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舞妓さん

 古い友人に新聞記者をしている者がいる。今は京都支局にいて、地元の新聞に時々京都ネタの記事を書いている。一年ほど前に初めて彼の記事を見つけ、夏に「野草を食べる会」の同窓会で集まったときにそれを話題にしたが、なんだか照れくさそうにしていた。プロでも恥ずかしいのかと不思議な気がした。その後、あまり記事を見かけなくなっていたので、どうしたのか気になっていたところ、1週間ほど前の夕刊に久しぶりに彼の記事が載っていた。
 「舞妓はん 英会話どす」という題名で、京都伝統技芸振興財団(愛称・おおきに財団)が国土交通省の補助を受けて、舞妓さんや芸妓さん向けに英会話講座を始めるという内容の記事だった。
 

 私は大学に5年いたが、彼は7年いた。授業は私よりも出ていなかった、というよりまったく大学に行っていなかった。学校など行かずに一日中、寝る暇を惜しんでひたすらマージャンばかりしていた。確かに強かった。高校では将棋部で活躍していただけに勝負事の勘所はしっかり押さえていて、ほとんど無敵状態だった。私のように深く考えずに成り行きで打っていた者とは違って、緻密な理論を重ねていくタイプなので、私のかなう相手ではなかった。
 その彼が何とか卒業を果たし、新聞社に就職し、結婚して子供まで生まれたというのは、きちんとした社会生活を送れるようになった証拠ではあるが、なかなかどうしてそうは問屋が卸さないようで、かなり前から奥さんと別居して長く独身生活を続けている。去年の同窓会の3次会で、その辺りのことを話題にしてみた。
 「こうしたところ(祇園のお茶屋風の小料理屋)にはよく来るの?」
 「まあ、ほとんど毎日飲んでるから、それが仕事みたい」
 「そりゃあ、忙しいねえ。でも、いいところだね、ここ」
 「もう若い娘がいるところは無理だね。まあ、それなりに楽しくはあるけど。今はもう、しゃべりの勉強をしてるんだ、こういうところで。会話を楽しむってやつだね」
 「ふ~ん、そんなもんなの?」
 「そんなもんだね、もう。楽しいよ、毎晩。ねえ、ママ」
などと慣れた話し振りで場を盛り立てる。昔から、太鼓持ちみたいなところがあって、飲み会の席には欠かせない男だったが、一段と磨きがかかったようだ。そういえば隣の席には、舞妓さんが同席していたグループがいた。私はそんなに近くで舞妓さんを見るのは初めてでちょっとうれしかったが、彼はその席の客とも顔見知りのようで、近づいていって大声で笑いながら、なにやら話し込んでいた。なかなかの社交家ぶりだった。
 そうした彼の姿を知っているだけに今回の記事は、面白く読ませてもらった。特に、舞妓さんに感想を求めて
 「詳しくは知りまへんけど、英語が話せるようになるのは、うれしいどす」(祇園東の梅葉さん)
などという言葉をもらっているときの彼の様子を想像するだけで笑えてしまう。きっと、新聞記者らしくしようとしてもニヤニヤしてしまうのを我慢できないだろうな、などと思って私まで照れてしまう。
 
 こういう生きた記事を書くために今夜もきっと、ネオンの下を徘徊しているんだろうな、彼は。まさしく天職に恵まれたようだ、うらやましい。
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