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春の一日

 日曜日、たまには出かけてみようかと妻と伯母を誘って、三河湾の蒲郡に行った。無駄な道路はいらないからガソリンを25円安くしろ、と毎日叫んでいる私ではあるが、できてしまった道路は有効に利用せねばもったいない。高速道路を乗り継ぎ1時間ほどで着いた。まずは三河湾に浮かぶ竹島にある八百富神社に参拝しようと、海に架かった長さ387メートルの橋を渡って行った。

  

 曇り空で、橋の上は海からの風で肌寒かった。普段から運動不足の私には橋を渡りきるのもなかなか辛かったが、80才を越えた伯母が休むことなく元気に歩いていくものだから、へこたれるわけにはいかない。何とか渡り終えたものの、次には長い階段が待っていた。

  

 「登れる?」と心配する私に、「大丈夫」とニコニコ答えて伯母は黙々と階段を登っていく。大正15年生まれの老婆にはとても見えないほどの健脚だ。驚きながら登っていくうちに、本殿に着いた。この神社は、日本七弁財天のひとつであり、開運・安産・縁結びの神としても知られているのだそうだ。
 参拝を済ませ、本殿を過ぎて急な坂を下っていくと島の裏側に出る。ここから三河湾を眺めながら、橋の袂まで細い遊歩道ができている。以前何度か歩いたことがある私は、その道がかなり歩きにくいことを知っていたので、その旨を伯母に伝えると、今度も「大丈夫」と言ってスタスタ歩き始めた。いったいこのパワーはどこから来るのだろう・・。

  

 また橋を渡って車にたどり着いた頃には私の足は重くなっていたが、伯母はけろりとしている。それでもエネルギーの消費は大きかったようで、昼食のために入ったうどん屋では、いつもよりも食が進んでいた。「ああ、おいしかった」という伯母の言葉が号令になって、次には土産を買うために少し離れた海鮮市場へと向かった。

  

 この「味のヤマスイ」は「めひかりの唐揚げ」で有名だ。めひかりという体長10cm弱の小魚を、から揚げするばかりの状態にして売っている。試食用に揚げられたアツアツの唐揚げは本当においしい。「家で揚げるとこうはおいしくないんだよね・・」と妻はこぼしていたが、伯母と二人で何箱か買った。こういう場所での伯母のパワーはさらに加速する。はっと気づいたら、両手にいっぱい包みを抱えていた。まったく恐るべき婆さんだ・・。
 さらにこの後、「えびせんべいの一色屋」にも立ち寄った。

  

 店内に所狭しと並んでいるせんべいの数々。いったい何種類あるのだろう。試食もできて、ぱりぱり食べてみたがどれもおいしい。妻と伯母が「うんうん」と頷きながらどんどん手に取っていく。「小腹が空いたときにはちょうどいいから」とか何とか理由をつけて、結局二人とも大きな袋を抱えて店を出た。どうしてこんなにも元気なんだろう、二人とも・・。
 
 帰りの車の中では、「楽しかった」「ちょっとした旅行だったね」と、伯母と妻が話し合っていたから、高速道路の運転に神経を使ってかなり疲れた私ではあるが、それなりに楽しい一日を過ごせたように思えて、満足した。
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「人間失格」について

 

 太宰治の「人間失格」がちょっとしたブームらしい、少し前の毎日新聞にそんなことが書いてあった。07年夏に集英社文庫の「人間失格」を「DEATH NOTE」で知られる漫画家、小畑健の作品に変えたところ、販売部数が急増し、しかもそれが続いているというのだ。さらに、これも昨年7月に発売された「まんがで読破 人間失格」(イースト・プレス)が、コンビニで20代後半~30代を中心に購入されているという。「太宰や彼の生きていた時代を全く知らない人が増え、時代が一巡りして新しいフィクションとして味わわれている気がします」という関係者の話も紹介されていたが、太宰、しかも「人間失格」が何故このように読まれるようになったかを考えてみるのは、現代社会の深層を読み解くヒントになるのではないかと、10代に読んで以来手に取ることのなかった「人間失格」を読み返してみた。
 私はさして太宰が好きではない。どういうわけか、筑摩書房版の太宰全集は持っているが、ほとんど読んだことはない。もちろんそれ以前に文庫本で主な作品は読んでいるが、大きな影響を受けた作家ということはできない。ただ、「逆行」という作品は虚勢を張る太宰の真骨頂を表したものとして、深く心に残っている。太宰は東大の仏文科を中退した男であるが、私が仏文を志したのにはこの「逆行」が少なからず刺激を与えたというのは否めないと思う。R・ラディゲの「肉体の悪魔」が高校生の私に与えた衝撃は深甚なるものであった。夢遊病者のように何度も読み返したのを覚えている。それと匹敵するほどの衝撃を受けたのが、徹頭徹尾シニカルな言辞で埋め尽くされている「逆行」、特に「盗賊」であった。10代の私を深く揺さぶって、その中の一節、「フローベルはお坊ちゃんである。その弟子モーパサッンは・・」を、意味も分からず繰り返していた。大学など中退するものだと、入学する前から嘯いていた私が、太宰を信奉していなかったと言ったら嘘になるだろう。
 しかし、「人間失格」に描かれた「葉蔵」という人物は虚勢などまったく張らず、己の惨めさ、弱さを何の防御もなく曝け出す。自虐的ともいえる数々の告白は、太宰の来歴を知っている読者にとって、太宰の人生そのものだと受け取れる。もちろん小説という仮構の世界の話であるから、全てが太宰の体験だと思ってはいけないのだろうが、どうしったって太宰そのものだと思ってしまう。
 そのあたりを警戒してか、一応、書き手である私が、ある男の手記を発表するという体裁を整えている。三葉の写真、「ひとをムカムカさせる表情の」幼年時代の写真、「生きている人間の感じのしない」「不思議な美貌の青年」の写真、「ただもう不愉快、イライラしてつい眼をそむけたくなる」ような「不思議な男」の写真、を見た書き手の印象そのものの男の半生が綴られた手記が中心となっている。この葉蔵という男は、はっきり言ってどうしようもない男だ。地方の素封家の息子に生まれ何不自由ない生活を保証されて、東京に出てきて愚行を繰り返す・・。彼なりに言い訳は用意されているものの、そんなものは金持ちのボンボンがひねり出す戯言にしか思えない。そこに幾ばくかの人生の真実があったとしても、今の私には到底理解できない。10代、もしくは20代前半の若者ならば共感することもあるかもしれないが、50近くなった私にもとても無理な話だ。これをもって己の感受性が鈍ったと思いたくはない。多少なりとも、世間の荒波にもまれてきた身としては、「甘ったれるな!」と罵声を浴びせたくなってしまう。世間知に犯されたと笑わば笑え、どうしたってダメなものはダメなんだから・・。
 はっきり言って、「人間失格」の太宰はかっこ悪い。人間として失格しているのだからかっこ悪いのは当たり前かもしれないが、それにしても最後に葉蔵が世話になった女性に「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さへ、飲まなければ、いいえ、飲んでも、・・・神様みたいないい子でした」などと語らせては、太宰自身が己のそれまでの半生を言い訳したもののように聞こえて、なんだか興ざめな気分がしてしまう。これが太宰の太宰たるゆえんだ、と言えるのかもしれないが・・。
 
 やっぱり、太宰には「逆行」がよく似合う。
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折り紙

 今、サントリーのお茶「伊右衛門」の500mlペットボトルに折り紙がおまけに付いている。絵柄が6種類、それぞれ2色ずつあって、全部で12種類ある。1本についているのは1種類だけなので、全種類集めようとすると1ダース買うことになる。少し前に同じサントリーのウーロン茶に動物を模ったマグネットがおまけについていて、全種類集めたが、間髪入れずに今度は折り紙だなんて、やたら私の射幸心を煽ってくれる。毎日1本はペットボトルのお茶かウーロン茶を飲んでいる私だから、行きがけの駄賃みたいなものですぐに集められるが、なんとなく、サントリーの術中に嵌まってばかりいるようで、少々面白くない。とは言え、小さな折り紙の絵柄や色使いがいかにも和風なのが気に入ってしまい、すぐに12種類集めてしまった。(おかげで冷蔵庫の中は伊右衛門でいっぱいだ・・)

  

  

 1つの袋の中にこの中の1種類の折り紙(1辺約6cm)が8枚と、折り方説明書が1枚入っている。私は以前このブログで、千円札を使った折り紙を実際に折ってみたことがあるが、どうにも罰当たりなような気がして、その後いっさい折っていない。でも、この折り紙ならばなに憚ることなく気持ちよく折れるだろうと、説明書を見ながら折ってみた。12種類の折り方があるのかと思っていたが、絵柄が同じものには同じ説明書が入っていたので、6種類作ることができた。説明書が分かりやすかったお陰で何とか全て完成できたが、そもそも折り紙が小さなものであるから、手先があまり器用ではない私は所々苦労した。その成果・・。

やっこさん                  蝶々              小鳥
 
  

重ね箱                   笹舟              兜
      
  


 ただの真四角な紙から、空間的広がりを持った造形を生み出す想像力の豊かさには驚く。途中何を作っているのかわからなくても、説明の通りに最後まで折ってみると、ちゃんとしたものが出来上がるのは不思議だ。やっこさんと兜は今までにも何度か折ったことがるが、他のものは皆初めて折るものだった。
 昔よく折った鶴の作り方説明がなかったのは残念だった。仕方がないので記憶を辿りながら久しぶりに折ってみた。             


う~~ん・・、なんだか変だ・・。
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祝辞

 
 
 新郎新婦ならびにご親族の皆様、本日はまことにおめでとうございます。一介の松井ファンに過ぎない私ではございますが、祝辞を述べさせて頂くという大役を仰せつかり、はなはだ僭越ではございますが、少しばかりお時間を拝借いたします。
 紹介が遅れましたが、私塾長と申します。新郎松井秀喜君の活躍を願い、日夜応援に勤しんでおる者ですが、もともと大の巨人ファンであり、巨人の主力打者として数々の栄光に輝いてきた松井君が、NYヤンキースに移籍すると聞いた時には、正直失望いたしました。まだ日本でやり残したことがあるだろう、と少々冷たい思いで見ておりましたが、ちょうど開幕して一ヶ月ほどした頃、たまたまチャンネルを合わせたNHKの番組で、メジャーリーグの「揺れるボール」にタイミングが合わず、悪戦苦闘する松井君の姿を見たとき、「松井が私に助けを求めている、今私が応援しなくてどうする!」と全身に衝撃が走りました。些か強迫観念めいた思いでしたが、それが全ての始まりでした。それ以来、私の生活の中心に松井君がどっかと座って微塵も動いてくれなくなり、松井君の夢であるワールドチャンピオンが私の夢となりました。
 思い返せばもう5年が過ぎました。その5年は松井君にとっても私たちファンにとっても、まさに茨の道でした。最初の年こそワールドシリーズに駒を進めたものの敗退、その後はワールドシリーズにも進めない苦汁を飲み続けてきました。松井君自身も06年には左手首骨折、07年には太ももの肉離れとひざ痛など、相次ぐ怪我に悩まされ、満足いく結果を残すことができていません。敢えて厳しいことを申すなら、ヤンキースの主力として松井君が十分に働いていないからこそ、ワールドシリーズ優勝という夢が実現できていないのです。08年のシーズンも間もなく始まりますが、右ひざ手術を乗り越えどれだけの活躍ができるか、楽しみでもあり、不安でもあった今日この頃だったのですが、そんな折に「松井が結婚!」という思いがけぬ報を受けました。「何故今?」と第一報を聞いたときには思いましたが、よくよく考えてみると合点がいきました。結婚することによって、全ての基本である日常生活がしっかりしたものになり、後顧の憂いなくひたすら野球に打ち込める環境がやっと整ったのではないだろうか、これなら間違いなく大活躍が期待できる!--そう思い至り、よくぞ決断してくれた、と快哉を叫びました。
 私は松井君のお顔を直に拝見するのは今日が初めてでありますゆえ、奥様のことはもちろんまったく存じ上げておりません。しかしながら、松井君が書かれた「告白」という本の中に、「恋愛観」という一章があり、そこに書かれていることから、松井君が結婚を決意された奥様の人となりが浮かび上がってくるような気がいたしますので、何節か引用させて頂きます。
 
 >相手に対する思いやりの気持ちとか、細やかな気配りの気持ちというか。常に相手のことを考えてくれる女性がいいです。
 >自分を感動させてくれる女性がいいです。日常生活の小さなサプライズというのではなく、小さな感動でいい。「この子はこんなところまで気がついて偉いな」という小さな感動です。そういう女性が素敵だと思います。
 >自分はいい加減で、ずぼらなほうだと思いますから、そんな自分が気づいていることだったら、余計に相手には気づいてほしい気持ちがどこかにあります。だから相手を思いやり、気配りと心配りのできる女性には惹かれます。

 確か結婚発表後の記者会見でも、奥様のことをそんな風に言っていらっしゃいましたね。松井君にとって本当に理想的な女性でいらっしゃるようで、心から嬉しく思います。
 「未来の花嫁には、毎日でも『愛してる』と言える」とも書いていらっしゃる松井君ですから、きっと素晴らしい家庭を築かれることでしょう。そして、その家庭の力が後押しとなって、松井君の夢、私たちファンの夢である、チャンピオンリング獲得を必ずや実現させてくれるものと信じております。
 
 脈絡もなくだらだらと述べてしまいましたが、最後に、私がいつも叫ぶ言葉でお祝いの言葉を終わらせていただきたいと存じます。
 『頑張れ、松井!!!』

 幾久しくお幸せに!!


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チキンラーメン

 昨年末、セブンイレブンで映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」とタイアップした、昭和を感じさせる商品のことを記事にした。その少し後に、同じセブンイレブンで、日清食品「チキンラーメン復刻版&ひよこちゃんふた付きDONBURIセット」なるものを見つけたので、またブログのネタにしようと思って買った。


 すぐに食べればよかったものを、年末の忙しさにかまけてついつい先送りしている間にいつの間にか忘れてしまった。それが先日妻がどこからか箱を持ち出してきて、いきなり作り始めた。それを見た途端に、ブログネタを一つ損してしまうのを避けたい一心で、携帯を取り出してチキンラーメンを作る様子を写真に撮ろうとした。しかし、私の心中を察した妻が、意地悪くブロックしてしまったため上手く写真が撮れなかった。折角のネタを無駄にしたような気がして面白くないが、それでも何枚か無理やり撮ることができたので、以下に載せてみようと思う。
 妻は箱に書いてあった、「フタ付きチキンラーメン専用どんぶりで、チキンラーメンのおいしい食べ方No.1”生卵のせ”が簡単・きれいに作れます」という作り方の通りに作ったので、以下にそれも併せて載せてみる。

①丼にくぼみを上にして、傾かないように麺を入れる。
②麺のくぼみ”たまごポケット”に生卵”をそっと入れる。
③熱湯を直接卵の白身にかかるようにそっと回し入れ、内側の線まで注ぎふたをする。

 
 
④3分たったら”たまごのせ”完成!!


 これでうまくいったのかどうかよく分からない。と言うのも私は食べていないからだ。ラーメンは大好きであるが、チキンラーメンだけはあまり食べたいと思わない。大学生の頃、下宿で電気ポットに湯を沸かして丼に入れたチキンラーメンに注いで食べた侘しさを思い出すからかもしれない。自炊なんて滅多にしたことがなく外食ばかりだったが、ほんのたまにご飯を炊いて魚フレークの缶詰とチキンラーメンで夕食にしたことがある。おいしいことはおいしかったが、一人で食べるご飯はやっぱりつまらない。友達とバカ話しながら食べることに慣れていた私にはその時の寂しさが、チキンラーメンの中に凝縮されてしまったのかもしれない。そんな事情を知っている妻は、私に「食べる?」とも聞かず、黙々と食べていた。まずくはなかったんだろう・・。
 チキンラーメンの生まれたのは私と同じ昭和33年。TVCMで「誕生50周年!」と大々的に宣伝されているが、その度に「ああ、俺も今年で50か・・」などとカウントダウンが始まったような気がしてくる。年などいくつでももうどうだっていいが、それでもやっぱり50歳っていうのはちょっとイヤだ。せいぜい気持ちだけは若いつもりでいよう!と意気込んではいるが、果たしてどこまでいけるものやら・・。

 なお、チキンラーメンのサイトはこちら。ちょっと面白い。
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卒業式

 昨日娘が大学を卒業した。4年なんてあっという間だ。ついこの間入学したばかりなのにもう卒業なんてなんだか信じられない。私が年をとって、時間が加速度を付けて通り過ぎていくせいなのかもしれないが、本当に早い。もちろん、本人がそれなりに充実した時間を過ごしたのだったら私がとやかく言うことではないのだが・・。
 4月からそのまま大学院に進むのだから、卒業といっても改まった感慨などないだろうと、勝手に私は思っていたが、本人にとってはそうでもないらしく、去年の秋口から、卒業式に着る着物についてあれこれ妻と電話で打ち合わせをしていたようだ。妻は娘のために留袖が作ってあるからそれを着せようとしたのだが、「黒なんて誰も着ないよ」とけんもほろろに一蹴されてしまった。「それなら逆に目立っていいのに・・」と私などは思うのだが、どうもそれがいやらしくてデパートで着物から袴まで一式借りたようだ。着付けやセット、さらには記念写真まで撮ってくれるようで、ちょっとした成人式のようだ。そんな娘の晴れ姿を母親として妻が見落とせるはずもなく、月曜の夜に京都に出向いて火曜の卒業式に参列した。私も都合がついたら、行ってみたいなと思わないでもなかったが、やはり日程的に無理なので早々に断念した。でも、30年近くぶりに母校の卒業式を見学したかったなと、今でも少々心残りに思っている。
 
 朝起きて、晴れだと確認して安心した。せっかくの門出の日に雨など降っては悲しい。妻に式の様子を「写真に撮って送ってくれ」とメールしたら、しばらくしてこんな写真が送られてきた。題名は「後輩」・・。


 卒業式の会場には、こんなコスプレをした輩が何人かいたようだ。舞妓さんの衣装を着た女子学生、ウエディングドレスを着た男子学生・・・、それを目当てに報道陣も相当数集まっていて、卒業式の荘厳さはあまり感じられなかったらしい。学生最後のバカ騒ぎだと思えば、これくらいのことは大目に見てやらなくちゃいけないのかもしれないが、卒業式の会場で鍋を囲んでいた奴らがいたというのは、ちょっとばかりバカすぎる。「独創性」が売り物の学風だとは言え、悪乗りは見苦しいだけだ。

 夕方になって、塾の授業をやっていると携帯にメールが入った。欠席を知らせる塾生からのメールかな、と思って見たら、「ありがとう」と題した娘からのものだった。「改まって何だよ」と思いながら、開いてみたら、「無事卒業できました!ありがとう!」という文面に、袴姿の娘の写真が添付されていた。その瞬間、
 
 バカヤロウ!!授業中にこんなメール送ってくるな、
 涙で目がくもって見えないじゃないか!!
 お礼を言われるほどのことなど何もしていない。
 自分でここまでやってきたから卒業できたんだ。
 まあ、これからも頑張れよ。

などと返信しようと思ったが、「おお、いい感じじゃん!」と間抜けな言葉を返すのが精一杯だった・・。
 何度もメールを読み返すうちに、今まで一度も思ったことなどなかったけど、
「もう大学院なんか行くのやめて帰って来いよ、一緒に暮らそうぜ」
などという思いで胸がいっぱいになってしまった。ダメな親父だ・・。




妻が持ち帰った卒業証書と大学からの卒業祝い品、なんと50cm近くもあろうかという割り箸。いったい何のために・・・。

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「佐々木夫妻の・・」

 稲垣吾郎主演の「佐々木夫妻の仁義なき戦い」が終わった。連続ドラマを毎週見たなんて何年ぶりだろう、全10回毎週欠かさず見てしまった。日曜の夜などいい加減酔っ払っているから、話の内容を十分理解していたとは思えないが、それにしてもひどいドラマだった。8時からNHKの「篤姫」を見てから、このドラマを見るというのが、知らないうちに日曜夜の過ごし方になっていて、ただなんとなく惰性で見続けていたに過ぎない。それでも、見ていると途中何度もむかっ腹が立ってきて、どれだけ文句を言ったか分からない。「あなたとTVを一緒に見てると文句しか言わないからいやだ」と妻はよく言うが、このドラマに関してだけは、私がどれだけ文句を言っても、怒ったりはしなかった。スマヲタの目から見たら、稲垣吾郎の役どころがひどすぎると思えるだろうし、相手役の小雪のファンならば、もっとイヤになったんではないだろうか。こんな役をやらされた二人がかわいそうにさえ思えた。
 物語はただ単に「弁護士夫婦の離婚騒動」の一言で片付けられてしまう。几帳面で、依頼者のためを思って東奔西走する弁護士・佐々木法倫と大雑把で勝つためには手段を選ばない弁護士・佐々木律子夫妻が、お互いの性格や生き方の違いによる心のすれ違いが行き着くところまで行って、最後には離婚をかけて法廷で争う・・という筋立てだが、何としてでも裁判で勝とうとする二人の姿勢にはうんざりしてしまったし、何よりも夫婦二人が回を追うごとに非人間的で、裁判を有利に進めるためあれこれ画策するのが何ともさもしく見えてしまい、怒りさえ覚えた。「確かに法律を盾にすれば瑕疵なく生きていけるかもしれないが、そんなことばかり言ってたら、幸せにはなれないぞ」と、大した生き方をしていない私でさえ思ってしまうのだから、ドラマの中の二人になんらのシンパシーも感じられなかったのも当然だ。
 しかし、私もバカだ。いくら妻の道楽に付き合ったと言っても、こんなに面白くないドラマを最後まで見通してしまうなんて・・。素面ならとてもこうは行かなかったかもしれない。酔いのため判断能力の落ちた頭だったからこそ我慢ができたのだろう。それでも、やっぱり稲垣吾郎がかわいそうでならなかった。「スマステ」の「月イチゴロー」というコーナーで映画評論を行っている彼に、このドラマを客観的に評価してもらいたいと思う。かなり思い切った評言をずばりと言う彼の目には、このドラマがどう写っていたのだろうか。演じていて楽しかったのだろうか。藤田まこと・江波杏子・西村雅彦・山本耕史などの出演者たちも、ドラマに無駄な豪華さを添えるためだけに出演しているようで、もったいない気がして仕方なかった。果たしてこの配役も稲垣の目にはどう写っていたのか聞いてみたい気がする。
 演技者が旧来持っていたイメージを打破し、新境地を切り拓くために敢えて演じたことのない役柄を引き受けることはあるかもしれない。あるいは、汚れ役を買って出て、自らの芸域を広げようとする場合もあるだろう。しかし、今回の稲垣吾郎と小雪はこのドラマに出演してなんら得るものがなかったように思う。演技者と劇中人物とを一致させて考える愚を犯してはならないのは十分承知していても、劇中人物の性格・考え方をそれを演じる者のものと同一視してしまうことはどうしたって起こってしまう。このドラマを見た後では、稲垣吾郎を法律を通した上でしか人間を見ることができない一面的な人間であるとか、小雪を全て自分の思い通りにならなければ、指弾されて当然なことでも押し通してしまう偏狭で自己中心的な女性であるとか、そんな偏ったイメージが私の中に植えつけられてしまったようで、それを払拭するにはしばらく時間がかかりそうだ。
 本当に見なきゃよかった。心から後悔している・・。

 (PS)
 ヤマザキから売り出された「佐々木夫妻の仁義'sパン」、目敏い妻がコンビニで見つけて買ったのだが、私にはこの名の意味が分からなかった。


「華麗なる一族」の場合は「華麗パン」で、ちゃんと「カレーパン」だった。それなのにこの「仁義'sパン」はただのパンだった。ジンギスカン鍋の味でもするかと思ったが、まったくそうではなかった。ちょっとがっかりしたが、ジンギスカンの味がするパンなんて食べたくないよなあ、あんまり。
 
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Spring has come!!

 先月28日の記事に書いた、息子の友人でもある塾生にやっと春がやってきた。浪人してまで志望したのとはかなり違う大学ではあるが、なんとか晴れて大学生になることができる。息子も帰ってきていることだし、ちょっとしたお祝いをしてやろうと、何度も一緒に行ったことがあるマス釣り場へ向かった。
 私たちが着いた時には、他に客が誰もいなくて「貸切り状態だ!」などと軽口を叩いたが、しばらくするとぽつぽつ人が集まってきて、少しばかりの賑わいを見せた。

  

 小さな頃から何度も来たことがある場所であるから、勝手知ったる者の強みで、二人とも手際がいい。特に息子は、「マス釣り王子」と呼びたいくらいに上手い。あっという間に何匹か釣り上げ、バケツをにぎわしていく。主賓であるべき友人は昔から腕前が覚束ないため、えさばかり取られてなかなか釣り上げられない。妻もえさばかりとられて、ブーブー文句を言っている。それじゃあ、と笑ってばかりいた私も参戦することにしたが、いざ試してみると、思ったほど簡単ではなかった。水面に陽光が反射して、マスがえさに食いつく瞬間を見極められない、思ったより難しい・・。

 

 それでも4人でじたばたしていたら、息子が6匹、友人が4匹、妻が2匹、私が1匹の合計13匹釣り上げることができた。後はこれを料理してもらうのだが、塩焼きを一人に1匹ずつ、3匹を刺身にして、残りは皆フライにしてもらうことにした。

 

 屋外に筵を敷き、飯台を持ってきて食べることにした。山間部だけあって、さすがに空気はひんやりしたが、空の下で食べる楽しみのほうが勝った。周りの杉の木もまだ花粉をつけていないようで、花粉症の私と妻が一度もくしゃみをしなかったのは不思議だ・・。

  

 4人で13匹はさすがに食べ切れないんじゃないか、と心配したのだが、そんなものは杞憂に終わった。体格が横綱級の息子の友人の胃袋は底なしのようだ。「もうだめ」と言いながらも、進めればどれだけでも食べてくれる。この貪欲さが勉強にも向いていれば、もうちょっと楽に合格できたものを・・、などと小言を言いたくなるのを抑えていたら、私は満腹になった。
 月曜と火曜に、部屋探しをするために上京するそうだが、これだけ押し迫っていると適当な物件を見つけるのはかなり厳しいだろう。だが、とにかく新生活を始めることはできるわけだから、しっかりした意志を持って充実した大学生活を送ってもらいたいと思っている。頑張れ!!
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「いちょう並木のセレナーデ」

 車を運転しながらCDを聞くことが少なくなった。一人で遠乗りをしなくなったせいかもしれないが、滅多に聞かないからもうずっと同じCDが入っている。竹内まりや、SMAP、そして原由子・・。原由子は1983年の「YOKOHAMADULT」であり、もう25年も前のCDだ。発表当時はレコードを買って、テープにダビングして繰り返し車の中で聞いたものだ。それが数年前、もう一度聞きなおしてみたくなり買ったCDが車の中に入っている。ほんのたまにだがこのCDを聞いてみると、もうだめだ、原由子の「ヘタウマ」なボーカルに心奪われてしまう。と言っても、聞くのは11曲目の「いちょう並木のセレナーデ」ばかりだ。サザンの数ある名曲の中でも最高の一曲だと私が勝手に思っている「Ya Ya(あの時代を忘れない)」と同じように、学生時代を共に過ごした人に対しての懐かしい想いを歌い上げる「小夜曲(セレナーデ)」であるが、聞くたびに胸が締め付けられる思いに駆られてしまう。

   学食のすみであなたがくれた言葉
   授業をさぼり 待つチャペルが
   いつもの場所
   季節はめぐり秋になれば
   ネルのシャツだけ
   お互いが一番大事な人なのに

   You you you, 忘れぬ日々
   You you you, when I ・・with you

 こうやって「詞」を書き出してみると、さほどの感慨は受けない。やはり「詞」は、曲が付けられ、声に出して歌われてこそ初めて聞き手に感銘を与えるものなのだろう。もしこれが「詩」であるならば、曲などつける必要はない。「詩」はすでにその中にリズムを有していて、その言葉を一つ一つを口辺に上らせるたびに自ずとそのリズムが浮かび上がってくるものなのだ。一篇の詩には、謂わば一つの小宇宙が内包されていて、その宇宙が生み出す波動が読む者を inspire せずにはいないのだ。しかし、読む者がその詩のどこにインスピレーションを受けるかはまったく自由だ。心がふるえる箇所など決められたくはない。一方、「詞」にはそれほどの自由さはない。詞を作る者、曲を付ける者、さらには歌う者といくつかの工程を経るうちに、イメージが固定化され、聞く者に裁量が与えられる余地が少なくなってしまう。その端的な例が演歌だ。余りに作り物めいた演歌を聞いても何も心に沁みてこない。パターン化してしまっているせいなのかもしれないが、既製品のような曲はもう聞きたいと思わない。しかし、原由子が次のように歌うとき私の心は30年も前の自分に戻ってしまう。

   他の誰かが好きなのは わかってたけど
   ノートのコピーを見せるのは いつも私
   渋谷から横浜までずっと音楽ばかり
   二人で見てあの Eric Clapton に涙した
   
   You you you, 期待ばかり
   You you you, when I ・・with you

 これと同じようなシチュエーションを経験したことなどない。だが、どうしたって胸が熱くなる。渋谷とか横浜とかそんな都会に暮らしたことはないし、Elic Clapton のコンサートに行ったこともない。しかし、こんなようなことがあった気がしてくるのは何故だろう。さらに、 

   いちょう並木が色を変えりゃ
   心も寒い
   学祭ではじけて恋した あの頃よ
   
   You you you, 忘れぬ日々
   You you you, when I ・・with you

 思わず涙がにじんでくる。「忘れぬ日々」--そうか、「忘れぬ日々」が私の心の片隅にあって、私をかきむしるのか・・。心の中に土足で踏み込もうとする演歌じゃだめだよな、やっぱり。窓辺で恋しい人を想いながらそっと歌うセレナーデじゃなくっちゃ・・。
   
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運転免許証

 息子が木曜日に帰ってきた。2月に入ってから、ずっとスキーサークルの合宿で長野と群馬を行ったり来たりしていたとかで、真っ黒に日焼けして帰ってきた。スキー場の民宿で手伝いをする代わりに、食事と宿を提供してもらう形で、あれこれ忙しくしていたようだ。小学生と高校生の時にいったことがあるだけで、ほとんど素人と言ってもいいくらいの息子がよくもまあ、そんな長期間スキー三昧の暮らしができたものだと驚いている。きっと今までにない体験をしたことだろう。一週間ほど家にいるようなので、その間に少しずつそんな話が聞けたらいいなと思う。

 正月以来初めて帰省したのには大きな目的が一つある。それは運転免許証をとることだ。東京で自動車学校に通って卒業してはいるので、自動車免許試験場に行くだけのことだが、住民票を移してないため愛知県の試験場に行かなくてはならない。自動車学校卒業後、1年以内に免許試験に合格しなければ資格が失効してしまうので、こちらにいる時間が限られている息子には、悠長なことは言ってられない。「帰ってきたらすぐに免許を取りに行ってよ」と妻がきつく言い渡していたので、金曜日に早速出かけることになった。用事があって送っていけない妻に代わって、私が送っていくことになった。
 試験場は、我が家から20kmほど離れたところにあるのだが、もう20年近く行ったことがない。20年ほど前にスピード違反で免停になってしまい、講習を受けに通ったのが最後だ。「どうやって行ったっけ・・」1ヶ月ほど前に娘を免許の更新に試験場まで乗せていった妻は、「ナビに従って行けば着くよ。ちょっと面倒くさいけどね」と簡単なことを言うが、私はナビに従って運転していくのが苦手だ。ナビが音声案内をしてくれても、道路標識を見ているうちに違う道に入ってしまい、意図せぬところに行ってしまうことがよくある。確かにナビは優れものだが、自分の感覚のほうが正しいなどという妙な自惚れがあるのかもしれない。しかし、今回ばかりは決まった時間までに着かなくちゃいけないから、しっかりナビの案内に従おうと心に決めて少し早めに家を出た。
 久しぶりに息子と二人だけで車に乗った。道中ナビの案内を聞き漏らすまいと、息子に話しかけるのを抑えていたが、そのお陰もあってか、試験場近くまでスムーズに行くことができた。これならもう大丈夫、と少しばかり息子から話が聞けた。サークルのこと、友達のこと、学校のことなどあれこれ話してくれたが、やっぱり今から受ける試験のことが気になっているらしく、「20%くらいしか自信がない・・」と弱気なことばかり言っていた。「あんな試験、誰でも受かるだろう、ただの常識問題だ」と私が言ってやると、「そうかもしれないけど、勉強してないからなあ・・」とまったく自信がなさそうだった。そう言えば、昔から試験の前はいつもこんな感じだったなあ・・。それでも、思ったより早く着くと、勢いよく試験場に向かって行ったから、何とかなるんじゃないか、と思いながら私は帰路に着いた。

 2時間半経って電話してみた。
「何?」と息子が怒ったように出た。
「何って結果だよ、結果」
「結果?落ちたよ、当たり前じゃん」
「・・・、情けないなあ。っで、何点?」
「88点」
「なんだ、90点まであと2点か・・。惜しかったなあ」
 試験場の筆記試験で落ちたなんて話はあまり聞いたことはないが、落ちたものはどうしようもない。あまりバカにしてもいじけるだけだから、また月曜日に連れて行ってやることにした。まあ、今度はもうちょっとしっかり勉強していって、きっちり合格してもらいたいものだが・・。
 
 でも、こんな試験ぐらい1回で受からないで、大学よく受かったよなぁ・・・。時々不思議に思えて仕方ない。
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