痛いのはいやだ。気分が悪い。なので、少しでも痛みがなくなれば、と思って薬を飲むことになる。「救心」だ。


 この「救心」はサイズとしては大きな壜に入ったものだが、それでもこんなに小さい。一粒一粒が小さなものだから、これくらいの壜でも相当な数入っているが、これだけ小さいと壜に貼られたラベルの文字がむちゃくちゃ小さい。老眼の進んだ私ではこんなに小さな字を読み取ることは無理な相談だ。いったい幾粒飲めばいいのか、用法を読もうと思っても読み取ることが難しい。仕方なく、小学生に「何粒飲めって書いてあるか読める?」とたずねてみた。
 するとさすがに小学生、即座に「大人は2粒って書いてあるよ」と教えてくれた。若いって、いいなあ・・。
 だけどこの「救心」、口に入れると子供の頃よく飲まされた「宇津救命丸」によく似た味がするのはなぜだろう。成分が似ているのだろうか?気になって調べてみた。
 「救命丸」は、4種類の動物性生薬、ジャコウ(麝香)・ゴオウ(牛黄)・レイヨウカク(羚羊角)・ギュウタン(牛胆)と4種類の植物性生薬、ニンジン(人参)・オウレン(黄蓮)・カンゾウ(甘草)・チョウジ(丁字)からできているらしい。いずれも生薬なので、0歳児から飲んでも体に害はないと言われている。一方「救心」も、センソ(蟾酥)・ジャコウ(麝香)・ゴオウ(牛黄)・ニンジン(人参)・レイヨウカクマツ・シンジュ(羚羊角末・真珠)・リュウノウ(龍脳)・動物胆という8種の動植物生薬がそれぞれの特長を発揮して、どうきや息切れにすぐれた効きめを現わすと効能に謳われている。
 なるほど、どちらも生薬からできているため、広い意味では漢方薬の範疇に入れてもいいようだから、成分が似ているのはある意味当然なのかもしれない。(成分を細かく調べてみようとしたが、なんだかおどろおどろしい物から抽出しているようなのすぐに止めた。全部調べたら気持ち悪くて薬を飲めなくなってしまう・・。ただ、「救心」をなめたり、口の中で溶かすようにして服用すると、舌や口中がシビレたようになるのは、成分中のセンソ(蟾酥)に局所麻酔作用があるために生じるものだというのを知ったときはちょっとばかりぎょっとした)
 
 ここ数日寒さが急に厳しくなって、私も風邪を引いたのかもしれない、一昨日から声が嗄れてしまって、はなはだ聞き辛い。風邪を引いて鼻声になることはよくあるが、こんなに嗄れ声になってしまったのは珍しい。別に大声を張り上げたわけでもないのにどうしてなんだろう。風邪薬はずっと飲んでいるが、なかなか声が戻らない。ここ数年、一度風邪を引くと元通りになるのにかなり時間がかかってしまうから、自分なりに用心しているつもりだが、毎年冬になる前に一度は軽い風邪を引いてしまう。まあ、これで免疫ができ、二度と風邪を引かずに一冬すごせるのが毎年の恒例だから、仕方のないことかもしれないが、やっぱり少しでも早く治さなくちゃいけない。
 ただ今年は寒さがもっときつくなると心臓がキューンと縮むことが多くなりそうないやな予感がしないでもない。念のため「救心」をいつも手の届くところに置いておかねばならないかもしれない・・。そうだ、「ユンケル」も忘れずにね!。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SM診断テスト

 Mixi をやってる女子高生が、「先生も試して」と言ってバトンを送ってきた。バトンは昔よくやったが、ここ最近はまったくのご無沙汰だ。余り面白いものではないが、せっかく送ってくれたのだから試さねば申し訳ない。ならばこのブログのネタにしまえ、とはなはだ短絡的に、以下に貼り付けることにした。その名も「SM診断テスト」・・・。「今どきの高校生は・・」と思わないでもなかったが、設問はたわいもないものばかりなので、軽い気持ちで試してみた。まずは問題。

以下の問いに○か×で答えてね。
 1.タンスの角に小指をぶつけたら舌打ちをする。
 2.雨の中捨て猫を見つけたけど、家では飼えないから、ほっといてさらに濡らす。
 3.よく行儀が悪いと言われる。
 4.掃除が大の苦手だ。
 5.よく親子喧嘩をする。
 6.テレビが映らなくなった。テレビを叩いてみる、むしろ壊す。
 7.好きな人に、心にも無いことを言ったことがある。
 8.リレーは得意なほうだ。
 9.歯磨きは結構短時間で終わる。
 10.毛糸が絡まった!ほどくのを諦めて新しいのを使う。
 11.球技系のスポーツが大好き。
 12.逆に水泳やスケートは嫌い。
 13.携帯でメールを打つ時は大体左手。
 14.朝に弱い。
 15.友達が髪を切っていると真っ先にいじりに行く、更に自分も切りに行く。
 16.ハンカチなんか持ち歩かない。
 17.甘いものがあまり好きではない。
 18.大体のものは素手で倒せると思う。
 19.友達に叩かれると叩きかえす。
 20.正直このテストに答えるのが面倒だった。

私の結果は、
1○、2×、3○、4×、5×、6×、7○、8○、9○、10○、11○、12○、13×、14○、15×、16○、17×、18×、19×、20○
ということで、○は合計11個。これを次の評価に当てはめると、

 結果発表
  ○が18-20個・・ドS
  ○が13-17個・・S
  ○が10-12個・・SとMの中間
  ○が5-9個 ・・M
  ○が0-4個 ・・ドM

なんだ、SでもMでもないのか・・、何て中途半端な結果だろう・・。
 昨今、小学生でもSだ、Mだと平気で使うが、それは昔のように身体的な嗜好をさすものではなく、精神的な性向を評する言葉として使われる場合が多いように思う。そうした定義に従えば、「自虐的かな?」と思うこともあれば、「意地悪だな」と思うこともよくある私は、やはりSとMの中間なのかもしれない。子供の頃に「気が弱いくせにいじめっ子」だったのは今でもあまり変わっていないように思うから、どっちつかずの結果が出るのも仕方ないかもしれない・・。
 しかし、状況によって、また相手によっても身の処し方が変わるのは当然のことだから、ある時はM、またある時はS、というのがバランスが取れてていいのかもしれない。などと、こんな他愛もないバトンの結果を真剣に考えてしまう私は、SでもMでもないAHO!だ。
(わっ!AHOとASOってよく似てる・・)
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬を目前にして

 昨日は木曜日、普段なら本屋へ行く日だが、いつもの書店は閉店当日。前日に支払いを済ませているのでもう用事はない。だが、毎週本屋に行く途中に寄っていたデニーズまではいつもどおり出かけた。お目当ては前夜TVで見た「ラ・フランスのスイーツサプリ」。なんと91kcalしかないデザートらしい。


 「今が旬のラ・フランスと、果実の食感を感じる彩り鮮やかなカシスソルベをトッピングし、ヨーグルト仕立てのデザート」という説明が書いてあったが、食べてみると実においしい。このところ、ラ・フランスが大好物になり、ヨーグルトのおいしさにも目覚めた私にはもってこいのデザートだ。カシスのソルベも甘さを引き立てる役割をしていて絶妙な取り合わせだと思った。やっぱりデニーズはおいしい!!
 満足して、少し離れた新しい書店に書籍の定期購読を申し込みに行った。一階がDVD・CDのレンタルショップで二階が書店となっている。週刊モーニングが入荷されてないというのにはちょっと驚いたが、注文すれば取り置きしてくれるそうなので、ちょっと安心した。なんにせよ、本の数が多い書店なのでこれから1週間に1度訪れるのが楽しみだ。
 
 家に帰ってシンビジュウムの鉢を私の部屋に取り込んだ。2日ほど前に名古屋で初霜を観測したと新聞に出ていたと妻から聞いて、慌てて仕舞うことにした。庭に並べてあった鉢を両手に抱えて持ち上げたところ・・。


 ダンゴ虫だ。植木鉢の下に身を隠して冬を越そうとしていたのだろうか。ちょっと申し訳ない気もしたが、私の部屋に一緒に連れて行くわけにはいかない。「ごめんよ」と謝って鉢を運び始めたら、両手に持った鉢にそれぞれ芽が出ているのに気づいた。

 

 毎年春先に新しい芽が少しずつ出るが、出てきた芽が花の芽なのか、葉の芽なのか、植物に詳しくない私では区別が付かない。もうしばらくたつと先が膨らんでくると花の芽だと分かるが、この状態では何とも言えない。それにしても、この時期に芽が出るなんて珍しい。ずっと暖かかったから、間違って芽を出したのだろうか?水遣りや栄養剤を欠かさずに何とか大きく伸びてくれるようにしたいと思う。

 このところ急に寒くなったものだから、バタバタと冬支度を始めたが、バスのタイヤに関しては先日の車検の時にスタッドレスタイヤに交換してもらった。別の一台もたまたまリコールの案内が来ていたので、修理してもらった時についでにタイヤ交換までしてもらった。少し早いかな、とも思ったが、機会を逃したら自分で交換しなくちゃいけなくなる。そんな大仕事はなるべく避けたかったら、なんだかとても運がよかったように思う。
 今週末からは期末試験の対策授業を始めねばならないし、冬期講習の準備もしなくちゃいけない。12月になったら受験生の父兄との学習相談も催さねばならない。ぼやぼやしてたら年末まで一気に過ぎてしまいそうだが、しっかり腰を据えて一日一日を大事にしていかねばならないと思っている。頑張ろう!!

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前ページ