コメント
キリン
(
ビーバー
)
2006-07-26 08:30:05
ずっと同じところに住んでいられるのは羨ましいです
。
いろいろ思い出の品をとっておけますものね。
引越しを重ね、家財一切を水没させたこともあるうちは、あまり残っていません。
小学低学年で描いた数枚の絵くらいです。
うちの娘はキリンの脚を5本描いて写生大会で入賞しました。
キリンが4本脚って知っていても、その時彼女に見えたままを描いてあって、これだけはなくさないようにしてやりたいと思っています。
Unknown
(
モモ
)
2006-07-26 12:12:55
書中お見舞い申し上げます。
こちらは今日、梅雨明け宣言がされましたがそちらはどうですか?
このところの雨の被害はないですか?
お元気なんでしょうか?
健康あってのすべてですね。
お体を大切にお過ごしください。
(バツイチ女のひとり言)
おばあちゃんの部屋
(
ゴジ健
)
2006-07-26 14:29:38
私は、小学生の頃から絵を描くのが好きでした。
私の絵は、どちらかと言うと「印象派」なのでしょうか、「写実的」に描くのは苦手です。感じた色や形を、思ったままに描いていました。
小学校の担任教師は、どうもそういう私の絵を認めてはくれませんでした。「樹」を描くと葉っぱの色が緑だけでなく、黒かったり、白かったり・・・一筆ずつ違う色になってしまうのです。「これは樹の絵ではない」と言われたことが忘れられません。
ところが中学の美術の先生は、私の絵をひどく気に入ってくれて、写生大会では、毎年「金賞」をくださいました。「アングル」や「色の捉え方」を特に褒めてくださいました。
中学3年生のときの写生大会では、松本城を描いています。私は、天守閣ではなく大手門とその脇の樹(何の樹だったか覚えがないのですが・・・)を描きました。今でもその絵は、額に入っておばあちゃんの部屋に掲げてあります。
30年以上経っているので多少色褪せてはいる水彩画。
私の大好きだったおばあちゃんが、ことあるごとに見上げていてくれたのでしょうね。
ビーバーさん
(
塾長
)
2006-07-26 16:18:17
何も考えずに思ったとおりの絵をい描いているうちは誰でもピカソなのかもしれませんね。
息子の小学校のときに描いた人間は針金でできていました。
針金くん、と呼んでいましたが、ちょっとした連載物になっていました。
なかなか面白かったのですが、そんな才能(?)もいつの間にか埋もれてしまうものですね。
針金くんはまだどこかにあるのかなあ。
モモさん(バツイチさん)
(
塾長
)
2006-07-26 16:21:33
水害の被害は大丈夫でしたのでしょうか?
九州はまだ梅雨明けではありませんか?
こちらはもうそろそろのようです。
暑い日が続きますが、お体をご自愛召されてこれからもご活躍ください。
ゴジ健さん
(
塾長
)
2006-07-26 16:27:27
私には悲しいほど絵の才能がありません。
唯一自慢できるのが、以前描いたことのある『オバQ』の絵だといえば、どれだけ惨めなものかお察しいただけるでしょう。
おばあ様のお部屋に掲げてあるゴジ健さんの絵、一度拝見したいです。
やはり「樹」がお好きなんですね。
好きなものを描いちゃうんでしょうか。
思い出の品
(
竜虎の母
)
2006-07-26 22:52:43
虹とかアドバルーンとか、きっと心に強く残られたのでしょうね。
そのことに心が向いているから、その他のことは自然に遠のいていたのだと思います。決してお父さんを取りこぼされていたのではない・・・?でしょう。
とりあえず飾っておこうと思った写真や作品が、そのままの場所で過去の思い出になっているのは、少々切ないものがあります。時のたつのは早いですね。
うちの子たちは
(
ウゴメク
)
2006-07-26 23:15:11
残念ながら親に似て下手です。絵は小さい頃から興味持たせると良いのですかね。自分が興味なかったから、子どももその影響受けているかもしれません。作品展や夏、冬休み等の課題では図画工作類はほとんど出していません。というより出せません、といった方が早いかもしれませんが。はっきり、絵の上手い人は羨ましいです。
母さん
(
塾長
)
2006-07-27 01:04:08
虹の絵の話は、母さんのブログのコメントでしたことがあると思います。
その時にも慰めていただきましたが、父親なんてそんなものですよ、多分。
まあ、それでもまったくかまいませんが、やっぱりちょっとは寂しいですね。
ウゴメクさん
(
塾長
)
2006-07-27 01:30:03
絵でも、スポーツでも楽しんでやらなきゃいけませんね。
勉強も。
楽しむと、おちゃらけになるって言うのは違うと思うので、何でも楽しんでやれることが大切だと思います。
ブログも楽しまなけりゃいけませんね。
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。
いろいろ思い出の品をとっておけますものね。
引越しを重ね、家財一切を水没させたこともあるうちは、あまり残っていません。
小学低学年で描いた数枚の絵くらいです。
うちの娘はキリンの脚を5本描いて写生大会で入賞しました。
キリンが4本脚って知っていても、その時彼女に見えたままを描いてあって、これだけはなくさないようにしてやりたいと思っています。
こちらは今日、梅雨明け宣言がされましたがそちらはどうですか?
このところの雨の被害はないですか?
お元気なんでしょうか?
健康あってのすべてですね。
お体を大切にお過ごしください。
(バツイチ女のひとり言)
私の絵は、どちらかと言うと「印象派」なのでしょうか、「写実的」に描くのは苦手です。感じた色や形を、思ったままに描いていました。
小学校の担任教師は、どうもそういう私の絵を認めてはくれませんでした。「樹」を描くと葉っぱの色が緑だけでなく、黒かったり、白かったり・・・一筆ずつ違う色になってしまうのです。「これは樹の絵ではない」と言われたことが忘れられません。
ところが中学の美術の先生は、私の絵をひどく気に入ってくれて、写生大会では、毎年「金賞」をくださいました。「アングル」や「色の捉え方」を特に褒めてくださいました。
中学3年生のときの写生大会では、松本城を描いています。私は、天守閣ではなく大手門とその脇の樹(何の樹だったか覚えがないのですが・・・)を描きました。今でもその絵は、額に入っておばあちゃんの部屋に掲げてあります。
30年以上経っているので多少色褪せてはいる水彩画。
私の大好きだったおばあちゃんが、ことあるごとに見上げていてくれたのでしょうね。
息子の小学校のときに描いた人間は針金でできていました。
針金くん、と呼んでいましたが、ちょっとした連載物になっていました。
なかなか面白かったのですが、そんな才能(?)もいつの間にか埋もれてしまうものですね。
針金くんはまだどこかにあるのかなあ。
九州はまだ梅雨明けではありませんか?
こちらはもうそろそろのようです。
暑い日が続きますが、お体をご自愛召されてこれからもご活躍ください。
唯一自慢できるのが、以前描いたことのある『オバQ』の絵だといえば、どれだけ惨めなものかお察しいただけるでしょう。
おばあ様のお部屋に掲げてあるゴジ健さんの絵、一度拝見したいです。
やはり「樹」がお好きなんですね。
好きなものを描いちゃうんでしょうか。
そのことに心が向いているから、その他のことは自然に遠のいていたのだと思います。決してお父さんを取りこぼされていたのではない・・・?でしょう。
とりあえず飾っておこうと思った写真や作品が、そのままの場所で過去の思い出になっているのは、少々切ないものがあります。時のたつのは早いですね。
その時にも慰めていただきましたが、父親なんてそんなものですよ、多分。
まあ、それでもまったくかまいませんが、やっぱりちょっとは寂しいですね。
勉強も。
楽しむと、おちゃらけになるって言うのは違うと思うので、何でも楽しんでやれることが大切だと思います。
ブログも楽しまなけりゃいけませんね。