goo

「詩の道しるべ」

 「詩の道しるべ」という本を買った。詩について勉強しようと思ったのではない。作者が柴田翔だから買ったのだ。柴田翔といえば「されどわれらが日々―」の作者である。高校生のときに読んだこの本の内容は今ではもうほとんど忘れてしまっている。学生運動に挫折した若者の話だったというおぼろげな記憶しかない。だが、当時の私には深い感銘を与えた小説である。「二十歳の原点」と並んで通過儀礼のような本だったのだろうが、それに素直に感動した私は、やはり純粋だったのかもしれない。今なら、そんな誰もが薦めるような本など読めるか、とそっぽを向くに決まっている。
 その柴田翔が書いた本だから、読まずにいられない。彼の作品としては「贈る言葉」も読んだはすだが、それ以来ほとんど彼の名を目にすることはなかった。作家活動を休止していたわけではないようだが、東京都立大学や東京大学でゲーテを中心にドイツ文学を教えていたそうだ。1995年から共立女子大で「詩を読む」という授業を担当した経験を基にして本書が書かれたと「あとがき」にある。そうした経験を通して、「詩の楽しみ方」を次のように書いている。

 詩を読む楽しみは、詩のことばにつられて自分の心の振幅が大きくなり、空間が拡がり、自分に見えなかった風景が見えるようになり、自分が自由に、伸びやかになって行くことを実感するところにあります。大事なのは自分から抜け出ること。いま現在の自分の心の在りように執着して、それをそのまま肯定する材料を探すために詩を読むのでは、詩を読む甲斐はありません
 こだわらない心で詩を読むとき、詩は楽しいものになります。

そうした心をもって、彼が好きな詩を数編取り上げて、それらの楽しみ方を教えてくれている。私はその中でも、1976年生まれの詩人、小野省子の「がんばらなくちゃ」という詩に心を動かされた。

     「がんばらなくちゃ」  小野省子
 
 かんたんなことを
 むずかしく言うのは
 かんたんだけど
 
 むずかしいことを
 かんたんに言うのは
 むずかしい
 
 何でもないことを
 悲しく言うのは
 何でもないけど
 悲しいことを
 何でもないように
 言うのは苦しい

 素直って言うのは
 ありのままということだけど
 私はがんばらなくちゃ
 素直にはなれない



この詩を柴田が言うように「ゆっくり、ふつうに、声に出して、一つ一つのことばの意味を心に描きながら、その意味が」少し離れたところに「いる人にまで、ちゃんと届くように」、読んでみよう。 
 そうやって、自分の心にどんなイメージが浮かび上がってくるかを見るのは、その日の己の心のありようを知る有効な術であるように思う。
コメント ( 9 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする